シンデレラ、最後の夏 8

 兄貴の夏は、暑さを感じるどころか梅雨すら明けないうちに終わった。

 当時のサッカー部は9人。試合に出られるだけの部員数を獲得できず、総合体育大会は不参加が決まった。中学校の部活というのは、最後の夏の大会とともに引退が決まる。兄貴の代は、いや兄貴たちの1つ上の学年が引退を決めてから部活に打ち込んだ夏は、不完全燃焼のまま終わることが決まった。

 入部希望者なら小学校からやっているやつがいくらでもいるのにも関わらずこんな事態になってしまったのは、顧問の厳しすぎる指導にあったという。白熱化した部活指導から次第に部員たちが抜けてしまい、新入部員もほとんど別の部に移っては抜けるという状態だったという。

 兄貴はただサッカーとともに、中学3年間を駆け抜けたかった。

 人望のある兄貴がキャプテンになって手を尽くしても、状況は全く変わらなかった。

 兄貴のお下がりのスパイクをもらったとき、俺も小学校のサッカークラブに入っていたのもあって、俺は誓った。

 絶対に中学でもサッカー部に入って優勝するのだと。

 俺たちの代は恵まれていた。小学校のサッカークラブの経験者が大体入ってきたし、中学から始めたメンバーもそれなりに運動神経はよかった。エース級の小泉こいずみ坂巻さかまき、頭脳プレーのうまい美濃輪みのわ葦田あしだ、粘り強いキーパーの富沢とみざわなど、レギュラーには申し分ないメンバーがそろっていた。

 練習はきつかったが逆に先輩たちにもしごかれたおかげで強くなったのかもしれない。同じくらいしごかれた後輩たちもベンチメンバーを厚くするくらいの実力はついていたのだから。

 もしかしたら県大会突破も夢じゃないかもしれない、そう思っていた矢先。今年の5月のことだ。

 幽霊部員だった戸川と練習に来なくなった藤波が、校内で事件を起こしたのだという。

 サッカー部は再び大会出場が危うくなった。

 今年大会に出場できたのは、事情を知った兄貴の代のOBたちが学校に頼み込んだのだという。

 弟たちのせいで全体に処分が行くのは納得できない。ましてやサッカー部から離れていたんです。

 どうか、弟たちの最後の夏を奪わないでください――。

 戸川先輩、事件を起こした戸川拓郎たくろうのお兄さんをはじめとしてOBが学校に頼みに行ったらしい。校長室からそんな会話が聞こえてきたという噂もある。

 兄貴は頭を下げてまで頼み込んだ。

 そうまでして大会出場をもぎ取った久葉中サッカー部は、一回戦で敗れてしまった。

 1点もとれずに無様に敗北を喫した直後、何が起きたのかわからず放心状態にあった。試合後、学校へ戻ってきたことだけは確かだ。記憶は部室裏にくるまで飛んでいた。

 兄貴たちの青春は戻らない。なのに俺たちはそのための時間を地面にこすりつけさせ、無駄にしてしまった。

 何でだよ、何でだよっ。悔しい、腹の底から悔しい。自分で誓った夢が、兄貴たちが欲しくてたまらなかったものがつかみ取れない自分の無力さに腹が立った。あがいてあがいて手を伸ばせば届いたかもしれない、いやつかみ取らなければならなかったものをふいにしてしまった。時間はもう戻らない。永遠につかみ取る機会を失ってしまった。

 ひどく無力で恩返しどころか仇を返すことになってしまった自分たちに憤った。

 誰の目もはばかることなく1人わめいた。二度と、サッカーなどできまい。兄貴たちにも顔向けができない。

 持っていた自分のスパイクを地面にたたきつけたところで、記憶が止まっている。

 目の前の男は、俺の記憶をすべて鮮明に思い出させた。手にしているのは俺が地面にたたきつけたスパイクの片方。

 目の前にいるこの男こそ、サッカー部の大会出場を危うくさせ兄貴たちに頭を下げさせた張本人の1人、藤波大介だいすけだった。

「お前」

 次の言葉を継ぐ前に、藤波は頭を下げた。

「申し訳、ありませんでした」

 彼は体を小刻みに震わせて、俺の前に頭を下げた。彼が崩れ落ちたりしなければ、俺は速攻で彼を殴っていたかもしれない。仕方ないな、とその手を彼の背に回し、介抱を選んだ。

 熱気を帯びる体をさする。部長としてこういうこともあったな、としんみり思う。

「どうしたんだよ、それ」

 手に持っていたスパイクのことを聞くと、返事が返ってきた。

「部室裏に転がってたぞ。前に泣きはらして部室裏から出てきたお前のことを見かけたから、もしかして、と思って」

 俺はさするのをやめて彼に向き合った。

「お前のせいだよ」

 吐き捨てるように言うと、うつろがちながらも目を合わせてきた。

「お前のせいで、総体が出場できなくなるかもしれなくて、兄貴たちが頭下げて出させてくれたのにっ、一回戦でっ、まけて……」

 涙声が交じるのだから相当みっともない姿だったに違いない。しかし今の俺は、それが偽らざる気持ちだった。

 藤波は押し黙った。

「それは、もう俺にはいらないのに、お前のせいで、もう必要ないのに、もう捨てたのに、なのに、何で? 何でお前が、それを」

「拾ったから」

 藤波は目をそらして続けた。

「すぐにお前のだとわかったから。もう片方もあるんだったらと思って探したが、見つけられず、ごめん……」

 藤波の顔は地面に向けられていた。

 涙なんかこぼれているところを悟られぬよう、素早く瞬きを繰り返す。

 目つきが悪く高身長なせいで後輩には怖がられているようだが、根はいたって真面目なやつなのだ。そんな彼がなぜ事件を起こしたのか。

 彼もまた、怪我のせいで早すぎる夏の終わりを突きつけられたのだ。狂いだした歯車は、狂った歯車同士を引き寄せた。同級生ながら、俺は彼のことが見えていなかった。

「とどまってほしかった、お前には」

「ぐちゃぐちゃだったよ。あの時は。応援しようとか雑用を手伝おうとかこれっぽっちもなかった。スパイクどころかすね当てもソックスもTシャツどころかハーパンまで捨てるとこだった。体育でも使うってのに。

 サッカーどころか学校も勉強もどうでもよかったわ」

 残念ながら応援や後方支援に活路を見いだせなかったようだ。聞くに相当荒れたに違いない。

「高校でサッカーやらないつもりなのか。キャプテンだったのに」

 藤波はつぶやくように言う。

 今の自分に、サッカーを続ける資格があるだろうか。

「やらないよ」

「何でだよ」

 藤波が言う。

「お前に言われることじゃないだろ」

「でも、続けられるんだろ」

「られねえよ! 先輩たちに頭下げさせておいてこのザマだ。俺にサッカーやる資格なんかこれっぽっちもねえよ!」

「東海林先輩!」

 物陰から声が聞こえた。

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