バッド・イヤーエンド④

 その日の夜。

 宮下友樹は、一日中歩き詰めで痛む足をひきずって、〈新薔薇飯店ニューローズ・ホテル〉に帰ってきた。その、やたらと仰々しい名前のドヤは、〈どぶため銀座〉のすぐ近く、かつてテレビ局の本社だったという、奇妙な格好のビルの真ん前の広場にあった。

 フロントとして使われているプレハブ小屋に近づいた宮下は、椅子に座って舟をこいでいる、小太りの中年男のフロントマンを起こし、自分の部屋のキーを出してもらった。それから、足を引きずるようにして、ホテルの階段を上り、自分の部屋へと向かった。

 棺桶コフィンホテル。

 カプセルホテルをさらに簡素化したようなやつだ。適当な足場を組んで、そこに一人用の宿泊モジュールをずらりと並べただけ。宿泊モジュールはもともと、ホームレス向けの簡易シェルターとして開発されたのだが、当然こういう用途にも転用できるのだった。〈新薔薇飯店ニューローズ・ホテル〉は5階建てで、ひとつの階層につきモジュールは5つ。エレベーターは当然なしで、モジュールの料金は一階がいちばん高く、最上階が最安値だ。諸事情あって、懐がほとんどからっけつの宮下には、最上階の料金を払うのが精いっぱいだった。

 階段を上るにつれて、吹きつける風が冷たさを増すように感じられた。宮下は小柄な身体をぶるりと震わせて、重い息を吐きながら、無言で階段を上っていった。やっとの思いで最上階に到着すると、人工芝が敷かれた通路を歩き、いちばん端にある自分のモジュール、番号505の前に立った。

 カードキーをポケットから取り出し、読み取り機リーダーに押し当てる。コンピュータが電子音でさえずり、それから鍵が開く音がした。

 モジュールのハッチがゆっくりと開く。

 宮下はハッチを開け、中に入ろうとした。

 中には先客がいた。

 ピンク色のメッシュに髪を染めた若い女。

 女が言った。

「ヤッホー。待ってたよ、宮下さん」

 宮下は愕然とその場に凍りついた。

 なぜ、なぜおれのモジュールに女が?

 焦りと恐怖が一時の硬直を溶かし、宮下はウインドブレーカーのポケットに手を突っ込み――

「おっと。そこまでだ」

 声がした。

 上のほうから。

 振り返る宮下に、から滑り降りてきた影が飛びかかってきた。


 わたしは、銃を抜きかけている宮下の腕を、抜き出した特殊警棒で痛烈に打った。鈍い音。宮下がうめき声を漏らし、ポケットから銃が転げ落ちた。わたしはそれを蹴飛ばした。奇妙なかたちの銃は、手すりの隙間をすりぬけ、下へと落ちていった。

「畜生!」

 宮下はあきらめなかった。やけくそじみた絶叫を上げて、わたしにタックルを仕掛けた。足を払おうとする。意外に根性のあるやつだ。しかし、まだまだ甘い。

 わたしは宮下の背中に肘鉄を何発も打ち下ろした。

 ぐうッとうめき声をあげて、宮下はその場にへたりこんだ。宮下はやせっぽちだから、この攻撃は相当効いたにちがいない。すぐに立ち上がることはできないだろう。

 モジュール505から這い出たグエンが、崩れ落ちたまま苦悶する宮下の腕をつかみ、乱暴に後ろへとねじり上げた。宮下は悲鳴を上げたが、グエンは構わず腕をねじ上げ続ける。そのまま、流れるように膝を宮下の背に押し当て、床に押さえつけて制圧。懐から取り出した結束バンドを使い、素早く宮下の両手を締め付けて拘束する。

「お見事」

 わたしはグエンをほめつつ、宮下の前にしゃがんだ。

「よう、兄ちゃん。顔を上げて、おれの方を見てみな」

 言われるまま、わたしの顔を見た宮下は、両目を大きく見開いた。

「あんた――」

「そうだよ」わたしは笑った。「こないだ、あんたのせいでちょっとばかし迷惑をこうむった男さ。妙な縁だな、ええ?」

「このおっさんに迷惑かけちゃうとはね」グエンがにやにや笑いながら言った。「ついてないね、あんたもさ」

「……くそ、くそっ、離せ、離せよっ」宮下はじたばたもがいた。「離してくれよ! 頼む! 見逃してくれ……」

「そいつはできない相談だね」わたしは言った。「こいつは仕事なんだ。あんたを探してる人がいてね。頼むなら、その人に頼めば……」

「梶原だろ?」宮下は言った。

「ああ、そうだが?」

「だったらなおさらだ! 離してくれ! あんたらのためにもだ! おれを連れてのこのこ帰ったら、!」

 なに?

「へえ。そいつは――興味深いね。いったいどういうことだ? 教えてくれないかね?」

「教えてやるよ! けど、その前に、この手錠を外してくれ! この姉ちゃんに言ってくれ!」

 わたしはグエンに目で合図した。グエンはうなずくと、懐から取り出したバタフライナイフを一閃させ、結束バンドを切断した。

「さて、それじゃ話を聞こうか?」

 荒い息を吐いていた宮下は、ごくりと唾を飲み込んでから口を開いた。

「いいか、あんたらはたぶん騙されてるんだ。梶原は恐ろしいやつなんだよ。おれもあいつに騙されて、のっぴきならないところに追い込まれたんだ。おれがあいつから逃げ出したのは本当だけど、あいつから大して盗んじゃいない。当座の逃亡資金だけだ。一方、あいつときたら、おれからありとあらゆるものを……」

 そのときだった。

 下の方が騒がしくなった。

 何だ?

 すぐにその理由は分かった。

「てめえら!」 

他人ひとのシマで何やってやがる!」

「ぶち殺すぞ、ゴラァ!」

 殺気だったチンピラどもが、手に手に銃やらナイフやらを持って向かってくる。くそ、あのフロントマンめ。口止め料を払ってやっただろうが!

「話はあとで聞く」わたしは立ち上がった。ジャケットの内側からケルテック380口径を抜き出し、グエンに放った。グエンはそれを素早くキャッチすると、スライドを引いて初弾を薬室に送り込んだ。そのあいだに、わたしは脇の下に吊るしていた、レミントン12番径ゲージソードオフを引っ張り出した。スライドをつかんで前後させる。ガシャン! と音立てて、OOバック装弾が薬室に送り込まれた。

 わたしはにやっと笑った。

「オーケイ。それじゃ、ロックンロールといこうか?」

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