第10話事実と事実、嘘と嘘

 貴族院。


 外見としては伏せた鍋のよう――但しとても巨大な。

 外壁こそ煉瓦造りだけれどこれは、いわば卵の殻。石畳の道路との調和を意識して取り敢えず、表面だけでも親しみやすくしようとした名残である。見事な赤煉瓦はけれども、親しみより厳格さを声高に叫んでしまっている。

 まあそれでも、『内側』よりは遙かに親しみやすく仕上がっては、いる。外側は街の一部にどうにか溶け込もうと努力しているが、内側には――


 砂海料理ランドリッシュ帝国料理マチュバリアン九連諸島風ディッシュ・オブ・クーレンという世界三大料理は勿論その他世界各国の料理――無くても良いのに聖国料理アズリッシュも――を提供する食堂に、バー、仕立屋、靴屋。果ては書店までありとあらゆる業種の、それも最高峰の店ばかりが軒を連ねる内側には、馬車がすれ違えるほど広い道がぐるりと円状に整備されている。そこには街路樹さえも植えられており、散歩道として貴族内では好まれている。

 彼らが仕える黄金、それをもたらすのは円の内周に並ぶ十二棟の邸宅の住人たちだ。【十三階段】に名を連ねる十二の貴族が集中会議期間を過ごすためだけに使用される別邸で、規模は控え目である。勿論そうは言っても、貴族たるもの一人だけで生活することはないからそこは、別邸とはいえけして手狭ではないのだけれど。

 何しろ多ければ、貴族一人に対して十人の使用人が付随することさえ、ある。彼らの衣食住を考えたら家は広くなることこそあれ、狭くなることなどないのだ。


 ちなみにミザレット家の別邸は【三段目】に相応しい豪勢さでだからこそ、今のソニアには不釣り合いに思えてしまう。お父様が失踪して以来使用人は瞬く間に減り、必要とする絢爛さは縮小されていった。今ではあの別荘を思う度に、幾らで売れるかを考えてしまう。実際調度品を全て処分したら、必要な金貨は軽々と用意できるだろう――貴族ではなく泥棒と、未来永劫呼ばれることになるでしょうけれど。


 とにかく。


 貴族院はいわば小さな街だ。貴族が考える理想の街、その極めて小規模な模型。

 そうだとばかり思っていた。

 それだけだと思って、いた。


 それなのに――違うの?


 そこは幼いソニアにとって憧れの場所だった。議会に向かうお父様の背中はいつものように優しく、いつも以上に力が満ちていた。

 そこは少女ソニアにとって危険な場所だった。議会に向かう道すがら誘惑から暗殺までいつものようで、怯えるソニアを誰もが嘲笑っていた。

 そこはソニア・ミザレットにとって、ソニア・ミザレットになるべき場所だった。その家名が示す権利と義務と、脅威とを思い出させる場所だった。


 特別な、場所だった。


 特別を汚されたような気分でソニアは、ミスター・ノーツを睨み付ける。その黒い瞳はコロン・スラムの裏路地の夜のように、底が知れない。笑顔は古くは威嚇の手段だったというけれど、彼には全くそれが当てはまる。ヨルバ・ノーツ。笑顔でヒトを緊張させる達人だわ。


「君の動揺ももっともだよミス・ミザレット。君は勿論権威有る立場であるが……何しろ当主の座を形式上継いだのは、ほんの一週間前だろう? 実質的にはともかくも、それでは制度は、堅苦しく無慈悲な制度は、君に秘密を教えはしないだろうさ」

「然るべき手続き無くして権利は無い、それが世の当然であり、貴族の義務だ」

「ははっ、まるで神のような無慈悲さだ」

 ミスター・ノーツの合いの手は内容はともかくも、良いタイミングと言えた――ノイジーが剣呑な光を瞳に浮かべ始めていたから。「ミス・ミザレット。君は君の味方を良く、吟味した方が良いだろうね」


 ソニアは無言で腕を組んだ。

 そんなこと、言われるまでも無い――家族はもう死んだ。死に絶えた。ソニアの完全な味方はこの世界に一人、ミセス・クラリネットただ一人だけ。そこを疑うつもりはないし、見失うこともありえない。


「さて。これ以上ミス・ミザレットに嫌われるわけにもいかないからここで、僕の方から秘密を明かしてしまおうじゃないか。ここの構造を君は勿論、把握しているだろうね?」

「少なくとも秘密の小部屋がない、ということは把握していますわ」

「それもまた秘密の一つだが――まあ今回、そこは関係ないから割愛しようか。この場合重要なのは扉であって、そして君も、妙な扉には覚えがあるはずだ」


 ソニアは瞬き三回で、答えに思い至った。

 ノイジーは、いつの間にかソニアからスリ盗ったらしいキャロットケーキを囓っていた。それなりに美味そうな反応だけれど、成分を知ったらどんな反応をするだろう? それはそれで、楽しみな未来だ。


……!!」


 くぐればいつだって別世界。

 そういうことだったのか――何て大胆な保管場所だろう。


「鍵が無ければ、入れもせん――わざわざ壊す者も居らんからな、ある意味最も安全な場所だとも」

「実際壊せるんですか? 僕は試させて貰ったこと、無いんですけどね」

「ふん」

「そ、それで! 扉をガルネルシア候、貴方は開けるのですか?!」


 思わず――いや、半分くらいは理性が残っていたけれど残り半分は確かに自棄やけだった――ソニアは叫んだ。

 唐突に淑女らしさを失った友人の娘に、ガルネルシア候は一定の理解を示すように、静かに溜息を吐いた。驚いたように目を見開くミスター・ノーツに比べると、実に貴族的な反応と言えた。


「……お前の気持ちは解る、父親を追い求める気持ちはな。だが先も言った通り、あの扉を開く鍵は誰も持っていないのだ――誰も、奥へ探しにはいけん」

「…………」


 ソニアは大人しく引き下がる。

 既に一度は失態を演じた。これ以上、淑女らしからぬ振る舞いは控えなくてはならない――唇を噛み締めて、まるで、悔しいけれど言える事が何もない、というような顔をして見せなくては。


 ノイジー以外の全員が、静かに撤退を受け入れた。


「まあ、そういうことだよミス・ミザレット。此処の扉は開かないし、開いたことも無いようでね。僕の読みも錆び付いたかと思っていたが、ふふ、そこで君が来たというわけだ。緊急性の高い何かを持ってね? さて」

 ニコニコと、青年はソニアを見た――その後ろでベロベロと指を舐める、我らがノイジーを。「満を持したわけだ、そろそろ聞かせてくれ。?」









 意外にミスター・ノーツは気が回った。ノイジーに紅茶、そしてソニアには葡萄酒で満たしたゴブレットをそれぞれ、いつの間にやら手配していたのだ。

 手元の高級そうなゴブレットを見て、ノイジーの紅茶のカップとソーサーのマークを見て、そしてノイジーを見る。慎重に注意深く、その挙動の端々にソニアは目を光らせた。


「……なに?」

 ソニアの視線に不安の光を見出したのか、ノイジーはやや不愉快そうに睨む。「アタシだってお茶くらい、飲むよ」

「そう……ね……」


 膝の上にソーサーを置いて、取っ手に指を絡ませて。

 礼儀作法が完璧とは言えないただそれだけの所作だったけれど、ソニアの内心は驚きとそれを上回る感動に満たされていた。ガルネルシア候もミスター・ノーツもまあ、この子の外見ならこんなものだろうなと、想像通りという顔をしていたけれどそれは立場の違いというものだ。だってノイジーよ? 鳥の骨を床にまき散らすあの食事風景を見て、燻製肉を素手で引き裂く彼女が、カップを正しい持ち方で持っているなんて!

 クラバットを完璧に身に付けた海賊を見たような気分で、ソニアはノイジーの頭を撫でた。ノイジーは呻き声を上げたが、ソニアの行動に対する反応かそれとも砂糖もミルクも入れていない紅茶に対するものかは、微妙に解りかねた。


「……ふむ」

 ソニアの行動が意外だったのは、他の二人の男性も同様だった。「単なる情報提供者かと思っていたが、親しい間柄か? ミザレットに親戚筋など居らなかったが」

「僕も驚いたな、てっきり不審な相手を目撃した貧民街の子供を連れてきたのかと、思っていたんだけれどね。服の趣味も古いし」


 余計なお世話だ、ソニアは不機嫌にミスター・ノーツを睨み付ける。だって、ノイジーはを着ているのだから。


「ますます気になるよ、ミス・ミザレット。彼女は一体何者かな?」

「この子は……」

「ちょっと!」

 いい加減止めろって、とソニアの手を振りほどいてからその場の全員に、ノイジーは威嚇を投げた。誰も受け取らないというのに。「アタシの話を何で、アタシの頭越しにしてるわけ? アタシに聞けばいい話でしょ」

「一理あるかも知れない」

 意外にもミスター・ノーツは、受け取られない筈の挑発を受け取った。「そもそもが彼女の話を聞くため、ミス・ミザレットに入ってきて貰っただからね。手間が省けるのでは?」

「……情報を求めてきたのは貴君の方だ、ミスター・ノーツ。そちらのやり方に従うとも」

「だ、そうだよお嬢さんミス・リトル

「その呼び方は止めて、次は噛みつくからね……アタシは、ノイジーだ」


 そう呼ばれてるから、そうなのさ。

 生意気に――或いは不遜に――ミスター・ノーツに歯を剥き出すノイジーを、ソニアはハラハラと見る。

 背丈を超える高さに積み上げた皿を運ぶ小柄な侍従を、思い出した。崩れないか、割らないか、怪我をしないか。子供は自分の力を過信する、少なくともノイジーは正に、そのタイプだわ。


 ノイジーが何を言うつもりなのか、ソニアはとてもとても不安だったのだ。ソニアの予想が確かならノイジーの真実を、それほど深く話すべきではない。たとえガルネルシア候にでも。

 この気ままな小鬼がその辺りの機微を、どれだけ理解しているのかしら。


 結論から言えば。

 ノイジーは充分に気を使っていた――少なくともその第一声は、ソニアが話して欲しくはないことを隠す見事な言葉の爆弾だった。


 唯一の問題は、。彼女は不機嫌を反転させた満面の笑みで、嬉しそうに楽しそうに、それこそ満を持してその事実を発表したのだった。


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