第6章 気狂いの家とアイスクリームの妹

 姉のキリコの死体をどうするかが問題だ。


 首のない死体や生首たちといっしょにぼくの部屋に転がしておくわけにはいかない。


 死体たちや生首たちがいくら腐っていくら蠅がたかろうともこの一ヶ月一向に構わなかった。ある程度は食べてしまっていたから量もそれほどではない。


 しかしキリコの体が腐ってしまうのをぼくは見たくなかった。


 妹は姉の死を両親に知らせて葬式をするべきだ、と言った。しかし通夜をするにも葬式をするにも医者の死亡診断書がなくてはできない。姉が病死や事故死でないことは、体中にある痣や膣に残されたぼくの精液から明らかで、姉の死体を医者に見せようものならぼくは間違いなく姉殺しの罪で捕らえられてしまうにちがいなかった。


 だけど両親に姉の死を知らせる、というところまでは悪くない。


 ぼくは妹の目の前で姉の首を切断する準備をはじめた。


 ぼくの部屋に監禁されてしまう前から、この部屋からにおう異臭に気づき薄々ぼくが少女ギロチン連続殺人犯だと気づいていたという妹のリカだけれど、もちろん生首や首のない死体を見たことはあってもぼくが首を切断するのを見るのははじめてのはずだった。


 だけどちっとも驚いた様子も怖がる様子も見せなかった。ぼくが作ったギロチン台に姉の首をかけながら、


「驚かないのか」


 と、ぼくは訊いた。


「おどろいてるよ」


 と、妹はこたえた。


「怖くないのか」


「こわいよ」


「見なくてもいいんだぞ」


「ううん、見てる。怖いもの見たさっていうか、どんな風に首が切れるか興味があるんだ。

 ねぇリカにやらせてよ」


 リカはそう言って、ギロチンの刃を持ち上げるピアノ線をはさみで切断してしまった。


 ぼくはあわてて姉の首から手を離した。


 ごろりと生首が転がった。


「でーきた、お姉ちゃんの生首のでっきあっがりだね、お兄ちゃん」


 リカはうれしそうに生首を抱き上げて、姉とキスをした。






 ぼくたちは昨日、生首だけを残して、姉の体を風呂場で石鹸を使って丹念に洗い、ぼくの精液を洗い流した。石鹸を泡立てた指を差し入れて洗うのは妹の仕事で、妹は髪についた精液を洗い流す方がまだ楽だと言った。


 ぼくに犯される前から妹は処女ではなかった。


 リカはね、セックス中毒なの。12のときにパパにされてから、もう十人くらいとしたかなぁ。リカすごいでしょ。お姉ちゃんはまだパパひとりしか知らなかったんだよ。パパはママの目の前でわたしたちとしたの。ママとお姉ちゃんは知ってるんだけど、リカは二回も中絶してるんだ。今はね、ピルを飲んでるんだよ。


 ぼくは姉の首のない死体の隣で、また妹を犯しながら、この家は気狂いの家だと、たぶん一番の気狂いであるぼくは思った。


 首は真空パックに入れて父の書斎にある小さな冷蔵庫の冷凍庫に放り込み、ぼくたちは真夜中に姉の体をぼくたちの住む区のごみ捨て場に捨てた。


 今日にも父は姉を見つけ、姉の捜索願いが出されることはないし、首のない死体が誰のものであるか、警察が特定することは不可能だろう。


 しかし姉ひとり、首のない死体がゴミ捨て場に捨てられるというのは不自然すぎる。ぼくはまた四つ目の連続殺人をはじめなければいけない。ひとつの殺人を隠すために殺人を繰り返すなんてまるで境界性人格障害の症状みたいだ、とぼくは笑いながら、妹が紹介してくれた足の悪い友達を殺した。もちろん彼女は軽カスケード障害ではなく、ぼくとしては不本意ではあったけれど、カスケードの被害にあった少女が見つからないのだ。


 ぼくは一刻も早く真性M嬢のマユを探し出さなければいけない、と思った。






 ぼくはインターネット上にある巨大掲示板の風俗店のスレッドに、マユの行方に関する情報を求める書き込みをすることにした。


「今年6月まで名古屋の太閤通りにある『ニアデスハピネス』というSM専門店でナンバーワン真性M嬢をしていたマユという女の子が今どこで働いているか知りませんか?」


 マユが別の店で働いているかどうかさえわからないけれど、ネット上のやりとりではマユの住所や電話番号を聞くことはできないし、ストーカーだと思われてしまうかもしれない。ストーカーよりもぼくはもっと質が悪いけれど。何しろ連続殺人犯なんだから。


「マユちゃん突然やめちゃったもんねぇ」


「マユちゃんいなくなってからあのお店いかなくなっちゃったよ」


「ニアデスハピネスにはよく行くけど、マユ? 誰それ?」


「この子だよ。画像見てみろよ。かわいいぜ」


 すぐに書き込まれたレスには画像が添付されていた。セーラー服を着た少女の証明写真のようなバストアップ写真。


 確かにそれはマユだった。


「かわいいじゃん」


「これ、卒業アルバムか何かの写真? ひょっとして同級生?」


「マユの生徒手帳の写真だけど、同級生じゃないよ。この間の新聞の名古屋市在住の不登校者のリストに顔写真が載ってた。他人の空似ということはないと思う」


「18だって言ってたけどあの子まだ16だったんだ」


「突然やめちゃったのはそれが原因かな?」


「あったあった、新聞まだ捨ててなかったから今確認したんだけど、この名古屋マユミって子だろ?」


「ぼく、マユと付き合ってたよ」


「誰だよ、おまえ」


「そのリストが新聞に載ってしばらくしてからマユと連絡がとれなくなったんだ」


「電波が繋がらなくなっちゃったんじゃないの?あんたの頭ン中の」


「結婚したって聞いたよ」


「マユちゃんが?嘘でしょ」


「16で結婚かぁ。こどもできちゃったのかなぁ」


「ぼくマユとつきあってたけどそんな話知らないよ」


「自称彼氏うざい」


「マユちゃんの結婚相手だれ?」


「愛知県警の捜査一課の刑事だって」


「ぼく捜査一課の刑事だけどそんな話聞いてないよ」


「自称刑事うざい」



 次々と匿名の男たちがマユについて語っていく。ナンバーワンだとしか聞いていなかったからこれほど人気があるとは思いもよらなかった。


 ぼくは不登校者のリストの中から、名古屋マユミの名を探した。


 マユの顔写真と名前と彼女が籍をおいている学校名が書かれていた。






 リカは先日ぼくが殺したリカの友達のPHSを使って、まるで彼女が行方不明ではないかのように振る舞うことを忘れなかった。


 届いたメールはすべて返信して、迷惑メールはちゃんと彼女がしていたように処理し、かかってきた電話には彼女の声を真似て電話に出たりもしていた。話が盛り上がった相手にはかけることも忘れなかった。そうすることで姉のように捜索願いの出ていない遺体を作り出しているのだ。


 まるで彼女にとりつかれているかのように、声色だけでなく癖まで正確に真似て両親からの電話にさえ対処していた。


「おまえ、すごい特技もってんな」


 ぼくはリカにそんな特技があるなんて知らなかった。


「オレオレ詐欺とかできるんじゃないの?」


 リカは、今度してあげよっか、と言った。自宅の二階に長男が寝てたってだませると思うよ。こんなこと続けてたら何かとお金もいるし。


「ま、カスケード能力だけじゃないってことかな」


「なにが?」


「ヘブンセンシズ。ぼくたち人間が神に与えられた力だよ」


 リカはぼくの声色と癖を真似てそう言った。ぼくは神を信じてはいない。しかしぼくはカスケードを信じている。リカの能力もものまねの域を越えてしまっているようにも感じる。信じざるをえない。神を信じず、要やリカの能力を信じるぼくは矛盾しているのかもしれない。


「ぼくにもあるのかな」


「お兄ちゃんほど生首を作るのが上手な人はいないよ」


 と、いっこく堂のようにリカは演じたぼくと会話をした。


「カスケードみたいにリカの力やぼくの力にも名前があるの?」


「ブロードキャスト、タックイン、ボルサリーノ、オレンジ、けんだま。好きなの選んでいいよ」


「それ全部、名古屋吉本の芸人じゃんか」


 ぬるいツッコミをぼくが入れる。


「名前なんてつけたらマンガみたいでかっこわるいじゃん」


 それもそうだ。


 この数日、ぼくは妹が公衆電話から呼び出した姉や妹の友人たちを殺してあげていた。


 死体にしてから首を切断する。


 首のない死体とも生首ともぼくはしばらくしていない。


 リカがさせてくれていたからだ。


「したかったらいくらでもさせてあげるし、ギロチンも手伝ってあがるから、いつかパパを殺してね」


 リカは笑って死体の横でぼくにキスをした。






 名古屋マユミは名東区在住、高校に席を置いてはいるが入学直後から不登校になり、家出をしていた。


 捜索願いがでていなかったのは、マユから両親に定期的に電話があったからだ。


 家出に前後して風俗店に勤め始めたと思われる。


 半月前に風俗店をやめた直後に本当に愛知県警捜査一課の刑事と結婚していた。


 安田呉羽。以前コープに勤めていたことからコープ刑事と呼ばれているらしい。


 ぼくが殺した安田フミカの兄だ。


 安田の家はマユの家のすぐそばだが、結婚後はマユの家で暮らしているようだ。


 しかし安田はぼくの事件の合同捜査本部の捜査員であり、新婚だというのに妻の待つ家に帰れない日々が続いている。


 しかしマユはいつ要と出会い、軽カスケード障害になったのだろう。


 探せ、探せ。


 彼女が受験した高校のひとつに、要雅雪の勤める私立女子校の高等部があった。


 受験者は1356人。


 彼女たちは40数人ごとに教室をあてがわれて受験している。


 マユの受験番号は889。マユはその高校に落ちていた。


 マユだけでなく同じ教室で受験した861番から904番までのすべての受験生が落ちている。


 その中には滑り止めにその高校を受験した者もいたはずだ。


 こんなことがふつうありえるわけがなかった。


 それにマユを含めた43人の不合格者の中にはぼくが殺した富田柚子も含まれていた。


 要の仕業に違いない。


 たぶん受験の監督官か何かを引き受けさせられて、あまりに退屈だったから、暇つぶしに遊んだといったところだろう。困った人だ。


 だけどそれなら、あと42日間は昨日までのようにカスケードとは無縁の少女たちを殺さなくてもいいのだ。


 名古屋マユミはぼくにとてもよい情報を提供してくれた。まずは彼女から殺してあげよう。






 アイスクリームを舐めながら、妹がテレビを見ている。


 生きたまま少女の生首が切断される、という一連の事件は終わり、死後に首が切断された死体が捨てられるという模倣犯による連続殺人が始まった、というのが警察とマスコミの共通の見解だ。首のない体から被害者を特定するには一目でわかるような大きな特徴がないかぎりDNA鑑定以外にはない。


 捜索願いが出されている行方不明者たちの家族のDNAと比較して可能性を模索しなければならず、捜索願いが出されていなければ特定しようもない。


 首のない死体のひとつが今日被害者特定され、現在父親による記者会見が行われている。


 リカが連れてきた足の悪い友達の父親だ。


 足の甲で歩いているように見える歩き方をしていた。


 靴を脱がせると足の指があさっての方向を向いていた。


 リカの友達はミカコと言った。


「ミカコちゃんはどんな子だったの?」


 なぜリカはぼくにミカコを殺させたのか、ぼくにはどうしてもわからなかった。


 障害について論じるつもりはさらさらないけれど、リカはミカコよりはるかにかわいし、自分がかわいいことも知っている。


 人は大儀なく、自分より劣る者を殺したいと思うことがあるのだろうか。


 ぼくと同じ理由で、テレビではありふれてしまっている殺人をただ体験してみたかっただけなのだろうか。


「別に。普通かな。ミカコちゃんのことあんまりしらないんだ」


 あのときピッチで連絡とれたのはミカコちゃんだけだったからお兄ちゃんに紹介しただけ、とリカは言った。


 そしてぼくは妹が連れてきたミカコをためらうことすらなく殺したのだ。


 テレビではミカコの父親が泣いていた。


「ミカコを返してください」


 リカがアイスクリームをぼくに一口くれた。


「やーだよ」






 妹はミカコの葬式に、ぼくは名古屋マユミを殺しに出かけた。

 と書くと、なんだか昔話みたいだけど、ぼくはリカの悪女ぶりに呆れてしまった。


 ミカコをぼくに殺させておいて葬式では涙を流すのだろう。


 リカは今朝ビデオのタイマー録画をしていた。


 たぶんニュースやワイドショーでミカコの葬儀は報じられるだろうから、テレビに映るかもしれないし、インタビューを受けるかもしれない。


 ビデオに録っておいたら14歳の夏の思い出になるかもしれないじゃない、とリカは言ったのだ。


 ぼくは地下鉄に乗り、終点の藤が丘駅で降りて名古屋マユミの家を訪ねていた。


 名古屋の家はとても近く、徒歩で五分とかからなかった。


 サザエさんの家のように、名古屋と真新しい安田の表札が並んでいた。


 近所に取り壊されている家がある。


 名古屋の家にマユと安田は暮らしているし、安田にはもう身よりがない。


 妹はぼくが殺したし、安田の最初の妻とこどもはその妹によって殺害されている。


 妹が気狂いになってしまってすぐ両親は心中している。


 取り壊されているのが安田の家なのかもしれない。


 ぼくは小一時間ほどマユの家の前で立ち尽くしていたかもしれない。


 インターフォンを押して家に押し入り、一家惨殺をすることになっても、マユを殺せればそれでいいと考えていたはずなのに、インターフォンを押すことができなかった。


 ニアデスハピネスでベッドに並んで座って話をしたとき、ぼくがマユに抱いた感情が恋だったのではないか、とふと気づいてしまったからだ。


 ぼくは翌日行おうと考えていた殺人を前に少女の体を見ておきたかっただけなのに、誰かと話がしたかっただけだと嘘をついた。


 マユはその嘘を真に受けてぼくに優しくしてくれた。頭を撫でてくれたし、抱きしめてもくれた。


 キスもしてくれた。


 本当はだめなんだけどエッチさせてあげてもいいよ、とさえマユはぼくに言い、ぼくはそのときまだ童貞で、マユの裸を隅々まで観察させてもらうという当初の目的を果たすと逃げるように金を払って店を出た。


 マユは裸のまま店の外にまでぼくを追いかけてきてくれると、また来てね、と笑った。


 ぼくはその笑顔に恋をしてしまった。


 忘れていたわけじゃない。


 マユに執着していたのは、ぼくがマユに恋していたからだ。


「あれー、ワタルくんじゃないのー?」


 突然声をかけられてぼくは驚いてしまった。そんな風に誰かから街中で声をかけられたことなどぼくにはあるはずもなかった。


 振り返るとマユと、背広を着て頬がこけて疲れた顔をした男がスーパーの袋をさげて立っていた。


 彼が安田だろうか。


 マユはぼくに手をふっている。


「やっぱりワタルくんだ。前にお店に来てくれた子だよね。マユ覚えてるよ」


 マユがぼくを覚えていてくれた。


 それだけでぼくは涙が溢れそうになる。


「ごめんね、いきなりお店やめちゃったりして」


「マユの住所をどうやって調べたかは知らないが、悪いけどマユはもうあの店をやめて、俺の妻になったんだ。帰ってくれないか」


 安田呉羽はぼくを睨みながらそう言った。


「違うの、呉羽。ワタルくんはお友達がいなくてマユとおしゃべりしにきてくれた子なんだ。だからワタルくんとマユはお友達なの。今日もマユとおしゃべりしにきてくれたんだよね?」


 ぼくは何度もうなづいた。


 またマユに嘘をついてしまった。


 マユは両手にさげた袋を高く掲げて、


「じゃじゃーん、今日はマユがはじめて料理を作る日なのだ。ワタルくんも食べていくのだ」


 と、そう言った。


 安田呉羽が露骨にいやそうな顔をした。


 ぼくはマユに手を引かれて名古屋の家に連れられてしまった。



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