マスカレード④

「おい……これ、あんたがやったのか? 全部?」

 やってきたシキシマ・エンタープライズの社員たちのひとりが、ひとしきりあたりを見回してから、わたしに向き直って、そうたずねた。恐ろしいものを見る目つきだった。

 わたしはニッコリ笑ってうなずいてやった。その社員は、いやはやといわんばかりに目をぐるりと回し、頭を振った。

 倉庫の中には、強盗団の連中の呻き声とすすり泣き、激しい咳とくしゃみの音が充満していた。誰も立ち上がることはできない。身じろぎもできない。鉄拳、警棒、ゴムホース、スタンガンの電気ショック、それから催涙ガスのフルコースを味わえば、誰でもそうなる。ちなみにスタンガンと催涙ガス・スプレーはグエンが持ってきた。よく気のつく助手を雇えて幸せだ。

 シキシマの男たちは、無理やりに強盗団の連中を捕まえて引っ立てていった。ほとんどのやつは、マンマミーアとかオーソレミヨとか泣き叫びながら引きずられていったが、ヒョットコ氏だけは無言だった。根性があるからではない。わたしに徹底的に痛めつけられ、泣くこともわめくこともできない状態になったからだ。回復しても、もはやまともな社会生活に復帰することはできないだろう。自業自得だ。

 強盗団の連中は、魚屋のものに偽装された大型トラックの荷台に詰め込まれて、荒っぽく運ばれていった。祭戸は手当てを受けて、どこかの病院に搬送されていった。金は当然さっさと運ばれていった。ドタバタとしたひとときが過ぎると、倉庫にはわたしとグエンだけが残された。外はもうすっかり暗かった。

「さて」わたしは言った。「用も済んだし、帰ろうか」

「それはいいけどさ、なんか食べてから帰ろうよ」グエンが言った。「お腹空いちゃった」

 グエンは何かしら期待する目つきでわたしを見た。

 わたしは苦笑した。

「わかった。なんかいいもん食べに行こう。何が食べたい?」

「焼肉」

「オーケイ」

 わたしはうなずいてやった。正直、グロッキー気味なので、こちらは焼肉という気分じゃない。しかし、助手の働きにこたえてやらないとな。

 そこで、不意にグエンが言った。

「ところでおっさん。あいつらからいろいろ取り上げてたけど、シキシマの人たちに渡さなくてよかったの?」

「……あっ」

 わたしは固まった。そうだ。強盗団を締め上げてヨーデルを歌わせていたとき、やつらからスマホとか財布とか、巻き上げたんだっけ。何かの証拠になると思って取り上げたんだが、ドタバタの中でつい渡すのを忘れちまったんだ。

 まあ、しかし、それは今回の仕事の契約内容に含まれていない。何か問題があったら、向こうから言ってくるだろう。そのときに渡せばいい、とわたしは考えた。というより、そこで考えるのをやめにした。脳ミソが半煮えになっていて、難しいことが考えられないのだ。

「……まあ、いいや。大丈夫だ。大したこっちゃない」わたしはグエンに言った。「よーし、肉食いに行くか」

「やったー!」

 グエンは嬉しそうだった。わたしも何となく嬉しい気分だった。死なずに済んだし、仕事もとりあえず無事に終わった。それに、やつらから巻き上げた金がある。焼肉屋の支払いはこれでまかなってやることにしよう。万々歳だ。


 森谷から呼び出しがあったのは、それから3日後のことだった。

 わたしはまだ身体が回復しきってなかったが、クライアントの呼び出しとなれば寝込んでもいられない。わたしは鎮痛剤ペインキラーをひとつかみ服用してから、例のクラブに向かった。そのとき、忘れずに、連中から取り上げたスマホや財布をカバンに入れて持っていった。

 面子は前のときと同じだった。森谷、仲田、大倉、森谷の秘書、それにホステス。彼女は何となく緊張した感じで水割りを作っていた。こないだのヤクザ・視線バトルが軽くトラウマになっているのかもしれない。

 わたしが席に着くと、森谷が口を開いた。

「灰田、ご苦労だった。報酬は指定の口座に振り込んでおいた。後で確認しておいてくれ……それにしても、見事な仕事ぶりだったな。おかげで、売上金を守ることができたし、強盗団を壊滅さすこともできた。感謝する」

 森谷は頭を下げた。仲田も大倉も秘書も頭を下げる。ホステスまで頭を下げた。別に彼女は頭を下げなくてもいいはずだが、まあいい。別に悪い気分にはならない。わたしは愛想笑いして言った。

「仕事ですから。ところで、祭戸くんの容体は?」

「落ち着いてる」大倉が答えた。「二週間は病院の世話になるが、回復は早いだろうよ。若いからな」

「それはよかった」

 わたしがそう言うと、大倉はいきなり頭を下げた。

「どうしたんですか急に」

「祭戸から話は聞いた。あんたにはずいぶん借りができてしまったようだな」

 いやはや、ほんとに昔気質だね。

「仕事ですから。するべきことをしただけです」わたしは言った。それから森谷に向き直る。「それで、強盗団の素性はわかりましたか?」

 森谷はうなずいた。

「予想通り、半グレ連中だ。〈マスカレード〉というグループらしい。ふざけたかぶりものをしていたのは、たぶんその名前にちなんでいるんだな」

 わたしが理解してないことを瞬時に見て取ったらしく、森谷はわざわざ説明してくれた。

「“マスカレード”とは“仮面舞踏会”という意味だ。奇妙きてれつな仮面をかぶって、紳士淑女がパーティをするというやつだ。だから連中はああいうふざけたマスクをつけていたのさ。──灰田、暴力もいいが、もう少し教養を身につけておくべきだぜ」

 余計なお世話だ、と思ったが、わたしは口には出さなかった。かわりにこう答えた。

「不幸にして、教養が役に立たないような人生を送ってきたもので」

「教養は存外に実用的だぜ」森谷はニヤリと笑った。「暴力に負けない武器になる。身につけて損はない。──まあ、それはともかく、連中の背景については現在調査中だ。やつらだけで襲撃作戦を立案できたとは思えない。誰かが手引きをしていたはずなんだが、それを解明するには時間がかかる」

「何せ、連中のボスがあの有り様ですからな」仲田が言った。少々苦い顔だ。「いつ口がきけるようになるやら、さっぱり見当もつかない。ケガの程度もひどいんで、当分は面会謝絶だと、手当てした医者が言っていましたよ。灰田さん、いくらなんでもあれはやりすぎだ」

「殺されかけたもんで、ついカッとなっちまったんです」わたしは言った。「少々やりすぎたことは認めますが、連中の取り扱いについては“できる限り殺すな”以外に特に決めてなかったでしょう?」

「まあ、それはそうですがね……」

「あ。ところで」わたしは言った。「連中、妙なことを言っていました。爆弾入りのケースがどうのこうのと。祭戸くんに聞いたら、保安部独自の処置だということで、わたしは知らされてなかったんですが……」

 森谷と仲田の視線が大倉に注がれた。大倉はわずかに目をそらした。

「大倉。どういうことだ?」森谷が言った。

「大倉、何か説明したらどうだ?」仲田が追い討ちをかける。

「……必要な措置をとったまでです」大倉は言った。「いざとなれば、自分が腹を切るつもりでした」

「そういう問題じゃねえだろう……」仲田が凄味のきいた声で言った。「そんなもんを用意して、もし何かあったら、どうするつもりだったんだ? ことと場合によっちゃ、の存続にも……」

「それよりもですね」わたしは大きな声で言った。「祭戸くんから聞いたことが正しいなら、爆弾入りのケースのことを知っているのは、保安部の限られた人員のみです。にも関わらず、強盗団は爆弾入りのケースのことを知っていたんですよ。つまり、シキシマ・エンタープライズの中に、連中のスパイがいたということではないですかね?」


 大倉が怖い目でわたしをにらんだ。

「あんたの口ぶりだと、保安部の中にスパイがいる、とでも言いたげだな?」

「その可能性は否定できんでしょう」わたしは言った。「爆弾入りケースのこともそうだし、そもそも売上金の輸送ルートをどうやって連中がつかんでいたのか、という疑問もある。となれば、保安部を疑うのはむしろ当然でしょう」

 大倉の目つきはますます危険なものになった。視線だけで人が殺せるなら、とっくにわたしは悶死していただろう。しかし、当然視線で人は殺せないから、わたしはそ知らぬ顔をして話を続けた。

「しかし、疑おうと思えば、誰でも疑うことができます。情報を盗みとる方法なんかいくらでもありますからね。保安部に疑いの目が向くように、スパイが仕組んだことかもしれない。いくらでも可能性は考えられます」

 わたしは肩をすくめて笑ってみせた。

「もし、そちらの調査が必要になりましたら、そのときはぜひご用命ください」

「商売上手だな?」森谷は苦笑した。「まあいい。それについてはまた別のときに話そう。とにかくご苦労だった。まだ傷も治りきってないだろう? ゆっくり休んでくれ」

「ありがとうございます。お気遣い痛み入ります。では、これで……」

 わたしは頭を下げた。立ち上がり、帰りかけたところで、何か忘れていることに気づいた。何だったっけとしばらく考え、それから用件を思い出した。

「そうだ!」わたしはブース席に戻ると、カバンを開けながら言った。「そういや、強盗連中を締め上げてるときに、スマホやら財布やら、取り上げたんですよ。調べてみたら何かわかるんじゃないかと思って……こないだ渡しておきゃよかったんですが、ドタバタしてて、すっかり忘れてまして……いやー、申し訳ないです」

 そのとたんだった。

 仲田が突然、ギャーッと大声で叫び、ものすごい形相でわたしに向かって飛びかかってきた。60過ぎとは思えぬ素早さだった。ホステスが悲鳴を上げる。

 わたしは思わずチョップで仲田を殴り倒した。仲田はその場に倒れこんだ。

「何なんですいきなり!」わたしは叫んだ。

「な、な、な、なんで」仲田はろれつの回らぬ口で言った。「なんで早く教えてくれないんだ!」

「忘れてたんですよ! だから最初に言ったでしょうに! なんでいきなり殴りかかってくるんですか?!」

「うるさい!」仲田はわめいた。「だいたい、渡すのを忘れていたって、そんなふざけた話があるもんか!」

「そんなこと言ったって、忘れていたのは事実で──」

「なんだとお!」

 仲田は想像以上の速さでアッパーを放った。普段のわたしだったら避けられたが、今は身体にガタがきているから、まともに顎に食らった。脳ミソが揺れ、星が飛んだ。わたしはその場に倒れた。さらにパンチが飛んできた。こめかみにガーンと一発めり込んだ。頭の中でいきなり雀の合唱団が歌いはじめた。さらにもう一発。合唱団はデスメタルバンドに変わった。助けてくれ。

 なにやってんだ! 仲田さん! どうしたんだ!

 大声で誰かが叫んでいる。大倉だろうか。

 離せ! 離してくれ! 後生だ! 離せ!

 仲田が大声でわめいている。

 もういや! もういや! この仕事続けられない! あたし実家に帰ります!

 あれはホステスだろうな。かわいそうに。

 それにしても、なんでいきなりおれが殴られなきゃならないんだ?

 ぼんやり考えていたとき、不意に妙な音がした。妙な音なのだが、聞きなれた感じもある。しばらく考えたところで、スマホの呼び出し音だと気づいた。

 しかし、誰のスマホが鳴ってるんだ?

「──おい、仲田」

 森谷の声がした。

 地獄の底から響いてくるような声だった。

 わたしは森谷の方を見た。

 森谷はスマホを持っていた。そのスマホを高く掲げながら森谷は言った。

「これは灰田が持ってきたスマホだ。強盗団のものだ。そうだな、灰田?」

「ええ、はい──そうです。はい」

 森谷はうなずいた。それから言った。


「仲田。どうして強盗団の連中がお前に電話をかける理由があるんだ?」


 ワオ。とんだ急展開だ。まいったね。

 仲田がものすごい絶叫を上げながら逃げようとした。

 森谷の秘書が動いた。ありえない速度でブース席から飛び出すと、ものすごい飛び蹴りを仲田の背中にぶちこんだ。

 おぞましい音がした。

「ぎえ」

 仲田はその場に崩れ落ちた。

「この野郎!」

 大倉がそこに飛びかかって仲田に鉄拳を浴びせかけた。

「てめえ! てめえか! 裏切り者! よくもこれまでぬけぬけと兄貴ヅラしやがって! 容赦しねえ!」

 たちまち、壮絶な修羅場となった。暴れ狂う大倉、泣きわめく仲田、止めに入る秘書。ホステスは神経が限界に達したか、誰彼構わず殴りまくるモードに突入した。森谷だけは冷静に、どこかに電話をかけている。

 やれやれ。何だかとんでもないことになったぞ。

 他人事のようにそう思っていると、向こうから飛んできたウィスキーの瓶が、わたしの頭に直撃した。

 ブラックアウト。お疲れさま。


 結局あのあと、何がどうなったのか、わたしは詳細を教えてもらうことはできなかった。ただ、情報をつなぎ合わせると、こういうことになる。

 とどのつまり、裏切り者は仲田だった。彼はかねてから、現行の体制に不満を持っていたらしい。とどのつまり、古参の自分より、よそ者の森谷が大きな顔をしているのが不満だったらしいのだ。それで、どうにかして森谷を追い落とすための策略を練った。強盗団に情報を流していたのは、その一環であったという。結論──男の嫉妬は怖い、という一言につきる。

「おっかねえ話っすよね」祭戸は言った。だいぶ傷はよくなったようだ。「まあ、おかげで会社もずいぶんドタバタしてまして。やっと落ち着いてきたとこっすよ」

 わたしは同情をこめてうなずいた。

「そりゃ、そうだろうね。しかし、それにしてもさ、おれにはちょっと疑問があるんだよね」

「へえ。どんなことっすか?」

「いやね。仲田ほどの立場の人間が、あんなチンピラ連中と直接やり取りなんかするもんかね? 手下なんか大勢いるんだ。そいつらにやり取りさせてりゃ……」

 祭戸はそこで、ちょっとばかし皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「ま、あれっすよ。専務もやり手だってことです。どうも前々から仲田さんのことを疑ってたみたいで──をしてたらしいっすわ」

「へえ。おっかないねえ」

「いやホント、マジで怖いっすね」祭戸はうなずいた。「偉い人ってのは、仮面をかぶるのが得意なんすよね」

「うまいこと言うね」

「いやー、実感ってやつっすね」

 祭戸はそこでわたしの顔をまじまじと見た。

「なんだい。おれの顔に何かついてるかい」

「いや……」祭戸は腕組みし、じっくりとわたしの顔を眺め、それなら言った。「灰田さんって、マジ素顔ですね。そういう点では」

「ふうん。そうかい。けっこうおれも仮面はつけてる方だと思うよ。嘘はよくつくし、隠し事も……」

 すると、祭戸はニヤニヤ笑いながら言った。

「いや、そういうんじゃなくて。口より先に暴力が出るとことか、とんでもねえ天然ボケかますところとか。だから、専務もある意味一目置いてんじゃないですかね? 予測不可能っていうことで……」

「……それ、ほんとにきみの意見か? 誰かからの伝言じゃないのか?」

「へっへっへ。どうですかねえ。ご想像にお任せしますよ」祭戸はいやな感じに笑いながら言った。

 いやはや。冗談じゃないよ。そんなことだったら、もうちょっと仮面を上手にかぶれるようにした方がよさそうだ。いや、それより、仮面をひっぺがす手段を磨いた方がまだマシだろうか。

 ろくなもんじゃないね。いやほんとに。



 

 

 


 

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