第9話ミスター・ノーツ

 開いたドアの向こう、貴族院の門番は昼前と同じ男性だった。既に夜だというのに変わらぬ直立不動、石像のような勇ましさだ。

 彼に指輪を見せる。男は威圧感を少しも緩めずソニアと指輪を見比べて、それから、背後のノイジーに目を向ける。「……なに?」威圧感には反抗するのがノイジーの生き方らしい、睨み付けて、身構えている。


「この子はノイジー。私と一緒に中へ、入れて貰いたいの」

「……入って良いのは貴族とその従僕だけだ」

 門番の声をソニアは初めて聞いたが、それが予想を裏切ることは無かった。「貴女の従僕か? ミス・ミザレット」

「違うわ」

「違うね」

「では駄目だ、然るべき手続きを経ない限りは」

「……では、手続きを」


 門番は首を振った。初めて見る機能だ、後は申し訳なさそうな表情を浮かべられたら完璧なのだけれど。

 少なくとも彼自身は、愛想を必要だとは思っていないらしい。彼の目鼻立ちは荒野のままで、岩山のように動きそうに無い。


「係の者はもう帰宅した。明日の日の出以降にまた、出直すと良い」

「はあ? やな感じ、『入らせてやっても良いけど』って言う癖にアンタ、アタシを入れたいと思ってないンでしょ?」

「察しが良いな、育ちが悪いからか?」

「性格悪っ、顔も悪いからだね?」

「二人とも止めて。……ミスター、今日の用事は極めて緊急性が高いのよ、危険性もね。ガルネルシア候にお目に掛かって報告しないと、街に厄介な事態が起こりかねないわ」

起こるよ、厄介な事態がね」

 ノイジーが口を挟む。

「止めるため、というよりは事態を把握するのにノイジーが必要なの、ミスター。見て見ぬ振りをするか、せめてガルネルシア候に状況を伝えてみてくれませんこと?」


 門番は少し悩んでいるようだった、特にノイジーが『早く早くっ』とばかりに手を振っている様子にどう対応するかで。

 だが結局の所ソニアの訴えは理に適っているし、真剣さも傍らの無邪気な小鬼のお陰で際立っている。門番はそれでもソニアにとっては苛々とする逡巡の後、「わかった」短く答えた。


「最初からそう言ってくれればさ、良かったのにね」

 再び閉ざされたドアを睨みながら、ノイジーが舌を突き出す。「アタシは妖精連中ほど、気が長くないんだけど」

「彼の立場からすれば仕方がないわ、ノイジー。あれはまだ、融通が利く方よ」

「だとしたら、アイツの飼い主には会いたくないねアタシ。絶対に気が合わないと思う」

「貴女と気が合うヒトっていたのかしら?」

「さあね。少なくともイライラしない相手は、居なかったかな」

「そうでしょうね……」

「アンタこそどうなの? 気が合う相手とかあのお節介な女しか、居ないンじゃない?」

「……それは……」

「ほぅら、居ないンじゃん。やっぱりね、アンタ気難しそうってか、他人との距離感取るの下手くそっぽいし!」

「そんなことないわよ。社交界で私は、ずっと上手く立ち回っていたものよ」

「けど気は合わなかったンでしょ」

「…………」

「ともだちも、つがいの相手も作れそうにないしね」

「つっ!? 貴女、なんて不躾なことを言うのっ!」

「なんで? ヒトはそういうものじゃあないの? 番って別に、おかしな形じゃあないンでしょ?」

「だとしても未婚の女性にそんなこと、大っぴらに言うものじゃあないわ。それに、その……私にだって婚約者くらい居るわ」

「コン……何それ?」

「何でもないわ。いい? 何でもないの」


 楽しくはないけれど途切れない会話をしばらく続けた頃、ドアが再び開いた。


「お待たせしたなミス・ミザレット。ガルネルシア候がお会いになる、お前も一緒にだ、特例としてな」

「もっと素直になれないものなのかな、アンタたちは。アタシの話が聞きたいって、言えばいいのにさ」

「もし素直になるとしたら」

 門番が丸太のような腕を組合せ、威圧的にソニアとノイジーを見下ろした。「お前を叩き出したいものだ、俺としては」

「いいね、やってみなよ」

「いい加減にして二人とも。ミスター、貴方ももっと紳士らしくして頂戴」


 二人は同時に鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 気が合うヒトを見付けられたようで、嬉しいわ。ソニアは口の中でだけ、呟く。これを言葉に載せたところでけして、愉快な事態にはならないだろう。


 ソニアはノイジーを促して貴族院の中へと進む。そして次の瞬間そこは、別の場所になっている――毛が高く、シンプルな絨毯。落ち着いた色彩の壁紙と合うように、明るい色の円卓。ランプシェード。高級だが単調な家具の数々は詰まり、


 ガルネルシア候の応接間ではない。これは貴族院に所属する【十三階段】ならば誰でも、使用することの出来る共通部屋だ。

 一瞬ソニアの脳裏に、自身の惨めさが蘇った――貴族としての資格が疑問視されている今、もしやガルネルシア候が対応に差を付けたのかと。続いてノイジーの存在を思い出して、門番が彼女のことをどのように伝えたのか、その結果がこれかと憤る。憤るがしかし、身元不明の少女に対する対応としては老人のそれが、適格と言わざるを得ない。国民が国の支えならば、貴族は太い柱だ――【十三階段】ともなればその責任は、ひどく重い。


 だが結果としては、ソニアの想像はどちらも外れだった。

 ガルネルシア候がソニアたちをこの、共有スペースに通したわけは全くもって単純な二つの事柄が、組み合わさった結果だった。『来客が既にいた』、それも『格が高いわけでは無い』。


 ……ガルネルシア候の前に座しているのは、赤く、紅く、そして

 赤い糸で縁取りされたシャツに深紅のズボン。クラバットは赤い大きな宝石で飾られていて、構成要素としてはくつろいだ部屋着だが一つ一つがあまりにも、高級に過ぎて輝いている。葡萄酒で満たされているグラスだけが少し、安っぽく見えるがあれは、恐らくここの付属品だろう。

 【金貨の墓場】、【重み無き黄金】、【紅玉主義】。あらゆる語彙で表現される妬み嫉みの数々は、そのまま青年の力を証明している。


「……ミスター・ノーツ」

「やあ、こんばんは。お邪魔しているよ、ミス・ミザレット」


 ヨルバ・【赤髪のブラッディ】・ノーツ。数々の財宝に加え、聖国一金を持っている男。名の由来でもある赤髪を後ろへ撫で付けた、端正な顔立ちの彼は財布の中身も含めて、社交界の華だ。

 そしてソニアにとって――いや、それは今はいい。


「退屈な老人の話で眠りそうになったが、起きていて良かったよ。お父上の件は、残念だった」

 ミスター・ノーツはくつろいだ姿勢から身体を起こすと、ソファーの隣をソニアに示した。

「こんな時間に思わぬところで出会い、驚いていますわミスター・ノーツ」

 残念だった、残念だった? それだけ? それだけだろう、彼に限らず世の多くの人間にとっては。どうにか微笑みを浮かべると優雅に膝を折って、ソニアは彼とガルネルシア候との間の別な椅子に座った。「お気遣いに感謝します、ところで今夜は何かご相談でも?」

、恐らくはな」


 ガルネルシア候が重々しく口を開く。彼の服装はいつも通り、地味で、くつろいでいるとは言い難い。

 視線で尋ね身振りで許可を貰うと、ソニアはノイジーにも椅子を示した。彼女は持ち前の聡明さとそれから、環境を探る獣の理性で静かに従ってくれた。


 自身こそ場の支配者と信じて疑わない二人の男性は、一瞬以上ノイジーに興味を向けなかった。幸いなことに。


「どうやらもう一度説明する必要がありそうですかね、御老体?」

「端的にな、眠くなる」

「……ま、構いませんけどね。そう長い話でもないし――ミス・ミザレット。君、飲み物は?」

「長くないお話でしたら別に、結構ですわ」

「そうかい? まあ、此処の葡萄酒はいかにも安っぽいからね」

 ガルネルシア候が不愉快そうに顔をしかめるのを愉快そうに見て、ミスター・ノーツは言葉を続ける。「今度昼食に招待するよ、ミス・ミザレット。話をしよう」

「えぇ、是非。ところでそれがお話ですか?」

「勿論違う。実はミス・ミザレット、どうやら少し、この街に厄介なモノが居るようなんだ」

「……と仰いますと?」

「貴族である君は勿論、知っていると思うが――君のお父上もそうしたところは抜け目ないはずだ――世界は一つじゃあ無い」

 慎重な返事をしたソニアに、ミスター・ノーツは大胆な話題運びを選ぶ。「僕たちが住むこの世界とそして、妖精が統べる異界が存在するんだ。俗に言う【妖精郷】、神秘に満ちた世界だ」


 ミスター・ノーツは確認するようにソニアを見た、それから、行き掛けの駄賃とばかりにノイジーの方も。

 ソニアは頷いて理解を示した。

 ノイジーは大きく欠伸をした。


「勿論常識だ、貴族としてはな」

 ガルネルシア候は重々しく答えると、それから蔑むように唇を歪める。「貴族にも常識とは思わなかったが」

「ははっ、おやおや」

 露骨な悪意に対してもミスター・ノーツは、輝かしい笑顔で返した。「ま、にもそれなりに情報はね、回して貰わないと困るという話ですよ」

 そして優雅な笑顔に突然、鋭利な切っ先を覗かせる。「そう……困るのですよガルネルシア候。動くのは僕なのだから情報は、共有して貰わないとね」

「そこまで話が進んだところで、ミス・ミザレット、君が来たわけだ。危険性と緊急性の高い問題だと言って、見知らぬお嬢さんを連れてきてな」


 なるほど、とソニアは背筋を伸ばす。詰まりガルネルシア候もミスター・ノーツも、問題の解決に必要な情報をソニアがもたらすと期待しているわけね。

 しかし問題は──

 ソニアはソニアの問題を共有するためにここに来たのだ、けして、迷い子を導く知の光ではない。


「……私の問題は、『扉』についてです」

 今更に飲み物が欲しくなった。ミスター・ノーツはあれ程言いながらも存外旨そうに、葡萄酒を飲んでいる。「扉を見付けたこと、そしてそこから出てきたモノが、問題なのです」

「……ほう」

「お二方の話題に果たして添うかは、わかりませんが……」

「いや……」

 ガルネルシア候とミスター・ノーツは互いに一瞬だけ目配せする──牽制し合うように。「正にその話題だ、ミス・ミザレット」

「【妖精鄕】の話題があっただろう? 僕の問題というのは正にそれでね。厄介なモノ、僕が思うにあれは、そこから迷い込んだものだ。」予想通りだったね、ミスター・ノーツは微笑んだ。

「ここに? 何故ですか、ミスター・ノーツ。貴方の『狼』ならば直ぐにでも、見付けられるのでは?」


 ソニアは首を傾げる──ミスター・ノーツは輝かしい暗部の支配者だ。正しく汚れ役で、その手駒たる『狼』たちは街の至るところに潜み、汚れを嗅ぎつけては追い立てている。

 貴族院も、勿論街については詳しい。だが彼の家は、もっと深く暗いところまで手が届く。少なくとも探し物で、他人を当てにするような必要はない。


 ミスター・ノーツは優雅に笑った。そう、彼はその能力の通りに探し物をし、そして最も確率の高いところを訪れたのだった。

 一撃で、致命的な位置を。


「簡単だ、ミス・ミザレット。

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