第11話『妹』
「…………妹?」
「似てるでしょ」
悪びれもせず言い放つノイジーに、ソニアは目眩を覚えて目頭を押さえた。
途端に頭痛がしてきた、もしかして葡萄酒に酔ったのかしら。そうに違いないわ、そう言えば初めて飲ませて貰ってから今日まで三年間、ほとんど飲んでいないのだもの。少しの量でも酔ってしまうことくらい、あるに違いない。
ノイジーは茶化すように気軽に笑う。
「なに、可愛い妹の言うことが信じられないっての、お姉ちゃん?」
「……まあ、姉妹は信じ合い助け合うべきだとは僕も思うよ、ミス・ノイジー」
ミスター・ノーツが流石に引き攣った笑みで、だけれど、と続ける。「僕もそこの御老体もそうじゃあない。いきなりそう言われても、信用できるわけではないよ」
「そも、その姉自身が全くの寝耳に水のようだが? 下らん、せめて口裏を合わせてからそういうことは言ったらどうだ」
「そりゃあそうでしょ、お姉ちゃん、ミザレットが知るわけ無い。アタシだってこの凝り固まったマグマみたいな女と姉妹だなんて、会ってみるまで知らなかったンだからね――こうして【こっち側】に来るまでは」
どういうことかしら、顔をしかめるソニアと違い、ガルネルシア候とミスター・ノーツはピンときた様子で目配せしている。
何かしら、ソニアにノイジーがけろりと告げた。
「つまりまあ、『隠し子』ってヤツだよ」
「かく……隠し子?! お父様に? そんな馬鹿なことあり得ないわ!」
「何で? あり得ないかとか、解らないでしょ本人じゃないンだから」
「お父様は、お母様を心の底から愛してらしたわ。亡くなられてから五年、再婚だってなさらなかった」
「その五年間、パパはアタシのママと出会ってなかったからね。ついでに言うなら異世界に行ったことも無かったでしょ」
ノイジーは紅茶を不味そうに飲み干した。すかさずおかわりを注いだ侍従を殺しそうな眼で睨んでから、脇にどける。「何がそれほど気に食わないっての? パパはそりゃあママと出会ってアタシを生ませたけど、それってアンタのことを蔑ろにしたわけじゃあないじゃん」
「でも……いいえ、やっぱり信じられないわ。お父様に限って……」
「申し訳ないんだが、ミス・ミザレット。今、話の本質はそこではないと思うよ」
ミスター・ノーツが控え目だが断固とした態度で口を挟む。「その子は、君のお父さんの行方を知っているという事じゃあ無いか?」
「あー、それはごめん、アタシは知らないや。アタシを生ませて暫くしてから、パパはどっかに行ったからね」
ソニアは顔をしかめる。この時点では彼女の言葉を信じる根拠も、疑う根拠も無い。感情的にはともかく――そう、ともかく――冷静に理性的に貴族的に考えるのならば、これ以上の追及は無意味だ。
では、
決まっている。あり得ない、ここで退くなどと。
「私のお父様を侮辱しないで、小さなノイジー。もし本当に、お父様が貴女を……その、生まれるところを見たのなら絶対に、貴女を置いてどこかに行ったりはしないわ」
「そう言われてもね、泣き虫ミザレット――いやいや、ソニア。アタシは正直に話してるよ、少なくともアンタにはね、お姉ちゃん」
「誰が何ですって、ノイジー?」
「アンタが泣き虫だって話だよ、ソニア。気付いてないの? 西風に流された黒雲みたい、今にも泣き出しそうだよ」
「止めろ、ミス・ミザレット」
圧が籠もった声に、ソニアもノイジーも反射的に口を閉じる。
ガルネルシア候、貴族の顔役。その名はけして飾りでは無いと、その声は雄弁に語っている。
「現在の問題はそんなことでは無い、ミス・ミザレット。君も聞いたろう、そこの狼飼いが言った通り今、この街には何やら厄介なモノが混ざり込んで居る。確証は無いが恐らく――その娘と同じ所からだろう」
だから、とガルネルシア候は日頃の優しさをまるで滲ませずに、言う。「お前はここに来たのだろう、【三段目】、ミス・ミザレット」
ソニアの手袋は、使い込まれて随分薄くなっている。防寒性能どころか素肌が、透けて見えるほどである。この手袋を填めていてソニアは一度も、暖かいと感じたことは無かった。
今その手袋は初めて水を与えられている――汗を掻いているのだ、ソニアの手にはじっとりと粘り気のある嫌な汗が。
冷や汗。手の平にそれを感じるまでもなくソニアは、自分が緊張している事に気が付いていた。そうだわ当然、話はそういう流れになる。ノイジー、来訪者、彼女の持つ属性の悉くが天秤を悪い方へと傾けてしまっている。
説明をしてみるべきだろうか。
ミスター・ノーツが察知した侵入者の気配、その正体が恐らくあの、星空の目玉群を持つ黒い影であろうとソニアは知っている。何しろこの目で見た。直ぐに逃げてしまったが、ノイジーが居なければその危険性まで実感できただろう――それを伝えることは出来なかっただろうけれど。
問題はさっきと同じだ――ノイジーを信用する根拠が、ない。
それこそソニアは信用している、認めたくはないけれど肉親の情のようなものがもしかしたら、存在しているのかも知れない。無条件で相手のことを信用してしまう何か、理解してしまう何かがソニアの心に確かに、根を張っている。順調に育っている、根が。
ガルネルシア候にはそれが、無い。
ミスター・ノーツに関しては遺憾ながら深刻な心配はしていない。あの青年はなんだかんだとソニアには甘い――より正確に言えば、『ミス・ミザレットに甘い』というべきかもしれないが――ソニアとの関係性を根本的に崩すような行動は、基本的には選択しないと思って良いだろう。
だけれど、ガルネルシア候は?
友人の娘に果たして、どの程度の親愛の情を持っているかしら、自分の油絵を売り払った金欠の少女に? 彼は貴族の顔役だ、貴族の。そうでない相手に対する彼の応対は具体的に言えば、ノイジーに対して言葉を掛けるどころか一瞥もくれないということだ――良くも悪くも貴族で無ければ彼にとって、ヒトではないのだ。貴族から落第しかけているソニアが果たしてどちらに分類されるか、楽観的にはなれない。
ヒトは変わるものだ――ミザレット家が水際に追い込まれていたり、あの優しかった老人がガルネルシア候としてソニアを追い込んでいたり。往々にして過去は暖かく美しく、対するように現在は残酷で、未来は更に残酷だろうと予想できてしまう。
間違いなくガルネルシア候は、ノイジーを信用しないだろう。というより先ず、彼は自称妹に話しかけてさえいない。とするなら――ソニアは覚悟を決めてノイジーを促した。彼女の方も、特に異論は無いらしく素直に口を開く。
「髭のアンタ、何か感じ悪いよね。ま、お察しの通りだけど」
無邪気に言い放つとノイジーは、椅子の上に立ち上がってフラフラと不安定に揺れ始める。「アタシは【向こう側】、アンタたちがそう呼ぶ方から来たンだ」
「詰まり君が、僕の察した侵入者かい?」
「アンタが何を見たかによるけど? アンタが何か見られる目を持っているかによる、とも言えるけどね」
「挑発するのは止めて、ノイジー。ミスター・ノーツ、それにガルネルシア候もどうかお聞き下さい。私たちは共通の害獣に、今夜遭遇したのです」
話すしか無いだろう、正直に――但し多少の脚色を振り掛けて。
「……あれは正しく異形でした、異様でした。およそこの世界のあらゆる生物に似たところの無い、見るからに異物でした。私はそれを見て目が離せなくなり、そして死を覚悟しました。視られる、そう意識しただけで私の脳は殺されかけていました」
「勿論そうなってたってば、アタシが居なかったらね!」
「詰まりそういうことです。ノイジーは――彼女の父親の故郷に関心を寄せてこちらに来ようとしていました、恐らく持てる全ての忍耐力を掻き集めて、扉の開放を待っていたのでしょう。そしてようやく機会が来たと思ったら、順番を抜かされたのです」
「その娘とは無関係に何か、厄介なモノが来ていると?」
「とんでもなく厄介なモノ、だよ。アイツはアタシやアンタたちみたいに決まった形を持ってないからね、そういうのに憧れる。欲しくなったものを我慢するのが得意じゃあ無いと思うよ、アタシと違ってね」
異論はあったが、一先ずソニアたちは黙ることにした。ノイジーの我慢強さをそれほど信頼していないのだ、誰もが。
「……質問は二つある、ミス・ミザレット」
「誰への質問なわけ?」
「一つ、そいつをお前の妹は撃退できるか?」
「……おそらくは、ですけれど」
ソニアは助けられた時の光景を思い起こした――あの爪が妹のものだったとしたら間違いなく、彼女はあの霧よりも上位にいる。「ノイジーは既に一度、霧を撃退していますから」
「ではもう一つの質問だが――ミス・ミザレット、いや、ソニア。お前は妹を操作できるかね?」
「できません」
ノイジーが飛びかかるよりもミスター・ノーツが茶化すよりも何よりも早く、ソニアは自分の理性さえ置き去りにしてそう、宣言していた。
「……ほう?」
ガルネルシア候は冷ややかにソニアを見詰める。「出来ない? 貴族としてあるまじき選択では無いかね?」
「いいえ、いえ、そうかもしれませんが――少なくともソニア・ミザレットらしくはありますわ、ガルネルシア候。私は、ソニア・ミザレットは、妹を名乗る者を無下には致しません。ましてや道具扱いなど! それこそ貴族らしからぬ無様な振るまいです」
「儂の心証に良くない結果をもたらすとは思わぬか?」
「それに関しては、ガルネルシア候。貴方自身が教えて下さいましたわ」
ソニアはにっこりと微笑むと、素早く立ち上がった。「『貴族たるもの常に我が道を行くべし』……詰まりはそういうことでしょう?」
敵は倒せば良い。倒れなければ正しいのは自分になるのだから。自分に悪印象を持つ相手の顔色なんて窺っていても、無駄だわ。
「ミザレットの務めを見事果たしてご覧に入れます、ガルネルシア候。ミスター・ノーツ。どうぞお楽しみに」
失礼します。
立ち上がり慇懃に礼をして、ソニアは部屋を出る。ノイジーでさえ慌てるような鮮やかで、衝動的な態度だった。
背後でミスター・ノーツが何事か言っていたし、ガルネルシア候はきっと怒っているだろうけれどそんなこと、ソニアは今まるで気にしていなかった。
認めざるを得ない――自分の中には確かに、ノイジーを妹だと思う気持ちがある。
妹を『使う』? そんなことを言われて黙っているなんて、いや、黙っているだろうと思われているだけで不愉快だった。
見せてやる、見せつけてやるとも。
ソニア・ミザレット、私がミザレットに相応しいと――
「…………」
去って行くソニアの背中を、ガルネルシア候は無言で見詰めていた――。
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