第15話最悪の群れ

 ま、アタシのことを少しは皆知ってくれたと思うけどさ。

 あの、自分のことを慎重だと思ってるノロマ二人が、カロボードの散歩みたくドソドソと歩いて、あの壁のとこまで――ま、アタシはアレ程度を『壁』だなんて思わないけどね――来てたときには勿論、当たり前に中に入っていた。


 障害ってのはさ、邪魔側が決めることじゃあないンだよね。邪魔を側があぁこれは障害だ、って思うから障害になるの。

 となるとさ、あれって壁じゃあないわけ。

 壁じゃあないから、アタシは越えた。それだけ。……何、ソニア? 方法? 別に大したことじゃあないでしょ、少なくともあのボロボロの漆喰を壊したりはしてないよ。粉が飛んで汚いじゃん。


 そもそもさ、アタシ言ったよね。あの影って結構厄介なものだって。聞いたでしょ、聞いてたよね? そんなのが呪いの土地に辿り着いてるンだよ。だとしたらさ、一直線に向かってったアタシの方がダラダラしてたアンタたちより正しくない? 褒められこそすれさ、怒られる筋合いは無いでしょ。

 ……はいはい。お姉様に心配をおかけして申し訳ありませんでした、ふん。

 とにかくアタシは苛々してた――いつもだって指摘は要らないよ、苛々するから――敵が先に、高所を取ったンだよ? 構えられる前に潰すのが当然でしょ。だってのに誰も追い付いて来ないからさ、何やってるンだって思ってたよ。


 ま、半分くらいは苛々してたけど残り半分は上機嫌だったよ、いつものように。

 久し振りだったからね、ってさ。アンタたちが来ないンならそれはそれで、獲物独り占めってわけでしょ。それはそれで悪くないからね。楽しいからさ。


 あぁ、言わなくて良いってば。解ってる、アタシは油断してた、完全にね。

 あの影はどうとでもなると思ってたけど――。鉄と煙の嵐の世界、か。


「……マジかぁ」


 あんなにドロドロとした魂の煮こごり、初めて見たよ。









「っ、今のは?」


 異様な叫び声に、ソニアは目を剥いた。長い、闇夜を切り裂くような鋭い声はまさか、悲鳴ではなかったか。

 駆け出そうとしたソニアの腕を、ミスター・ノーツがすかさず掴んだ。


「落ち着きたまえ、ミス・ミザレット」

「落ち着いてなどいられません! 離してください、ミスター・ノーツ! 今ここにいる中であんな声を上げるのは、ノイジーだけだわ!」

「良く聞いてくれ、君の妹君もあんな声は上げないよ。彼女は一人で、あの声は多重奏だ。波長は同じだが、声そのものが違う」


 言われて改めて良く、聞いてみるとソニアにも違いが解った。高い声や低い声、性別も年齢も様々な声が重なり合って響いて、一つの悲鳴を形作っている。

 そもそもよく考えれば、これだけ長い間叫び続けられる訳がない。最初の悲鳴から今まで、声はずっと鳴り響いているのだ。


 ヒトの喉を酷使する交響曲だ、演奏者は楽器の感情を気にすることなく、最高の曲を最大限に奏でている。


「……何なのかしら……」

「さてね。何かしらの意味があるにしろ、趣味は悪いな」

 血の気が失せた顔で、ミスター・ノーツが軽く冷や汗を拭う。「悲鳴を上げたのがリトル・ミザレットでは無い以上、何かがいる――ミス・ミザレット、やはり君は……」

「勿論行きますわ、ミスター・ノーツ。私の妹の問題なのですから」

「……解った、だが、僕から離れないでくれ」


 ソニアは神妙に頷いた。それから、お父様が愛用していた古いステッキを確りと両手で握る。南樫リブオークの柄はそれなりに頑丈だし、先端の鋼の上から銀鍍金メッキを施した空色蜥蜴カメレオン像は、尻尾と嘴を突き刺せば怪我くらいは負わせられるだろう。

 要するに、任せるつもりは無いということだ。

 喉元にまでせり上がった苦言をミスター・ノーツは懸命に呑み込んだ。言ったところでこのお転婆は自分の意見を曲げないし、言われれば言われるほど意固地になる可能性の方が高いということを、そう長くない付き合いの中で学んでいたのだ。


 それなら自分が彼女の側にいる方が良い。そしていざという時は、力ずくでも前に出れば良いだろう。ミスター・ノーツはそう判断して、ただ静かに溜息を吐いた。


「門はそこだ、その角を曲がったところ」


 取り敢えずのところはミスター・ノーツの導きに従って、ソニアは角を曲がる。

 見えてきたのは朽ちかけた塀に比べると、あくまでも周りよりはマシという程度だが、頑丈そうな鉄格子の門だった。きちんと収まって閉じているというだけで、この、見捨てられた地においては異質なほどな生真面目さを感じさせる。


 手を掛け、鍵が掛かっていることを確認してミスター・ノーツはホッと、安堵の息を零した。


「中で何があったにしろ、ここが破られていないことは有り難いね」

「どうかしら、ノイジーは壁を越えたでしょうし、彼女に追われたモノが同じようにしないとは言えないでしょう?」

「あぁ。だけど僕が思う最悪の事態なら、ここが無事なのは非常に大きい」

「最悪の事態?」

「麗しきリトル・ミザレットが言っていただろう? あの影は、他の連中に何かをさせると。詰まりは他人に何か、【チカラ】を与えるような存在なんだろう」


 優雅な手つきで鍵を外すと、ミスター・ノーツは額の汗を拭いながら門を押し開ける。軋んだ音で門は叫んだが、断続的に響く不気味な悲鳴の輪唱が、それを覆い隠してくれている。

 青年は、足下を確かめるようにステッキを突きながら――先端の大鷲が純銀製かどうかソニアは一瞬気になった――話を続ける。


「この場合【チカラ】とは何かが、問題だ。与えられてすべからく厄介なことをしでかすのなら、その【チカラ】は万能に近い。となると――?」

「必要性?」

 想像力の乏しいオウムみたいだわ、と思いながらソニアは聞き返した。

「与える相手が欲しいと思う源を、影とやらは与えるのではないか、ということさ。相手が必要としている、或いは渇望している願いに必要なチカラを恣意的に与えているのではないか。そしてだとすると、

 場所、というときに一瞬、ミスター・ノーツの顔色に鋭さが混じった。「他のどんな場所よりも、この場所は、この場所は不味いんだ――僕の予想が当たった場合、最悪な事態になる」


 ソニアは娯楽小説を嗜むから、ミスター・ノーツの言葉に所謂の気配を感じ取っていた。

 九連島国クードロンで言うところの【コトダマ】というやつだ、口にした最悪な予想は得てして具現化する。そして今回も、例外では無かった。


 門をくぐって、十数歩。

 ミスター・ノーツとソニアは揃って足を止めて、力無く溜息を吐いた。


「単純な話なんだ――?」


 目の前には、最悪が群れを為していた――【チカラ】を得た屍が、起き上がっていたのだった。

 月に心奪われたように上を見上げ、立ち尽くしていた死者たち。腐り落ちた肉体の中でも耳は生きているのか、突然現れたソニアたちの方へ一斉に向き直る。虚ろな、眼球が溶けて無くなったらしき虚の奥から、刺すような感情が二人へと放たれる。


「……こんばんは、ご先祖様」


 引き攣った笑みでミスター・ノーツが呟くと。

 死者たちは応じるように大きく口を開けた。歯茎が後退したため普通より長く見える八重歯が牙のようだとか、やけに生々しい舌が蠢いている様とか、吐き気を伴う不気味な非日常が月明かりだけの暗闇で何故か、ソニアの眼に飛び込んでくる。


 膠着は僅か一瞬。


 口を開けた以上そこから放たれるモノがあるわけで、ヒトであれば言葉であるはずのそれは、ヒトで無くなった彼らはただ単純に叫んだ。

 甲高く、切り裂くように。斬りつけるように。悪意を込めた咆哮がソニアの身体を深く深く貫いた。


「……ぁ」

「いけない、ミス・ミザレット!」


 意識が遠のきかけたソニアの腕を青年が引き、直ぐさま駆け出す。

 それに反応したのか、同時だったか。

 屍の群れも叫びながら、駆け寄ってくる。ふらふらと、酒精に溺れたような千鳥足で、両手を前に前に突き出しながら寄越せ寄越せとばかりに。


 ミスター・ノーツの言ったとおりだった。これは、正に最悪だ。

 引きずられるように、もつれそうになる脚を叱咤して。

 ソニアは前だけを見て駆け出す。ミスター・ノーツの背中が初めて、頼もしく思えたくらいだった。こんなに力強く、腕を引かれて……。


 急に恥ずかしくなり、ソニアはミスター・ノーツの腕をやや強引に振りほどいた。


「み、ミスター、もう結構、自分で走れるわ!」

「あ、あぁ……」

「……あまり足は、早くないようですわね」


 後ろを気にしながらソニアは胸を撫で下ろした。暗くて視界は悪いものの、ヒト型の何かが大挙して追い掛けてくる、そんな騒々しい気配は無い。

 撒いたかしら。頼りがいのあるブーツにキスでもしたいくらいだけれど、それは後にした方が良いだろう。まだ、彼女たちには働いてもらわなくてはならないのだから。もっともっと、働いてもらわなくては。


「……これからどうしようかしら、ミスター・ノーツ」

 辺りを気にしながら、ソニアは小声で呼び掛けた。「前に読んだ本では、あぁした生ける屍リビングデッドは朝日で消滅していたけれど」

「…………」

「あとは、ノイジーと合流しないといけないわね。あの子ならもっと、詳しい事態を知っているはずだもの」

「…………」

「……ミスター・ノーツ? 聞いているの……っ!?」


 振り返り、ソニアは息を呑んだ。

 ミスター・ノーツが力無く、その場にしゃがみ込んでいた――俯いて、こちらの声が聞こえていたようには見えない。


 慌てて駆け寄る。

 どうやら呼吸はしているようだけれど荒く、蒼白な顔面には滝のように汗が滴っている。まごう事なき病人の表情で、彼は意識を失っていた。


 そう言えば、とソニアは彼の様子を思い出してほぞを噛んだ――何だか随分と、何度も汗を拭っていた。ステッキを突くのを見たのだって初めてだし、顔色も青白かった気がする。


「……あの、声……っ!」


 鳴り響く声を聞いてから、彼の様子はおかしかった。

 ぞっと、背筋に冷たいものが這い寄ってくる――周囲を囲んで響く声、声、声。彼らの憎悪や悪意や、それ以上の何かが込められた声は、生者にとって悪影響を引き起こすのだろう。

 ――【呪い】。

 ノイジーの言葉がソニアの耳元で繰り返される。響く呪詛の曲が周囲を囲んでいる。その囲みがじわじわと狭まっているように、迫っているように、ソニアには感じられた。

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