第4章 カスケード・リターン
俺とマユが結婚したことを、ゲロは知らない。
マユは俺たちがはじめて寝た三日前に、店をやめ、携帯電話の番号とメールアドレスを変えた。俺がそうさせたわけではなく、マユが自分でそうした。
「ゲロくんは七つ年上だったけど、男の子って二十歳すぎても全然ガキだよね。
マユは男の人はやっぱり一回り以上年上じゃなきゃだめみたい。初恋の人が呉羽だったからかな」
今日、名古屋さんに挨拶に行った。十余年ぶりに会った名古屋さんは随分老けてしまっていた。高校に入学してすぐ不登校になり、家出して三ヶ月以上帰っていなかったというマユが俺を連れて帰ってきたことに随分驚いたようだった。
「マユちゃんと結婚させてください」
挨拶もそこそこにそう言うと、名古屋さんは腰を抜かした。
「呉羽くんみたい男と結婚しなさいとマユを育ててきたが、まさか呉羽くん本人を連れてくるとは思わなかったよ」
妹も妻もこどもも守れなかった情けない男のどこを名古屋さんがそんなにかってくれているのか、俺にはわからない。
「いや、しかし、呉羽くんなら安心だ。マユはわがままだけどいい子だから、大事にしてやってくれ」
奥さんも久しぶりの再会と俺たちの結婚を喜んでくれて、料理の腕をふるい俺を少し遅い夕食に誘ってくれた。
「マユとはもうしたの? できちゃったわけじゃないんでしょう?
呉羽くんだったらそれでもわたしは全然構わないんだけどね。
今夜は是非うちに泊まっていって。早く孫の顔を見せてね」
そう囁かれてしまった。
いかにも中高生の女の子らしいマユの部屋で、マユに誘われて俺は彼女を抱いた。
俺の手をぎゅっと握って眠るマユに、
「有給をとるから、明日から何日か新婚旅行に行こう」
そう言ったが、よだれを垂らして微かに寝息を立てて気持ちよさそうに眠る彼女には、聞こえるはずもなかった。
その寝顔は、昔から変わっていなかった。
目を覚ました俺は、まだ眠っているマユの体を求めた。
マユは寝たまま、はじめはいやがり、そして喘ぎはじめ、目を覚ますことなく果てた。
寝ているせいか感じているくせにほとんど濡れておらず、その摩擦が俺にはじめての快感を与えてくれた。
繋がったまま、俺の精液で滑りやすくなったマユの体をもう一度俺が求め始めたとき、
「だーめだよ、レイプごっこは1日1回まで」
と言って笑った。
「起きてたのか」
「うん、ちょっと痛かったから」
「ごめんな」
「ううん、マユはMだから、すごくどきどきしたよ」
マユは優しい。
「おいで、呉羽。おっぱい吸わせてあげる」
もちろん母乳などは出ないが、俺は喉を鳴らして飲んだ。
頭を優しくなでてくれる。こんなことが前にもあった。
「十年以上前にも、こういうことしたね。
マユは早くママになりたくて、おままごとをするときはいつもママの役。
呉羽に赤ちゃんの役をしてもらったことがあったよね」
マユは懐かしそうにそう言った。
覚えているとは思わなかった。
「呉羽はどうしてマユがいるのに他の女の人と結婚したの?
マユは知ってたよ。呉羽にはいつかマユと結婚するんだって」
大学をやめたばかりの頃、この街に帰ってきた俺はマユと毎日のように遊んだ。
俺は4歳のマユとそんな遊びをしながら、興奮している自分にたまらなく嫌悪感を覚えていた。
だから、名古屋さんに、いや今はもうお義父さんだ、就職を世話してもらった後で、幼女に性的興奮を覚えてしまう自分をおさえつけるために恋愛をし、こどもを作り、結婚した。
俺は妹を愛してはいても妻を愛してなどいなかった。
「あの頃のぼくはきみを忘れようと必死だったんだ」
「ばかな呉羽。マユはずっと呉羽が好きだったのに。
マユは呉羽を忘れたくて風俗で働いたり、ゲロくんとつきあったんじゃないよ。
マユは呉羽が浮気したから浮気しかえしただけだもん」
俺は気がつくとまた腰を動かし、マユの子宮を突いていた。
俺たちは昼過ぎに、熱海に着いた。小さな温泉旅館でささやかな二泊三日の新婚旅行。
マユさえいれば、もう他には何もいらなかった。
俺は携帯の電源を切っていた。
16歳の幼妻と新婚旅行だなどとはもちろん誰にも知らせてなどいなかったし、たとえ知らせていたとしても無遠慮に同僚たちは俺に捜査の状況を伝えたがるだろう。
あんな小さな街の、気狂いが起こした事件で、新婚旅行を邪魔されたくはなかった。
俺たちはセックスをしては露天風呂に入り、岩の上でもし、部屋に戻ってはまたして、また露天風呂に入り、岩の上でした。
旅館のテレビをつけたのは、マユがアダルトビデオを見たがったときだけだった。
布団を敷きにやってきた仲居が、不思議そうな顔で俺とマユの顔を見比べた。
一回り以上年の離れた男女は、援助交際と思われたのだろう。
親子だとはまず思わないだろうし、夫婦だと思われることもないだろう。
「今の人、不思議そうな顔をしてたね。
やっぱり18個も年が離れてるとあんな目で見られちゃうんだね」
悲しそうにそう言ったかと思うと、
「ねぇ、もう一回して。ビデオ観たら濡れちゃったの」
俺の腕を掴み、布団の上まで引っ張っていくのだった。
「マユは早く、呉羽のこどもが産みたいな。
マユは呉羽とおままごとしてたあの頃からずーっと、ママになりたかったの。
呉羽のお嫁さんになる夢はもう叶ったら、今度はママになるの。
ねぇ呉羽、男の子と女の子、どっちがいい?」
女の子、とこたえるとマユは頬を膨らませて、唇を尖らせて、ぶーっと言った。
「呉羽は絶対、マユよりヒナコちゃんがかわいくなるからだめ」
女の子だったらヒナコ、男の子だったらルリヲ、と決めているのだと嬉しそうにマユは言った。何かのアニメのキャラクターみたいな名前だ。
愛知にはもう帰りたくなかった。
妹を狂わせたカスケード使いに対する憎悪だけが、俺を今回のカスケード犯罪に駆り立てていたが、それも今はどうでもいいことだった。
しかし帰らないわけにはいかない。
マユがひとりっ子であり、俺の両親は妹が発狂した直後に心中自殺してしまっていたため、俺は苗字こそそのままだが、婿養子のようなものらしい。
俺はマユを名古屋の家に送り届けた後、その足で愛知県警に向かった。
俺が帰る家は今日からあの家だ。
丸二日ぶりに電源を入れた携帯にはゲロからの着信や留守番電話は入ってはいなかったが、大量のメールが送られていた。
そんなものを読むのは面倒で、俺はゲロに電話をし、今から県警に行く、とだけ言って切った。
一通だけメールを読むと、マユと連絡がとれなくなった、と書かれていて、ゲロはマユが一連の事件に巻き込まれてしまったのではないかと考えているようだった。
キャリアならキャリアらしく自分の推理に自信を持ってどっしり構えていればいいのに、と思う。
二週間前もうこれ以上犠牲者が出ることはないと言ったのはゲロだ。
県警の前でゲロは俺を待っていた。
世話しなく辺りをきょろきょろと見回し、せわしなく歩き回っていたゲロは、俺のバイクを見つけた途端、当たり屋のように飛び込んできたので、俺はあわててブレーキを踏んだ。
「あぶねぇなぁ、何だよ」
「昨日今日とまた2人の被害者が……」
「何区だ」
「それが以前のように、生首がごみ捨て場に置かれてたわけじゃないんです」
「じゃあ、その犯人は別の気狂いだよ」
「名古屋大学付属病院と八十三病院の精神病棟で、入院患者の生首が切断されて持ち去られていたんです」
「リストカットのゴスロリちゃんか」
「はい、ひとりは名大病院に入院していたツチノショウコ。
4番目の被害者小島藍里の双子の妹です。
苗字が違うのは、両親が離婚しているためです。
そして今日殺害されたもうひとりは」
八十三病院は、俺の妹が入院している病院だ。
「安田フミカさん」
俺はその名前を聞いて安堵した。
「コープさんの妹さんです」
これでもうあのときのように、妻やこどもが妹に殺されることはない。
だから俺は安堵していた。
最低の兄だ。
ゆうべは名古屋の家に帰らなかった。
俺は一晩中、霊安室で首のないフミカと過ごした。
なんでこんなことになっちまったんだろうなぁ、と話しかけても、返事はもちろんない。
なんであの日おまえは東京に遊びにきたんだ、なんで俺の妻とこどもを殺したりしたんだよ。
妹が返事をできないのは、死んでしまったからというわけじゃなかった。
なんで俺はおまえが殺されちまったってのにほっとしてんだろうなぁ。
白い布をかける首がなかったからだ。
脱いだ背広に入れたままだった携帯電話の着信履歴にマユから28回着信があったことを伝えていた。
警視庁科学捜査研究所カスケード・リターン班(以下CRT)は極秘裏に設立されたにも関わらず、カスケード犯罪を取り扱ったミステリー小説には必ず登場している。
カスケード犯罪なんて現実にはそうあるものではないからCRTが活躍することなんて何年かに一度あるかどうかだが、ミステリーの世界ではどちらも常識だった。
現実のCRTの出動がテレビで報じられることはなかったが、インターネットにはパトカーに似せて改造した愛車に乗る警官のコスプレをした警察マニアの男がそんな愛車の観るに耐えない写真やらどこで調べてきたのか一般人には知りえない情報を垂れ流してくれている。
CRTの出動を彼らは専用車両の写真と共に不特定多数に発信していた。
つまり、警察関係者でなくとも、CRTの出動とカスケード使いの逆探知の失敗を知り、対抗策を考えることは可能だ。
それが生首を切断して持ち去るという新たにはじまった事件なのだろう。
生首を遺棄しようが持ち去ろうが、少女ギロチン連続殺人にかわりはないが、一度は終えたはずの連続殺人をもう一度開始し、しかしあれだけ固執していた生首の遺棄を諦めたということは、犯人が焦りを感じている証拠だ。
今日もひとり殺された。犯人は見舞い客のふりをして、病室を訪ね、数分もしないうちに生首を切断して持ち去っている。
一日に一人ずつ殺すというスタイルだけは変えていない。
このままでは逮捕されると焦りながらも、しかし自分が逮捕されるわけがないとたかをくくっているのだ。
霊安室を出ると、ゲロが俺を待っていた。
「戸田」
と俺は久しぶりにゲロの名を呼んだ。戸田ナツ夫というのがゲロの名だ。
ゲロは驚いたように顔をあげて、うれしそうに笑った。
「名古屋市内の病院のすべての精神科の入院患者の中から、カスケード被害にあったために発病したと思われる少女だけをリストアップしてくれ」
「境界性人格障害の患者ですね」
「そうだ。境界性人格障害且つリストカットのゴスロリちゃんだ。名古屋市内に何人カスケード使いがいるかわからないが、全員見つけて取り調べてやる」
「監理官にカスケード・リターン班を呼んでもらいます」
歩きだしたゲロの背中に、
「戸田」
もう一度俺は声をかけた。
「おまえもフミカの死体を見たんだろう。またゲロ吐いたのか」
「吐かずにすみました」
「じゃあ、もうゲロは卒業だ。頼んだぜ、未来の警視総監さん」
「ぼくが偉くなったら絶対こき使ってやりますよ」
「ギロチン野郎は絶対捕まえるぞ。死刑台に送ってやる」
「死刑制度には反対なんですけどね、ぼくは。絶対捕まえるというところまでは賛成です」
俺と戸田は病院で別れた。
カスケードの被害にあったと思われる、境界性人格障害で入院しているリストカットのゴスロリちゃんのリストアップと保護、そしてカスケード・リターン班によるカスケード使いの逆探知の準備が整うのを待つ間、俺にはひとつやるべきことがあった。
それはもちろん、戸田ナツ夫(元ゲロ刑事)の新しいあだ名を考えることだ。
しかし愛知県警の騒がしい捜査一課でひとり机に向かって考えたところで、なかなかこれだというあだ名は見つからない。
仕事を早々に切り上げて、名古屋の家に帰り、マユを抱きながらふたりで考えた。
「ゲロよりひどいあだ名をつけるの?」
「どうかな。ゲロよりひどいあだ名なんてあるかな」
「おしっことかうんちとか、もっと汚いのはたくさんあるじゃない」
「そんなあだ名つけたら俺、ガキみたいじゃんか」
「ゲロってのも十分ガキっぽいよ」
「しょんべんくせーガキのくせによく言う」
「そのガキがもっとしょんべんくせーガキだった頃からゾッコンだったのはどこの誰だよー」
「俺だな」
「ゲロくんの性癖だったら、マユ詳しいよ」
「やめておくれよ、そんな話。妬けちまうよ。そんなあだ名つけたら呼ぶたびにあいつのこと殺したくなっちまう」
「呉羽はマユのことが本当に好きなんだね」
「あぁ、好きだ」
俺がそう言うと、マユは激しく俺を求めてきた。
「マユも」
「ところであいつ、どんな性癖持ってんだ?」
あだ名のことなんてどうでもよくなってしまっていたが、聞かずにはいられなかった。
新たにリストアップされた15歳から29歳までのカスケードの被害者が64名、合同捜査本部の捜査員に保護された。
妹が28歳であったように、生首の持ち去りは少女だけにとどまってはいない。
はじめの生首の遺棄事件では18歳以上の女は見逃されていたに過ぎなかったようだ。
彼女たちにカスケード波を増幅するためのなんだか宗教じみたヘッドギアを装着させて名古屋市各区に4名ずつ配置する。
同様に16に分かれたカスケード・リターン班が、午前10時、カスケード使いの逆探知をはじめた。彼らのCRW(シーアールダブルユー)という携帯電話ほどの大きさの機械で逆探知したカスケード波の情報はすべて、映像として捜査本部に用意したパソコンに送られ、映像を繋いだスクリーンに今表示されている名古屋市の地図上に、赤い直線で描き出される。
名古屋市内に何人カスケード使いが潜んでいるかはわからないが、64の直線のうちの二本でも交差する場所がカスケード使いの現在位置だ。
最低でも五人はいるだろうというのが、捜査本部の共通の見解だった。
逆探知には時間がかかる。
「なぁ戸田、最初の連続殺人で生首を切断されて遺棄された少女たちの体は、なんで見つからないんだろうな」
俺はゲロにそう言った。
首のない遺体もどこかに遺棄されている可能性を捜査本部はいまだ捨てておらず、捜査員の一部はこの一ヶ月必死の捜索を続けていたが、いまだ見つかってはいなかった。
「首のない遺体をいつまでも大事にとっておくわけがないとは思わないか」
「さぁ、マグロ女が好きな奴なんじゃないですか」
「死体とやってるってか。首なし死体は少しマグロすぎやしないか」
ゲロと、俺たちの話に聞き耳を立てていたキャリアが笑った。頭のいい奴は不謹慎な奴が多い。
監理官だけが、真摯なまなざしでスクリーンを見つめていた。
64本の直線が浮かびあがる。
ここにいる誰もが目の前にある事実を、受け入れることができなかった。
交点はひとつだけだった。
「え、これって……」
ゲロが間の抜けた声で、そう言った。
64本の直線は要雅雪の家で交わっていた。
一人目の犠牲者だった大塚愛子の教師であり元恋人であったことから、捜査本部が最初に容疑者だと睨んだが、すぐに違うと判断を下した男だった。
俺とゲロは向かいの藤堂という家の中二階で、十日間も張り込みしたが、しかし結局要の顔を拝むこともできなかった。
要の張り込みは物の怪が呼んだ探偵が続けているはずだ。
「爺さん」
俺たちと捜査本部にいた物の怪の腕を俺は掴んだ。
「やっぱり要が犯人だったんだ。要はカスケード使いだったんだ。
なぁ、爺さん、硲とかいうあの探偵からは何の連絡もないのかよ」
物の怪の顔は青ざめていた。
「それが昨日から電話が繋がらないんだ。助手のサトシ少年にも繋がらない。
今朝差し入れを持っていったんだが、ふたりともいなかった。
買い物にでも出かけているのではないかと思ったが、まさか……」
「殺されてるな、ふたりとも。恐らく張り込みに気づかれたか、無謀にも侵入を試みたといったところだろう」
監理官が口を挟む。俺はその胸ぐらを掴んだ。しかしその背広で携帯が鳴った。
奴は俺を鼻で笑って、電話に出た。
「あれ? ねぇ、コープさん、なんかカスケード波が何本か少なくなってませんか? ぼくの気のせいかな」
ゲロがスクリーンを指さして俺に言う。
その横で監理官の顔が青ざめていた。
「あれ、どうかしたんですか? 父さん」
「××区に配置した四人の少女がたった今殺されたらしい。
CRTが今、逃げた犯人を追跡している」
どういうことだ? 複数犯なのか?
それともこの事件はそもそもカスケード犯罪ではなかったのか?」
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