第9話.内の世界の住人

南獄の吹雪に挑んだカイトとヨシノは猛吹雪の中で死にかけてしまう。そこで道中であった不思議な虎に助けられ、吹雪の中の不思議な空間を見つけた。




 ヨシノは何かの足音によって目が覚めた。彼女が音のほうを見ると、大きならせんの木の幹から小麦色のしっぽが飛び出していた。刺激しないようにゆっくりと回り込むヨシノ。ヨシノは大木からの光を浴びて気持ちよさそうに仰向けに寝ている狐を見た。ただこの狐、様子がおかしい。第一に服を着ている。真っ赤な服、首元には白いもこもこの毛がついている。赤い指ぬき手袋に短いズボン。膝から下を守るように固そうな脛当てをつけているが、靴は履いておらず、肉球が見えている。被っている革の帽子には耳を出すための穴が開いていて、装飾なのか二本の帯が垂れている。そして額の部分にはあの文様と同じような溝がある。ヨシノはこの文様を見てこの狐?は友好的だと判断した。

 ヨシノは近づいて狐の肩をたたいた。狐はすぐ目を開け、瞳孔を大きくした。狐は寝起きとは思えない速さで跳びのいてきれいに着地した。ヨシノはあっけにとられてただ狐を呆然と見ていた。


「ごめんね。キミがいるとは思わなくてびっくりしちゃった。」


先に狐が口を開いた。


「キミってどこの部族?もしかして気配がなかったことと関係ある?」


「私は別にふつうの人間だけど。」


「いやキミみたいなニンゲン見たことないよ!僕はね、狐族のペニーってゆうんだ。」


「あー、私はヨシノ。もう一人ツレがいるからちょっと起こしてきていい?」




 未知の生物との遭遇に俺は大変驚いた。体のつくりはほとんど人間なのに、人間が失ってしまった牙や毛や尻尾を持っている。人の声帯を持ち、服も来ている。体の各部の形状は動物のようだが、胸も人間のように膨らんでいて、基本的に人間と同じような体形だ。生物学の定義では魔物にあたるだろうか。俺は自分の中でこれを獣人と呼ぶことにした。


「この丘は特別あったかいからね。キミたちもやっぱり日向ぼっこ?」


「いや、私たちは偶然ここにたどり着いたの。ここがどこなのか聞きたいぐらいだわ。」


「ここ、ぽかぽか丘って呼んでるけど、だいぶ端っこだよ。偶然ここにたどり着くことなんてないと思うけど」


「えーとペニーさんだっけ?あの木は…」


「ぺニーでいいよ。多分僕たち同い年でしょ。」


「ペニー、あの大きな木の名前は何ていうんだ?」


「ん?そんなことも知らないの?もしかして忘れちゃった?'陽樹'っていうんだよ」


「文字はどう書く?」


彼女は空中に指で文字を示す。俺が知っている文字と全く同じだ。


「どうしたの?まさか記憶喪失なの?」


まあ話を合わせるのもいいがここは単刀直入に事情を言うことにした。


「ペニー。俺たちはなここの外から来たんだ。」


「えっ!?」


 ペニーから聞いた話では世界はすでにほとんど滅んでいて、'陽樹'を中心としたここだけが世界中を吹き荒れる吹雪から逃れられる場所らしい。実際は違うが。'陽樹'はその名の通り太陽の代わりとなる木。温かい光を発し、夜は光が弱くなる。この陽樹をもとに作られる世界を'内の世界'。吹雪によって壊された世界を'外の世界'と呼んでいるそうだ。

 ここに住む獣人たちは皆それぞれ部族があり、俺の知っている動物の姿を取っている。また普通の動物も、普通に存在している。狼の部族と羊の部族は争っているのかと聞くと、言葉がしゃべれるのでそんな争いなんかしないらしい。無駄な殺しはせず、食べない部分はきれいに埋める。皮や爪を取ることもあるが、必ずそのすべてを取ることはせず、少しは残して弔う。そして陽樹の養分となり、光となって植物を育てそれが新たな羊を育てると。人間より数段も立派な文化だ。




 二人はペニーの住む集落に案内された。ここでは主に麦を育てているようだ。尻尾も生えていない二人は当然住民たちから耳を立て、鼻を鳴らし注目される。


「みんなキミたちが気になってるみたいだね。ちょっとみんなに紹介しようか。」


「でもなんか私たち怖がられてない?」


住民たちは注目はするものの近寄ろうとしてこない。それに物陰から彼らを覗いている住民もいる。


「まあやっぱりみんな見たことないものは怖いよ。」


「ペニーは大丈夫なんだな。」


「僕はいろんな部族を見てきてるからね。ここは集落からこ出たことない人も多いんだ。」


「じゃあ、これでしょ」


ヨシノはヴァイオリンを取り出した。彼女は演奏しながら歩き回り住民一人一人に接近して目を合わせる。


「やっぱヨシノは慣れてるなあ。」


ヨシノの演奏が終わると、自然と拍手が起こった。


「どうも皆さん。外の世界から来ました。ヨシノです。」


「あ、同じくカイト。」


住民たちはいっせいに彼らのもとに集まり、質問を投げかけた。

「尻尾は切ってしまったのか」とか「なんで禿げてるの」とか「その楽器は何だ」とか、とにかくいろいろいうものだから、その中のほとんどは聞き取ることができなかった。ヨシノにはすべて聞き取れてはいたが、どれに答えればいいものかと返事はできなかった。50人ほどの獣人たちに囲まれて立ちすくむ彼らを見かねて群がりの外からペニーが助けに入った。


「ちょっとふたりとも困ってるでしょ。」


それでも群衆は動こうとしない。そこでペニーは牙と爪を出して威嚇をした。すると人だかりは崩れ綺麗に一本の道ができた。二人は出来た道を歩き、ヨシノは軽く音楽について質問してきた人に会釈をした。最後に群れに向かって牙をちらつかせて別れを告げた。


「僕からふたりのことは聞いておくからまた後でね。」


彼らはそれぞれの生活に戻った。カイトはちらりと見えた先ほどのペニーの形相と今の愛らしいペニーの顔の違いに不安を覚えていた。



 カイトは疑り深いがゆえに生き残ることができている。旅人というのは基本的に法律の外の存在だ。国に所属していないので国から助けをもらうことができない。基本的に信用もないので兵士に訴えても聞いてはくれない。なので旅人が金をちょろまかされたり略奪されたりするのはしょっちゅうだ。カイトはそれに疑いと腕っぷしで抗ってきた。中には疲れ果てたカイトを馬車に乗せてくれると言って、そのままどこかに売り飛ばそうとする者もいた。そのときカイトは進んでいる方角が山賊の隠れ家であることに気が付いて逃げることができた。彼は悩んだ。ペニーは本当に信用のおける獣人であるのかと。

 カイトがそう悩んでいるうちにペニーの家にたどり着いた。扉で入り口はふさいでいるが家というよりは洞穴だ。中は意外と立派な作りで地面の中ということを忘れさせるような綺麗さだ。二人は居間の大きなテーブルのそばに腰かけ別室からペニーが紅茶を入れてきた。


「どう?おいしい?」


ペニーはテーブルに肘を乗せ、前がかりになってヨシノを見つめる。ヨシノは震える手で皿にコップを戻した。


「店が…開ける…しかも絶対繁盛する…」


「本当?うれしい!カイトくんも飲んでよ。」


カイトはコップに触りもせず、口を開いた。


「なあペニー、俺はいまいち君を信用できない。俺が今まで会ってきた人間は初対面の相手にただで親切なんかしない。君が望む対価は何だ?」


「あーばれちゃった?キミたち外の世界から来たんだよね。」


ペニーは立ち上がり、棚に手をかける。そして素早く振り返った。カイトは攻撃と判断して椅子を倒しながら少し立ち上がった。


「じゃん!これ世界地図!僕ね'外の世界'を冒険したいんだ!」


ヨシノは隣で剣に手をかけている男に軽蔑の目を向けている。カイトはため息をつき、椅子を立て直す。


「あれ、もしかして警戒してた?」


「そりゃするさ。経験上こういう時はあんまりいい思いはしてないからな。」


「カイト、それは失礼よ。こんな紅茶まで出してくれたのに。」


「お前はさぞかしいい旅をしてきたんだろうな。うらやましいよ。」


カイトは紅茶を一気に飲み干した。


「まあ誤解も解けたみたいだし、先にさ、集落のみんなが言ってたこと思い出せる?多分次会ったときも質問攻めされるから。みんな一回気になると止まってくれないんだよね。」


「私、覚えてる。」


「え、ホント?じゃあちょっと言っていって。書いていくから。」




「…よし、これで全部かな?」


「そうよ。」


「キミすごいね。兎族より耳いいんじゃないの?しかも全部覚えてるなんて。」


結構な質問の量でくたびれた。女子ってのはほんとにおしゃべりが大好きなようで、まだ全然疲れてないみたいだ。そういえば腹が減ったな。ここの食事はどんなものだろう。紅茶がああなんだからほかも一級品なのだろう。


「なあペニー、そろそろ夕飯にしないか?」


「え、もうそんな時間?」


この家、時計がないな。時間は何で計るんだ?


「僕まだそんなにお腹すいてないよ。」


…腹時計か。時計はないのに内装は凝っているんだよな。特にあの棚は木彫りや人形が飾られてる。収集癖があるんだろうな。


「ちょっとその棚見ていいか?」


「いいよ。何ならどれかあげようか?」


「いや、ホントに見たいだけなんだけどこの地図とか…」


「いいでしょーこれ、外の世界のも書いてある地図ってなかなかないんだよ。」


「…やっぱりこれ嘘っぱちだな。大陸の形が全然違うしな。」


「え!?じゃあもしかしてあれも…ちょっとこっち来て!」


「いっって!」


ペニーの爪が食い込んで痛い。突然連れ込まれた部屋は薄暗い。ペニーが垂れ下がったひもを引っ張ると明かりがついた。光で瓶に入った虫、魔物のはく製が照らされた。こうやって死んだものを弔わないのは禁忌じゃなかったのか?


「じゃあこれが外の世界から来た龍だってのも嘘?」


それは子供のようだったが葵い鱗に立派な爪と牙を持ち、何より額に埋まっている宝石の様なものからはすでに死んでいるはずなのに、不思議と魔力があるように感じられる。貫禄もあり、今にも動き出しそうだ。


「いや、こんな龍は図鑑でも見たことないな。周りの吹雪から来たってのはあるかもな。」


「ホント?」


「それよりキミ、こういうことするのはいいのか?土に還さないといけないんじゃないのか?」


「あー、確かに見られたらちょっとまずいかも…でも、内臓はちゃんと弔ったし…珍しいからつい。」




 カイトはペニーのお宝を見て回った。ヨシノは紅茶をすすりながら扉の隙間から覗いている。


「こんなにいっぱい集めるの大変だったんじゃないか?」


「まあ僕ずっとこんなことやってきたからね。'内の世界'はみんな行ったことがあるよ。」


「すごいな。じゃあそんな君からこの内の世界のことをもっと教えてくれないか?地図もあることだし。」




'内の世界'。'陽樹'の作り出すこの場所のことだ。ここは内の世界の端っこ。それも上流と呼ばれる場所だそうだ。二つの境でうちの世界は3つに分割されている。

 上流は吹雪に近いためほかの土地に比べると寒い。それゆえ住民も少ない。土地は余っているため穀物を育てて内の世界の食料を支えている。ぽかぽか丘だけは例外でペニーぐらいしか知らないが陽樹の周辺ぐらい温かい。氷の谷、別名”龍の爪痕”を境にそこは中流と呼称される。陽樹があり、獣人たちの集落が多く存在している。そして一年中雨の降る常雨の丘という地より下が下流と呼ばれる。陽樹の力が及ばないので、寒く、雪の降ることも多い。人は少ないが、動物が多く、狩りの名所らしい。


 陽樹の周りには町が並び、都市になっている。一番暮らしやすい気候であり、たくさんの人が集まってくる。都市は鼠族が仕切っていて、警察として牛族が治安を守っている。陽樹から少し下ったところに森があり、最も賢い猿族が暮らしている。そこには大学や図書館があるのでそこで内の世界から出る方法を探そう、ということになった。

 ヨシノの要求で夕飯はクリームシチューになった。これまた絶品の料理で、まさにほっぺが落ちるような美味さだった。食事の仕方にはちょっと驚いたが。少しも無駄にしないため、食器はきれいに舐めてから洗うらしい。…まあ食器についた残りもおいしいのでつい舐めてしまったが。それにしてもいちいち文化の違いがあり、ここがこの世の誰も知らない場所であることを思い出させる。外の世界に出たら冒険譚でも書いてみようかな。俺は灯篭のひもを引っ張り明かりを消す。この空間はすべて陽樹のおかげで成り立っているんだよな。本当かどうかは知らないが、陽樹はかつて太陽の英雄だった。死してなお彼の魔法はこうやって人の生活を、文化を作っている。俺もいつかはそういう大きい人間になれるのだろうか。

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