ニナ・リント、パイロット: 6

 よかった、吐いてない。

 それが意識を取り戻して最初に思ったことだった。まあ、吐いていたら意識を取り戻すこともなかっただろうけど。

 気密は破れてない。酸素もだいじょうぶ。

 いくつか警報が鳴ってる。うるさいから切った。機体は回っているが、ひどくはない。……噴射音?

 副系統の推進剤が急激に減っていく!

 あたしは手動でスラスタを止めた。残量表示はレッドゾーンまでいっている。

「アル!聞こえるか、アル!」

 返事がない。通信機の故障か、それとも……。

「イタスカ、こちらKHAQQ。アクシデントだ。一号機と連絡が取れない」

 こちらも応答なし。

 レーダーを見た。一号機が映っていない。イタスカもだ。

 いまどこにいるんだ?それはイタスカが?それともあたしが?

 座標は表示されていた。

「イタスカへ。こちらKHAQQ、現在157―337―262にいる。副系統の推進剤が残り少ないが、貴艦が見当たらない。通信も聴こえない。チャンネルを閉じないでくれ」

 戦闘中なんだ。閉じるわけがない。

 警報表示をチェックした。姿勢制御プログラム、通信機、レーダー・ディスプレイ、火器管制。いくつかの配管も死んでるが、メインスラスタには影響なさそうだ。

 機体の回転のせいで、妙に気分が悪い。




 アウトリガーが勝手に動いていた。姿勢制御のためだろうが、動くたびに回転軸が変わっていくような気がする。プログラムにエラーが出ていたということは、重心が大きくズレてしまったのか。

 だとすると状況はかなり悪い。

 イタスカは救助を出したにちがいない。一号機との衝突から――――それ以外に考えられない――――どれくらい時間が経っているんだ?

 衝撃の強さと推進剤の残量で見積もって、五、六分か。

 待つべきだろう。この損傷でイタスカを探し回るのは無謀だ。

 見えないとわかってはいたが、カメラを動かしてみた。映るのは星の光だけだった。




 装着したまま水が飲める酸素マスクを発明したやつは天才だ。あたしはストローに口をつけ、むさぼるように飲んだ。こんなにのどが渇いていたのか。

 救助が到着するには、最短でも三〇分はかかるだろう。

 待つべきだ。

 水を飲んだせいで、汗が噴き出してきた。回転が不快なのは、予測できない動きだからだとあたしは気づいた。

 機体の回転を止めたい。でも操縦桿をうかつにさわれば、よけいな力が加わって回転はもっと異常になるだけだろう。

 待つのが正しい選択だ。救助がくるのが確実なら。

 けれど、たとえ地球近辺に限定しても、宇宙はとりとめのない広さだ。その中で艦船や宇宙機をひとつ見つけ出し、ランデヴーするのがどれほど困難なことか。あたし自身、救助機を飛ばしたこともあるから知っている。

 そして、救助が間に合わず死亡したり、深刻な後遺症を抱えたパイロットの話は何度も耳にしてきた。

 イタスカはほんとうに救助を出しただろうか?出せる状況にあっただろうか?救助機は戦火をくぐり抜けてここまでこれるだろうか?




 赤い星が外部モニタをゆっくり横切った。

 ひと目でわかる。火星だった。

 そうか。勝利の塔チトールへ戻る手がある。

 配置完了直後、イタスカと勝利の塔チトールを結ぶ線上に火星があったことを、あたしは覚えていた。宇宙トラックを転がしてたころ、星の位置に注意するクセがついたんだ。

 いま勝利の塔チトールは星明りを隠す真っ黒な影で、ほとんど見えない。だけど、赤い光が半分黒い影に隠れるように飛び続ければ、そっちへ向かうことができる。……計算上は。

 あたしの判断はまちがってないだろうか。G酔いは抜けているだろうか。

 火星がにじんだ。

 目に流れ込んだ汗を拭こうとポケットを探り、吸湿シートを引っぱり出したとき、なにかがいっしょにこぼれ出た。

 あわててつかんだ。小さくて、硬かった。

 そっと手を開くと――――赤毛のガミコが、あの意地悪な目つきであたしをにらみながら、不敵に笑っていた。その頭上でチェーンがゆらゆらゆれていた。




 ためしに噴かしてみたら、想像以上の振動で火星を目視するどころじゃなかった。エレクトラ、とんだじゃじゃ馬になっちまったな。

 ごめんよエンゾー。この子はもう、力ずくで飛ばさなきゃまっすぐ進まないんだ。それも目隠し飛行――――計器にも頼れない、文字どおりの目隠し飛行になる。

 新しい警報が鳴った。コクピットの気密が破れたらしい。

 空気が漏れる音は聞こえなかった。衝突時からすこしずつ流出していたのが、いまになってセンサーに引っかかったんだろう。ぼやぼやしていたら、ほかにもいろいろ不具合が発覚しそうだ。進路を固定するのに副系統の推進剤も使い切っちまった。

 あたしは、ほんの十グラムだけ重くなった胸ポケットにふれた。出る前に、報告だけは入れとこう。届かないかもしれないが。

「イタスカへ。こちらKHAQQ。アクシデントのため、これより勝利の塔チトールへ向かう。幸運を祈っててくれ――――ジェイ!」

 あたしはアクセルを踏んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る