1st CASCADE

今日はぼくが痲依をどうやって誘拐したのかについて話したい。

屋上にはぼくたちふたりだけだったが、姉妹校との交流行事で校内には普段の倍近い女子生徒たちで溢れ、教師たちも倍の数が揃っている。

痲依と出会ったぼくは大人たちに見つけられてしまった煙草を吸う少年のように慌てて、彼女の名前を聞くだけで精一杯だった。ぼくは一目で恋に落ちた。

名前を聞いたあとも煙草の火がフィルターに燃え移り、甘い、しかし気分がすぐに悪くなるにおいを放ち始めるまでの数分間、ぼくは彼女を見つめていた。

彼女もぼくを不思議そうにではあったけれど、見つめてくれていた。

「彼女」ではなかった彼女をぼくがいつ誘拐しようと決めたのかはわからないが、何の小道具ももっていなかったぼくはとりあえず彼女の口をおさえて押し倒すと、ぼくと彼女の二枚のハンカチを結び、後ろ手に縛った。

両足の足首も彼女の靴下で縛る。そうして屋上からしか行けない時計台の塔に彼女を閉じこめた。下着を脱がすと口に詰め込み、ブラジャーで吐き出せないようにマスクをさせた。

そうして、交流行事が終わる夕方になるまでの間、痲依をその塔に閉じこめた。交流行事は現地集合現地解散であったから、帰りまでいちいち点呼はとらなかった。

だからぼくは【カスケード】を使わずに済んだことにほっと胸をなでおろした。




ぼくは【カスケード】を使いたくはなかった。

カスケードは、ある程度の規模を対象に思いのままの多数派を作り出すことができる、ぼくに与えられた力だ。

ぼくは政治家になればこの国の国民すべては無理でも政治家や官僚たち程度なら思いのままに、例えばぼくの支持者であるという多数派を作りだし、その気になればこの国を動かすこともできるだろう。宗教団体すら作れるだろう。ヒトラーやアサハラのように。彼らのカリスマ性は、【カスケード】の産物に他ならない。

ぼくがなぜそうしないかといえば、そんな風にこの力を使えば、いつか身を滅ぼすに違いないと大小様々な過去の例を見聞きし知っているからだ。

それに生まれてからこの力を使ったのはたったの三度だけだ。意思や意見を他人にねじ曲げられるということは人間にとって相当なストレスであり、えてしてトラウマを生み出す原因となる。過去の三度のカスケードでぼくは同級生たちの何人かを精神病院に送り、そのうちのひとりは自殺している。

カスケードを使い、ひとりくらい生徒の数が足りなくても構わないという教師たちの多数派を作り出すことはしたくなかった。




ぼくは他の教師たちとともに帰宅するふりをして、もはや誰もいない校舎にひとり残り、痲依を迎えにいった。

彼女は小便をもらしていた。

手枷足枷に代用したハンカチや靴下を必死にはずそうとしたのだろうか、手首も足首も赤く腫れ上がり蚯蚓腫れのようなものさえあった。長くきれいに磨かれた爪が折れていた。

下着の猿ぐつわをはずしてやると、彼女はまずぼくをののしった。大人しそうな、それでいてどこかこどもっぽい顔をして、小さな唇から汚い言葉を吐き出すのが意外だった。

ふっかつのじゅもんのようだった。

その哀れな言葉たちはぼくにはとても甘く感じられた。ケーキや菓子をスウィーツと呼ぶのはあまり好きではないが、そう、スウィーツのように甘い言葉だった。

ぼくはスーツが小便で濡れてしまうことも構わず(彼女はセーラーを濡らしているのだ)膝をついて、痲依を抱き上げた。

文字通り小便臭い時計台の中で、そのときだけ一瞬乳臭いにおいをぼくは嗅いだ。彼女の体臭なのだろう。

妹や姪や母はまるでアナスイの香水をふりかけているかのようなバニラのような体臭だった。

彼女のも悪くない。

「彼女」ではなかった彼女を誘拐してしまったことを後悔したのは、彼女を車のトランクに放り込んだ後だった。




翌日から、つまりこれを書いている今日より二日前から、ぼくは学校を休んでいる。このまま辞めてしまうつもりだった。

もともと「彼女」に出会うために選んだ仕事だ。「彼女」には出会えなかったが、「彼女」の代わりに痲依がぼくを満たしてくれるだろう。

金の心配もぼくにはなかった。

ぼくは実家が経営する企業グループの傀儡であったからだ。実権は父の右腕であった藤堂という男とそのこどもたちに握られてしまっているが、総帥としての給料は毎月支払われている。

生まれた家を憎みこそすれ感謝などしたことがなかったぼくだが、今回ばかりははじめて感謝した。

痲依はもう三日、ぼくと口を聞いてくれない。彼女ひとりなら体を丸めればようやく入れる小さな箱に閉じこめはしたが、猿ぐつわも手錠もぼくはかけてはいない。四日前の傷が、まだ残っていたからぼくは毎日手当てもした。

それなのになぜ彼女はぼくに心を開いてくれないのだろう。ぼくには彼女がわからない。

彼女はぼくが用意した食事もけっして食べようとはしてくれなかった。

ぼくは自慢じゃないが、料理は上手だ。妹や姪が好きだといって食べてくれたし、おかわりさえしてくれた。オリーブオイルのにおいがあわないというわけではないようだった。

彼女はぼくが何を作っても食べようとはしない。

こんなにおいしいのに。

彼女はぼくを睨みつけてばかりいる。

困った子だ。




ぼくが学生時代から続けているウェブサイトは【チャイルドヘヴン】といって、ぼくはサイトを閲覧してくれている女の子たちの中からモデルを募集し、退廃的で刹那的な写真を撮影し、公開するという活動を行っていた。

ぼくは芸大出ではないし、カメラを勉強したこともない。カメラ雑誌を購読しているわけでもない。知識なんてものはまるでなく、技術といえば、はじめてカメラを手にしたときから片手で構えて手ぶれのない写真を撮ることができただけだ。それさえできればなんとかなった。ぼくはありふれた構図はとらないし、誰も撮らないような構図、ただそれだけできれば十分に可能だった。

モデルの少女たちを裸にするのに話術も脅迫もいらない。ぼくには【カスケード】がある。試してみるまで確信がもてなかったが、カスケードが多数派を作り出せるなら相手がひとりであれば確実に操れた。強く念じるわけでも呪文を唱えるわけでもなく、ボタンを押すように簡単にカスケードは発動する。

ぼくはそうして、引き受けた室内撮影において確実に女の子たちを裸にした。

カスケードによる人心操作術が切れはじめた彼女たちが徒党を組み、ぼくに反旗をひるがえすなんてことは考えもしなかった。




少女の裸が芸術であるには見る者もまた同じ感性でなければならない。そうでなければただの少女ポルノだ。

芸術とは少女の裸に限らず本来そういうもので、ぼく自身にもぼくの写真が芸術であるとは思えない。芸術だと感じる人がそう感じてくれればいい。

ぼくはぼくの作品が少女ポルノとして見られてしまうことをふまえて、サーバーは海外のアダルトサーバーを借りている。一応は写真家としてのプライドをもって、広告は載せてはいない。女の子たちにはお小遣いやアルバイトとしては少し法外といってもいいモデル料を払い、交通費も払っている。どちらもアマチュアでありながらプロとしての関係をぼくは少女たちと形だけは作っていた。

それゆえ、写真サイトを運営するアマチュア写真家のリンク集でぼくの人気は上々であったはずだが、しばらく見ないうちにぼくの写真のモデルとなった少女たちが、掲示板にぼくのハンドルネームの頭文字を上げてスレッドを立て、バッシングをはじめていた。

ネット上の相手にカスケードを発動することはできないが、彼女たちがぼくを訴えることは彼女たちの両親が許さないだろう。ネット上の写真家としてのぼくのもともとあってないような生命を断ち切ることができるにすぎない。

何も問題はなかった。

ぼくは少女たちの写真をサイト上からすべて削除し、そしてそのかわりにこの手記を書き、彼女の写真を公開している。




誘拐から六日目の朝を迎えた。

ぼくと痲依の関係は依然変わらない。

ぼくが箱ベッドと名付けたプラスチック製の小さな箱の中で、彼女はもう丸五日不眠不休でぼくを睨み続けている。箱ベッドには空気を入れ替える小さな穴が無数に空けられており、空気だけでなく部屋の明かりも差し込み、ぼくはそこから彼女を覗く。食事を乗せたトレイを差し入れる小さなドアも作ってある。

箱ベッドは姪や母の死後、「彼女」のために休日を利用して作った。「彼女」にカスケードを発動するわけにはいかないからだ。寝返りさえうてない小さな箱で衰弱するのを待ち、新興宗教の洗脳か警察の取り調べのように、彼女がぼくに帰依するように繰り返し教える、箱ベッドはそのために作った。

痲依はぼくの料理を食べないだけではなく、水も飲まなかった。食事を数日とらないくらいでは人は死なないが、水を数日飲まなければ死ぬ。二日前、ひょっとしたら毒でも入っているのではないかと疑っているのかもしれないと思い、未開封のペットボトルや缶の清涼飲料水を与えると、丹念に底を調べていた。やはり毒の混入を疑っていたのだ。

痲依は13歳の女の子とは思えないほど頭のいい子だ。

ぼくの教え子にはこんな生徒はいなかった。

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