シンデレラ、最後の夏 3

 陽炎も見えそうな炎天下の中、汗をかいた肌の感触が触れる。

「うんうん、もちろん行くから、綾子あやこ。それでさ、今、ちょっと、暑いから。ほら」

 人目をはばかることもなくぺったりと体を密着させてくるのは、私と同じクラスでソフトテニス部の遠野とおの綾子だ。抜いた草を捨ててきた帰り、たまたまばったり会ったのだ。

 綾子は少しだけ距離をとると、「ありがとう」と微笑む。

「飲み物とってきて、ついでに助っ人も呼んでこようと思って」

 綾子はぱっと目を輝かせたかと思うと、すぐにクールな表情に戻った。

 テニス部の手伝いを買って出たのは、テニス部の事情を聞いたからだった。

「テニス部の方を手伝ってくれない? 人数の割に持ち場が広くてね。

 ……勝手にこっちが持ち場を広げてるんだけどさ」

 綾子はこう言うと、ちょっと申し訳なさそうにうつむいた。と同時に眉間にしわが寄るのが見てとれた。

「どういうこと?」

「裏藪の方にボールを探しに行ってるのよ」

 裏藪、というのは久葉中の北側と東側の一部に面している藪林のことだ。

「でもテニスコートってフェンスで囲われているでしょ? それに藪の方にはネットがかかってない?」

「打ったボールがテニスコートのフェンスを超えるなんてしょっちゅうあることよ。ボールを出しちゃった人が取りに行く決まりなんだけど、藪のある北側に飛んじゃうと見つからないこともあるの。

 それにネットが張ってあるとは言っても下の方って巻き込んであるだけで固定はされていないの。だから運悪くネットの下に潜っちゃうボールもあるし。するとフェンスの下をくぐり抜けて藪の方に転がって行っちゃうの。

 一応私有地だから無断で入ることになるけど、ボールを残したままっていうのもまずいから、こういう機会にこっそり探しに行っているの」

 ま、テニス部と野球部の顧問は見て見ぬふりしているんだけどね、と綾子は付け加えた。

 そんな事情を聞いていると、テニス部の持ち場に行った方がいいような気がした。見つからないボールは探した方がいいし、少ない人数で持ち場をカバーしなければいけないのは大変なはず。他の先生たちはボールを探しに行くことをよく思わないかも知れないから、とりあえず人数だけでもいた方がいいのかも。

 ゴミ捨てに行く前は元気も城崎君も暇そうだったし、高瀬先輩ももう来ているはず。美緒ちゃんを誘ってテニス部の方を手伝おう、と考えた。

 研究部の持ち場に帰ると、ただ1人元気がたたずんでいた。

「元気」

「澄香」

 お互いの名前を呼び合って、目をぱちくりさせる。

「ええと、美緒ちゃんや城崎君は?」

「さっきまではいたんだよ」

 元気の話を要約すると、元気が水分補給に行って少し休憩していた間に、2人とも姿を消してしまったらしい。

「助っ人って彼?」

 私たちのやり取りが面白くなかったのか、綾子が頬を膨らませている。

「あ……」

 本当は美緒ちゃんを連れて行こうと考えていた。けれど、ここで本当のことを言うとややこしくなりそうだし、元気にも失礼かなと思ったので、「うん」と答えてしまった。

「でも、2人ともいないんじゃどうしよう。テニス部の助っ人を頼みたかったんだけれど」

「大丈夫じゃない? 2人ともどっかで休憩しているだけかもしれないし。檜室先生がしょっちゅう来るからあんまり休憩できないけど」

 私は元気と綾子を交互に見た。

「いいわよ。とりあえず澄香が来てくれれば大助かりだから」

 綾子がそう言ってくれたので、私はそうすることにした。

「悪い、元気」

「いいよ。頑張ってきて。それより早く行った方がいい。檜室先生さっきも来たから」

 あっけらかんとした表情を見せる。本当に名前の通りいつも明るくて元気だなあ、と思う。私はその笑顔が消えた日を2回だけ見たことがある。

 小学生の時に、久葉中の先生だった元気のお父さんがいなくなってしまった日。

 中学校に入学して間もなく、なぜ元気のお父さんがいなくなってしまったのかを知ってしまった日。

 彼の危うい一面を知っているから、普段の<元気>さを見るとすごく安心するんだと思う。

「とりあえず場所を案内するわ」

 小走りといってもスキップに近い足取りで、小学生の遠足のように手をつないでうれしそうな綾子についていく。体育館の東側を抜けてたどり着いたのはプールの近くだった。テニスコート周辺だから、という理由でテニス部の持ち場になっているらしい。

 25mプールの周囲をぐるっと囲うように草がぼうぼうに生えている。ぽつぽつとまばらに人がいるくらいだった。

「うわあ。これじゃ終わらないね」

「でしょ」

 綾子と離れないようにして、かつ他のテニス部員から少し距離をとって草むしりを始める。他の部員と一緒にいる人の中にも違う部の人が紛れ込んでいるという話ではあるけれど、なんとなく綾子以外の人と目を合わせづらい。

「ん?」

 ネットをつまんでみると、かがめば人一人通れそうなくらいの隙間ができた。ネットの裏に張りめぐらせたフェンスが途切れており、端からヒモが垂れ下がっている。

「ここヒモが取れてる。後で先生に言っといた方がいいね」

「多分わざとよ。場所によってはここからボール取りに行った方が早いもの」

 それもそうかあ、とめくったネットを戻そうとしたところだった。

 ぱっと見る分には、よく言えば手つかずの自然、悪く言えば雑草がのび放題の荒れ地だった。ただでさえ日の光が当たらないジメジメとした藪の中。青々とした背の低い雑草に混じって、申し訳程度の赤や黄色の花が咲いていた。

 その中に1つだけ場違いなほど荒廃を象徴するような人工物が転がっていた。

「どうした?」

 心臓が縮み上がる思いで振り向く。綾子にしーっと指を立てると、1人で藪の方に入っていった。

「澄香?」

 綾子の心配する声をよそに、少しだけ深いところに入っていって、人工物を拾う。

 片足のスパイクだった。

「それ何?」

 綾子の方を振り返って答えを求める。

「これ、先生に届けた方がいいよね」

 綾子の顔が青ざめていく。今更のように思い出す。テニス部は無断で私有地にボールを取りに行っていること。先生にこれを届けたら、それが明るみになってしまう。

「元気に相談しよう」

「元気?」

「研究部の仲間。ほら、さっき会ったじゃん」

 私はもう片方の手で綾子の手を取り、駆けだした。

 私たち研究部は、久場中の生徒を助ける、そのための部活だ。

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