マスカレード③
──どうせ見るなら、もっと楽しい夢がいい。なんでむさ苦しいやくざの面なんか、夢の中でもう一回見なきゃならんのだ。
そこまで思ったとたん、わたしは目を覚ました。
うすぼんやりした光。
全身が鈍痛に包まれて、いやな熱を帯びている。
どうやらやくざの夢を見ながら死ぬという事態は回避できたようだ。ありがたいね。
さて、身体は動かせるか?
できない。身体が動かない。ちょっとパニックになりかけ、そこで、どうやら椅子に座らされた上で、その椅子に縛りつけられているらしいと気づいた。
どうやら、わたしは拉致されたらしい。
全力を動員して、痛みと疲労のせいで勝手に閉じかけるまぶたを開く。
ここはどこだ?
やたらとだだっ広い、薄暗い空間だ。大きな建物の中らしい。脳が正気を取り戻すにつれて、徐々にディテールが頭の中に入ってきた。暗がりの中に、大きな棚や箱、何かの機械が並んでいる。窓が見えるが、建物の大きさの割に小さい。倉庫か工場だろうと見当をつけた。一番近くの棚を見る。ほこりをかぶっていた。ということは、すでに元の目的で使われなくなって長いのだろう。
耳をすます。どこか遠くに町の喧騒が聞こえる。ここがどこかはわからないが、山奥でないことだけはまちがいない。そんなことがわかっても大して役に立たないが……もう少し情報がほしい。首は動くようだから、まわりを見回せばもう少し……と思ったところで、複数の足音が近づいてきた。
「よう、よう、よう。お目覚めのようじゃないか」
くそ。この声には聞き覚えがあるぞ。あのヒョットコの声だ。
暗がりから、複数の影が姿を現した。強盗団のやつらだ。みんな、例のふざけた覆面をまだかぶっている。ヒョットコ野郎はいちばん近いところにいる。パンダ野郎の姿は見えない。まあ、当然だな。
連中が覆面をまだかぶっているというのは、個人的にはいくらか安心材料にはなる。素顔をさらしてないということで、口封じのために殺される心配はそこまでしなくてもよいからだ。しかし、連中から吹きつけてくる、敵意と悪意に満ちたどす黒いオーラは、わたしに覚悟を促すものだった。
オーケイ。わかってる。どうせこれまでも散々サンドバッグにされてきたからな。こうなったら、とにかく耐えるだけだ。そして、機を見てとにかく脱出する。あとは……まあ、そのときに考えるさ。
それにしても、祭戸はどこに行ったんだ?
答えはすぐに明らかになった。
ミスター配管工のかぶりものをした野郎が、血みどろのぼろ雑巾と化した祭戸を、ゴミ袋のようにその場に放り出したからだ。
「う……う……う……」
祭戸は弱々しい呻き声をあげるのみで、動くこともできないようだった。端正だった顔はボコボコに変形して、赤むくれになって腫れ上がっていた。指が何本か、おかしな方向に曲がって、やはり無惨に腫れ上がっていた。着ている服はボロボロに裂けて、血まみれだった。息をするのもやっとという感じのようだった。わたしが気絶しているあいだ、散々に痛めつけられたのは明らかだった。拷問して情報を引き出そうとしたのだろうが、多分にうっぷんばらしの意図もあるにちがいない。
「ずいぶん派手にやったらしいな」わたしはぼそりと言った。
「ああ。こいつ、ずいぶん口が固くてさ。どんだけ殴っても吐かねえんだわ。おかげで困ってんだよねえ、おれたちさあ」
ヒョットコが言った。いやらしい響きを帯びた声だった。
わたしは黙っていた。こんな原始的な拷問なんか、実際的な意味はろくにない、と言ってやりたかったが、言ったところで通用しないのはわかっていた。こういうやつらは、こうやって哀れな犠牲者をなぶりものにして楽しむのが大好きなのだ。趣味と実益を兼ねているというわけだ。
「そこでさあ、おれたち、おっさんに質問があるんだよねえ」
ヒョットコはわたしに顔を近づけて言った。面に開けられた覗き穴の奥に、やつの目が見えた。光のない、寒々しい目だった。こういうやつらにありがちな目だ。人間の皮をかぶった人食い狼の目。
やつが言った。
「爆弾入りのケースはどっちよ?」
爆弾入りのケース?
そんなの初耳だ。少なくとも、打ち合わせのときには、そんな物騒なものについては教えてもらわなかった。くそ、森谷。おれをだましたな。無事に生きて帰ることができたら、この件について必ず問いただしてやる。
何にせよ、こいつらの質問に対し、わたしが答えられることは何もない。何も知らないからだ。だから、わたしは正直に答えた。
「いや。わからない。そもそも爆弾入りのケースなんて知らない。初耳だ」
「へえーえ。知らないの。あっそ」ヒョットコはそこでちょっと言葉を切った。それから言った。「そんな話が信じられると思うのかよ」
ドライアイスのように冷たい声だった。
ヒョットコはパチッと指を鳴らした。ミスター配管工が近づいてきた。その手にはいつのまにかゴムホースが握られていた。ゴムホースは血にまみれていた。祭戸の血であろう。
「こいつさ」ヒョットコはミスター配管工を手で示しながら言った。「あんたのオモチャでひどい目に遭ったもんでさ、マジでキレてんだわ。あんたを殺しちまうかもしれねえ。だからさ、正直にうたうほうがおトクだぜ。──もう一度聞くぜ、爆弾入りのケースはどっちだ?」
そんなことを言われても、知らないものは答えようがない。わたしは正直に答えた。
「知らないものは知らない」
「しっかたねえなあ。マルオ、やっちまえ」
「イヤッホウ!」
すっとんきょうなかけ声と同時に、ミスター配管工──マルオの振るったゴムホースが、わたしの胸板に直撃した。
マカロフ弾のパンチで痛めつけられたところに。
爆痛。
「げぼえ」
わたしは嘔吐した。苦痛のあまり身体が勝手に折れ曲がろうとする。耳の奥がキーンと鳴り、頭がガンガン鳴った。畜生、これは効く。
悶絶しているところに、ヒョットコが話しかけてきた。
「ずいぶん参ってるみたいじゃねえか?」明らかに面白がっているとわかる声音だった。「なあ、悪いこたあ言わねえ。吐いちまいな。そうすりゃ楽になるぜ……」
「だから──知らないって」
「よーし、マルオ、もうちょっとおっさんと遊んでやりな」
「マンマ・ミーア!」
ゴムホースが飛んできた。
爆痛。
爆痛。
爆痛。………
最初の一発からしてひどいものだったが、滅多打ちとなると、ひどさは指数関数的に増大した。痛みと痛みの相乗効果だ。先だって、全身くまなく痛めつけられているから、その部分まで痛みが響く。全身これ痛みだ。
こういう痛みに耐える方法はない。特に、酒とか麻薬とか
というわけで、わたしは盛大に悲鳴を上げ、とてもここには示せないような罵詈雑言を吐き散らした。こうでもしなけりゃ、この責め苦の痛みをごまかすことなんてできやしない。
げらげらげらげら。笑い声が聞こえる。やつらが笑っているのだ。わたしの醜態を笑いものにしているのだ。
畜生。笑わば笑え。今に見ていろ。わたしは復讐を誓った。絶対に許さん。
しかし、それはそうとして、身動きもならない現状では、復讐もへったくれもない。一方、やつらはかわりばんこにゴムホースを振るい、楽しみながらわたしをぶちのめした。エンドレスのお楽しみ拷問タイムだ。わたしはちっとも楽しくない。そうこうしているうちに、あまりの痛みに息ができなくなった。目が回る。あらゆる音が小さくなり、世界が遠のき、ふっと苦痛が遠ざかり……。
水がぶっかけられ、わたしは不幸にも、気絶から引き戻されてしまった。痛みが戻ってきて、わたしは惨めに痙攣した。
「しぶとい野郎だな」ヒョットコが言った。「どーしても知らねえって言い張るつもりか? ええ?」
「知らない……ものは……知らない……」わたしはようよう言った。「おれは……雇われただけで……細かいことは……わからない……」
「へへへ。雇われ探偵は悲しいねえ」ヒョットコはへらへら笑いながら、わたしの目の前で、
くそったれめ。そんなことは承知してるが、お前みたいなやつだけには言われたくないぞ。そう言い返したかったが、わたしの口から出てきたのは情けない呻き声だけだった。
「へっへっへ。ざまあねえなあ。こうなったら人間おしまいだな。なあ?」
ヒョットコの言葉に、へつらうような笑いが応える。ヒョットコは満足そうにうなずき、それから芝居がかった仕草で、ズボンのベルトに挟んでいたマカロフを抜いた。慣れた手つきで安全装置を外し、その中型ピストルを、わたしの眉間にぴたりと突きつけた。
やつが言った。
「そういうわけでさ。さよならだな。おっさん」
こんちくしょう。万事休すだ。
そのときだった。
「待て……頼む……待ってくれ……」
祭戸だった。息も絶え絶え、やっとの思いという感じの声だ。
「待ってくれ……思い……出した……爆弾入り……どっちか……だから……そいつを殺すのは……やめろ……」
「んん?」ヒョットコが言った。「いったいどうしちまったんだ? 急に記憶が回復したってか? 何だか信じられねえなあ……」
「うるせえ!」祭戸が吠えた。あれほど痛めつけられた状態の人間が出せるとは思えないほどドスの効いた声だった。「思い……出した……つってんだろ! ヒョットコ野郎! 欲しいのはカネだろうが! だったら、くれてやらあ!」
「……よおーし。お前ら、ケース持ってこい」ヒョットコはそこで笑った。「手間が省けたぜ」
かくしてアタッシュケースはこじ開けられ、カネは連中の手に渡った。
わたしと祭戸は無造作に並べて転がされていた。やつらはちょっとしたお祭り騒ぎをしていた。わたしたちのことはしばらく忘れているだろう。わたしは小さな声で祭戸に話しかけた。
「おい、祭戸。爆弾入りのケースってなんだ」
「……いざってときの策だ」祭戸は言った。「ケースの中に爆弾入りのやつを混ぜておいて、連中に持ち去らせる作戦だ……時限装置がついていて、放っておけばドカンだ。リセットはおれたちにしかできねえ」
「ずいぶん荒っぽい作戦だな」わたしは率直に感想を述べた。「もしかして、発案者は大倉さんかい?」
祭戸は黙ってうなずいた。
わたしはさらに聞いてみた。
「ところで、おれは全然爆弾について知らなかったんだが……もしかして、他の幹部との相談はなしか? 保安部の独断?」
「……そうだ。大倉さんが勝手に決めたことだ。おれも、教えられたのはドライバーの仕事を任されてからだ」祭戸は言った。「だから……おかしいんだ。専務や仲田さん、それこそ社長だって、爆弾のことは知らないはずなんだ。なのに、あいつらは爆弾のことを知っていた……」
「……保安部の中に裏切り者がいる、と?」
「わからねえ……」祭戸は弱々しい声で言った。「おれにはわからねえよ……下っ端の若造だから……」
「そうかい。ところでさ、もうひとつ質問いいかな」
「なんだよ……」
「おれを助けてくれたのは、どういう風の吹きまわしだね?」
「……借りがあるからよ」祭戸は小さな声で言った。「受けた恩は必ず返すもんだって、大倉さんに教えられてんだ」
ほう。大倉さんよ、これだけは恩に着るぜ。あんたの教育のおかげで助かったよ。
「ああ、あれか。どうってこたあない。言っただろう。仕事だからな。気にするな」
祭戸は答えなかった。
そこで、連中が戻ってきた。
「さてさて」ヒョットコが言った。「カネは手に入った。あとはお前らをどうするかだが……正直、もう用なしだからな。このまま始末しちまおうと思うんだが、どう思うね、諸君?」
お追従の笑い声。
「そういうことだ。あきらめてもらうぜ、おふたりさん」
ヒョットコは言った。芝居がかった仕草で、またもや指をパチッと鳴らす。ホッケーマスク野郎が歩み出た。その手には、ばかでかい青竜刀が握られていた。
「お前らの生首を会社の方に送りつけてやろうと思ってね」ヒョットコはとんでもないことを言った。この野蛮人め。「その前に、ちょっとした動画を撮影しようかと思うんだわ。おふたりさんのコメントをいただきたくてね。さて、まずは若い方からだな」
祭戸は、当然のごとく、罵詈雑言を吐き散らした。半分がた、言葉になってなかった。彼は認めないだろうが、恐怖のせいだろう。しかたないことだ。何人かがよってたかって祭戸をタコ殴りにし、彼は白目を剥いて悶絶した。
その様子をスマホで悠々と撮影していたヒョットコは、わたしの方を向いて言った。
「さあて。探偵さんのコメントもいただこうかな?」
わたしの言うことはもう決まっていた。
わたしは、着ているジャケットの襟首にあらかじめ仕込んでおいた小型マイクが確実に声を拾うように、襟首にできる限り口を近づけて、大きな声で言った。
「天が崩れ落ちる。繰り返す。天が崩れ落ちる」
窓がバリンと割れる音。
同時に、建物の中に、缶のようなものが次々に投げ込まれた。それらの缶は、床に転げると、猛烈な勢いで煙を吐き始めた。さらに、花火までも投げ込まれた。
たちまち、建物の中は、ものすごい閃光と破裂音、それにもうもうたる煙に満たされた。視界がきかなくなる。
悲鳴。罵声。怒号。
あたふたと右往左往する足音。
銃声。銃声。銃声。
悲鳴がいくつも上がる。
ばたばたと人が倒れる音。
銃声。銃声。
銃声。
しばらくして、弱々しい泣き声と呻き声しか聞こえなくなってから、誰かがこちらに近づいてきた。
その誰かが言った。
「ヤッホー。おっさん、気分はどう? ひっでえ有り様だけど」
「ひでえ気分だよ」わたしはグエンに言った。こういうとき、タフガイ気取ってもしょうがないだろ?「まあ、ともかくグッジョブ。報酬ははずむよ」
「当然でしょ」グエンは、持っていたタウルス・ジャッジを叩きながら、ニヤリと笑った。
祭戸はポカンとした顔でグエンを見ていた。当然だろう。黒ずくめの、ニンジャみたいな格好をして、うすらでかくて縮尺の狂った変なリボルバーを持った女がひとりで殴り込みをかけてきたのだ。しかも、そいつが、探偵野郎とやたら親しげに話しているのだから、困惑しない方がおかしい。
わたしはあらかじめ保険をかけておいたのだ。いざというときに備えて、グエンをこっそり援護につけていたというわけだ。また、わたしの靴のかかとには発信器を仕込んでおいて、万が一のときも追跡できるようにしておいた。強盗団が本当のプロだったら、そういうことも警戒して、わたしを丸裸にしていただろう。こいつらがアマチュアで助かった。
グエンはナイフを取り出して、てきぱきと我々の拘束を解いてくれた。安堵で身体がゆるみそうになった。できればそのまま安らかに気絶したいところだったが、そうもいかない。まだ一仕事あるのだ。
わたしは呻きながら立ち上がると、グエンからタウルス・ジャッジを受け取った。ちなみに、この銃はわたしの私物である。無論、公安委員会の許可は得ていない。この銃は業界ではイロモノ扱いされていて、わたしも実際同感だが、それでもこの国では意外と便利な銃なのだ。
わたしはシリンダーを開いてチェックした。410番の散弾が6発、きれいに真鍮の尻を並べて収まっていた。410番散弾は昔から国内での入手が比較的容易で、今ではセキュリティ方面でも使われているから、弾の入手には困らない。これがジャッジの利点のひとつだ。
わたしはジャッジのシリンダーを閉じ、それを右手に持ったまま歩き出した。お目当ては、激痛に悶え苦しんでいるヒョットコ氏だ。
やつは必死に這って逃げようとしていた。撃たれているのに、なかなか根性のあるやつだ。まあ、とはいえ、やつにぶちこまれたのは鉛弾じゃないんだが。
わたしはやつの背中を思い切り踏みつけた。
やつはおぞましい悲鳴を上げた。
わたしはさらに何発かストンピングを食らわせてから、やつの脇腹を蹴って転がした。
「畜生!」ヒョットコはわめいた。絶望にまみれたやけくその絶叫だった。「この、この、クソ探偵野郎! 汚えぞ! 罠にかけやがって!」
「どの口で言うんだ、ええ?」わたしは嘲笑った。「まあいい。金は返してもらうぜ。それから、おれのスマホもだ。先方に連絡せにゃならんからね。どこにある?」
「誰が言うか」
わたしはタウルス・ジャッジをやつの片膝に向けてぶっぱなした。
やつの悲鳴は凄まじかった。
「どうだい、痛いかね?」わたしは言った。「安心しなよ。撃ったのはゴム散弾だ。死にはしないよ。くそみたいに痛いだろうし、もうお前はこれから先まともに歩けんだろうが、死にはしない。今のところはな」
ちなみに、ゴム弾を使っても、動作不良を起こしにくいのが、ジャッジのもうひとつの利点だ。まあ、こんなこと、こいつに講釈してもしかたないがね。
「さて、ところで、もう一度聞くが、おれのスマホはどこだい、強盗くん?」
「畜生!」
わたしはもう片方の膝にゴム散弾を叩き込んでやった。
「あああ! あああ!!」
「さあ、さあ。まだ撃てるところはたくさんあるぜ。次は肘を撃ってやるよ。それとも、どうだい、一足飛びに、タマタマに一発食らってみるっていうのは?」
「うわあああ!!」
やつの悲鳴を聞きながら、わたしはゲラゲラ笑った。もう少しばかりいたぶってやろう。そうでもしなけりゃ気が済まん。
「なあ……なあ、あいつ、いつもああなのか?」後ろで祭戸が言うのが聞こえた。明らかにドン引きしていた。
「そうだよ」グエンが笑いながら答えるのが聞こえた。「マジやベーよ、あのおっさん。マジで怒らせたらいけないタイプだね。殺しでもなんでもやるんだよ」
おい、グエン。ウソはいかんぜ、ウソはさ。
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