第1章 容疑者、要雅雪

 丸三日満足に寝てはいなかった。


 名古屋市××区の高級住宅街、そこに建てられている3階建ての家宅の中二階の窓から、正面に見える男の家を俺は監視している。


 男の名前は、要雅雪。


 俺が今担当している連続殺人事件の最初の犠牲者となった大塚愛子という13歳の少女と半年前恋愛関係にあった私立女子中学の教師だ。


 愛子は今月半ばに行方不明となり、数日後に生きたまま首を切断され、燃えないゴミのゴミ袋に詰められて、区のゴミ捨て場に捨てられていたのを、市の職員が発見した。


 発見されたのは頭部だけで、体はいまだ見つかってはいない。


 愛子は要に遊ばれて、ゴミのように捨てられ、そして本当にゴミになってしまったのだ。


 要は事件の数日前(愛子の捜索願が両親によって出された日)から、無断欠勤を繰り返している上、校長の話では連絡がとれていない。


 要の家はインターフォンが壊れており、電話線は切れており、携帯電話会社に問い合わせたところ、数日前に解約されていた。


 要が最後に出勤した日は学校で姉妹校との交流行事があり、その日の夕方から姉妹校の生徒がひとり行方不明になっている。


 事件は、マスコミの報道で「少女ギロチン殺人事件」と呼ばれ、すでに五人の少女の切断された頭部が名古屋市内の異なる区のゴミ捨て場から発見されている。


 愛子を除いた残りの三人と要との関係は不明だし、姉妹校の生徒・桑元 痲依(くわもと まより)を要がはたして誘拐したのかどうかについても確証はもてないが、要は捜査線上に最初に上がったひとりだった。


 犠牲者は毎日ひとりずつ異なる区のゴミ捨て場から発見されている。


 五人目の犠牲者は日系三世のブラジル人の宮負パトリシアで、今朝発見された。

 10歳の女の子だった。


 おそらく明日の朝にはまたひとり犠牲者が出るだろう。桑元痲依は明日にも頭部だけの姿で発見されてしまうかもしれなかった。


 要は車庫に彼の外国製の車はあるが、丸三日外出をしていない。


 しかし、窓はすべて学校の視聴覚室に似たカーテンで完璧に光が遮断され、日が暮れた後も部屋の明かりが外に漏れることはなく、彼が在宅中であるかどうかさえもわからなかった。


 ひょっとしたら要は別の場所に潜伏しているのかもしれないし、いつも伏し目がちで職員室にいることも少なく同僚の教師たちから浮いていた上、愛子とのスキャンダルもあって生徒たちからも相手にされていなかった存在だった彼はただひきこもりをはじめてしまっただけなのかもしれないし、彼に家族はなかったから夜中に病気か何かで突然死しまっているのかもしれない。


 この三日間、不毛とも言える時間を俺は過ごしていた。


 だが、俺に与えられた仕事は要を監視することだ。


 俺の名前をあんたたちが知る必要はない。だけど、そうだな、コープと呼んでくれ。


 刑事になる前は生協コープで働いていたんだ。






 俺が今、要を監視するために潜伏しているこの家は、公務員とはいえサラリーマンの管理職程度の給料でしかない俺にはおそらく一生働いても買うことはできないだろう。


 空家だったわけではなく、この家に住む老夫婦に事情を説明し、十日間中二階の部屋を俺は借りていた。


 本来なら監視に適したアパートやマンションの空き部屋を借りるところなのだが、何せ高級住宅街である。


 一軒家ばかりが犯罪防止のために迷路のように入り組んで建てられており、こうせざるを得なかった。


 この家の家主は刑事ドラマの大ファンらしく快く了承してくれた上、邪魔をしてはいけないからと言って十日間の海外旅行に出かけてしまった。


 前々から行きたかったというダイアナさんの墓参りがてらヨーロッパを見て回る、と言っていた。

 生活のスケールが違う。


 ご主人はある大会社グループの会長で、各社の経営はこどもたちにまかせているのだそうだ。


 藤堂というその主人は、部屋を貸し捜査の邪魔もしないかわりにビデオカメラを設置させてくれと俺に言った。


 刑事ドラマでは若い婦警の差し入れなんかがあったり、そのすぐあとには張り込みは目的を達成してしまったりするが、現実の張り込みは我慢比べでしかなく見たってつまらないと俺は説明したが、だけどあの主人はそれが見たいと言ってきかなかった。


 だから俺は6時間に一度、ビデオテープを入れ替えて、なぜか張り込みをする俺自身を撮り続けていた。






 この部屋に張り込んでいるのは俺ひとりではなかった。


 俺は愛知県警捜査一課強行犯係の巡査部長だが、京都大学法学部を卒業して現役で国家一種試験を通り警察学校も優秀な成績で卒業した警視庁からの新人の指導係でもあった。


 4月から俺はその新人とコンビを組んでいる。


 カメラに映らない場所で、丸四日退屈そうに携帯電話をいじりまわしているその23歳の新人を俺はゲロと呼んでいる。


 研修が始まって三ヶ月がたとうとしているのにいまだに死体を見るたびに吐くからだ。

 そのくせ吐いたあとで、平気で牛丼を食べに行ったりする。


 ゲロは愛知県警に設置された合同捜査本部を仕切る監理官の息子で、メールの相手は警視総監の一人娘の大学生であり、将来は父親を超えて警視総監になるに違いないと噂されている。


 俺たち地方公務員を馬鹿にしていて、職務態度はひどいものだが、叱りつけるるわけにもいかなかった。


 叱りでもしようものならゲロはパパに言いつけて、監理官には頭が上がらない我が県警の所長はすぐに俺の首を切るに違いない。

 コープに逆戻りするのだけはごめんだ。


 ゲロは俺がビデオテープを交換するときだけ、口を開く。


「コープさん、こんな仕事よくやってられますね」


 七人目の被害者が今朝発見されたと、刑事課長からさっき電話があった。






 張り込みは七日目に突入した。


 中学生の戦争だったら今日にも終わるが、俺の戦争はまだ終わりそうにもない。


 七日間で消費した煙草は3カートン。


 1日あたり大体四箱で、普段の四倍は軽く吸っている。


 藤堂の家に灰皿はいくつもあったが、そのどれもが煙草のフィルターを山のように積んでいた。


 昼間は窓を開けていたが、夜になると網戸でも虫が部屋に侵入してくるため、閉めざるを得ない。


 夜が明ける頃には部屋の天井は煙草の紫色の煙が充満して、霧がかかったように見えた。


 食事は一日に五食食べた。


 煙草も弁当も飲み物もゲロに買いに行かせたし、奢らせた。


 今朝、八人目の被害者が発見されたが、俺はまだ要雅雪の顔をまだ拝めてはいなかった。


 警視総監の娘とのメールに飽きたのか、ゲロはゲームボーイを取り出して遊びはじめている。


 ゲームを楽しんでいる者には心地よい音楽から知れないが、単音の単調なゲームミュージックを延々聴かされ続けていると、気が滅入った。


「お前、音消してゲームしろよ」


 と、注意すると、


「何言ってるんですか。音出してた方がおもしろいじゃないですか」


 と、聞く耳を持たない。


 目に見えるものは目を瞑れば回避できる。

 においも、味も、鼻をつまめば回避できる。


 だけど音だけはどれだけ耳を塞いでも逃れることはできない。

 音は耳を塞いだ指のわずかな隙間から、確実に侵入してくる。


 ゲロはあまりゲームがうまい方ではないらしく、同じステージで何度も失敗し、なかなか次に進めないでいる。

 同じ音楽が途中で切断されて、すぐにまたはじめから始まる。


 気が狂いそうになる。


 俺はついにはゲロからゲームボーイを奪い、床に叩きつけた。


 するとゲロは今度はゲームギアを取り出すのだった。






 時間の経過を極端に遅く感じさせる沈黙を破ったゲロの携帯電話の着信音に一度は救われた気がした。


「マユちゃん、仕事中は電話をかけてきてはだめだって言ったでしょう」


 捜査に進展があったのかと、耳を澄まして損をした。


 女だ。マユ?

 警視総監の娘はそんな名だったろうか。


「だって、ゲロくん、張り込みでオジサンとふたりきりで暇だって言ってたじゃない」


 耳を澄ます必要などなく、頭の悪そうな女の大声が受話器から漏れていた。誰がオジサンだ。


「怒られちゃうからさ、な、切るよ、切ってもいいだろ? っていうか、ゲロって呼ぶなよ」


「やだやだやだ、マユはゲロくんって呼びたいんだもん。ゲロくんとお話したいんだもん」


 警視総監の娘は確か、帰国子女だという話だった。


 警視総監になられたばかりの頃に、ある宗教団体の支部の一斉捜査を行う計画をいよいよ実行に移そうという日の朝、信者たちによって誘拐されかけたことがあり、二度とそういうことのないように、海外留学をしていた。

 ハイスクールを卒業後、日本に帰ってきて大学に進学している。


 帰国子女は皆頭が良いとは一概には言えないのだろう。


「コープさん、すみません。ちょっと外に出てきます」


 俺は小指を立てて、コレか? と訊いた。


「あ、いえ、風俗の子です」


「あー、またマユのこと風俗の子だって紹介したー。確かにー出会いはお店だったけどー、彼女でしょー、マユはゲロくんの彼女でしょー」


「だからゲロって呼ぶなって」


 ゲロは携帯を耳から放し、マイク部分を手で覆う。


「今度からお金取るぞ、こらー」


 マユの声が聞こえる。


「ここだけの話、警視総監の娘さん、不感症なんです。すぐ戻ってきますから、すみません」


 ゲロはそう言って、部屋を出て行った。


 戻ってきたのは5時間後だった。ゲロは妙にすっきりした顔をしていた。






 今朝も新たな犠牲者が発見されて、これまでに頭部だけの遺体となって発見された少女は10人にのぼった。


 藤堂の家のファックスを借り、毎日犠牲になった少女たちの生前の写真と、遺体発見現場の写真が送られてくる。


 名前を挙げるなら、大塚愛子、藤本蜜柑、鈴木佳代、小島藍里、宮負パトリシア、富田柚子、山本里沙、佳苗萌子、山羊笛弓、榊白子。いずれも10歳から16歳の少女だ。


 まるで神に捧げられる供物のように、毎日ひとりずつ、少女が生きたまま首を切断されている。


 刑事なんていう仕事をしていると人の死には馴れてしまって、怒りも悲しみも生まれないようになってしまう。


 しかし何年かぶりに、心の底からこの連続殺人の犯人を憎く思っている俺がいる。


 久しぶりに、体に赤い血が通ったような、なんだか奇妙な感覚だった。


 できることなら、俺の手で犯人に手錠をかけたかった。


 だが俺はもう九日間、何の進展もない張り込みを続けているだけだ。


 俺は送られてきた写真を、床に並べた。


 不思議なことに生前の少女たちの顔はどれも無表情で、頭部だけになってしまった少女たちは幸せがあふれてこぼれてしまいそうな笑顔をしていた。


 想像してみてほしい。


 10個の笑う生首を。


 この事件の捜査員たちは皆、一生この笑顔を忘れることはないだろう。



 刑事になって十年になる。


 この十年間、数え切れない程の死体を見て、犯人を追い、そのうちの何人かは俺が手錠をかけた。

 しかし、こんな遺体も殺し方も俺は見たことも聞いたこともなかった。


 なぜきみたちは笑っているんだ?






 丸十日張り込み続けて、結局要の顔を拝むことすらできないまま、俺とゲロは上からの命令に従って捜査本部へと戻った。


 要が家にいるとすれば丸五日間外出していないからシロだが、別の場所に潜伏して犯行を行っている可能性も十分に考えられる、と報告を終えると、監理官は鼻で笑い、俺の報告はそれで終わった。


 キャリアたちから手駒のように扱われることには馴れていたが、さすがに今回ばかりは腹が立った。

 俺の横でゲロは笑っていた。


 斜め前の席に座る「物の怪」というあだ名の同僚の老刑事の報告では、仮に行方不明中の桑元痲依が要によって誘拐されたとしても、彼女は今朝八人目を数えた犠牲者たちに見られる共通点と一致しない、ということだった。


 犯人は切断した少女の生首を洗髪しゴミ袋に詰めゴミ捨て場に捨てる、という同じ犯行を繰り返しており、当然少女たちはランダムに選ばれるわけではなく共通点が存在するはずである。


 ではその少女たちの共通点とは?


「被害者の少女たちは皆、不登校児であります。

 行方不明になるくらいですからひきこもりはいませんが」


 キャリアたちはそこでどっと笑い、ゲロも笑った。


「フリースクールに通っている者は何人かいます」


 物の怪は、キャリアたちに露骨に嫌悪感を示す口調で、そう続けた。


「よし、では名古屋市内の学校すべての不登校児で行方不明になっている者のリストアップを急いでくれたまえ。

 それから、」


 監理官は俺とゲロの名を呼び、


「聞いての通り、学校行事の際中に行方不明になった桑元痲依はこの事件とは関係ないだろうということはわかったと思う。

 よって、要雅雪を捜査線上から外すし、桑元痲依がたとえ要に誘拐されていたとしても、君がこれ以上捜査することはない。

 ふたりは今後、物の怪さんとともに被害者になりうる少女のリストアップを急いでくれ」


 と、言った。


 物の怪は俺を振り返り、新人であった俺の指導係であった頃のように、首を小さく横に振った。


「こらえろ」


 その顔は俺にそう言っていた。


 どうせまたあの探偵に依頼する気なんだろう。

 物の怪の知り合いの探偵とは俺も古い付き合いだが、俺は好きではなかった。



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