5th CASCADE
少女ギロチン連続殺人事件のことはもちろん知っていた。被害者の少女たちは皆、かつてぼくのカスケードの対象となった者たちばかりで、だから何週間も前から向かいの藤堂の家の中二階から誰かがぼくを監視している、ということももちろん知っていた。藤堂は以前話したと思うが、ぼくの実家が経営する会社を父の死後に乗っ取った男だ。すんなりと部屋を貸したに違いない。張り込んでいるのはおそらく刑事か探偵なのだろう。
誰かが何らかの形でぼくのカスケード能力とカスケード対象者たちの存在を知り、何らかの目的で、彼女たちを始末している。少女たちの生首がごみ捨て場に捨てられている、という手口はぼくへの何らかのメッセージなのだろうか、とも考えたが「彼女」を手に入れたぼくにはもはや関わりのないことだ。考えないようにしていた。
そんなものを含めた俗世のすべてが、今となってはわずらわしいものでしかない。
世界の中心はオーストラリアのどこかではなく、ぼくの家だ。
そしてこの家が世界のすべてだ。
ぼくたちはもうこの家から一歩も外に出ることはないだろう。
やがては食料など生活必需品の調達さえも億劫になり、ぼくたちは愛し合いながら餓死するのだ。
しかし、この家にやってくる者はいる。
藤堂の家の中二階の監視者が、今日ぼくの家に侵入を試みた。
監視者は奇妙な男だった。
青年だが、素肌の上にオーバーオールを着ており、頭をすっぽりと覆うニット帽には後頭部に何かが入っているかのような無数の長い突起があった。指や首や腰にシルバーアクセサリーを身につけ、オーバーオールの胸のポケットはまるで四次元ポケットのようにぼくや痲依の写真の他、ビスケットやゲームボーイポケット、ウォークマン、スタンガン、モデルガンなどが詰め込まれていたが、収納上手なのかほとんどポケットは膨らんでいないように見えた。サトシ少年しか詰められないんだぞ、と彼は怒った。
監視者としても潜入者としても未熟で間抜けな彼をぼくは簡単に捕らえていた。侵入経路は不明だったが、彼は階段でぼくとはち合わせてしまったのだった。
ぼくは彼を突き飛ばし、階段を転げ落ち全身を強打した彼をぼくはロープで縛り上げた。
「なぜぼくを監視する?」「どうやってこの家に入った?」「きみは何者だ?」
彼はこたえなかった。
彼の所持品の中には、
「硲心霊探偵事務所所長霊視能力者硲裕葵」
と書かれた名刺もあった。
霊界探偵ならまだしも心霊探偵なんて聞いたこともない。霊視能力者というのもうさんくさかった。しかし他に彼の身分を証明するものはなかった。名刺に書かれた電話番号に非通知でかけると、何者かが電話に出たが何故か豚の鳴き声がした。
ぼくと彼の盗り物劇のちょうど一時間後、ぼくは今度は少年と階段ではち合わせた。やはり彼もぼくに突き飛ばされ階段を転げ落ち、そして心霊探偵は彼をサトシ少年と呼んだ。
明智小五郎と小林少年のつもりだろうか。
すべては真夜中の出来事で、もちろん痲依は眠っていた。
ぼくは階段を登り、階段を下る彼らとはち合わせたことから侵入経路はおそらく二階であったのだろうが、彼らが痲依が眠る部屋を覗いたか覗いていないかを知ることが何よりも重要だった。
痲依の存在を知られたならばぼくは彼らを始末する以外にはないだろう。
しかし知られていないなら、痲依を一時的にどこかに隠して警察を呼び、彼らを逮捕させ住居不法侵入の罪を負わせることができる。
ぼくは人を殺したくはなかった。彼らとて殺されたくはなかろう。しかしぼくから二階の部屋を見たかと聞くわけにはいけない。二階の部屋に何かがあるのだと言っているようなものだ。彼らもまた命にかかわるようなことは自ら口にはしない。
ぼくたちは両者とも見たかどうかという事実は問わず後者の展開を望んでいるにも関わらず、ぼくは圧倒的不利な立場にあった。ぼくには確かめる術がなかったのだ。
彼らを殺すしかなかった。
ぼくが何の能力ももたない人間であったなら。
彼らを殺したくはなかったが、彼らにカスケードを使うことには何のためらいもなかった。
彼らは愛知県警の物の怪というあだ名の刑事に頼まれた監視者であることを素直に自白してくれた。愛知県警は署をあげて少女ギロチン連続殺人にかかりきりで、真っ先に容疑者にあがったがすぐに除外されたぼくと事件とは無関係の行方不明の少女の捜査に人手をまわすほどの余裕がないのだという。
彼らはビデオを巻き戻ししたかのように侵入経路を再現して見せてくれた。
しかし彼らがそのままこの家から出ることは許されない。
ぼくが少女ギロチン連続殺人事件にも桑元痲依の行方不明にも無関係であると証明するために、ぼくは110番通報した。
カスケードを使った後は、いつも罪悪感に苛まれる。カスケード能力が強くなればなるほど、カスケード対象者に強い後遺症が残るからだ。それはカスケード障害と言われていた。
心霊探偵と助手は特に酷い形のカスケード障害を引き起こしてしまっていた。顔がダウン症児のような、ふたりとも同じ顔に変形していた。そんなことはぼくにも初めての体験だった。
やりすぎた、とぼくは思った。
「やりすぎだろう」と彼らを迎えにやってきた老刑事もそう言った。顔が変わるどころじゃない、遺伝子が書き換えられているじゃないか、こんなことまでできるのか。
「おまえはカスケードで身を滅ぼすぞ」
ヘブンセンシズは人を傷つけるための力じゃない、そう言った。
ぼくに与えられた力をぼくがどう使おうが構わないではないか。
「彼らは住居不法侵入をしたんだ」
老刑事はぼくの言い分など聞いてはいなかった。硲、硲、サトシ、サトシ、顔をくしゃくしゃにしてふたりの名を呼んだ。
正義はいつだって身勝手に自分たちの失態さえ悪のせいにしてしまう。
彼らがぼくと痲依の世界を壊しにやってこなければぼくは彼らを傷つけることはなかったのに。
「おまえ、13年前の11月29日に新宿アルタ前にいたカメラ小僧のガキだろ」
彼はぼくの三度目のカスケードを知っていた。
「あのときおまえを捕まえて取り調べたのは俺だよ。まったく驚かされる。まさかおまえがあの事件の犯人だったとはな」
老刑事が心霊探偵と助手を連れてぼくの家を出た頃、夜が明けた。
ぼくは痲依を起こした。
「おはよう、麻衣。朝だよ」
「おはよう、棗さん。ゆうべは騒がしかったね。誰かお客さんが来たの?」
まさか、とぼくは笑った。
「映画を観ていたんだ」
「どんな映画?」
「まぬけな探偵ともっとまぬけな助手とひとりまともな刑事の映画」
「麻衣も観たい」
「残念、テレビで流れていたんだ。ビデオにはとってないよ」
痲依はすねてしまったらしくぼくの目の前で服を着替えはじめたので、ぼくはまるで少年のように視線を逸らした。
「朝食を用意するから着替え終わったら降りてきなさい」
ぼくは部屋を出た。
いつまでもこの家にはいられないだろうとぼくは考えていた。
枝幸へ行け、と頭の中で誰かが囁いていた。
枝幸といえば北海道の北の果てだ。日本列島の形を龍に例えるなら巨大な角の先にある。ぼくたちの住む名古屋は腹部にあたるだろう。目と鼻の先どころか、臍と角の先だ。簡単に目指してしまえる距離ではなかった。
藤枝に行け、という声も聞こえる。渋谷に行け、という声も聞こえる。沼津に行け、という声も聞こえる。浜松に行け、という声も聞こえる。旭川に行け、という声も聞こえる。浦安に行け、一宮に行け、広島に行け、松山に行け、沖縄に行け、徳島に行け、という声も聞こえる。
どれも枝幸よりは交通の便ははるかに良いだろう。だがそれは同時に行き先を特定されやすいことを意味する。それでは逃げる意味がない。
諦めた。
写真を撮らせてくれないか、とぼくは痲依を誘った。
「脱がされたりとかエッチなことされないんだったらいいよ」
と、テレビのニュースを観ながら痲依は笑った。ぼくはその後ろでバナナジュースを作っていた。
理解者を装って様々な小道具を手に近づくのは小児性愛者の常套手口だし、ぼくももちろんその手口で少女たちを裸にしてきたけれど、痲依にそんなことをするわけがなかった。
痲依は振り返り、ソファの背もたれの上に顎を乗せて、ぼくを見つめた。
「そんなことしないよ」
ぼくはジューサーの蓋を閉じ、ボタンを押した。果肉はあっというまに壊れてしまう。
本当はスタジオか何かを借りるか(ラブホテルというのもいい)、ロケがしたいところだが、以前は母が使っていたが今では家具ひとつない空き部屋の壁や床に白い布で覆い、照明代わりに蛍光灯を家中から集めた。
少女と無数の影しか存在しない真っ白な世界に、少女は髪を頭のさまざまな場所で結び、化粧で頬を真っ赤にして、ロリータファッションに身を包んだ。スカートは大きく膨らみ、細い足が伸びて、厚底のブーツに吸い込まれている。
少女はここまで可愛らしく、そして美しくあれるものなのだ、とぼくははじめて知った。
手が震えた。膝が笑い、歯ががちがちと音を立てた。
はじめて写真が撮れなかった。
器が違う、とぼくは思ってしまった。
昨日に引き続きぼくは痲依と撮影会をした。
昨日の写真は手ぶればかりでまるで見られたものじゃなかったが、今日はようやく何枚かまともな写真を撮れた。
まとも、とはいっても、手ぶれをしなくなったというだけに過ぎない。
まだぼくの写真ではなかった。カメラ小僧でももう少しまともな写真を撮る。
ぼくの写真のモデルになり、もちろん裸にされてしまった少女たちの中にはカメラ小僧を従えている子もいて、ひとり飛び抜けた才能を持った少年がその中にはいるらしく、彼が撮ったという写真を見せてもらったことがあった。
バリ、という奇妙な名の少年だった。
コスプレ少女をかわいらしく撮ることにかけては、おそらくアマチュア一だろう。見習いたいと思ってしまったのを覚えている。
ただし、写真自体の芸術性は皆無で、見ようによってはアートに見えなくもなかったが、彼にしか引き出せない少女たちの笑顔とコスプレの衣装が村上隆のおたくっぽいフィギャアのように見えたに過ぎない。
確かバリは、名古屋ではそれなりに知れたバンドのボーカルだと聞いていた。バンド名は何と言っただろうか。
ぼくは百枚ほど写真を撮り、中断した。
デジカメが便利なのは撮った写真をその場で見られるということだ。現像しなくても写真の出来不出来がわかるから、不出来なものはその場で消してしまうこともできる。ぼくは画像を削除しながら痲依に訊いた。
「麻衣、バリくんていう子を知ってるかい?」
ぼくが中学生の頃には音楽はクラシックしか聴かなかったが、死んだ姪といい、痲依といい、最近の中学生はどうやらミュージックシーンに詳しいらしいから知っていてもおかしくはない、と思った。
痲依は言った。
「わたしの初恋の男の子だよ」
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