第12話味方とは。

「あのさ、ソニア。お姉ちゃん。アタシが言うのも何だけどもさ、ちょっとばかしさっきのは、その……短気に過ぎたンじゃない?」

「気長すぎたくらいよ」

 のそのそと、気乗りがしない様子で着いてくるノイジーの言葉にソニアは、振り返りもしない。「あれほどの事を言われて怒らないヒトはいないわ」

「だからってさ、あの啖呵は不味いでしょ。あの愉快な髭の爺さん、アンタより偉いンでしょ?」


 そのくらい言われるまでも無く、ソニアは実のところは理解している。

 ガルネルシア候は冷ややかではあるが公正で、公平だ。昔なじみのソニアに対して厳しすぎるようにも思えるが、けれど理不尽に扱っているわけではない。金貨二百枚だってけして、法外な額では無い――ソニアが正しくミザレットの跡目を継いでいれば、問題なく支払える額だ。今回だって、こんな夜分に約束もしていないソニアの来訪を、それもノイジー付きで認めてくれた。

 あの老人はけして、ソニアの敵では無いのだ――但し完全な味方とは、言い難いのだけれど。


 今回のことでソニア・ミザレットはガルネルシア候を敵に回したかしら? そうかもしれないし、そうではないかもしれない。

 基本的な事実としてガルネルシア候は厳しく優しい。湿のように相反する性質を併せ持つ彼は、友人の娘に対してそれらを混ぜ合わせて接している。貴族としての義務や責任に関しては厳しく、そうで無い部分――例えば交友関係など――には比較的優しい。

 詰まり重要なのは今回の件が果たして、どちらに分類されているかだ。公か、私かだ。それによってガルネルシア候の判断基準は容易に上下する。


「なるほど。重要なのはあの髭が、アンタに何を期待してるかってところに掛かってるわけだね」

 少し機嫌の直った様子でノイジーが、軽快にソニアを追い抜く。「良いじゃん、解りやすくなってきたよ。丁度誰が味方なのか解らなくなってたとこ」

「候はけして敵では無いわノイジー。ただ、純粋な味方とは言えないだけよ」

「……アンタってさ、ソニア、ってヤツを誰も持ってなさそうだよね」

「味方というのは期限付きなのよ。私が強くて、立派で、支えてあげられる力を持っているときにだけ、彼らは友達の仮面を被ってくれる。純粋な味方というのはね、その仮面に鍵を付けられるヒトだけが得られるのよ」

「それがアンタの鎧ってわけ?」

「よろい? あのねノイジー、これは常識よ。貴女がいた世界ではともかくこちらでは、ヒトは利益の糸で動くのよ」

「『風獅子の爪を視た』ンだね」

 ソニアが首を傾げると、ノイジーは嬉しそうにくるりくるると回りながら語る。「うんちく好きの赤帽子が言ってたンだ、風獅子は眼には見えないンだけど時たま、その爪を視ちゃうヤツがいるんだよ。で、ソイツは見えないものが見えちゃった分余計に、有りもしない爪に怯えるってわけ」


 馬鹿にしている、のだろう。ソニアはケラケラと笑うノイジーを睨み付ける。

 睨み付けながらしかし、なるほど言い得て妙だと納得する自分にも気付いていた――風獅子なる生物は良く解らないけれど、その赤帽子がどんな教訓を与えたかったかは確かに、解った。

 でも仕方が無いじゃない? 貴族の毒は獣の爪より少しは致命的で、遙かに陰湿だ。見えない獅子の爪先を警戒するくらいでないと、あっという間に血の一滴も残さず、夕食の皿に載る羽目になる。


 ノイジーはニヤニヤと笑う。


「良いンじゃない? アタシも大概、大体のヤツのこと嫌いだしね。姉妹だから似てるンだろうね、アタシたち」

「私はフォークもナイフも使えるわ、ノイジー。骨を床に投げ捨てたりもしない」

「憧れてンなら遠慮しないで良いよ。結構すっとするから」

「もう一つ違いがあるわ。私には一応、信頼できる相手が居るもの」

「へえ? ……あぁ、もしかしてそれってのこと?」


 貴族院一般会議室から『外』へ繋がる扉。その前にゆらりと立つ人影に、ソニアは溜息を吐いた。


「ミス・ミザレット、それにリトル・ミザレット。追い付けて良かったよ」


 優雅に笑う青年は既に、深紅のコートと帽子、ステッキまで身に付けている。置き去りにして早足で廊下を進んできたソニアたちより、どういうわけだか身支度は万全だった。

 全く、隙の無い男だわ。

 ノイジーの予想通りミスター・ノーツは取り敢えず、ソニア・ミザレットの味方である――彼女がミザレットの名を継いでいる限りは。


「馬車を回している、来るまで少し待っていた方が良いよ」

「助かりますわ、ミスター・ノーツ。しかしフットマンの真似事をするためにわざわざ、先回りしていたわけでは無いのでしょう?」

「勿論。というよりも僕が今夜来た理由の、大半を果たしていないからね。まさか誰も情報を共有しようとしないとは思わなかったよ」

 やれやれと肩を竦めると、ミスター・ノーツは例の笑顔でソニアを覗く。「あの老人は君の自主性を重んじる腹だろうけれど、僕は最前線に居たいのでね。君に任せっきりとはいかないんだ」

「……『扉』は貴族院の管轄ですわ」

「そう決められているのは『扉』だけだろう? ミス・ミザレット。


 なあ、ミス・ミザレット。子をあやすように呼び掛けながらミスター・ノーツの眼は、ソニアの前でふらふらと揺れるノイジーへと、向けられている。

 ノイジーは無言で、ソニアを見詰めた。そこに込められた意味にソニアは顔をしかめる――ねえお姉ちゃん、アイツは味方じゃなかったっけ? いいえ、彼も結局は風獅子の爪よ。


「確か君は、リトル・ミザレットと『扉』を見付けた、と言っていたね。そしてここの『扉』の存在は知らなかった。とすると当然、君が見付けた『扉』はここではないどこかに存在するわけだ。良いかな? 『貴族院では無い』、『街のどこか』だ。そこは果たしてミザレット家の庭か、それとも僕の森か、議論の余地はあると思うね」

「…………」


 ここで言い返すのは簡単だ――ノイジーが出てきた『扉』は勿論ミザレット家の管轄ですわミスター・ノーツ、何しろそれは私の家の地下室にあったのですから。

 ついでにこうも言える、開けたのは私です、と。だがそれは、けして、喧伝してはならない事実だ。出来るなら誰にも知られないままに、棺桶の下敷きにしたい。何故ならそれも簡単だ。ノイジーはソニアが開けた『扉』から出てきた、ミザレット家の地下にある『扉』から、

 あの黒い霧が人畜無害な観光客ならばそれも、良いのだけれど。ノイジーの言葉を引用するまでも無く直接目撃したソニアは、あれがけして善良な生き物だとは、信じられない。

 寧ろ危険なモノだ――ということは詰まり今後、被害が出る可能性があるということで。


 そうなったときに問題となるのは、怪物の出自である。偉大なる聖王に牙を剥いた怪物が果たして、何処からどのようにして現れたのか?


 その答えがミザレット家であったとして。

 その責任はそれこそ、誰に降りかかる? 決まっている。今の当主は私、ソニア・ミザレットだ。次の日には断頭台に登っているだろう。


 故に、誰にも言えない。『扉』の存在はともかくその所在と、開けた人物の詳細に関しては。


「……『扉』の処遇に関しては、当然ながら【十三階段】で議論することになるでしょう。その際に貴方の意見を伺うことも、あり得るかも知れませんが」

「ミス・ミザレット、君の貴族的責任感の高さには感動する。だけど『扉』の処遇ではなくてだよ、僕が気になっているのはね。リトル・ミザレット、君が教えてくれても構わないよ?」

「ノイジー」

「ミス・ミザレット、過保護は良くないよ」


 ソニアは睨み、ミスター・ノーツは笑う。

 そして、ノイジーは? 彼女はいつだってノイジーだ。言いたいことを言って、言いたくないことは言わない。言ってはいけないこと、という概念を早く教えなくてはならないだろう。

 とはいえこの場合、いかにノイジーといえどもソニアの求める方向性を理解できたようだった。彼女は退屈そうに、いかにも面倒くさいというように大きく欠伸をしてみせた。


「アタシが出てきた場所? そりゃあ、『扉』だよ」

「それはそうだろうね、それで、その場所は?」

「さあ。多分、あっち」

「詳しい場所は解るかな?」

「木とか家があった。あとは、ヒトも居たね」

「……通りの名前とか、地区の名前は?」

「とーり? チク? あぁ、地域の名前? 知らないよそんなの」

 からかうように笑いながら、ノイジーは言った。「だいたいあっちってのも、確信は無いよ。多分そうだろうなってだけ、だって、

「ちょっと待って、ノイジー」

 ソニアは目を剥いた。「アイツ……あの影の居場所が解るの?」

「臭うからね、アイツ。こっちのヤツは皆匂いが違う、アイツはアタシの方から来たからね、その匂いを辿っていけば簡単だよ」

「それは素晴らしいね!」

 地名を知らない者からどうして場所を聞けるかと、顔をしかめていたミスター・ノーツが機嫌良く口を挟んだ。「ではそこへ僕を連れて行ってくれ、そうすれば――」

「悪いけどね――あぁ、これは嘘だけどね。アタシは全然悪いとは思ってないンだけどね、赤いアンタ。アタシは今日、何とお姉ちゃんが出来たンだ。手土産を持ってくるのがヒトなんでしょ? だから、今からお姉ちゃんとそれを、探しに行かないといけないのさ」


 ニヤニヤと意地悪く笑いながら、ノイジーがソニアにわざとらしく腕を絡ませる。

 初めての感触にどきりとしながら、或いはそうしているのがノイジーであることにひやりとしながら、ソニアは頷いた。


「ミスター・ノーツ、私たちは姉妹の絆を深めなくてはなりませんわ、互いに協力してね。家族だけで」

「危険なモノに二人だけで行くというのか?」

 ミスター・ノーツは苦笑した。「僕がそれを、赦すとでも?」

「許すのはこっちだよ、赤いの。アタシの捜し物をアタシが見付けられるって話だからさ、着いてきたいのなら、お願いしてみたらどう?」


 唸るミスター・ノーツの脇をすり抜けて、ノイジーは貴族院の扉を開く。真っ暗な外には丁度、漆黒の馬車が到着したところだった。


「決断のしどころだよ赤男。来たいの、来たくないの?」

「……条件は?」

「決まってるじゃん」

 ノイジーはソニアを見詰めながら、一言一言区切るように言い聞かせるように、言った。「アタシとソニアの、『ジュンスイナミカタ』になってもらうことだよ」

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