シンデレラ、最後の夏 4
澄香はテニス部に手伝いに行ってからぽつんと取り残される形にはなってしまったが、そのうち帰ってくるだろう、と楽観的になっていた。
「おい」
声をかけられて立ち上がる。声の主と対面した。
短髪、よく日焼けした跡。運動部なのは間違いない体つき。
「
「お前らだろ、
サッカー部はそのせいで総体すら棄権になりかけたんだからな……!」
同情はする。だって本来出場予定だった選手たちは、ただただ連帯責任という名目で試合に出させてもらえなくなったかもしれないのだ。たったそれだけのことで、今まで頑張ってきた3年間が水の泡と化す。
「あのまま止められなかった方がまずい」
「お前サッカー部に入ってても同じこと言えんのかよ!」
宇山が胸ぐらを掴む。
「離せっ」
拳を振るって手をどけさせた。
「元気!」
そちらを振り返る。テニス部を手伝うといってわずか数分で、澄香が女子を連れて戻ってきた。澄香は立ち止まり、一歩一歩と後ずさる。
連れてきた女子生徒を握っている手とは逆の手に握られているものを凝視する。
「危ない!」
澄香が手を広げて飛び込んでくる。澄香を抱えるようにして地面に転がり込む。宇山の拳が飛んできていたのだ、と気づいた。
「てめえ!」
澄香が連れてきた女子が前に出る。
「澄香に傷1つでもつけたら容赦しねえからな!」
さすがの宇山も、盛大な舌打ちをしてどこかへ言ってしまった。
「まずい! 檜室が来てる! 起きて!」
澄香が連れてきた女子が言う。
辺りを見ると、みんな不気味なくらい下を向いていかにも真面目に草むしりしています、というポーズをとっている。こちらにはまだ気づいていないようだったが、遠くから檜室先生の怒鳴り声が聞こえてきた。
「とにかくこっち!」
言われるがままどこのかはわからないが部室の陰に隠れた。
澄香を抱えたままだと気づいて、思わず手を離す。乱暴になってしまったせいか、連れてこられた女子ににらまれた。
何だろう、熱気が冷めない。むしろ顔がほてったような。
澄香をちらりと見ると、同じく耳まで赤くなっている。
「だ、大丈夫?」
「へ、平気。元気は?」
コホン! と盛大な咳ばらいが聞こえ、2人とも押し黙った。
澄香が手に持っていたものが差し出される。ようやく澄香が話を始めた。
「これ、スパイク、だよね? 落ちてたの。藪の方に」
澄香からそれを受け取る。まじまじと観察してみると、澄香の見立て通りスパイクシューズに違いなかった。形状からして右足用。27だから男子の平均サイズだ。砂まみれだけれど手入れはされているようで、きちんと洗えばまだ使えそうだ。青を基調としたデザインで有名なスポーツブランドから発売されている代物だ。
「でもどうしたの? 俺に持ってきて」
「落ちてたのが裏藪なんだけど、ネット同士を固定するヒモをわざとほどいてある場所なの。テニス部がボールを拾いに行きやすいように。しかも今テニス部の人たちは無断で裏藪に入ってボール拾いをしてる。それで他の部の人に何人もの助っ人を頼んでたりするから、先生に見つかったらまずいの」
澄香の説明で、さっき俺も助っ人に加えようとしていた理由も合点がいった。
「しかも状況的にこれ、誰かが捨てたってことだよね……」
3人は押し黙った。人目のつかないところに砂まみれのスパイクシューズ。
誰かが悪意を持って捨てたんじゃないだろうか。考え出すと嫌な想像がふつふつと湧き上がる。振り切ろうと行動案を示す。
「まずはこれ、持ち主を探す。そして、そんなところに捨てたやつも探す」
「どうやって?」
声を発したのは澄香が連れてきた女子生徒だった。澄香は「遠野綾子。同じクラスでテニス部」と早口で最低限の説明を挟んだ。
「まさか全校生徒1人1人に聞き回るわけ?」
「さすがにその必要はないよ。とりあえずサッカー部に声をかければいい」
影が覆い被さる。冬樹先輩が帰ってきたのだ。
「これ、やっぱりサッカーのスパイクですよね」
「だと思うよ。そのブランドって、スパイクはサッカーと陸上用しか製造していないはず。それに野球の場合シューズにも規定があって、大会では黒しか着用できないし。他にこんなに突起がついている競技はうちの部にはないね」
澄香がそうなんですか、とうなずいた。遠野さんは何も言わなかったけれど、俺をにらむような目つきが若干和らいだ気がする。
「よく知ってますね」
「研究部やってるとね」
大会で使えないものを練習で使うと部員や顧問に注意されそうだし、第一試合用をわざわざ買う家庭もないだろう。つまりあのスパイクはサッカー用で、サッカーのためにわざわざスパイクを用意するのはサッカー部しかいないだろう、と断定できるわけだ。
「でも、誰がどんなスパイクを使っているかなんて知らないでしょ。私も誰がどんなテニスシューズ履いているかなんて知らないし。そうなるとサッカー部全員に聞かなきゃならないじゃない」
「綾子、この人は先輩だから」と澄香が遠野さんに耳打ちするのが聞こえた。面白いくらいに目をパチクリさせている。
「で、状況的に誰かに捨てられたってことになってるっぽいけど、違う可能性は考えなくていいのかい?」
「違う可能性?」
「うっかりその辺りに落とした。放置してたら野良犬に持って行かれた。ゴミとして捨てたけどゴミ袋を荒らされてカラスに運ばれた。
まあ持ち主を特定するのは必要だと思うけれど」
冬樹先輩が言い終わると、妙な沈黙が続いた。
「あの」
「ん?」
「先輩は、どう思いますか。研究部を1年以上やっている先輩から見て、サッカー部はどう見えますか」
サッカー部は、厳しい上下関係やハードな練習から、黒い噂の絶えない部だ。澄香も遠野さんも固唾をのんで返答を待っている。
「正直いじめに近いモノがあるっていうのは否定しない」
答えを聞いて、頭に何かを打ち付けられたような衝撃があった。
残念ながら、爽やかに見えるスポーツの世界にも、華やかと謳われる青春にも、影の部分は存在する。ただ、言葉になったことでまざまざと見せつけられたような気がして、すぐには受け止めきれなかったのだ。
「スパイクのもう片方は?」
冬樹先輩の質問に、澄香も遠野さんも知らない、という趣旨の答えを返した。2人がどのくらいよく探したのかはわからないけれど、見つからなかったということは近くにはないのだろうと思う。片方だけ持っているのか、あるいは別の場所にあるのか……。
「近くに落ちていなかったんだよね。となるともう片方はどこにあるんだろうね。片方だけ捨てるっていうのも不自然な気がするし。
ということでこの件については保留。
それより、篤志君と牧羽さんの姿が見えないんだけれど」
「それがわからないんです。ちょっと水を飲みに行った間に2人ともどこか行ってしまったみたいで」
「ちょっとってどのくらい?」
「水筒の麦茶を飲んで汗拭いただけで戻ってきたので、ほんの2,3分くらいです」
冬樹先輩は考え込んだ挙げ句、こう言った。
「俺は、2人の方を探しに行く。そっちは君たちに頼むよ」
それだけ言い残して、冬樹先輩はどこかへ行ってしまった。
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