6th CASCADE

麻衣の、ではなく、わたしの、だった。

知っているどころか、痲依の初恋の相手だというバリという名の少年にぼくは嫉妬した。麻衣の初恋の男もぼくではない。血の繋がらない兄なのだと、ぼくの中の誰かたちはそう言っている。

「バリくんのこと知ってるの?」

「まぁね。痲依はどうして?」

「だから、バリくんは初恋の男の子だから」

ぼくは耳を塞ぎたかった。

「幼なじみとか、そういうの?」

「ううん、わたしがパパとママにガムテープでぐるぐる巻きにされて、ごみ袋に入れられて捨てられちゃったときに、わたしを拾ってくれたのがバリくんだったの」

そんな出会いも世界のどこかにはあるのかもしれない、とぼくは素直にその奇妙な話を信じた。

「三日間だけいっしょに過ごしたんだ。エッチもね、一回だけだけど、しちゃったんだ」

痲依はすでに汚れてしまっていたのだ、という現実がぼくを追いつめる。

痲依はまだ12歳じゃないか。

「だけどね、わかっちゃったんだ。バリくんにはわたしの他に好きな女の子がいるんだって。だから」

ぼくは本当に耳を塞いだ。

カスケードを発現させてしまいそうなほど、ぼくは痲依の言葉に傷つけられた。


痲依にバリを忘れさせてあげなければいけない。




もはやカスケードを痲依に施すしかない、とぼくは思った。

痲依の記憶を遺棄するには、カスケードしかない。

カスケード自体はどんな内容でもかまわなかった。

後遺症であるカスケード障害によって痲依を気狂いの、頭の足りない女の子にするのが目的だ。

記憶を遺棄する必要さえも実はない。

痲依は記憶と思考を結びつけることができないような女の子になるのだから。

しかし頭の足りない女の子をいくら調教したところで完璧な「彼女」を作れるはずもなかった。

ならばカスケードで「彼女」を作ろう。

はじめからそうすればよかったかもしれないが、カスケードは最後の手段だった。

大切な女の子だけにはカスケードはしたくなかった。

ぼくは痲依が眠る姪の部屋で、同じ布団に入り一睡もせずに朝を迎えた。

痲依の最後の寝顔をぼくは一晩中眺めていた。

かわいい寝顔だった。

「おはよう痲依」

「痲依じゃないよ麻衣だよ」

「いいや君は桑元痲依だ。だからさようなら痲依」

そして目を覚ました彼女にぼくはカスケードを施した。

すべては仕方がなかったことだ。

今日、ぼくは写真をまた撮らせてもらった。だけどぼくが望んだ少女には痲依のような魅力はもうなかった。




何度カスケードを施しても、彼女はぼくが望んだ「彼女」にはなってはくれない。




悪い予感がして、ぼくは真夜中に車を走らせ、ぼくに裸にされた少女たちによる掲示板を覗いた。痲依は姪の部屋で眠っている。

彼女たちはやはり不穏な動きを見せていた。

彼女たちの中では一番年長である18歳の少女が、ぼくを訴えようと言い始めたのだ。この掲示板のおかげでネット上でのオーブンという名前のぼくの信用は既に落ちるところまで落ちていたが、アマチュアカメラマンとしての生命が絶たれることはぼくにとってさして意味がない、ということに気づいたのかもしれない。

とはいえ、見ず知らずの男に裸にされたというだけでも十分に恥ずかしいのに、彼女たちはぼくに犯されてしまっていたし、インターネット上でアマチュアモデルをしていたということが家族や一般層にどう受け止められるかを考えたとき、訴えることなどできようはずもなかったし、ぼくの犯罪は極めて悪質だが完璧なものであるはずだったのに、彼女は言葉巧みに少女たちを扇動し反対するものはなかった。現在は弁護士を探しているようだ。

掲示板を最新の書き込みからひとつずつ遡って読んでいくと、7月23日を境に少女たちの反対意見が賛成意見に転じている。23日にはオフ会と書かれていた。なんだか痛々しく、恥ずかしくもある響きだとぼくは思う。

そのオフ会で何かが起きたのだろう。

何が起きたのかは簡単に想像がつく。

カスケードだ。

掲示板の扇動者は本名を片仮名表記しただけの、ハナフサシホという少女だった。

この女は危険だ。

カスケードはカスケード障害という形で伝染するが、感染者のカスケード能力は微弱でカスケード使いになることはないと思っていたが、どうやらそうでない場合もあるようだ。おそらく気狂いから目覚めたときに、備わってしまってたカスケード能力も目覚めてしまったのだろう。

シホの連絡先は解約したが返却はしていなかった携帯のメモリに残っていた。

ぼくは逮捕されるわけにはいかない。

彼女にはもう一度だけ狂ってもらうことにしよう。




シホはネットアイドルという人種で、一年前にウェブサイトを立ち上げ、当時はまだそんなにサイト数があるわけではなかったものの一ヶ月でネットアイドルランキングのトップに上り詰めた最強のネットアイドルだ。二位以下との得票数のダントツと言ってもいい違いが、彼女を最強と言わしめる所以だった。シホの登場によってネットアイドルサイトの存在が広まったのだという説もあるほどである。

シホは確かに美少女だったし、精神的な病を抱えているわけでもなかったから、一般に受け入れられやすかったのかもしれない。

海外在住というステータスも、ぼくにはまったく理解できないが、魅力的だったのかもしれない。

しかし彼女は日本の平凡な家庭に生まれ育った平凡な少女にすぎない。

アメリカの何とかいう州在住というのは嘘で、名古屋市在住だった。

でなければ、彼女の日記ではアメリカ人の友人たちとともにハイスクールでコンドームの支給を受けたとある10ヶ月前の撮影会の日に、ぼくが彼女の写真を撮れるわけがなかった。

シホからの撮影依頼もアメリカンテイストの写真を希望するというもので、撮影場所に苦労した。結局、アメリカというよりはヨーロピアンテイストの数百年前の西洋かぶれが建てた屋敷に不法侵入して撮影した。名古屋市にほど近い町にある服部邸という歴史的文化遺産のひとつだ。芸術のためだとうまく言いくるめて卑猥な写真を撮り、それを脅しの道具に使って犯す、というネット上の写真家の一部の者たちの常套手段を使うまでもなく、ぼくはカスケードで彼女を支配して犯した。

カスケード障害を煩ったシホは、ウェブサイトのプロフィールに境界性人格障害だと書くことから始まり、東京拘置所で死刑を待つ女児連続誘拐殺害犯のように好きなものや嫌いなものをただ書き並べてリストアップするという、奇妙な行動にも出はじめた。それは個人サイトに当たり前のように普及してしまった。日記や掲示板でのいわゆる電波系と呼ばれるたぐいの発言が目立つようになり、人気は途端に落ちた。一部のマニアたちに愛されるのがネットアイドルの本質だが、そのマニアたちの中でもさらにマニアにだけに愛されるようになっていた。

先日ようやく幸運にもカスケード障害から逃れられたというのに馬鹿な娘だとぼくは思う。

こんな掲示板さえ作らなければ、彼女はふつうの女の子に戻れたはずだったのに。ウェブサイト自体も以前の人気こそ取り戻せてはいないものの、うまくいっていたというのに。

かわいそうなハナフサシホ。

またカスケードに支配されるなんて。

ぼくはシホの携帯番号をもとに、悪徳業者から彼女の個人情報を買い、彼女の家を訪ねていた。

住宅街の平凡なセキスイハウスの家だった。




シホの家には人のいる気配はなかった。車はなく、自転車もない。玄関には鍵がかかっており、チャイムをならしても返事はなく誰も出てはこなかった。

ぼくは玄関からは正反対の位置にあるいわばこの家の死角の窓を割って侵入した。

一階には居間と台所、風呂場、トイレ、応接間があり、二階にシホの部屋があった。数日前侵入者をこらしめるためにカスケードを使ったぼくが、今度は住居不法侵入をすることになるなんておかしい。ミイラ取りがミイラになる、というのは少し違うが、彼女のカスケードには注意しなければならない。

ぼくはその部屋でシホの帰りを待つことにした。

パート帰りの母親と中学生の弟、仕事を終えて疲れきった顔をした父親、三人とも招かれざるぼくの存在に気づき、警察に通報しようとして、あるいはぼくを取り押さえようとして、そしてカスケードに支配された。三人ともダウン症の同じ顔になって、おとなしくしてくれた。

確実にぼくのカスケード能力は進化している。

いずれは人を殺すことさえ可能になるかもしれない。

持ってきていたCD-ROMにはシホの卑猥な写真が山のように入っている。彼女のノートパソコンとCD-ROMとの相性はあまりよろしくはなかったが、マイドキュメントの中に新しいフォルダを作り、すべてコピーした。彼女のウェブサイトはジオシティーズにある。ユーザーIDとパスワードはパソコンに保存されていて、ファイルマネージャに簡単に侵入できた。卑猥な画像はすべてすでにアップされている画像ファイルと同じファイル名でアップロードすれば、それで卑猥なネットアイドルサイトの出来上がりだ。巨大掲示板群の熱心なネットサーファーたちがすぐに広めてくれるだろう。匿名でしか発言することのできない彼らも今日ばかりは役に立ってくれるはずだ。もっともジオシティーズの運営者によって消されるのが先かもしれない。ミラーサイトの準備もぼくは怠らなかった。

カスケード障害期に買いあさったのだろうゴシックロリータファッションはひとつひとつ丁寧に梱包されて床に並べられていた。ヤフーオークションで売りに出されているのだ。定価よりも高い額にまで跳ね上がっている。まるでブルセラショップだ。

多重人格を扱った小説やコミック、その他精神病関係や犯罪者関係の書籍の他、自殺マニュアルと人格改造マニュアル、有名女優が死体役を演じた写真集などが黄色いビニールテープで縛られて部屋の隅に積まれていた。

作業を終えたぼくはそれらを読みながら、彼女の帰りを待つことにした。

シホが帰ってきたのは真夜中だった。




ぼくの人生がたとえばコミックかライトノベルであったなら、今日の出来事が収録される単行本の帯には「カスケード使い対カスケード使い」あるいは「カスケード使いは互いにひかれあう」といった文句を編集者はつけるだろう。前者ではありふれているし、後者では二番煎じだけれど、ぼくの人生自体がおそらく二番煎じなのだからそれはそれで構わないとぼくは思う。

シホの家族は皆彼女の部屋に、ぼくの足下に転がっている。帰宅したシホが彼らを発見して危険を察知することはなく、彼女の部屋の明かりだけがついていることに多少の疑問は感じたようだが、この部屋でぼくたちは遭遇した。

数分後にはぼくはハナフサシホの家を出た。ダウン症の同じ顔をした四人家族は、もうぼくを邪魔することはないだろう。

だけどぼくは不思議だった。

なぜか「死にたい」としきりに口にし、手首を通る太く青い血管を眺めている自分に気づいたからだ。カーステレオには筋肉少女帯もバストトップとアンダーのアルバムもちろんなく、痲依の話が本当なら姪の部屋のどこかにそれらはあるはずで、ぼくはそれを聞きたいという欲求にかられていた。

ぼくは疲れてしまっているのかもしれない、と思った。

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