第17話姉妹の合流

 ――影は、未だ微睡みの中にいた。


 【扉】を出て直ぐに受けたあの、容赦の無い爪の一撃に影の体力は奪われ、即座の逃亡と休息を余儀なくされた。

 静かな場所で、脅威から遠い場所で。それでいてやがて来たるあの敵に、備えることの出来る場所。それを探しながら彷徨い、そして辿り着いたのは魂の廃棄場。肉体を無くし精神を汚したヒトの成れの果て。


 願望の、成れの果て。


 好都合極まると、影の昆虫じみた合理性ですらほくそ笑んだ。尖兵、潜伏、そして静寂。自分の必要としているものが全て揃ったここに流れ着いたことが、影とても瞠目するほどの幸運だったのだ。

 死者に活力を与え。

 爪と牙と舌。そして耳、声で獲物を追う朽ちた猟犬たち。彼らの渇望を満たさず利用して傷を癒やし、力を取り戻す。

 周遊する死体を眺め、影は自分の創り出した揺りかごに満足していた――あの、爆発音と火柱が闇を切り裂くまでは。


 崩壊の足音が迫ってくる。

 影は僅かに身震いし、思考する――この居心地の良い場所を捨てるか、それとも守るか?









「…………」


 夜空に立ち上った火柱を見送って、ソニアは無言で手にしたソレ――ミスター・ノーツの懐から護身道具を見下ろす。

 本音を言えばソニア自身、自分の行動が生み出した結果には驚いていた。

 単に合図を送るだけのつもりだった――ノイジーに居場所を知らせるために、少し音と光を使って信号を送ろうとした、それだけだった。


 だけれど結果は? ソニアの、やせっぽちの手の平にすっぽりと収まる程度に小さな、玩具のような銃は、筒から破壊の嵐を吐き出した。奇術師の帽子のようだ、どうぞ皆様ご覧あれアブラカタブラ、引き金一つで爆弾を飛び出させて見せましょう。

 不慣れな手品は離れたソニアの顔面にさえ届くほどの熱波と共に、大地を震わせて、そしてついでにと向けた先、群がっていた死体たちを吹き飛ばしていった。

 耳鳴りも気にならない程の光景だった。ぽかんと口を開けた死体たちが炎に呑み込まれ、煙が収まった後には大地が抉れていた。鉱山工事用の爆薬を箱半分ほど使えばこうなるだろうか、少なくとも筒を二つ繋げただけにしか見えない簡素な銃は、大砲並みの威力の弾丸を撃ち出したのだ。


 ソニアは銃と抉れた地面を交互に見る。それから、轟音の中でも気を失ったままのミスター・ノーツを見て、その傍らに駆け寄る。ドレスの汚れに頓着することなく膝をつくと、力無く握られた右手の指を解いて、そこに銃を持たせソニアは良し、と一つ頷いた。


「……何してンの、ソニア?」

「キャアアッ?!」

 いきなり背後から声を掛けられて、ソニアは文字通り飛び上がった。「ノ、ノイジーっ! 驚かせないで!」

「驚いたのはこっちだよ、さっきのは何? まだ耳が痛いンだけど」

「あぁ、えっとその……!」

 ソニアは倒れた青年の右手を指し示すと、早口でノイジーを説得する。「彼が、その……私を守ろうと……そう、そうなの。襲ってきた死体たちに護身用の銃を向けて、撃ったのよ、私を守るために」


 ノイジーは無言で地面の穴を見て、ミスター・ノーツの手を見て、それからソニアの顔をじぃっと見た。

 そしてニヤリと、唇を歪める。


「いやいやいやぁ? 握り方とか汚れとか色々あるけどさ。こんなとんでもないことしでかすのは、アタシの知る限り一人しか居ないでしょ。ねぇ、お姉様?」

「……そんなに直ぐ、バレるかしら?」

「当ッたり前じゃん。こんな三文芝居、生まれたての花の精C・M・Bだって騙せないよ」

「……ノイジー、前に、お金について教えたわよね? この世界では何かをするにはお金が掛かるの。食べたり飲んだり洋服を買ったり、ミセス・クラリネットにもお金を渡して働いてもらっているの。生きるためにはお金が必要で、その額は滅多に減らないわ」

「ま、その辺は何となく解るよ」

理解して、ノイジー。良いこと? 必要なお金が急に増えるのは困るのよ、大変なことなの。あの地面を見て? それから、周りの墓石や霊廟の破片を見て。見終わったら、想像するの――この穴を埋めて霊廟を建て直して墓石を埋めたら、いったい幾ら掛かるかしら? お金よ、お金。見ず知らずの他人のお墓に供えるには、少し高価すぎる額だわ」

 ソニアは退屈そうなノイジーの両肩を掴むと、彼女の綺麗な夕焼け色の瞳を覗き込んで真剣に、自身の真剣さを伝えた。「それを払わされることになるかどうかは、この三文芝居に掛かっているのよ」


 解ったような解らないような、微妙な呻き声を上げるノイジーの肩を、ソニアは乱雑に揺すった。

 小柄で細身のノイジーは不機嫌そうに手を振り払うと、取り敢えず頷いた。「もう、解ったってば」


「それなら良いわ。それでノイジー、怪我はしていない? 危ない真似はしていないでしょうね?」

「何それ、もしかして心配してンの? アンタが、アタシを?」

「当たり前でしょう? 貴女はまだまだ小さな女の子だし、それに妹なんでしょう。姉は妹を大切に思い、守るものだわ」


 まあ、私に妹が居たことは無いけれど。ソニアは心の中でだけ、付け加えた。

 ノイジーは、聖伐祭餅カニバルケーキは供物だから食べられるわけではない、と教えられた子供のように、理解できても納得できないというような顔をした。


「……アイツらじゃあアタシに、傷一つ付けられないよ。アタシの方が存在が格上だからね」

「理屈が良く解らないけれど……とにかく怪我が無くて良かったわ。それで、あの影は見付けられた?」

「まだだよ。多分中央の方に居そうなんだけど、あの臭い連中のせいで近づけないンだよね」

「傷一つ付けられないんじゃあなかったの?」

「だって臭いンだよアイツら、触りたくない」

「……ノイジー」

「嫌なものは嫌だっての! 臭すぎて臭すぎて、触ったらそれこそ魂まで臭いが移っちゃうよ!」


 どう考えても臭いより命の方が大切だとソニアは思ったが、実際ノイジーは自分の命が脅かされてはいないのだ、一度も。

 影が脅かすのだってソニアの世界だ、ノイジーの世界ではない。彼女が自分の嫌悪感を圧してまで影と戦う必要は、一切無いのだ。


 そこまで考えてふと、ソニアは首を傾げた。


「とにかくどうにか、中央に行かないと……何? アンタまた何か、むかつくこと考えてない?」

「ちょっと気になって。ノイジー貴女、?」

「はあ?」

「だって貴女、別にこの世界が好きなわけでもないでしょう? 嫌なことはやらないっていうタイプなのに、あの影を追い掛けたり、私に協力してくれているじゃない? どうしてなの? 姉のために頑張ってくれているのは嬉しいのだけど」

「アンタのためじゃないよ別に。ホントだっての、その『全く素直じゃないんだから』みたいな顔止めてよ」

 ノイジーは素足で毛虫を踏んづけたような顔で歯をむき出した。「アタシはただ、アイツをぶっ飛ばしたいだけだよ」


 ソニアは微笑んでノイジーの頭を撫でた。

 ノイジーは不愉快そうに頭を振った。


「意味ないことは止めてよ。アイツらがいない内に、さっさと行かないといけないンだから」

「中央に行くのよね、そこにあの影が居るの?」

「多分ね。アイツらの動き方というか、アタシを動かすやり方というか、その辺で想像つくンだよね。アタシを寄せ付けたくない場所っていうのがさ。アイツら、馬鹿だからさ」

「狩りの逆ね、追い込むのではなく追いやるというわけ」

「アンタ狩りとかするの?」

「貴族の嗜みとしてね。そういう場に顔を出さないと色々と言われるのよ」

「あぁ、だからさっき……」

「あぁもう、解ったよ。とにかくアタシたちは中央に行く、あの何か、でかい建物がある方に」


 言われてノイジーの指す方を見たが、ソニアの目には単なる暗闇しか映らない。

 困ったように妹へ顔を向けると、ノイジーは馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「仕方がないでしょう、こんなに暗いんだから」

「アタシには見えるけどね」

「はいはい、解ったわよ。それで? どんな建物なの?」

「ちょっと崩れ掛けてるけど、まあまあしっかりしてる作りだね。でも地味っていうか、アンタのとこみたいに飾りとか無い感じだね。のっぺりっていうか、特徴が無いっていうか。あ、屋根だけは何か尖ってるよ」

「それは……もしかしたら教会かもしれないわ」


 ここが墓地だというのなら、それは間違いなくあるはずの建物だ。

 死者を埋葬する前には、主神たる秩序神アードライトへ祈りを捧げる必要がある。司教様に祈祷をしていただき、主神の後光にて得た現世の魂を再び御身に抱いて下さるようにお願いしてもらうのである。そしてその後、教会には幾らかの寄付をする事になるのだけれど。

 詰まり墓地としてこの土地が機能するためには、教会が欠かせない。ノーツ家のご先祖様がどのような待遇を受けていたにしろ、流石に彼らとて秩序神教会アズライトワークスの信徒ではあった、筈だ。


 ここまでにそれらしい建物は見当たらなかった。となると、ノイジーが見えたという大きな建物は恐らく、それだろう。中央にあるというのもそれらしいし。


「へえ、カミサマの家?」

 ノイジーはシニカルな笑みを浮かべた。「それにしちゃあアイツを追い出さないンだね、カミサマは」

「神は慈悲深いのよ。それか……司教様もここには、あまり足を運んでいないのかもしれないわ」

「そんなヤツが司教なら、カミサマは確かに慈悲深いね」


 ソニアは無言で首を振った。

 神というのはそういうものだ、慈悲深く無慈悲で、愛情深く無関心なのである。そのことをノイジーに教える気力も時間も今のところは、無い。


「行きましょう、今ならあの死体たちも周りには居ないから」


 はいよ、と大人しく従い、更にはミスター・ノーツを運ぶソニアを手助けさえしてくれるノイジーをソニアは、複雑な気持ちで見詰めていた。

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