第13話奇妙な伏線

 馬車が夜を行く。

 相変わらずの暗い道、曇りがちの月が照らすのは弱々しい街灯の群れ。

 ミスター・ノーツが呼んだ黒塗りの馬車はミザレット家に呼んだものより、遙かに上等だった。座席はクッションが良く利いていたし、ビロードで手触りも良い。早速ノイジーは窓に貼り付き、ソニアは彼女のブーツを慎重にかわした。


「聖王猊下が肝いりで用意したのだけれど、まだまだ発展途上だね」

 街灯の光を、或いは暗闇を眺めながらミスター・ノーツが囁く。「燃料も火種も開発中だというじゃないか、実験なら実験室だけでやって欲しいね」

「『夜をヒトの手に』。聖王猊下は昔からそう言っておられます、これはその大切な一歩でしょう。何事も始めなければたどり着けないものだわ」

「始める前に地図を見る方が効率的だと、僕は思うがね。まあ、君はどちらかというなら見通しの利かない道が好きなのだろうけれど」

「へえ、案外解ってるンだ」


 ミスター・ノーツの分析に異を唱えるより早く、ノイジーが口を挟む。

 全くこの子といいミスター・ノーツといい、どうして皆、私のことを考え無しの猪みたいに言うのかしら――貴族らしい冷静な優雅さと冷酷な合理性とを兼ね備えている、と自負しているソニアにしてみればこの評価は、極めて遺憾なものだと言わざるを得なかった。自分以外の全員が妥当だと考えているとしても。


「……無駄話はそのくらいにして、ノイジー。居場所はどの程度正確に解るの?」

「んー、実はそれほど正確じゃない。だいたいかな、方向とか距離とか大雑把にしか解らないよ」

「だろうと思ったわ」

「おいおい」

 予想通りと溜息を吐くソニアとは対称的に、ミスター・ノーツは目を見開いて非難の声を上げた。「『獲物の下へ案内する』というのが君の提示した条件だろう」

「少なくとも方向くらいは解るってば。手掛かり無しよりは全然マシでしょ?」

「……ミス・ミザレット、君の妹君に誠実さを教える機会は無かったのかい?」


 そう言われても。

 ノイジーを見てその話を聞いて、鵜呑みにしたのならその方が浅はかだとソニアは思う。短い付き合いだが何となく解ってきた、ノイジーが自信満々に堂々としているときは多くの場合、彼女は手札に何の役も持っていない。ルールを知らないまま取り敢えず、相手が勝負を降りれば勝てると思っているいかさま師のように、ノイジーはゲームを扱っている。

 そう考えるとなるほど確かに、ソニアはノイジーに誠実さを教えるべきかも知れない――嘘が通じるのは真実を組み合わせたときだけだということを。


「方向だけしか解らない、それでも充分だと思います、ミスター・ノーツ。どちらが前かさえ知っていれば、進むのに不都合はありません。あとは相手より早く進めば良いだけですわ」

「……ふふ」

「? 何か、ミスター・ノーツ?」

「いや、何。疑って悪かったと思ってね――君たちはやはり、きちんと姉妹だよ」


 くすくすと、控え目ながらも確固たる笑いの衝動に身を任せるミスター・ノーツ。

 ソニアはノイジーと顔を見合わせた。いきなり笑い出した青年に不気味さ以外の何物をも感じない二人は、狭い馬車の中で精一杯、笑う奇人から距離を取った。


「……どうかなさいましたか、ミスター・ノーツ?」

「あのさ、疲れてるならとっとと帰って寝た方が良いと思うよ?」


 二人が同時に言い。

 ミスター・ノーツは更に笑った。









「ところでさ、ソニア。アンタがさっき言ってたのって、どういうこと?」

「……どれのこと?」

「『ミザレットの義務』っての」

「あぁ……そうね。私が【十三階段】という貴族の上位十三家だということは理解できている?」

「まあまあ上の方だってのは解ったよ。アンタがそれを、それを生き甲斐にしてるってこともね」

「説明を聞きたいのよね? 貴女が、私に?」

「はいはい。大人しく聞くよ、何だっけあれだ、淑女らしく」

「……貴族というのはね、様々な面で優遇されているの。屋敷を建てられる土地だって中央に近いところを選べるし、水道だって無料なの」


 ノイジーは水道について尋ねた。

 ソニアが教えると彼女は、空からも落ちてくるしその辺を流れてるモノが誰かのモノっておかしい、と主張した。この意見はノイジー史上最大の賛同を得たが、ソニアの却下をも同時に得てしまった。


「特権というのは無から生まれるものではないの。万人が納得し感心し賛同し、心から歓迎してくれるためにはどうしても、根拠が必要になる――確固たる根拠、詰まり義務の確実な履行よ」

「あはははっ! アンタってホント、面白いこと言うね! 万人が納得する特権なんて、存在するわけ無いでしょ」

「何を言うの。私たち【十三階段】に限らず、貴族というのは誰もがその権力を、市民たちに支持されて初めて維持できるのよ? でないと、簡単にはじき出されてしまうわ」

「そういう大嘘を、薄っぺらいって思いながら信仰してンのがアンタだよね」

「何も信仰していないヒトは、ただ経験が貧しいだけだわ。真の貧困者というのはそういうヒトのことよ」

「おいおい、僕たちは仲良く獲物を追い詰める狩人仲間じゃなかったかな、ミザレットたち? 内部に狼が居たなんて結末オチは勘弁してくれ」


 流石に口を挟んだミスター・ノーツの合いの手は、しかしどうにも皮肉に満ちていた。それは冗談のつもりなのだろうか。笑っていいものか悩むソニアを、ノイジーが不審そうに眺める。

 ミスター・ノーツは、いつの間にか取り出した珊瑚赤色のグラスに酒を注いでいる。濃い緑色の瓶から注がれる液体は、本来の色の色を思い出す前に、グラスの鮮やかな赤色に直ぐ染められていく。


「まあ、君の言うことも解るよリトル・ミザレット。単純に賛成できるわけではないのが僕の、立場の難しさではあるんだが……僕はどちらかというならミス・ミザレット貴族寄りだからね。とはいえ一つ言えるのは、実際市民の支持は必要不可欠だということだ。但し、それが完全である必要は無いんだけれどね?」

 くすりと偽悪的に――或いは邪悪的に――微笑んだ。「『まあこのくらいなら良いかな?』程度の許容で良い。完全な支持なんて確かに、笑えない冗談だ。本当に必要で且つ実在してるのは、緩やかな。『取り敢えず』、『まぁ良いか』、そんな言葉が実に酒に合うんだよ」

「アンタが酔ってるのは、自分の言葉を自分の耳から聞いてるからだよ。他人の言葉を味わってないのさ」

 ノイジーはグラスをじっと見て、それから、勧められた一口を断った。「ソニアの朗読よりは理解できるけどね」

「…………」

「はいはい、解ってるよ。淑女らしく、でしょ?」

「……はあ。良いわ、貴女を淑女にするのは今後の課題にします。ミセス・クラリネットにも手伝って貰いましょう」

 ノイジーの不満を完全に封殺して、ミスター・ノーツのグラスも無視してソニアは説明を続ける。「特権の代償は義務。それは当然だけれど、でも、同じ義務だけを皆背負うわけにはいかない」


 ヒトは歯車だ、その材質や嵌まる位置に違いはあっても結局変わらない。各々が各々の、果たすべき役割を果たすだけ。

 そういう意味で言えば役割を誰でも出来るようにする、交換可能な性質は必要ではあるが、基本的には役割はヒトそれぞれ全く違うもの。貴族もフットマンも仕事には違いない、互いに互いの仕事を交換してもうまくはいかないだろう――交換を望む者は多いだろうけれど。

 当然【十三階段】でも、役割――義務はそれぞれに異なる。


「【二段目】ガルネルシア候は【十三階段】を含めた貴族の監視、【四段目】グラスシュート家は水、【五段目】は医療というように。【十三階段】はそれぞれこの国の根源的なシステムに役割を果たしているの。そして私は【三段目】」

「ってことは、そいつらより凄いモノ管理してるってこと? 水とか医療より大事なモノって何?」

「……

「はあ? それって【二段目】とかいう、あの愉快な髭の不愉快な爺の管轄ってアンタ、たった今言わなかった?」

「…………」

「……ねぇ」


 ソニアは答えなかった。

 というよりも、答えられなかった。その符合に、あまりといえばあまりにもな、不自然なほどに完璧な符合に頭の中が占有されてしまったのだ。


 十五の淑女のご多分に漏れず、ソニアも娯楽小説を嗜んでいる。その中でも自分勝手で狡猾な犯罪者と、それを上回る叡智で彼を追い詰める探偵との対決――いわゆる推理小説を好んでいる。

 経験がソニアに、既視感を伝えた。

 そうした小説には間違いなく存在している。読者に対して示される、犯人が残していった致命的な痕跡が。名探偵はそれに勿論気付いており、私たち読者がそれに気付けるかどうか、作者はきっと胸を弾ませて楽しんでいるのだろう。


 それは『伏線』と呼ばれている。


 最初から――物語が物語として形を得るよりも早く、作家がその犯人と謎とを生み出したその瞬間から存在する奇妙にして当然の、符合。そうなるように定められた人工の運命が、今、ソニアの頭上に降り注いでいた。

 ソニア、詰まりは【三段目】ミザレット家の義務は『ヒト』だ。ただしそれはある、一つの条件を付与するだけで水や医療よりも遙かに、国にとって重要な対象となるのである。

 そして単純な筈のその管轄が、今、地下に存在した異界への扉の存在と出会い、ソニアを戦慄させているのである。


 ……ミザレットが管理するよう定められたモノは即ち、『』なのだった。

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