第161話 転落モブ、泣く……

 意味が分からねぇ……何で俺が、こんな目に遭わなきゃいけねぇんだ……。

 異変は学校帰りに、信号待ちをしている時に起こった。


 突然、スマホが煙を上げて、持っていられないほど熱くなった。

 驚いて放り出すと、スマホは歩道の上で炎を上げて燃え上がった。


 記憶は無いが、異世界に召喚された時にスマホを紛失し、戻ってきてからSIMカードを再発行した。

 本体はキャリアのショップで購入すると高いから、大手通販サイトでSIMフリーの機種を購入したのだ。


 親からもらった資金を浮かせて、遊ぶ金に回そうと思い、良く知らないメーカーの機種にしたのが失敗だったのだろう。

 新品を使い始めたばかりで、煙を吹いて発火するなんて、バッテリーが不良品だったに違いない。


 いきなり燃え上がった時には呆然としてしまったが、少し時間が経つと怒りが込み上げてきた。

 スマホが派手に燃えたせいで野次馬が集まってきたし、チャリ警官まで来て、いい晒し者だ。


「スマホの持ち主さん! どなたかな?」

「俺ですけど」

「どうしちゃったの?」

「そんなの俺が聞きてぇよ。いきなり燃えやがったんだ」

「何か改造とかは……」

「してねぇよ。買ったばっかだぞ」


 チャリ警官の話し方は、ネチネチとしていて癇に障る。

 まるで俺が悪いかのように、疑いの目を向けてくるのもムカつく。 


「一応、名前と住所が分かる身分証明書は持ってる?」

「いや、別に俺は何も悪い事やってねぇよ」

「でも、これは君のスマホなんだよね? こうしたケースでも報告書を上げなきゃいけないんだよ」


 警官はチャリの荷台に取り付けてあるボックスから、何やら用紙を取り出し始めた。

 何で被害者の俺が、身元を調べられたりしなきゃいけないんだ。


 中坊の頃に万引きで補導された時に、しつこいほど身元を調べられ、記録に残るからと散々脅された。

 あの記録が本当に残っているのか分からないが、残っていたら今回の件も絡めて、手続きが面倒になりそうだ。


 どうやって警官の追及から逃れようかと考えていると、そいつは前触れも無く俺の下腹に出現した。


 ぐりゅうぅぅぅ……。


 これまで十七年の人生の中で、一度も味わった事の無い便意だった。

 通常の便意は徐々に強まり、強弱を繰り返しながら高まっていくものだが、今回の便意はいきなりクライマックスだ。


 どんぶらこと大きな桃が流れついた途端、何の前触れも無く鬼退治が始まるようなものだ。

 しかも、鬼つぇぇぇ……ハッピーエンドを見失いそうになる強さだ。


「おうぅ……何でだ、ヤバ……」

「どうしたの? 生徒手帳とか持ってない?」

「いや、そんなん……うおぉ……」


 生徒手帳なんて言ってる場合じゃねぇ、鬼が今にも洞窟から飛び出して来そうだっていうのに。

 しかも、すでにMAXかと思われた便意は、更に上昇してみせた。


 これはもう、鬼のスタンピードなのは間違いない。

 トイレに駆け込むまでに、一刻の猶予も残されていない。


 全身から冷や汗が吹き出し、震えが走る。


「君、何かヤバい薬とかやってる? オーバードーズ?」

「そんなんじゃねぇ……」

「ちょっと、ちょっと、どこ行くつもり? まだ話は終わってないよ」


 馬鹿野郎、ヤバい薬なんかよりもヤバい状況だっつーの。

 交差点の向こうに見えたコンビニ目指して、全ての意識を注ぎ込んで肛門を引き締め、小走りで進もうとしたが、警官に腕を掴まれて引っ張られた。


「放せよ!」

「どこに行くつもりだ!」

「どこって、おぉぉおぉぉぉぉ……」


 プピッ……それは俺にしか聞こえない小さな音から始まった。

 例えるならば、洞窟から押し出された小鬼のようなもので、直後に鬼の大群に踏みつぶされた。


 ブピッ、ブリブリブリ……

 液状と固体の混合物が、決壊した肛門から噴出する。


 固体はボクサーブリーフの尻に滞留し、不名誉な尻パンを形作る。

 こんな制服の着崩しなんて、俺は望んでねぇ。


「うわっ、ウンコ洩らした!」

「きったねぇ! くせぇぇぇ……」


 自分の身に何が起こったかなんて、自分が一番分かっている。

 高二にもなって、大勢の野次馬の前で、よりにもよってウンコを洩らすなんて……。


 小学生の頃、学校でウンコを洩らした奴がいた。

 そいつは、中学校に上がってからもウンコマンと呼ばれ続けていた。


 じゃあ、俺はどうなる。

 同じ大学に同じ高校の奴がいたら、ウンコマンと呼ばれ続けるだろう。


 社会人になった後も、街で会ったらウンコマンと呼ばれるのだろうか。

 同窓会を欠席しても、ウンコマン来てないの……とか言われるのだろうか。


 警官が何か言ってたみたいだが、生返事をして歩き出す。

 足取りが重いのは、尻に溜まった固形物のせいだけではないだろう。


 フラフラと歩いていると、団地のゴミ捨て場の横にホースの付いた水道を見つけた。

 足を速めて水道まで辿り着いたら、ホースの先をボクサーブリーフに突っ込んで蛇口を開ける。


 尻を振り、固形物を洗い流す。

 制服のズボンを伝って、茶色い水が流れ落ち、強烈な臭気が弱まっていった。


 靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ捨てて、靴の中を水流で流す。

 団地の自転車置き場の陰でボクサーブリーフを脱ぎ捨て、ビショビショのズボンをノーパンで穿いた。


「俺はウンコマンじゃない……ウンコマンじゃない……うぅぅぅ……」


 自宅を目指して歩き出したら、情けなくて泣けてきた。

 途中のコインランドリーに誰もいないのを確認して、ジャージに穿き替えて制服のズボンを洗濯した。


 折り目が消えてヨレヨレになったが、屈辱的な臭いも消えた。

 ジャージから穿き替えて自宅を目指す。


 大丈夫だ、俺はもうウンコマンじゃない。

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