値打ちもの④

 散々警察で絞られ、あらかた情報を吐かされてから放り出されたときには、もう日付が変わっていた。いいかげんくたびれ果てていた。わたしは事務所に戻ると、ソファの上に転がって、たちまち眠りに落ち込んでいった。その夜、悪夢を見た。眉間に風穴の空いた男がこちらを恨みがましく見つめてくる夢だった。こういうときには必ずこういう夢を見る。脳ミソが現実を受容しようとするプロセスの一部だ。そういうものだと思って受け入れるほかない。

 翌日、わたしは遠藤に連絡を入れた。遠藤はずいぶんショックを受けたようだった。まあ、当然である。

『そ、それで』電話口の向こう、遠藤の声はわなないていた。『その、ええと、宝石は』

「影もかたちもありませんでした」わたしは正直に答えた。「恐らく、仲間が他にいて、そいつらが持ち逃げしたのだと思われます。仲間割れですね。捜索は続行しますが、正直申し上げて、かなりの困難が予想されます」

『そんな!』

 遠藤の悲鳴は予想以上に大きかった。わたしは思わず電話口から耳を離した。それほどひどかったのだ。それでもわたしはひるまずに言った。

「お気持ちは理解します。しかし──わたしとしては、正直なところを申し上げねばならないのです。それが職業倫理というものだからです」

『そんなことはわかっています!』遠藤の声はますますヒステリックに高まった。『とにかく、あなたには大金をつぎこんでるんだ! お願いですから、何としても宝石を見つけ出してください! もし見つからなかったら──!』

 それきり電話は切れた。わたしは沈黙したスマートフォンをじっと見つめた。遠藤の様子はどうにもおかしかった。いくらなんでも、たかが宝石ごときに入れ込みすぎではないか? 一応、保険である程度の損失はカバーできるという話ではないのか。それとも、彼の言うところの“お得意様”というのは、それほど恐ろしい存在なのだろうか? よくわからなかった。ああいう世界には、こちらの常識の及ばぬところがあると思うばかりであった。

 その日一日は、終日事務所で過ごした。怪しい宝石の話はどこからも上がってこなかった。自分でもダークウェブに潜って、それらしい取引の痕跡でもないかと思って調べてはみたものの、成果は上がらなかった。

 その翌日、わたしはもう一度例の団地に向かった。とりあえず、ここを起点にもう一度糸をたぐっていくよりほかになかったからだ。しかし、ああもこっぴどいドタバタを呼び寄せたわたしに対して、“自治組織”の連中はいい顔をするまい。のこのこ入っていこうとすれば、袋叩きにされてから簀巻きにされ、A……川に流される恐れがあった。では、さて、どうするか。スパイ映画よろしく、壁でもよじ登ってサントスの部屋に侵入しようか……と、団地の入り口の近くで思案していたときだった。

「探偵のおっさんじゃん」

 例のお目付け役の女の子だった。目の下にこっぴとい隈ができていた。

「あんた、こんなとこでなにやってんの」

「仕事」わたしはぼそりと言った。「正直ちょっと手詰まり気味でね、困ってるんだよ。ところで、そっちはどうだった、あのあと」

「クソもいいとこ」それから彼女はぺっと道路につばを吐いた。実に雄弁だ。

「だろうな。ところで、きみに頼みがある」

「あのさ。なんであんたの頼みをわたしが聞かなきゃいけないの?」

「そりゃごもっとも」わたしは苦笑いした。「けど、今はきみしかここに伝手がなくてね。それで、ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「へえ。聞きたいことって……」

「サントスの交遊関係その他についてだ。周囲とあまり交渉がなかったというのは聞いてるが……それでも何かしら情報がないかと思ってね。本当は聞き込みをしっかりやりたいんだが、いまのこのことあそこに入っていったら……」

「ま、いい顔はされないね」彼女はいやな笑みを浮かべた。「ぶちのめされて川に流される、かな」

 おっと、予想通りか。いやはや。

「正直な話をするんだが」わたしは言った。「サントスは強盗事件の容疑者でね。宝石を盗んだんだが、あの部屋には宝石がなかった。たぶん、仲間が他にいて、それで仲間割れを起こしたんだろうとおれは思ってる。そいつらがサントスを殺し、宝石を持ち去ったんだな。で、おれは何とかその宝石を取り返したいんだ。それが今回の仕事だからね。しかし、そのためには情報が要る。できる限り多くの情報がね」

「ふうん。ご苦労なこったね」

「そうなんだよ」わたしはうなずき、哀れっぽい声で言った。「ねえ、頼みますよ、お嬢さん。この哀れな探偵のおっさんに、何かしら知恵を授けてくださいませんか?」

「ねえ」彼女は顔をしかめて言った。「その言い方、やめてくれない? マジキモいんだけど」

「傷つくね」

「マジ笑えない」彼女はそれから腕組みして、しばらく考え込んでいた。それから、ややあって、こちらを見た。悪い笑みを浮かべていた。

「あたし、気づいたことがあるんだけどさ。いくら払う?」

 おっと、そう来たか。

「貧しい探偵にあまりふっかけないでくれよ。500円では?」

「話になんないね。二万」

「ボッタクリだろ、それ。800」

「バカじゃないの? 18000」

「ご冗談でしょう。1000」

 ……結局、わたしたちは一万円で手を売った。痛い出費だが仕方がない。本案件の成功のためのモチベーションとするほかあるまい。

「で?」わたしは言った。「気づいたことって?」

「銃声」

「え?」

「ねえ、おっさん。サントスがくたばってるのに、あたしたち全然気づかなかったんだよ。銃を使われたのにさ。だからみんなキレてるんだけど……あたし、思ったんだけどさ。サントスを殺したやつ、サイレンサーを使ったんじゃないかなって」

「なるほど」わたしはうなずいた。いくらローパワーの小口径弾を使ったところで、銃を使えば派手な音が出るのは避けられない。よしんば入り口にたむろしていた連中が気づかなくても、隣の部屋のやつなら、びっくり仰天してご注進に走るはずだ。

 しかし、サイレンサーを使えば話は別だ。もちろん、サイレンサーを使ったって、破裂音は完全には消えない。しかし、高性能のものを使えば、かなり効果的に音を小さくできるし……ローパワーの小口径弾と組み合わせれば、さらに消音効果は高まる。だから、CIAやモサドの暗殺者は、22リムファイアのピストルにサイレンサーをつけたものを好んで用いたのだ。花火大会のどんちゃん騒ぎを、密やかなパーティの愛のささやきくらいに抑えることができるからだ。静かに誰かを始末したければ、そういう銃が最も適任だ。

 そこではたと気づいた。そんな銃が持ち出されたということは──誰がサントスを殺ったにせよ、そいつは、

「それからもうひとつ」彼女は言った。「サントスを殺ったやつはどうやって入って、どうやって出ていったかってこと。団地の建物に、出入り口はひとつしかない。そこにはいつも見張りがいる。なのに、どうやって犯人は入り込んだのか? ってことよ。みんなバカじゃないから、それがどんなに異常なことかわかってる。だから、みんなナーバスになってんの。殺し屋が好き勝手に出入りしたってことだから」

 それはわたしも気になっていたポイントだった。犯人は誰にも見とがめられずに一連の凶行を行った。そうした理由Whyはわかる。しかし、問題は、いったいどうやってHow? ということだ。もちろん、ある程度の想像はできる。そういう芸当を可能にする手段はいくつかある。しかし、そういうことをやってのけられる人間というのは──

「わかるでしょ」彼女は言った。「これがどんなに異常なことか?」

「わかるよ」わたしは答えた。「どう考えても普通じゃないな。ありがとうよ、お嬢さん」

「あのさ。その呼び方、やめてくれる? くすぐったくなんのよね」彼女は言った。「わたしはグエン・チ・リエン。みんなはリエンっていうけど、あんたはそこまで親しくないから、グエンって呼んでほしい」

「わかったよ、グエンさん」わたしはニヤッと笑って言った。「こっちからもいいかな? おっさんじゃなくて、灰田と呼んでくれ。灰田遼ハイダ・リョウ。私立探偵だ。どうぞよろしく」

「よろしく、灰田さん」グエンはニヤリとこちらに笑い返した。

 

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