番外1.ヨシノの旅立ち

 私の職業は聖歌隊のヴァイオリン担当。ジン公国を中心に国内外を渡り歩き演奏をしている。今日は中央の教会で毎年行われる生誕祭に来ている。午後から演奏が始まってしまうのでそれまでにこの祭りを楽しみ尽くさなくてはならない。


「おいナルセ、急ぎすぎだ。食べるのぐらい待ってくれよ。」


「あなたが勝手についてきてるんでしょう?待つ筋合いなんてないわ。」


「これは隊長命令だぞ。毎年お前が遅刻するのが悪いんだ。それにさっきからお前、食べ歩きなんか行儀の悪いことするなよ。」


去年偶然見つけた腕自慢大会、去年は間に合わなかったが今年は参加しなくちゃ。


「はぁ…はぁ…だから待てって言ってるだろう。」


後ろからワタリが全力疾走で追いかけてきた。


「お前どこへ行くつもりだ。」


「あれよ。」


特設された柵の中で男同士が殴り合っている。が、一方的だ。男の放った攻撃はもう一人の巨漢には全く効いていない。


「まさかあんな下品なものを見に来たのか?金のために争い合って、それに金をかける奴ら。まったく馬鹿馬鹿しい。」


「見に来たわけじゃないわ。参加しに来たのよ。」


「お前が?見ろよあの体のでかさを。ぼこぼこにされて演奏ができなくなったら怒られるどころじゃないぞ。」


「大丈夫。あなたにはわからないかもしれないけど、私って結構強いのよ?」


「やめとけって。俺まで叱られる。」


私は金を取り出し、柵の角にいる開催者に声をかける。


「お、嬢ちゃんもう賭けるのは無理だぜ。次の試合からだ。」


「違う。参加料よ。」


「おいおい冗談言うな。次もあのでかい男が出ることになってる。現在十連勝中だ。考え直しな。」


「私の目をよく見て。冗談じゃあないわ。」


巨漢の咆哮と歓声が一斉に上がった。どうやら決着がついたみたいだ。


「…そうかよ。ちょうど終わったみたいだし入れよ。」


観客たちがざわつく。まあ当然の反応ね。


「続いての対戦はこちら!現在十一連勝の巨漢ダズ!対するはこちらのお嬢ちゃん!せっかくだから俺はこの嬢ちゃんの勇気に賭けてみるぜ!」


観客たちは笑って巨漢に金を賭けていた。対戦開始位置に立つと対戦相手の巨漢が啖呵を切ってきた。


「おい小娘。俺に挑んでくる勇気は大したもんだが、手加減はしねえぜ?そのきれいな顔が大切なら今すぐ勝負を降りな。俺は女の顔だって容赦なく殴るぞ。」


「なによ。私に負けるのが怖いの?」


「それでは勝負開始!!」


開始の鐘が鳴らされると同時に相手は宣言通り私の顔に殴り掛かってきた。その手をかがんで躱し、がら空きの顎を魔法を添えて思いっきり殴った。そのまま相手は人形のように崩れ落ちた。


「…け、決ちゃ…」


「八百長だ!!!」


決着の合図をかき消して罵声と怒号とが飛んでくる。かわいそうなことに主催者は観客につかみかかられている。


「賞金はどこよ?」


「出すよ…出すからこいつらを静かにさせてくれ。」


私はさっきと同じように騒ぐ彼らの顎を殴る。今度は弱めに。三人ほど気絶させたところ観客の騒ぎは小さくなっていった。


「ほらよ賞金だ。嬢ちゃんはもう参加禁止だ。ここまで騒がれちゃあな。さっさと行ってくれ。」




彼女はまた出店の多い中心部に戻り、案外早く終わったので、今度はゆっくり焼きそばを食べていた。


「おい!聞いているのか!?」


「あら、ごめんね。結構な大金が手に入ったからうれしくて。」


「俺たちの月給の三倍はあるだろ。何に使うつもりだよ。」


「教えない。」


「それにお前、どうやって一発であの巨体を倒したんだよ。」


「あなたも使える魔法を使っただけよ。」


「音魔法か?それでどうやって?」


「音で頭を揺らしただけよ。そんなことしなくてもよかったんだけど、あんまり人を傷つけたくないし。」


「単純な腕力だけでも勝てるってか?」


「当然よ。体がデカけりゃ強いってわけじゃない。」


「そうか。お前の父親は傭兵だったな。そりゃ鍛えられてるわけだ。」


「あなたみたいな坊ちゃんとは違って、ね。」


ふとワタリが時計台を見上げると、ちょうど正午をさしていた。


「そろそろ時間だ。行くぞ。」


「始まるのって2時からでしょ。」


「あのなあ、お前はいつも遅れてるからわからないかもしれないけどな、調弦とか最終確認があるんだよ。今年は何としてでも間に合わせろって言われてんだ。」


「しょうがないわね。」




 初めて時間に間に合った彼女を見て隊長は安堵した。


「ようやく間に合ったか。ヨシノ。それにワタリ、よくやった。」


「隊長。異常が正常になっただけです。さあ始めましょう。」


ナルセ ヨシノ、17歳。彼女にとってこの演奏は生き甲斐ともいえるものだった。母は代々続くヴァイオリン奏者の家。父は傭兵で、8年前、仕事に出たっきり帰ってこない。母はもう父が死んだことを受け入れ、音楽教師として働き続けている。ヨシノは聖歌隊となって各地の貴族の式典や宴会で演奏をし続けた。その結果こういう演奏の時間が彼女にとってある種の苦痛になっていった。



 聖歌隊の演奏のあとに起こる貴族たちの大喝采。ただ彼らの拍手には魂がこもっていない。確かに感動はしているが、快適な暮らしの中の暇つぶしの一つに過ぎない。彼らが楽しんでいる間に汗水たらして働く人もいるというのに。ヨシノはどうもそれが気にくわなかった。必死になっている人たちこそが祝福を受けるべきなのに。ただ、聖歌隊は勝手に演奏をすることが禁じられている。ヨシノも結局は貴族たちの所有物だからだ。神に古くから仕えていた家なのだから富を持ち、人々の上に立つことは当然であるというのが彼らの言い分だ。それもヨシノは気にくわない。


 今回の生誕祭についても彼女は乗り気ではないが、演奏することは体に染みついている。馬鹿みたいに大きい音叉での調音や、曲の最終確認が進み、気が付くと公演開始の時間になっていた。神が生まれたとされる地で、生誕祭が始まる。貴族のさらに上の地位に位置する法王からの挨拶があり、幕がついに上がる。警備の兵たちが広場を囲み各地の貴族たちがこぞって席を取り、演奏を待ちわびていた。そして兵士の囲いの外、そこにいわゆる平民たちが押しかけている。中にはボロボロの服を着ている人間も混じっている。せめてもの抵抗として、彼女は警備の外の人々に向けてしていると思うことにした。




 演奏も終わり日が暮れてきた。夜は隊長と選ばれた数人がが宮殿で開かれる食事会に招かれることになっている。といっても招かれるのはご褒美ではない。明日にも法王による式典があるので、夜遅くまで続けられる食事会に行きたがる隊員はいない。ヨシノはもちろん万が一にも声を掛けられないためにそそくさと宿に帰ろうとした。ただそれを絶対に許さない男がいる。ワタリが必死に気配を消そうとする彼女の肩を抑えた。


「逃げようとするな。隊長がお呼びだ。」



「今年は遅刻もしてないし、何より貴族たちからの声があってお前が選ばれたんだ。それに俺からはヨシノを遅刻させなかったワタリを指名する。開演前に練習をしなかったら、ヨシノはいい演奏ができなかったろう。」


「ありがとうございます。」


お前も感謝しろ!とばかりにワタリがヨシノの背中を小突く。それでもヨシノは口を開かなかった。


「…まあいいだろう。早速宮殿に行くぞ。同席するのは高位の司祭や貴族たちだ。特にヨシノ、粗相のないようにしろよ。…返事は?」


「はーい…」


 ヨシノにとって食事会は退屈そのものだった。おいしい食事ではあるが、法王の明日発表する教会の方針の話や隣に座った貴族との会話もものすごくつまらない。新しく庭に花を植えた話だとか、砂漠の国から宝石を仕入れたとか、代々地方を統治している家系だから民衆を気にかけるのが大変だとか。彼女は話を聞いているのもうんざりなのでトイレにでも行って時間をつぶそうと考えた。が、この宮殿に入るのが初めて出会った彼女は、隣のよく話しかけてくる年の近い貴族のアリィ話しかけた。


「ちょっとお手洗いに行きたいんだけど、どこにあるか分かるかしら?」


「もちろんわかるさ。ご案内しようヨシノさん。」



「ここの左側が女性用だ。」


「案内ありがとう。」


「いやいや、当然のことさ。この宮殿、道も複雑で装飾も派手で分かりづらいだろう?僕はここで待っているから。帰りも送ってくよ。」


ヨシノはできるだけ時間をかけて用を足した。アリィはヨシノがトイレに入った時と全く同じ場所で全く同じように直立していた。さすが貴族、礼儀と見た目は一級品だ。


「ヨシノさん、本当にこのまま席に戻ってもいいのかい?」


「どうして?」


「あそこにいるのはほとんどが僕たちのはるかに年上だ。僕は病気の父の代理で出てるから。話が君とぐらいしかできなくてね。」


「そうじゃあどこに行くの?」


「庭へいこう。今日は満月だ。月に照らされた花がきれいなんだ。見に行こう。」



「いい眺めだろう?僕の庭もここと同じ花を最近仕入れたんだ。特にこの青い花はね飼育がとても大変なんだ。気温に合わせて正確に水を上げないとすぐに枯れてしまう。一流の庭師がいないとこの美しさは維持できないんだ。」


「ふーん」


やはりここにきてもヨシノは退屈だった。ただ周りが騒がしくないだけでも幸いだった。


「こういう時に君のヴァイオリンが聞けたらなあ。」


「…まさか貴族から指名があったって…あなたのこと?」


「そうさ。隊長さんが僕が次期当主だからって気を利かせてくれたんだ。…君、今日はどこに泊まるんだい?」


ヨシノは宿のある方向を指す。


「あっちのほうの宿よ。」


「ああ、あそこの宿か。そこは遠いだろう?今日は僕の宿に泊まっていかないか?もちろんお金は取らない。宮殿から出てすぐそこの高級宿だ。」


「遠慮しとくわ。私は一人じゃないと寝付けないのよ。」


「そういわれてもなあ…来てもらうことはもう決定事項なんだ。」


「は?」


「父が病気だって言ったろう?もう先が短いことがわかるみたいで、早く孫の顔が見たいっていうんだ。」


ヨシノは最悪の選択をしてしまったと思った。ここに来るんじゃなかったと。


「あなたと結婚しろってこと?冗談じゃないわ。」


「君、聖歌隊が嫌なんだって?隊長から聞いたよ。僕と婚約すれば君は聖歌隊から抜けることができる。」


「もともと聖歌隊なんて自力で抜けるつもりよ。」


「できるのかい?君は今教会の所有物だ。脱隊は絶対に許されない。ただ僕に嫁げば話は別さ。僕は別に君のことを拘束なんてしない。いい条件だろう?」


「絶対に嫌よ。」


「そんなに拒絶されたら。力づくでいくしかないじゃないか。」


アリィが手をたたくと彼の服と同じ家紋が施された装備の兵士が3人庭の入り口から現れた。


「僕はどうしても君がいいんだ。美しく、演奏の技術も素晴らしい。そして何よりそこら辺の女とは違って強い心を持っている。できれば君の体を傷つけたくない。」


「やってみたら?」


「…残念だよ。少し手荒に扱うが許してくれよ。」


兵士がゆっくりと詰め寄った。このまま手に持った縄で縛る算段だろう。ただ慎重を期してなのか、兜まできっちり着ているのが災いした。ヨシノが一人の兜を平手打ちすると兜は鐘のように鳴り響き、その兵士は気絶し倒れた。ひるんだ残りの二人はヨシノに近づけないでいた。硬直状態を解くため、アリィは。更なる指示を出した。


「いいぞ、剣を抜け。しょうがないことだ。」


兵士が剣を抜く隙をついて彼女は倒れた兵士の剣を拾い、未だにためらっている兵士を挑発した。やっと切りかかってくる兵士の長剣に剣を合わせる。そのまま力で押しきって彼女の剣もろとも剣を破壊した。彼女はその流れで兵士の腹を蹴り飛ばした。よろけて転んでしまった兵士は花壇の角に頭を思いきりぶつけ気絶した。最後の一人は彼女の蹴りの隙をついて飛び込んできたものの、彼女の腕に峰をはじかれ、手がしびれているところに、彼女はまた平手打ちを浴びせ気絶させた。


「大したことないじゃない。」


アリィは愕然と、しかしうれしそうな顔をしていた。


「す…素晴らしい。やっぱり僕の花嫁にふさわしい。」


「ふさわしいって、あなたここまでされてよく上からものを言えるわね。」


「本当に、お願いだ、僕と結婚してくれないか。」


「嫌よ。私はあなたみたいな貴族が一番嫌いなの。」


「…それじゃあ貴族は、辞める。家系も分家に任せるから、さ。貴族としてじゃない。一人の人間として、君が好きなんだ。お願いだ。今日を逃したら君とはは一生会えない気がするんだ。」


アリィは必死に話すあまり涙を流し、鼻をすすり、貴族としての威厳はなかった。その姿を月あかりがあっきりと映し出す。


「そこまで好いてもらって悪いんだけど、なんていうのかしら。うーん…私ねこれから旅に出るの。いつかここに帰ってくるからさ、そのときまた考える。」


「そうか…僕はもう家に帰るよ。こんなんじゃ明日の式典も無理だ。もう僕のことは気にしないでくれ…」


「それじゃあ、さよなら。」




 ヨシノが何とかして会場に戻るとすでにお開き、といった空気だった。貴族たちはそれぞれ席を立ち、法王はすでにいなかった。普通ならとっくに帰っているところだがワタリと隊長はヨシノのことを待っていた。


「お前どこに行ってたんだ?ずいぶん待ったぞ。」


「ちょっといろいろあってね。」


「…まあいい。明日も式典があるんだから早く帰るぞ。」


帰り道、ワタリはヨシノに目一杯愚痴を吐いた。やはりお坊ちゃんのワタリにとっても貴族たちとの会話は退屈だったようだ。隊長は黙ってその話を聞いていたが、

「お前もいつか直接貴族に仕えることになるんだから、早く慣れたほうがいい。」

とたしなめた。やはり食事会は体に応えたようで、宿につくなり3人ともそれぞれ部屋に直行して泥のように眠った。




 翌日の式典で聖歌隊は完璧に法王の入退場を演出した。この式典は主に下々の衆に向けてのものなので貴族たちも法王の周りに整列しているのだが、やはりアリィの姿はなかった。式典は滞りなく進んだ。国際協調と平和維持のが主な話題で、言葉面は違うが、ほぼ去年と同じような内容だったので異常の起きようがない。いつも退屈な話だが、今回は話が進むたびヨシノの心は踊った。この式典のあとザエツ帝国が聖歌隊の迎えにあがる。帝国からの使いなので当然出発時刻はきっちり決まっている。目的地の帝都までは一週間ほどかかる。この時に聖歌隊を飛び出せば、探しに来る時間もないし、使いもわざわざ一人のためにずっと待つことはできないはずだ。



 ついに式典が終わり、すぐにザエツ帝国の馬車隊が迎えにやってきた。聖歌隊は楽器や荷物を馬車に積み込み、出発することになった。聖歌隊の人数は37人。8台の馬車に分かれて乗り込む。普段ヨシノはワタリと一緒にの馬車に乗るが今回は最後尾の馬車に乗り込んだ。それぞれの馬車の後部には楽器等が積んである倉庫があり、座席の後部の扉から行くことができる。乗車して数時間経つとしだいに喋ることもなくなり、皆が疲れも相まって仮眠をとりだす。ヨシノはそれを見計らって倉庫に入った。

 ヨシノは倉庫から自分の荷物を探し出た。そして旅をするにあたって危険から身を守るための武器がないことに気が付いた。近くに彼女の背の丈ほどの大きさの音叉があった。彼女はちょうどよいと思って音叉を手に取った。そして静かに積み込み用の扉を開け街道に飛び降りた。彼女が下りたことに気づく様子はなく、馬車はだんだんと小さくなっていった。彼女はついに自由になった。

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