第92話 クズ兵士、罠にはまる(後編)
※今回も若い兵士ニルシャ目線の話になります。
「ぎやぁぁぁぁ……さ、刺されたぁ!」
急いで部屋から飛び出すと、右の腰を押さえて庭に蹲るデルムの姿があった。
「敵はどこですか!」
「分からん、姿は見えなかった……それより血止め! 血止めをよこせ!」
「はい! あれっ……?」
俺たち兵士には、応急手当のための血止めのポーションが配給されている。
作戦に従事する時には、全員に携帯が義務付けられているのだが、包帯や携帯食などと一緒に入れておく腰の鞄を探ってもポーションの瓶が無い。
「無いっ!」
「俺のも無くなってる!」
「ふざけるな、どうなってやがる!」
喚き散らすデルムの右の腰からは血が溢れ続けている。
右斜め後方からの刺し傷は、腹の奥まで達しているようだ。
「押さえろ、包帯を当てて、とにかく血を止めるんだ!」
傷口に包帯を捻じ込むようにして押さえ付けても、あっと言う間に真っ赤に染まり血が溢れてくる。
「なんとかしろ……なんとかしてくれぇ……」
出掛ける前に一杯引っ掛けていたデルムは、さっきまでは赤ら顔をしていたのに、今は青白く見える。
「このままじゃ駄目だ。扉を外して、その上に寝かせて街まで運ぼう」
「よし、待ってろ!」
マフムドとイムールが扉をもぎ取って来たが、その上に寝かせた時にはデルムはガクガクと痙攣を始めた。
「デルムさん、しっかり!」
「嫌だ……死にたく……」
デルムの瞳から光が失われ、体からは力が失われ、止まった呼吸は二度と戻らなかった。
「ど、どうすんだ、これ?」
「どうすんだって、このままには出来ないだろう」
マフムドに聞かれて答えたものの、どうすれば良いのか頭が働かない。
「とりあえず、役場に連絡し……があぁぁぁぁ!」
「どうした、イムール!」
「やられた……死にたくない、助けてくれ!」
突然悲鳴を上げたイムールは、デルムと同じように右の腰を押さえている。
指の間からは血が滴り落ち、既に服の背中は真っ赤に染まり始めている。
「くそっ、デルムの死体を下ろしてイムールを運ぶぞ!」
「急げ、急がないと手遅れになる!」
「助けて……死にたくない……」
デルムの遺体を扉の上から突き落とすようにして下ろし、イムールを寝かせて四人で持ち上げた。
「急ごう、医者で血止めすれば助かるかもしれない」
生い茂った雑草を掻き分けるようにして家の表に戻り、道へ出た時だった。
「うぎゃぁぁぁぁ!」
後方右側にいたマフムドが悲鳴を上げて蹲り、傾いた扉の上からイムールが転げ落ちた。
「マフムド!」
「やられた……刺されちまった……」
マフムドもまた右の腰を押さえ、そこからは血が溢れ出している。
「駄目だ、もう終わりだ」
へなへなと腰が抜けたようにナハトが座り込み、俺は呆然とマフムドを見下ろすことしか出来なかった。
「嫌だ、死にたくない、ぎゃぁ!」
俺たちに背中を向けて走り去ろうとしたバフシュは悲鳴を上げて転倒し、右の足首を押さえた。
「痛っ!」
「うごぉ!」
座り込んでいたナハトも悲鳴を上げ、俺も右の踵に鋭い痛みを感じて座り込んだ。
踵にある太い筋が切断されている。
「もう駄目だ、全員殺されるんだ……あぁぁぁぁ……」
両手で顔を覆って嘆き始めたナハトの前では、扉から転げ落ちた後、マフムドに縋りついて助けを求めていたイムールが動かなくなっている。
「ぐあぁぁぁぁ!」
悲鳴を上げてバフシュが右の腰を押さえる。
知っているのだ。空間魔法の使い手は、人間の何処を刺せば致命傷を負わせられるのか熟知しているのだ。
俺には良く分からないが、みんなが刺された場所には重要な内臓があるのだろう。
「いぎゃぁぁぁ……」
ナハトが悲鳴を上げて右の腰を押さえる。
もう、マフムドも動かなくなった。
次は自分の番だと思うと気が狂いそうだった。
「俺はやってない! 俺は別の場所にいたから、あんたの仲間には手を出してないん……いぎぃ?」
天に向かって叫ぶと、右の腰に痛みが走ったが、チクリと浅く刺されただけだった。
その直後、俺の足下に紙とペン、それにインクが置かれているのに気付いた。
「がぁっ!」
さっきよりも少し深く右の腰を刺された。
どうやら状況を書き残せと言われているようだ。
だが、書いてしまったら、俺は殺されるだろう。
でも、家族に最期を伝えるには書くしかない。
「頼む! この状況も書き残すから遺書を書かせてくれ! 恋人が居るんだ! いっ……」
また右の腰を刺されたが、少しズレた位置を刺された気がする。
俺は急いでインク瓶の蓋を取ると、扉の血で汚れていない場所に紙を二枚並べて、報告書と遺書を同時に書き始めた。
先に報告書を書き終えてしまったら、遺書を書く時間を与えてもらえないと思ったのだ。
途中、死にかけのバフシュとナハトからも、家族への伝言を頼まれて書き添える。
震えそうになる手を必死に抑えて、吹き出してくる冷や汗を拭いながら報告書と遺書を書き終えた。
気が付けば日は西に傾いていて、バフシュもナハトも動かなくなっている。
報告書と遺書が風で飛ばないように、近くに落ちていた石を重しに載せてから、どこに居るのか分からない相手に向かって叫んだ。
「書いたぞ、これでいいんだろう! 頼む、一思いに殺してくれ!」
指を絡めて組んだ両手を額に当てて、固く両目を閉じ、俺の命を奪う一撃に備える。
胸の鼓動が体全体を震わすほど昂っている。
周囲の木々の葉を鳴らしながら、強い風が吹き抜けていくが、なかなかその瞬間は訪れない。
どれほど時間が経っただろうか、辺りが暗くなっても何も起こらなかった。
どうやら、俺は見逃されたらしい。
踵の筋を切られて激痛の走る右脚を引き摺りながら街を目指した。
王都に戻り、報告を終えたら軍を辞めよう。
軍に関わっている限り、いつ復讐の刃に倒れるか分からない。
見えない相手を見つけて倒すなど不可能だ。
それよりも、例え貧しくとも恋人と共に生きるのだ。
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