値打ちもの⑦

 目覚めると同時に、ひどい頭痛がわたしを襲った。抑えようもない吐き気が込み上げてきて、したたか吐いた。背中を丸めて吐きあげようとするが、うまくいかない。身体がうまく動かない。しばらくして、身体を椅子に縛りつけられていることに気づいた。

 目を開ける。暗い部屋だ。首はまだ自由に動かせるので、おそるおそる周囲を見回した。壁も天井も床も灰色だ。恐らくコンクリート張り。照明は暗いが、それでも、床にいやな感じのシミが残っているのが見て取れた。カビ……ではないだろう。おそらく。

『お目覚めかね』

 声がした。スピーカー越しの、ざらついてひび割れた声だ。また、明らかに変調されている。何にせよ、頭痛で痛む頭にはこたえる、ひどい声だ。わたしは唸り声をあげた。

『おやおや、ずいぶんみじめな有り様だな。を浴びさせてやろう。の前に、多少は人心地がつきたいんじゃないかね?』

 わたしはまた唸り声をあげた。勝手に人の気持ちを代弁するんじゃねえ、と言いたかったが、そこまでの元気がわいてこない。椅子の上でぐったりしていると、背後でドアの開く音がした。

 部屋に入ってきたのは、ずいぶんちぐはぐな二人組だった。一方は小柄で、一方は大柄だ。どちらも覆面をつけ、魚屋がつけているような長い前掛けをつけていた。大柄なやつは片手に散水ホースを持っていた。

『さて、シャワー・タイムといこうじゃないか。はじめてくれたまえ』

 大柄のやつが水を浴びせてきた。すごい勢いの放水だった。執拗にこちらの顔に水を浴びせてきた。わたしは必死に顔を背けたが、限界があった。水が鼻から口から容赦なく入り込んでくる。息ができない。わたしはなすすべなくもがき苦しんだ。時間がどこまでも引き伸ばされていく。

『よし、そこまで……』クソ野郎の声がした。水責めが止まる。『どうだね、灰田くん? 気分はよくなったかね』

「まあ……まあ……ですな」わたしはようよう言った。「できれば……次は顔以外がいいですが、ね」

『よろしい。なら、さっそくをはじめようじゃないか。我々は無駄を好まないから、単刀直入に聞こう。きみは誰に雇われている?』

「あんた……わかってませんな。探偵には……依頼人を守る義務が……」

 でかい方がのしのしと近づいてきて、わたしの胸ぐらをつかんだ。次の瞬間、凄まじい衝撃とともに、世界が複数に分裂した。

「オゴッ」

 世界がひとつに戻るにつれ、頬桁がずきずきと痛んでくるのがわかった。首も痛い。頭も痛い。ぶん殴られた衝撃で軽い脳震盪を起こしたらしい。首の骨がいかれなかったのがもっけの幸いだ。

『そのパンチを何度も浴びると、死ななくても廃人になるぞ』クソ野郎が言った。『これから先の一生、ずっとオムツと流動食の世話になりたくないなら、おとなしく吐いた方が賢明だぜ』

「だから守秘──」

 また衝撃。世界がまた分裂し、それからふらふらとひとつに戻る。どこか遠くでスズメの合唱団が歌っている。チイチイパッパ、チイパッパ。山のからすが鳴いたとさ。

「ほ、宝石!」わたしはたまらず叫んだ。「宝石をさが、探すのが、仕事で。それ以外は何も……」

『ほほう。あくまでシラを切り通すつもりだな』クソ野郎が言った。『! 適当なことを言ってもごまかされんぞ。次はエレクトロニック・ダンスだ』

 小さい方が近づいてきた。いいかげんめんどくさくなってきたので、わたしは脳内で小さい方をチビ、でかい方をフランケンと呼ぶことにした。こうやって相手を腹の中でこきおろさないことには、たちまち参ってしまう。チビは懐から黒くて四角いものを取り出した。電気シェーバーのように見えたが、本来ひげそりの刃がついているはずのところに小さな突起が二つ突き出ていた。チビがその“電気シェーバー”を操作すると、突起のあいだに青白い電光がはしった。

 スタンガンだ。

『さあ、正直に話す気分になったかね?』クソ野郎が言った。

『さっき言った通りだよ! くそったれ!』わたしは必死の形相でわめいた。

『愚か者め。やれ』

 チビはスタンガンをわたしの腹に押しつけた。

 爆痛。

 全身の筋肉が意思と関係なく勝手に収縮する。世界がどんどん遠ざかる。誰かが甲高い声でヨーデルを歌っている。あれはおれだ。それから、すごい爆発音。…………

 激しい苦痛は、はじまったときと同様に唐突に収まった。わたしは無我夢中で空気をむさぼった。電気ショックの残響で、筋肉がミシミシとむせび泣く。

『無駄に強情を張るとこうなるのだよ』クソ野郎が言った。『それにしても、ずいぶん激しい放屁だったな、ええ? ガス爆発かと思ったぞ』

 それからやつはひとしきり笑った。悪意に満ちたいやらしい笑いだった。

『さて、どうだね。白状する気になったかね。質問は覚えているかな? 誰に雇われた?』

「さっき、言ったことが、すべてだ──タカハシさん」

 わたしはかまをかけた。直感的にも、このクソ野郎こそタカハシに違いないと思った。こういう手合いはいろいろなところにいる。自分以外の他人を全て道具か食い物だと思っている手合いだ。要するに、ろくでなしである。ろくでなしだから、たやすく人を殺すような計画を立案できるし、こうやって拷問を見物して笑っていられるのだ。

『ほほう──どこでその名前を?』

「忘れた」わたしは全力をふりしぼってベロを出した。「けど、ひとつだけ教えといてやる。お前らの秘密保全はガバガバだぜ。だからこうやっておれが食いつくこともできたんだ。ざまあみろ!」

『言いたいことはそれだけかね? きみだってわかっていると思うが、タカハシというのは偽名だ。そんなものには何の意味も価値もないぜ。あと、秘密保全についてだがね──そんなものを気にする必要はなくなるんだよ、遠からずな。我々に手出しできる人間は実質的にいなくなるんだ。我々が奪取したものにはそれほどの値打ちがあるんだよ、灰田くん。つくづく間抜けで哀れな男だな』

 タカハシはそこで一端言葉を区切り、たっぷりの悪意のこもった口調で、こう言った。

『さて、インタビューを続けよう。安心したまえ──ここは防音だからな。どれだけ泣き叫んでくれても構わんぜ』


 拷問は何度目かの休憩に入った。

「まいったね」チビがはじめて口を開いた。「こいつ、思ったよりずっとしぶといですぜ、ボス」

 錆を含んだ暗い声──こいつがわたしを脅かして車に押し込んだやつだ。ついでにいえば、このチビがサントスに手を下した張本人に違いない。

『そのようだな』タカハシ(偽名)が言った。『想像以上に頑固なやつだ。ここまで口が固いとは思わなかった』

 とんだ勘違いだ。わたしはとっくに知っていることはしゃべってしまっている。こいつらがそれを信じないだけだ。こいつらもパラノイアを脳内に飼っているうちに、それと同化してしまった手合いなのだろう。哀れなやつらだ。

「ボス」フランケンが言った。野太い声だ。「どうでしょう、もういっそ始末してしまったら? これ以上締め上げてもなんともなりませんぜ」

『ふーむ──いや、やっぱり待て。こいつがどこまで突き止めているのか、知っておく必要がある。まだ始末するには早い』

 タカハシ(偽名)はそこで言葉を切った。しばしの沈黙をはさんで、やつは言った。

「カワシマ。そいつの事務所に行け。洗いざらい資料を持ってこい。それを見て判断しよう。そうだ、そいつも連れていけ。もしかしたら、そいつにしかわからんように隠された情報があるかもしれないぞ」

「ウス」フランケン──カワシマはうなずいた。カワシマは懐からポケットナイフを抜いて、わたしを拘束していた結束バンドとダクトテープを切断した。わたしは椅子から崩れ落ちて床に伸びた。そこに水がぶっかけられた。冷たいばかりで、他にはほとんど何も感じない。なされるがまま、水を浴びせられたあと、わたしは無理やり立たされた。

『ずいぶんひどいざまだな。まるでぼろ雑巾だ』タカハシ(偽名)はまるで他人事のように言った。『何か適当に服を着せておけよ』

「ウス」

 カワシマはうなずいた。それからわたしの胸ぐらをつかみ、顔面に拳骨をめり込ませた。わたしはまたも闇の底に転落していった。

 

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