第2章 2854人の不登校

 物の怪が信頼を寄せる探偵は硲(はざま)といった。


 硲は少年時代に自転車の窃盗で物の怪に補導され、青年時代に霊の存在を確信し何故か大学をやめて探偵となり、ふたりは十四年周期に同じ名前同じ顔の14歳の少女が誘拐されているという狂人の妄想以外の何物でもない事件(そのものが存在していない)に関わった折りに再会したのだと聞いていた。


 それ以来親友なのだという。


 硲はただの探偵ではなく、心霊探偵を名乗るいかがわしい男だが、物の怪の孫娘が誘拐された数年前の事件で、捜査からはずされた物の怪が辞表を上司に叩きつけ(封筒だけで中身は入っていなかった)、刑事ではなく祖父として捜査を行いはじめたとき捜査協力を依頼したのがその硲だった。


 心霊探偵といっても口寄せができるわけでもなく、ダウジングを使うわけでもない。


 彼曰く、彼には霊が見え会話こそ出来ないが霊たちは物の怪と彼を孫娘が監禁された家まで導いたのだという。


 物の怪は尊敬に値する優秀な刑事だが、彼の親友である硲の存在が、俺には疑問でならなかった。

 それは俺が無信教者だからなのかもしれない。


 神の存在や来世を信じる人たちにとって霊や超能力の存在は当たり前のものだ。


 硲の手にかかれば、どんな事件も謎は生きた人間の心の中にしかなく、俺たちが警察官が司法解剖や鑑識からしら聞くことのできない死者の声を簡単に聞くことができる。


 検死も鑑識も硲が導きだした答えを証明するものでしかなかった。


 硲にとってあらゆる犯罪はドラマはあるがミステリーの存在しない事件になってしまう。


 シナリオ分岐のないアドベンチャーゲームのような。


 俺はまた数年前のように硲の答案を採点をしなければならないのだ。


 だから俺は、硲のことが嫌いだった。


 硲は昨日から藤堂の家の中二階に張り込んでいる。






 13人目の犠牲者が今朝発見された。


 名古屋市内にあるすべての小中高等学校の不登校の女子生徒たちをリストアップするのには、行方不明となる前に保護しこれ以上犠牲者を増やさないという目的がもちろんある。


 捜索願いがすでに出されている少女の中に不登校児は残り四名、彼女たちのことは他の捜査員が全力で捜索しているが、俺には諦める他ない。


 リストアップに奔走する横で次々と犠牲者は増えていく。


 それにリストアップは簡単な作業ではなかった。


 何しろ名古屋市各区の市立学校だけで百五十校以上はざらにあるのだ。


 それに私立を加えれば三百に近い。


 俺と物の怪さんが(この際ゲロは戦力に数えない)仮に三日間でリストアップを終えるとした場合、一日あたりひとり50校のノルマになる。


 学校に電話で問い合わせたところで、


「うちには不登校の女子生徒はいませんねぇ」


 多くはいじめが原因なのだろう不登校の生徒の名前を簡単に教えてくれるわけはない。


 学校関係者はせっかくもみ消したいじめ問題を明るみにされることを怖れている。


 不登校の生徒の命よりも校長の首ひとつの方が教師たちにとってははるかに価値が高い。


 不登校の生徒をひとりも残さずリストアップするには、一校一校足を運ぶしかなかった。


 しかしそれでは一日50校はとてもこなせない。


 昨日俺たちにできたことはフリースクールに問い合わせ、126名分のリストを作ることだけだった。


 学校に顔がある程度きくだろう各区警察署の少年課に応援要請する他なかったが、それでも一日で済むわけがなかった。


 二日がすぎて、リストアップはまだ百校分にも満たない。


 しかし八百名以上の不登校が確認されていた。


「名古屋市の不登校の生徒は、おそらく五千人以上はいますよ。女子だけでも最低二千はいるはずです」


 パソコンに少女たちの情報を打ち込みながらゲロが言った。






「コープさん、ぼくね、この事件はカスケード犯罪だと思うんですよ」


 ゲロはリストアップ作業を続けながらそう言った。


「カスケード犯罪」とは1986年11月にはじめて確認された、俺にはまるで理解できないのだが、「カスケード」と呼ばれる能力を有する人間がごく稀に存在し、その力が悪用された犯罪のことをいう。


 カスケードについてはそのうち誰かが詳しく語ってくれるだろう。



 愛知県警捜査一課にある俺のデスクで、俺はゲロのゲームボーイで遊んでいた。


 スーパーマリオだ。


 ゲームボーイ版のマリオはピーチ姫ではなくデイジー姫を助ける。


 ゲロのように気の多い男だ。


 俺とゲロのデスクは隣合わせに並んでいる。


「気になるだろう?」


「コープさんもこの事件はカスケード犯罪だと?」


「違うよバーカ。隣でピコピコと音出してゲームされると腹が立つだろって聞いてんだよ」


「いやぁ、別に」


「電車の中でポケモンやってるガキとか携帯のキープッシュ音消さずにメール打ってる女子高生とか殺したくならねーのかよ?」


「なりませんよ」


 わざと音を出してゲームをしているのが馬鹿らしくなった。


 顔をあげると、捜査一課の同僚たちが冷ややかな目で俺を睨みつけていて、なんだか腹立たしくて俺はまたゲームボーイを床に叩きつけた。


 すぐにゲロが俺にゲームギアを差し出す。

 ソニックザヘッジホッグ。


「もうひとつ、この事件は、明後日の朝に発見される生首がたぶん最後です。このリストは間に合いませんよ」


 ひょっとしたらこの男が犯人なんじゃないか、と俺は思った。






 ゲロの推理はこうだ。


 今朝新たに発見された15人目の犠牲者を含めて、これまでに殺された少女たちの住所を並べると、


 中区、中村区、熱田区、北区、港区、緑区、守山区、名東区、南区、中川区、千種区、昭和区、東区、西区、北区


 であり、また遺体発見場所を並べると、


 緑区、天白区、守山区、名東区、熱田区、天白区、昭和区、港区、中区、千種区、中村区、瑞穂区、南区、東区、中川区


 である。このことからわかることは、


 第一に、住所と遺体発見場所が一致しているものはいないということ。


 第二に、被害者の少女たちの中には同じ区に住む者はいないこと。


 第三に、同じ区で発見された者はいないこと。



 そして名古屋市は16区に分かれており、犠牲者は今日が15人目。


「明日の朝発見される少女は、瑞穂区在住で、西区のどこかのごみ捨て場に捨てられます。

 おそらく……」


 ゲロは捜索願いが出されている不登校の少女たちの書類の束から、ひとりの少女を選ぶと俺に見せた。


「この子に間違いないと思いますよ。瑞穂区の行方不明の不登校の女の子はこの子だけです」


 吉本虹。17歳。


 あと数時間後には生きたまま首を切断され、明日の朝ゴミ袋に包まれて発見される少女がどこの誰であるかがわかりながら、しかしどうしてやることも俺には出来ない。


「おまえの推理は全部偶然じゃねーのか」


 明日誰が犠牲者になるかわからない方が、救いがあることもこの世界にはある。


「そうかもしれません。ですが仮にアトランダムに犯行が行われているとして、本事件のように各区からひとりずつ、それぞれ別の区に遺棄される確率は、


   16!

 ――――――

 16の16乗


 です」



「いまいちよくわからねぇんだが、犯人は数学博士ってことか? いや、待て、おまえが数学博士なのか? ギロチンマンはおまえか、このやろう」


「ココココープさん落ち着いてくださいよ、これくらい高校生ならみんな解けますよ。

 それに、各区からひとりずつ犠牲者を選び、それぞれ別の区に遺棄しようと考えること自体に数学的な知識は入りませんよ」


 ゲロの話など聞いてはいなかった。携帯に内蔵されている電卓機能を呼び出し、数字を打ち込んでいた。

 あぁ、桁が足りない。


「まぁ、強いて言うなら、犯人は儀式じみたことが好きな、マメな奴だっていうことです」


「なぁ、さっきの確率、わかりやすくするとどれくらいなんだ? 高いのか? 低いのか?」


「文系のぼくに聞かないでくださいよ」




 ゲロが不登校で行方不明になった少女たちのリストアップを終えた午前五時半過ぎ、


「昭和区から入電、昭和区榎戸町のゴミ捨て場に少女の生首らしきものが詰め込まれたゴミ袋が捨てられているのを発見。捜査一課はただちに出動してください」


 少年ジャンプを枕にして仮眠をとっていた俺はその放送に叩き起こされた。


 夢の中でいちごパンツの女の子たちに囲まれた高校生活が送れるかと思ったが、出てきたのは彼女たちの生首だった。


 ゲロは自分の耳を疑い、目をきょろきょろさせながら、落ち着かない様子で、「昭和区?」と疑問を口にした。唇が震えて、声は裏がえっていた。「まさか、いや、そんなはずは……」


「瑞穂区じゃなくてよかったじゃねーか。そのリストが無駄にならなくてよ。すぐに役に立つぜ」


 明日も生首地獄は続くぅ、口にしたフレーズがあまりに気持ちがよかったので、俺は即興の鼻歌を作った。今日も昨日も生首地獄ぅ、週休二日の毎日も、あぁ生首地獄ぅ、


「コープさん、なんなんですか、その歌」


「もう16人も哀れな少女が殺されたのさ、犯人は昔猫を殺して遊んだ数学博士、おまえに方程式の解き方を伝授してやろう」


「台詞があるんですか? 何度も言いますけど犯人は数学博士なんかじゃないですよ」


 少女ギロチン、生首地獄、少女ギロチン、生首地獄、ナ、マ、ク、ビ、ギ、ロ、チ、ン、コ、ノ、ヨ、ハ、ジ、ゴ、ク、ナ、マ、ク、ビ、ギ、ロ、チ、ン、ア、ノ、ヨ、イ、ケ、ヨ、ギャー!


 フォークソングのはずの歌は、気がつくとパンクになってしまった。


 昭和区の遺体発見現場へ、ゲロの運転で俺たちは向かった。俺は車を運転できない。パンダカラーで愛らしいパトカーの中で、俺は8番まで歌い続けた。


 現場にはすでに物の怪の爺さんと鑑識がいて、なんと生首の入ったゴミ袋を蹴り回していた。


 見つかった生首はマネキンだったのだという。


 ヘーイ、パス、ヘーイ、パス、皆不眠不休の捜査でタガが外れてしまっていた。


「よぉ、コープ、見ろよこれ、マネキンの首は血のりだらけで、マネキンにもゴミ袋にもべったり指紋がついてやがった。どうせバカなガキの仕業だ」


 16人目の犠牲者吉本虹はそれから二時間後瑞穂区で発見された。




 そして今日、17人目の少女の頭部は発見されなかった。




 今日から三日間、合同捜査本部は俺たちが提出したリストに名が連ねられた名古屋市内の不登校の少女を市民会館に集め、講習会を開くことを決めた。


 初日である今日、午前、午後、夜と三度行われた「名古屋連続不登校女生徒誘拐殺人事件(少女ギロチン連続殺人事件)危機管理講習会」に集まったのは、リストにある2854人のうちの246人とその保護者たち、そして32人のひきこもりの保護者だ。


 名古屋市で発行されている新聞各紙の一面広告に、今朝リストは公開されていた。


 殺されたくないそこの彼女、お父さんお母さんとなかよく遊びに来てね、と愛知県警のちっともかわいくないマスコットが喋っていて、呆然としてしまった俺はくわえていたたばこでやけどをしてしまった。


「父さんもまた無駄なことを考えたもんだなぁ」


 今朝からゲロは何度そう言ったかわからない。


 彼の持論では犯行はこれ以上くりかえされない。


 お隣の一宮市や日進市や豊田市でまたはじまる可能性を指摘したが、それはない、と断言されてしまった。


「どんな気狂いでも16人も殺したら普通飽きますよ」


 だから一万人殺したら人は英雄になれるわけか。


 市民会館の入り口で訪れた参加者の名前を聞きリストにチェックを入れるという受付業務を俺とゲロと物の怪は仰せつかっていた。


 俺はゲームボーイ、ゲロはゲームギア、物の怪はゲロに無理矢理手渡されたワンダースワンをやりながら片手間に仕事をした。

 それにしてもゲロはゲームボーイをいくつ持っているのだろう。


 物の怪はふたつある十字キーにとまどい、老眼鏡の奥に潜んだ鋭い目をきょろきょろさせている。


「いいんじゃねーの。容疑者の見当もまだ何にもついてないんだから、各区の警察署の捜査員の皆さんもがんばってもらえば、さ」


「困った人だなぁ、コープさん。キャリアみたいなこと言って。ぼくが偉くなったら絶対コープさんにたくさん仕事させますからね」


「うるせーよ、ゲロ野郎。おまえなんか張り込み全部押しつけてただろうが」


「ぼくはキャリアだからあんなことしなくたっていいんですよ」


 俺とゲロは今は同じ巡査部長だが、ゲロは数年後にやっと俺が警部補あたりになった頃には警視になっているだろう。


「ゲロくん」


 聞き覚えのある女の声に俺とゲロが顔をあげると、ブランドものの服やバックで武装した厚化粧の少女が立っていた。



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