バッド・イヤーエンド③

 人探しで大事なことは、とにかく歩き回るのを厭わないことだ。方々を回り、いろいろな人間に聞き込みをし、しらみ潰しに可能性を当たって、ありそうもない選択肢を除外していく。地道な作業だ。しかし、これをやらないことには、目的の人物にたどり着くことはできない。

 相手は、必死に姿をくらまそうとしている。幽霊ゴーストになろうとしている。そういう人間を捕まえるのは、そう簡単なことじゃない。それがまさに我々探偵の飯の種なのだ。

 宮下の捜索について、わたしは一応ネット上での捜査も行うことにしたが、あまり期待はしていなかった。梶原から与えられた宮下の人物像プロファイルを考慮するに、不用意にネットに痕跡を残すとは考えにくかった。宮下は馬鹿な人間ではない。SNSアカウントは持っていたとしても削除しただろうし、ネット通販なども利用するまい。ここからたどるのはまず無理だ。よって、昔ながらのローテク手法に頼るしかない。

 それに、これはチャンスでもある。今のご時世は、姿をくらましたい人間にとって都合の悪い時代だ。ネットにつながらねば生きていくのが難しく、また監視カメラに見とがめられずに行動するのも難しい。それらを避けて潜伏できる場所は、実のところそう多くはない。つまり、無駄にあちこち探し回って消耗するのを避けられるということだ。苦労するのを嫌がってはいけないが、その中で効率よくやる努力も探偵には必要なのだ。

 とにかく、数日間、方々を歩き回り、聞き込みを続けるうち、宮下らしい人物を目撃したという情報がいくつか入ってきた。そのうち、確からしい情報をつなぎ合わせると、それらは市内のある一点を指していた。

「〈どぶため地区〉……」わたしは呻いた。「案の定だけど、厄介なとこに隠れてやがるな」

 しかし、虎穴に入らずんば虎子を得ず、である。

「というわけで」わたしはグエンに言った。「年末臨時ボーナスをはずむので、ついてきてもらえるか? いざというときに一人だけだと厄介なんでね」

「へえ、ボス、一人じゃいやなんだ」

「あそこに一人で行くのは、たとえ昼間でもごめん被るね。で、頼めるか?」

「あいよ」グエンはうなずいた。


 かつては極東アジア、いや世界でも屈指の良好な治安を誇ったこの街も、今やクソのような犯罪多発地域に成り下がったが、その中でも一際治安が良くないのが〈どぶため地区〉――旧湾岸地区だ。

 二十数年前に関東一円を襲った大地震、それに温暖化の影響もあって、湾岸地域の埋立地はほぼ壊滅。そのあと、まだ地盤のしっかりしている部分は再開発の目途が立ったのだが、それ以外の部分は見捨てられた。そこにいつしか行き場を失った人たちが集まって、廃材やらスクラップやらを寄せ集め、主を失ったビル群の上に住処を築いた。それがどんどんと膨れ上がり、ろくでもない連中も吹き寄せられるようになって形成されたのが、現在の〈どぶため地区〉だ。こっぴどい俗称は二重の意味を持っている。一つは比喩的な意味――ろくでなしどもの巣窟だからだが、もう一つは文字通りの意味だ。液状化と海面上昇で水浸しになった地域なので、本当に沼地のようになっているのだ。当然、並みのクルマは使い物になりゃしないし、徒歩での移動も困難だ。小舟ディンギーを使うのが手っ取り早い。余談ながら、当局による度々の浄化作戦がさっぱりうまくいかない大きな理由は、まさにこの土地の事情による。

 何にせよ、〈どぶため地区〉に行くのは、わたしのような人間にとってもなかなか勇気の要ることだ。グエンの住んでいる団地とはわけが違うのだ。それだけに、何が何でも姿を隠したいという人間は、〈どぶため地区〉に逃げ込む。古の香港九龍クーロン城砦のような場所なのだ。

 しかし、さはさりながら、行かねばならぬとなったら、行かねばならぬ。

 わたしとグエンは、できる限りの準備を整え、〈どぶため地区〉に向かうことにした。

 エレカは使えなかった。先も述べたように、クルマが入り込めない地域だし、よしんば乗り入れることができても、よそ者のクルマなんかものの数秒で盗まれてしまう。それから、その日のうちにパーツ単位にばらされ、スクラップ屋やら何やらに売り飛ばされてしまうだろう。さりとて、公共交通機関に物騒なものを持ち込んで乗り込むわけにもいかない。タクシーも同様。

「だからっておれを使うんすか」祭戸サイドカズオは、わたしから細々と話を聞かされて、情けない声を上げた。「冗談じゃないすよ。おれ、今日は非番……」

「そこを何とか頼むよ。副業だと思って。ウー〇ーみたいなもんさ。それに、あそこの中まで乗り込めとは言ってない。すぐ近くまで行って降ろしてくれればいいんだ。そのあとは帰ってくれていいから」

「そうだよ、心配しなくていいって」グエンが笑いながら言った。「それともなに、あんた怖いの?」

「ええいクソ! あんたらマジで悪魔シャイターンだぜ……」

 というわけで、祭戸のマツダ・サンダウナーで最寄りの波止場まで行ったわたしたちは、そこからもぐりの渡し船(もぐりじゃない渡し船なんかないのだが)に乗って〈どぶため地区〉に入ったのだった。

 この時期、四六時中冷たい潮風にさらされ続けているにも関わらず、〈どぶため地区〉は異様な熱気に包まれていた。奇妙に傾いた廃ビル群の中で、菌糸のように根を張り、ときには外部までもりもりと露出した奇怪なカスバが、絶え間ない商売ビズの唸りで熱を発しているのだ。それぞれのビルは、エポキシと軽量鉄骨、それに竹で作られた危なっかしい空中通路で連結されており、それがまた、妙にカビやキノコを連想させた。

 それにしても、臭い。環境が環境だから当然だが。わたしにしてもグエンにしても、ある程度こういうのには慣れているが、それでもきつい。また、ただ臭いばかりじゃなく、身体によろしくない物質も空気中に漂っている。深呼吸には向かない空気だ。

 なので、わたしもグエンも、簡易の防塵防毒マスクをつけていた。いかにもよそ者に見えてしまうがしかたない。仕事のためだ。

 渡し船を降りたわたしたちは、不安定な通路を渡って、一際大勢の人間で賑わっている、通称〈どぶため銀座〉に向かった。老若男女、肌や髪の色もファッションセンスも様々な人たちが行きかい、食べ物やら衣料品やら家電やら、得体のしれない電子部品やら、もっとよくわからないものや、ゴミにしか見えないものまで、様々なものを商う店が軒を連ねている。わたしたちはそこで聞き込みをはじめた。探し人について尋ねるなら、そいつが確実に利用しそうなところで聞き込みするのがいちばんだ。

 とはいえ、注意深くやらねばならない。〈どぶため地区〉の住民は、総じて官憲に悪印象を持っている。特に警官のイメージは最悪だ。探偵はそれに比べたらまだマシだが、警官のように聞き込みをするということで、妙な勘違いをされたらまずいことになる。

 その点、グエンは適任だった。髪をピンクに染めた女の子の警官なんかいるわけない、ということで、わたしが質問するよりも効率よく相手が話してくれるのだった。グエンの聞き込みの仕方もなかなかうまかった。相手の心理的なガードをうまく外させるのが上手なのだ。

 決定的なネタを引き出すのに成功したのもグエンだった。

「そうだなあ」グエンに質問された、その花屋の老人は、しばらく考え込んでから言った。「お嬢ちゃん、もう一度その写真見せてくれな」

 グエンから写真を受け取った老人は、しわの中にほとんどまぎれそうなくらい目を細め、やたらとレンズの分厚い眼鏡が低い鼻からずり落ちそうになるのを何度も直しながら、じっくりと写真を眺めた。それから、歯の抜けた口を開いて、ポンと手を打った。

「思い出した!」老人は言った。まるで浮体の原理に気づいたアルキメデスのような感じだった。「このにいちゃんな、わし話したことあるわ」

「え、おじいちゃん、マジ? それ詳しく聞かせてよ」

「ええとなあ。確か2、3日前のことだったと思うンけどな。食堂で会ったんよ。ちょうど相席になったんでなあ、ちょっとばかし話したのよ」

「で、それで?」

「うん、なんかなあ、借金取りか何かに追われて逃げてきたと言うとった。それでなあ、しばらく身を隠して、それからもっと遠くに逃げるってなあ。あんな若いのに、かわいそうな話やなあと思って……」

「どこに隠れるとか、そういう話はしてた?」

「んーっと、それはよう覚えとらんけど……けどが、とりあえずよそモンが身ぃ隠すいうたら、あそこしか思いつかねえなあ」

「あそこって、どこ?」

「〈新薔薇飯店ニューローズ・ホテル〉」老人は言った。「追い込まれたよそモンは、みんなあそこに転げ込むんよ」

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