3rd CASCADE

痲依を風呂に入れるとき、ぼくは彼女の美しさに目がくらむ思いだった。

女子校という巨大な密室が少女たちを開放的にして、ぼくは職場で何度か教え子たちの裸に近い格好を見てしまったことがあったが、彼女の美しさは比べものにならない。教え子たちの体はとても下品だった。

痲依は妹やメイと同じか、それ以上の美しさだ。

体中どこを探しても、くすんだ色は見あたらない。幼さがいやらしいものに変わってしまう直前の体つきは、ひとつの芸術だとさえ感じる。そしてどんな芸術作品よりも、痲依は美しかった。

触れるととても柔らかい。

脱衣場で彼女を裸にして思ったのは、メイにした過ちをぼくは繰り返してしまうかもしれないということだ。

痲依は「彼女」になる女の子だ。妹よりもメイよりもどんな女の子よりも大切にしなくてはならない。

いっしょに風呂に入るつもりだったし、彼女も諦めたように構わないと言ったが、ぼくはあわててジャージに着替え、そして彼女の体を洗った。人に洗われるのは馴れていないらしく、くすぐったいよ、と甘えた声を出して、すぐに親友を殺された恨みの目に戻った。

彼女を寝かしつけた後で、ぼくはひとり風呂に入った。




痲依は一週間の不眠不休の疲れを一日に十二時間以上眠ることで解消したかに見えるが、誘拐されたストレスと、点滴だけの食事で、相変わらず疲労している。それもそのはずだろう。彼女が眠る姪の部屋には鍵がかけてあるから、彼女が風呂もトイレもひとりで行くことは許さなかった。風呂もトイレも、本来ひとりきりで済ませるものだが、ぼくが中まで付き添い同じ空間で、彼女は用を足し、体を洗うのだ。疲労しないわけがなかった。

彼女は姪のベッドの上でぐったりと天井を見上げている。

そろそろかもしれない。

ぼくが「彼女」をなぜ誘拐しなければならなかったかはわからないが、たとえ「彼女」ではないとしても、痲依にはぼくの理想の女の子になってもらわなければならない。

ぼくの姪を越え、妹を越え、母さえも越えた聖母のような少女だ。処女懐妊さえできてしまうような。

容姿は申し分ない。

頭の良さも、声の美しさも想像以上だ。

彼女ならなれるかもしれない。

誰に?

もちろん「彼女」に。

その条件は……




ぼくが誘拐しなければいけなかった「彼女」は、1986年10月9日に北海道富良野市に一卵性双生児として誕生している。

両親は「彼女」の出生後、すぐに離婚。

先に生まれた「彼女」の妹を母親が引き取り、母は旧姓に戻っている。離婚後、母は独身を貫いている。

「彼女」を引き取った父親は、八年後に再婚して、「彼女」には二人目の母親が出来、母親の連れ子の血の繋がらない兄が出来た。

義兄は五つ年上で、市内の公立高校に入学している。「彼女」は兄思いで兄は妹思い、「彼女」たちが特別なのか、あるいは血が繋がらないからこそなのか、ふたりの間には恋愛にも似た愛情が存在している。ふたりは毎朝交代で起こし合い、通学に時間のかかる兄にあわせて共に家を出て、バス停でふたりは別れて、「彼女」は放課後、同じバス停で兄の帰りを待って一緒に帰る。ふたりは一緒に風呂に入り、お揃いのパジャマを着て、兄は「彼女」が眠るまで手を繋いで、絵本を読み聞かせる。

「彼女」は幼い頃から兄がそうしてくれないと眠れない。兄は「彼女」と兄妹になったときにはすでに精通を終えていたが、「彼女」の初潮を兄は目の当たりにしている。それが風呂場での出来事であったからだった。

ぼくが何故顔も知らない「彼女」のことをこんなにもこと細やかに知っているのか、その理由はぼくにはわからなかった。ただ「彼女」を思う度に、ぼくは知らず知らずのうちに「彼女」について詳しくなっていた。誰かがぼくに情報を送信していたのか、しかし富良野市には「彼女」は存在しなかった。同じような家族関係にある家庭を十数組見つけたが、お世辞にも美しいとは言えなかったし、兄妹仲も不仲で、第一名前が違っていた。

「彼女」と同じ名前の者も、同姓同名だが漢字が異なる者も調べたが、「彼女」であるとは思えなかった。あるいはすべてがぼくの妄想だったのかもしれないが、それにしてはあまりに陳腐だ。

「彼女」を誘拐することで、愛し合う兄妹を引き裂くために、ぼくは生まれたはずだったのに。




ぼくの教育は徹底的に痲依を衰弱させることにはじまり、そしていよいよ第二段階に突入した。

ぼくは痲依に、彼女が今置かれている現状が、彼女が考えている以上に絶望的なものであることを教えてやらなければならなかった。

いくら頭の足りない女の子でも、誘拐されればその先に待つ死をまず恐怖するだろう。誘拐事件の結末はいつだって悲惨だ。それが身代金目的であれば、犯人にとってたとえ身代金を手に入れるという目的を達成してもそのあとで警察に捕まってしまっては意味がない。顔を見られてしまった被害者を、更なる罪を犯すことになるが、殺すしかなくなってしまう。被害者はいつかは殺されると怯えながらも、ひょっとしたら殺されずにすむのではないか、と心の片隅で期待を抱く。殺される前に犯されてしまうことや、あるいは殺されてしまった後でも犯されるのではないか、と怯える。それが身代金目的でなくても、被害者の心理は変わらないだろう。

そしておそらく、痲依はぼくが身代金目的で彼女を誘拐したわけではないことにすでに気づいている。

とても頭の良い子だから。

衰弱した頭でもしっかりと考えて、おそらくこれから自分にふりかかる災難のすべてを受け入れる覚悟をし、そして乗り越えるための計画を立てているといったところだろう。

電話線は切られている。

ぼくの携帯電話は彼女を誘拐した日にすべて処分してある。

パソコンはインターネットに繋がっているが、パスワードは保存していない。彼女には繋げられないだろう。

ぼくは常に彼女のそばにいて家のどこにいくにもつきまとう上に、玄関のドアやあらゆる窓は鍵がなくては開けられないように何重にも大小さまざまな鍵がかけられている。

インターフォンは電池が抜き取ってある。

傀儡ではあったが大グループの総帥であるぼくの家は、高級住宅街にある。仮にこの家から脱出できたとしても、この街は犯罪防止のために驚くほど入り組んだ迷路のように作られており、そしてこの街の人々は皆他人には驚くほど無関心だ。ぼくは隣家の住人の顔さえも知らない。

痲依、きみはどうやってこの家から脱出する?

しかし、さすがの彼女も想像すらしていなかっただろう。

ぼくは彼女を殺しもしなければ、犯しもしないということを。

目を覚ました痲依にぼくは訊ねる。

「痲依、きみが昨日から痲依という名前ではなくなったことは、昨日何度も話して聞かせたよね。

 きみの新しい名前をぼくに聞かせてくれないかな。どうしてもきみの声であの名を聞きたい気分なんだ」

優しく頭を撫でてやりながら。

「加藤、麻衣」




痲依は1986年6月6日、愛知県名古屋市名東区に生まれた。

彼女の出生直後に両親は「彼女」の両親同様に離婚し、彼女は母親に引き取られている。

母親は地下鉄本郷駅から徒歩八分の場所に、財産分与の際に夫から手切れ金のように譲り受けたマンションの一室で、別れた夫からの養育費だけで暮らしている。

母親は障害者で、働いてはいない。「五体不満足」がベストセラーになったとき、自分の不幸を売り物にすれば養育費以上の金が手に入ると勘違いした母は、自らの人生体験を綴った本を自費出版したがまったく売れなかった。

数ヶ月後には「バトルロワイヤル」に似たような小説(養護学校に通う高校二年の障害者たちが離島に隔離され殺し合いをさせられる、という内容だった。最大の見せ場である車椅子に乗ったゴスロリの少女と盲目のパンク少年の機関銃による銃撃戦や、性に目覚めた知的障害の少年が生き残ろうなんていう気はさらさらなくて死姦を続けながらさまよい歩くといった描写はなかなかに読みごたえはある)を自費出版して失敗もしている。

二度の自費出版や痲依が私立中学に通っているということからも父親からの養育費は相当な額なのだろう。

母親は障害ゆえのひきこもりで、 痲依は保護者参観や運動会や学芸会に母親が来てくれたことを見たことがなかった。幼稚園や小学校の家庭訪問も母は拒否している。

痲依はそんな母親を毛嫌いしていると思われる彼女の作文を、ぼくは彼女の卒業した小学校のパソコンのデータベースから盗み出した。

母について書くという作文であり、母のようにはなりたくない、わたしは誰の保護も受けずひとりで生きていける女になりたい、と書かれていた。

彼女が名古屋市内でも有名なエスカレータ式の私立の女子校に入学したのはそのためなのだろう。

他の作文からは彼女の強さと孤独が痛いほどよくわかった。母や彼女を捨てた父を否定する一方で、同時におそらく無意識なのだろうが、母性や父性を求める一面を見ることもできる。

すばらしい。

ぼくは最高の「彼女」候補生を手に入れていたのだ。




ぼくは妹や姪を叱ったことは一度もないし、生徒たちを怒ったこともなかった。兄や叔父としてのぼくは彼女たちに嫌われることが何よりも怖かったし、教師としてのぼくにはそもそも叱る資格がなかった。教師が教え子を叱るとき、そこには愛がなければならない。テレビドラマの教師たちと数少ない博愛主義の教師にのみ許された行為だ。生徒たちに手をあげるなら尚更だ。体罰を加えても生徒自身がそれをよしとする信頼関係が形成されていなければならない。ぼくは教え子たちを愛してはいなかった。彼女たちは所詮他人だ。何十年単位の人生の中で彼女たちと過ごす時間は長くて三年、いずれ忘れゆく存在だ。道ですれ違う人々と何ら変わらない。ぼくにとってはね。他の教師については知らない。しかし親子でも難しいそのような関係を築けるとは思えない。

ぼくの授業で生徒たちは、皆ぼくの話を聞かず漫画を読み、雑誌を開き、おしゃべりをし、ときには立ち上がって教室を出てしまう。他の授業の教科書を開いている最前列の少女が一番まともだと感じられるそんな授業だ。そのくせテストでは皆偏差値の高い解答用紙を提出する。

ぼくを下の名前にちゃんを付けて呼ぶ。

ぼくはそんな彼女たちをカスケードの対象にしようと思ったことはあっても叱ったことなど断じてない。

そして勘違いしないでほしいのは、だからぼくが痲依を誘拐したのだと思わないでほしいということだ。




「おはようございます、棗さん、今日も棗さんと朝を迎えられて、麻衣はとっても幸せです」

目を覚ました痲依は、ぼくにそう言って、不器用に笑った。

痲依は頭の良い子だが、白々しい嘘をつく子だ。そういえば、適当に教師受けのいい作文を書けばよいものを、あんな作文を書いて提出するような子だ。嘘をつくのは苦手なのかもしれない。手のひらにはぼくがこのところ毎日話して聞かせた「彼女」の情報がサインペンで書かれていた。ぼくが眠っている間にどこからかペンを見つけてきては書いたのだろう。

ぼくたちの今日は、それを消させるところから始まった。

痲依が自分の存在を否定し、心から「彼女」であることを受け入れるまでぼくは彼女に「彼女」の話をし続けなければならない。

彼女は「彼女」になるというのに、手のひらに「彼女」についての情報があるのはとてもおかしなことだ。

痲依は石鹸できれいに洗いおとした手のひらをぼくに見せた。彼女の生命線はとても短かった。

その手をぼくは荒々しく払う。

驚いて、すぐに怯えた顔に、ぼくは何度も平手打ちをした。

女の子に暴力をふるったのははじめてのことだった。渾身の力を込めた平手に、彼女の頬の柔らかな感触が伝わって、病みつきになってしまいそうな快楽がぼくの脊髄を駆け抜けた。

「ごめんなさい、棗さん」

教えた通りの「彼女」の口調だ。

謝る痲依の頬をぼくはもう一度平手打ちした。

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