ニナ・リント、パイロット: 5

 予想開戦時刻まで一時間はあった。

 アル・ステイサム中尉の一号機とあたしの二号機エレクトラは、巡洋艦イタスカの前方約千メートルに配置を終えていた。イタスカも勝利の塔チトールも漆黒の闇に溶けて、まったく見えない。

 勝利の塔チトール係留施設バースも、イタスカの格納庫ハンガーも、レース前の雰囲気に似ていたし、似ていなかった。

 レースとちがって、みんながみんな戦いたがってるわけじゃなかった。レースと同じなのは、戦いたがってる者も心のどこかで逃げたいと思ってるところだ。




 アルのヨタ話につき合っていると、イタスカからの通信が入った。隣接するエリアで戦端が開かれたらしく、イタスカを含む部隊は応援に向かえという指令だった。

 いよいよか。

 あたしは慣性飛行で一号機を追尾した。イタスカと足並みをそろえなくちゃいけないし、推進剤も節約できる。

 気をまぎらわせたいのか、個人用周波数でアルが聞いてきた。

「なあニナ、二号機はどっかいじってんのか」

「ああ、プログラムをね。なんでわかる」

「挙動がこっちと微妙にちがうぜ。あの担当エンジニアが?」

「古いつき合いだから、あたしのクセを知ってるんだ。だからじゃないか」

「へえ。俺もそういうやつに担当してもらいたかったな」アルは自分を担当したチーフエンジニアのグチをこぼしはじめた。

 エンゾーもマーセデスも、勝利の塔チトールにはきていない。軍事機密だらけの宇宙要塞に、ぞろぞろと民間人を入れるなってことだろう。




――――エンゾーは昔から、ビールしか飲まなかった。

 打ち上げパーティのとき、なにか話そう、つまらないことでもいいから――――とエンゾーのところまでいったが、いざグラスを手にした彼を前にすると、なにもことばが浮かばなかった。

 あたしは彼を尊敬してるけど、いつも心のどこかでは恐がっていたと思う。

 黙っているあたしを見て、エンゾーが口を開いた。

「レースに戻らないか。いまの俺ならバックアップできる」

 酔ってるんじゃないかと思ったが、エンゾーはビールでは酔わないんだ。ビールしか飲まないくせに。

「もうそんな歳じゃないって」

 苦笑いでごまかすあたしに、エンゾーは続けた。

「プレストー“最速プレスティシモ”だってまだ現役だぜ。シューメイカーとの因縁なら忘れちまえ。

 ?」

 シーズン4で、ガミコが引退を決めたときのセリフじゃないか。

 反則だ、こんなタイミングで。

 あたしには「あんたも観てたなんて、いまのいままで知らなかったよ」というのがせいいっぱいだった。

「考えといてくれ。返事は必ず聞かせてもらう」

 背中で手をふる彼を、あたしはただ見送ったんだ。見送られるのはこっちだっていうのに。




 気がつくと、アルの話題は知らないうちに賭けポーカーへと移っていた。

「……と思うじゃねーか。それがお前、開けたらブタだよ?ふつうブタでブラフかけるか?ブタでレイズしていいなんてルール、世界中ど」

 イヤホンから、金属音とゲップのような音が重なって聴こえた。

 エレクトラが勝手にどこかのスラスタを噴射した。

 不審に思うひまもなく、フロントカメラをかすめる何かが見え、振動と轟音があたしを叩きのめした。

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