◆ 八

 僕と母は、電車を乗り継いで、そこに向かっていた。

 十一月になり、外に出るとかなり肌寒く感じられるようになっていた。それでも空はからりと晴れ、まさに小春日和と呼べる天気だ。

 僕たちが家を出たのは九時ごろだったから、学校へ向かう生徒や、通勤するサラリーマンもそんなに多くはない。

 だから、別に人の目を気にすることはなかったのだが、それでも僕と母は特に会話を交わさなかった。不意に自分たちの言葉で、自分たちの決意を、揺るがしてしまうような気がした。そうっと、自分たちをそこへ運べるように、静かに、向かっていった。


 話し合いの末、僕はフリースクールに通学することを許してもらえた。条件は、もう一度学校に行ってみること。そこで、やっぱり学校の魅力に気付けるかもしれないからという理由だった。

 僕は、話し合いの次の週、一度だけ登校した。担任の小山先生は大げさに喜んでくれたけど、他の生徒は、久しぶりに来た僕とどう接していいかわからない様子だった。

 久しぶりの学校、やっぱり僕はそこに「いるだけ」だった。昼、弁当を食べるとき、僕の班は、僕以外のメンバーですっとしゃべっていた。

 ここは僕の場所じゃない、そう確信できる一日になって、ある意味よかった。


 今日は、家から電車で通える距離にある、「リベルタス」という名前のフリースクールの見学に行く。

「リベルタス」は、駅から十分ほど歩いたところにあった。住宅街を抜けて、坂道を上ると、赤い屋根の、三階建ての建物が見えてくる。小学校一年生のときに通っていた、学童保育みたいだな、と思った。

 自動ドアを入ると、いきなり目の前に、フローリングの広場があった。年季が入った外観とは違って、建物の中はかなりきれいだった。

 そして何より驚いたのは、その広場で、子どもたちがのびのびと過ごしていることだ。二十人くらいの生徒が広場にいて、小学一、二年生くらいの女の子がパズルをやっていたり、高学年くらいの男の子はタブレットを何やら熱心に操作したりしている。僕と同じくらいの男の子は、窓際のテーブルに一人で座って黙々と勉強をしている。

 みんなが、「自由に」学んでいた。

「おはようございます。羽賀さんでしょうか」

 エプロンをした女性の職員が話しかけてきた。首からかけた名札には、「脇(わき)」と書かれていた。幼稚園の先生みたいだな、と思った。

「おはようございます。羽賀栄輝の母です。よろしくお願いいたします」

「よろしくお願いします」

「では、こちらにお越しください」

 広場の横を抜け、奥にある「ミーティングルーム」に僕らは通された。

 歩きながら、脇さんは終始笑顔で広場にいる子どもたちに声をかけていた。やっぱり幼稚園の先生みたいだ。

 パンフレットをもらい、僕たちはフリースクールの説明を受ける。この「リベルタス」の基本理念は、生徒が自ら学ぶ姿勢を大切にしているということらしい。

 学習内容や、一日の過ごし方は、ほとんど生徒が自由に決めていい。登校時間は、八時〜十一時の間。やりたい学習は自分で決める。必要に応じて、受験の対策もできる。一日を、完全に一人で自由に過ごすだけではなく、学年に応じた一斉授業に参加することもできるらしい。一斉授業と言っても、十人前後になるそうだ。

「ここには、様々な理由があって、通っている人がいます。学校に馴染めない人、辛いいじめを受けていた人、なぜ学校に行けないか自分でもよくわからない人。本当にいろんな人がいます。だから、栄輝君がここにきても、きた理由を根掘り葉掘り聞かれることはありません。安心して過ごせると思いますよ」

 僕は別に、いじめられていたわけではない。そう言おうかと思ったけどやめておいた。ここでは、変な見栄は不要だと感じていた。

「学長が出張に出ているのですが、一時間ほどしたら戻りますので、それまで学校の中を案内いたします」

 脇さんに連れられ、僕は学園の中を見て回ることにした。学園の二階は、食堂や大きな教室があり、スタッフの方が何人かいた。三階には、もっと広い部屋があった。ヨガマットや、ストレッチポールが置かれている。体育館の代わりに、ここで運動ができるのかもしれない。

 一通り見て回ると、また一階の広場に戻り、生徒の様子を見る。園内の様子や、生徒たちの表情を見て、僕は少しずつワクワクしていることに気付いた。買ったばかりのゲームを初めて開封するときのような、新鮮さを感じていた。

 何より、歩いていて息苦しさがなかった。周りの目を気にしたり、自分と誰かを比べたりする必要が、ここでは必要がないような気がした。そんなことが、ここにいる人たちからは伝わってきた。

 

 一時間くらい、校内の見学をした。

 すると、入口から、スーツ姿の男が入ってきた。もう、見慣れた顔だった。

「学長、お帰りなさい。こちら、見学に来られた、羽賀栄輝くんです」

「おう、ついに来たか」

「はい、お久しぶりです」

 スーツ姿の男とは、タバタのことだ。僕が学校を休んでふらふらしていたときに、地下道で出会った、元中学校教師の男だ。

 学長としてのタバタは、いつも路地で見る男とは、別人に思えた。

「あれ、驚かないのか」

「なんとなく、わかってました。そうなんじゃないかって。タバタさんは、一度も自分がホームレスだってはっきりと言わなかったし」

 数あるフリースクールの中から、この「リベルタス」を教えてくれたとき、もしかしたら、ここにいるんじゃないかと思っていた。だから、僕はここに来ることにした。

 でも、わからなかったのは、なぜあんなところで、ホームレスのふりをして、僕に声をかけたのか、ということだ。

「実は、あそこにいたのは、お前を待っていたからじゃない。非行に走る中高生と関わりたくて、あそこにいた」

 ハッとした。数か月前、少年たちによるホームレスの殺害事件がニュースになった。タバタは、そのニュースを見て、ホームレスの近くにいたのか。

「学校から離れることは問題じゃない。だが、学校から離れて、そいつ自身が困っているのなら、選択肢を与えてやらないといけない。だから俺は、学校がある時間にあの辺を歩いている子どもと関わろうとしている。お前もその一人だった。まあ、お前は悪いことはしないやつだと思ったけどな」

 きっと、彼に救われた人が、僕以外にもたくさんいるんだ。

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