値打ちもの⑥
ハッカーからの情報が上がってきたのは、それから一週間ほど経ってからのことだった。
『時間がかかって申し訳ない』
ラッツというそのハッカーは、多重変調された声で言った。無論、回線越しでの会話だ。ちなみに、わたしはラッツの本当の声も、素顔も知らない。ビジネスだけの付き合いだ。ハッカーの多くは生身での付き合いに非常に慎重である。
『あとで詳細のデータを送るが……それらしい取引を特定できた。結論から言うと、今回の案件には日本国外の組織が関与している』
「国外? すると、マフィアとか?」
おい、冗談だろ。思わず呻きそうになる。どこまで厄介なことになるんだよ。
そう思っていたら、ラッツはさらにとんでもないことを言った。
『いや。詳細は不明だが、どこかの国の機関じゃないかと思う。スパイ組織の類いだな。連中の
「なんだって……」
『まあ、見た感じ、大がかりのオペレーションじゃない。ごく小規模のユニットが独自判断で動いているんだろう。よくある話だな。スパイ組織の末端が独自の利益を追求して行動する……十中八九金儲けのためだろう』
「それで宝石泥棒?」
『なあ、あんたもお子様じゃないだろ。この案件が見かけ通りじゃないとわかっているはずだぜ……もう一度背景を洗い直すことをおすすめするよ。それから、おれはちょっとのあいだ潜る。いささか動きすぎたんでな。当分連絡はつかんからそのつもりで』
──スパイ組織? なんだそりゃ。いつのまに、おれはスリラー映画の中に迷い込んだんだ? ラッツから送られてきた報告書をぼんやり読みながらわたしは思った。あまりにあまりの急展開に、頭がついていかない。報告書の内容もさっぱり頭に入らない。くそ、ただの宝石泥棒の追跡だったはずだぞ。なぜこんなことに。そうとも、そうとも、欲をかいて虫の知らせを無視したからだ。だからこんな超ド級のクソトラブルに見舞われるんだ。くそったれめ。
泣き言を言っても仕方がなかった。もうこうなったら、行き着くところまで行くだけだ。
それからの数日間、わたしは方々の伝手に連絡を取って、闇求人についての情報をかき集めた。特に、爆発物の取扱いに長けた人材の求人情報が必要だった。そういう特殊な人材の求人というのは、当然ながら目立つ。特に、この日本においてはそうだ。かつてよりずっと治安が悪化したとはいっても、爆発物を利用した犯罪は未だに極めて少ない。警察が爆発物の流通をきっちり取り締まっているから、というのもあるが、もうひとつ大きいのは、そもそも裏の世界に爆発物のエキスパートが少ないからだ。当然の話だ。爆発物の取扱い資格があれば、たいていまともな仕事で食っていけるからだ。どこの世界でも、特殊なスキルを持つ人材は常に品薄なのだ。だからこそ、そういう人材を求める求人は目立つ。わたしはそれを片っ端から調べあげようとしていた。地道な作業だが、こういうことをやらなければターゲットを視界に入れることはできない。それからもうひとつ、これをやる重要な理由があった。
相手にこちらの存在を知らしめるためだ。
こうなった以上、普通のやり方でターゲットに近づけるとは、わたしはもう思っていなかった。連中がサントスをにべもなく殺したのも、当局の追跡を振り切るための手段だ。トカゲの尻尾切り。
つまり、わたしがやっているのは、「おれはてめーらを追いかけているぞ、このアホ!」と大声でわめき散らし、〈やれるもんならやってみろ〉と大書された看板を背負ってタコ踊りをするということだった。わかってる、わかってる。非常にリスキーだ。しかも、相手が確実に食いついてくるという保証もない。連中が、わたしのようなチンピラ探偵など一顧だにもせずに、さっさと姿をくらます可能性は十分ある。非常に分の悪い賭けだ。しかし、やらねばならない。報酬のためというのも無論ある。しかし、すでにあの程度の報酬では見合わないほどリスクは跳ね上がってしまっている。ではなぜ、こんなアホみたいなリスクを犯しているのか。
とどのつまり、なめられたままで終わるわけにはいかないからだ。遠藤がこちらにいろいろ隠し事をしていたのは明らかだ。遠藤はわたしを、リスクに全く見合わないクソ安い値段で使おうとしていたのだ。そうとわかった以上、尻尾を巻いて逃げ出すという選択肢はあり得ない。とことんまでやって、この案件の内幕を明らかにし、それを遠藤に突きつけ、報酬の再交渉をしてやるのだ。なんとなれば、やつの身ぐるみを全部剥ぎ取ってやる……。
調査開始から3週間が経過した。ここ最近のドタバタのせいで食料品その他の買い物を忘れていたため、ついに冷蔵庫がからっけつとなった。わたしは仕方なく、近所のスーパーに買い出しに行った。
食料品を買いそろえて、駐車場に出たときだった。不意に、背後に何者かの気配を感じた。
「動くなよ」
錆びを含んだ暗い声だった。
「どちらさんかな」わたしは言った。
「三文芝居に付き合うつもりはねえ」そいつはささやくように言った。「騒いだら遠慮なく撃つ」
「やってみろよ。銃声がするぜ」
「サイレンサーを知らねえのか」そいつは潰れたようないやな声で笑った。「とんだ原始人だな。まあいい。ついてくるか、それともここで死ぬか、どうするんだ?」
どうせついていっても最後は同じだろうが、と言いたかったが、わたしはその代わりにこう言った。
「オーケイ、わかった。ついてくよ。ところで買ったものは持っていっていいのか」
「好きにしろ」やつは言った。「さあ、きびきび歩け」
わたしは言われた通りにした。我が愛車のエレカから少し離れたところに、スズキの軽バンが止まっていた。わたしがその脇まで来ると、スライドドアが開き、中からたくましい腕が伸びてきて、わたしを車の中に引きずり込んだ。次の瞬間、脳天に強烈な衝撃が襲いかかって、わたしは真っ暗闇の底に落ち込んでいった。
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