6 月 の 花 嫁

「私、考えたんだけど、今年は桜を見る会を結婚式と兼ねるのはどうかしら。そうやって庭の思い出がまた一つ増えるしいいアイデアだと思わない?」

 最近、母は少しの移動でも息切れが目立つようになっていた。母が結婚式に出られなくなることだけは避けようと父と相談し、夕食の時にそんな提案をしてみた。


「あら…」と母は小首を傾げる。

「今から予定を変えるなんて… それに桜はあっという間に散ってしまって縁起が悪いわよ」

「桜にこだわらなくてもいいよ。蘭子はこの庭で式を挙げたほうが君の負担にならないんじゃないかって言ってるんだろう」

 父の加勢に私は大きくうなずいた。

「そうねえ…だけど6月がいいと思うわ。お父様とお母様の時も6月にお式を挙げたのよ。お蔭さまで幸せに暮らしてるし、やっぱり6月がいいと思うわ」


 母はにこやかな笑顔を父と私に向けると、サチに目線を送る。

「そろそろあれをお願いね」

 サチはすぐに、ドロドロとした茶色の液体が入ったグラスを母の目の前に置いた。

「なんだそれ?」

 父が眉根を寄せると、母はころころと笑う。

「お義姉様ねえさま達が身体にいいものを色々混ぜて作ってくれた栄養ドリンクよ。案外と美味しいのよ」

「大丈夫かぁ?」

 父は怪訝けげんな顔で母を見た後、サチに視線を投げる。

「一応、いただいたものを元に料理人が色々改良を加えてますので大丈夫かと…同じものをお持ちしましょうか」

 サチはすぐに厨房に取って返す。


 母は食事の三分の一程度を残し箸を置くとドリンクの入ったグラスを持った。

「お母様、お食事はもうおしまい?」

「栄養ドリンクを飲む分を開けておかないと」

「栄養ドリンクのためにお食事を残すなんて本末転倒よ。まずはお食事を召し上がらないと」

 母が苦笑交じりに私を見る。

「そんな風に難しい言葉を使ってお説教をするところも、本当にあなたはお父様そっくりだこと」


「それを言うなら…」と父が口を挟む。

「どんな意見をしても、のらりくらりとかわしながら、結局自分のやりたい方向に持っていく手法なんて君そっくりだぞ」

 父が大らかな笑顔になると、母も少女のような無邪気な笑いを見せる。

「もう、何よ。二人して私の悪口…」

 大げさに唇を突き出し不機嫌を装うと二人は顔を見合わせ声を出して笑った。

 ひとしきり笑い合った後、母がそうそうと思い出したように話し始める。


「6月の花嫁はね、ローマ神話のジュノーという女神から来てるのよ。だから6月は英語でジューンて言うの。ジュノーはね、女性の幸せな結婚の守り神なの。だから6月に結婚するとジュノーに守られて幸せになれるのよ」

「へえ…テレビで言ってたの?」

 父が半笑いで訊くと、不満げに口をすぼめる。


「私だって本を読むわ。蘭子につられて結婚にまつわる本を買ったのよ」

「君が結婚するわけでもないのにな」

 からかうように言うと私を見て「なあ」と同意を求める。

「あら、別にいいじゃない」と母が返し、「ねえ」と私を見る。

「もうどっちでもいいわ」

 私が呆れて肩をすくめると二人の弾けるような笑い声が響いた。

 父も私も結婚式の日取りを早めることは諦め、その和やかな時を噛みしめていた。



 6月に入り、結婚式まで一週間を切っていた。

 母の容態に大きな変化はなく、きたるべき結婚式に向けて笑顔が増え、むしろ快方に向かっているような錯覚に陥るほど落ち着いていた。

 結婚式では、母の身体に和服は負担が大きいと判断して、真珠婚式の時のドレスを着せることにした。1年しか経っていなかったが、そのドレスは一回りほど大きく、結婚式を待ちわびて元気になったように見える母の命の灯が、確実に小さくなっていることに気付かされる。

 るり子がサイズ直しを買って出て、母の身体にピッタリし過ぎて痩せていることを強調しないように、ドレスの裏にタオル地を縫い付けたり工夫を凝らしていた。


 ある夜、夜半過ぎに母の様子をうかがい戻ってくると、るり子が廊下の隅で泣いていた。

「るり子、どうしたの?」

 ビクンと肩が跳ねて振り返ると、また涙を溢れさせる。すぐに下を向いてすみませんと小さく呟く。

「あなたも夜なべをして大変でしょうけどよろしくお願いしますね」

 るり子は下を向いたまま頭を下げ、くるりと向きを変え小走りに去って行った。


 私はベッドに横になっても、泣いているるり子の姿が頭から離れない。

 母のことを思い涙しているのだろうと思った。しかし、彼女は私を見て涙を溢れさせていた。その瞳が私を哀れんでいたようにも思えて、脳裏に焼き付いて離れない。

 翌日、るり子がドレスを直している部屋へと向かった。そろそろと覗くと、マネキンにドレスを着せて細かいところを直している。


 部屋に入るなり「綺麗に仕上がってるわね」と声を掛けると、またビクンと肩を跳ねて振り向いた。そして、顔の強張りを隠すように深々と頭を下げる。

「私の部屋に来て。少しお話したいことがあるから」

 るり子はチロチロと瞳をせわしなく動かして視線を合わせない。


「何の御用でしょうか。私はドレスを仕上げなければならないので時間があまり…」

「今すぐ来なさい。これは命令よ」

 そう吐き捨てるように言って扉を開け、部屋を出るように促した。

 諦めたように肩を落として部屋を出ると、私の後にとぼとぼと付いて来る。

 部屋に入っても伏し目がちに視線を落とし、私の視線を避けているようだった。


「何か言いたいことは?」

 るり子は首を横に振った。

「ございません。どうして私をお呼びになったのでしょうか」

「あなたが私に隠し事をしているからよ」

 るり子は顔を上げ驚いたように私を見た。

「正直に言いなさい。あなたが隠していると思っていても私はとっくに知っているわ」

 るり子の口から「えっ」と微かに声が漏れ瞳が潤む。


「もうご存知なんですか…庸一郎様にお子様がいらっしゃること…」

 庸一郎さんに子供が?

 一瞬にして頭の中が真っ白になる。

 目の前にいるるり子との距離感がつかめず、遠いところにぽつんと立つるり子が小さく見える。

「蘭子様…あの…まさか…」

 るり子の目から涙が溢れ、「申し訳ありません」とその場に崩れ落ちると泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返す。


 るり子が泣けば泣くほど、徐々に頭の中に現実が戻ってくる。

 妙に冷静なもう一人の私が、目の前で泣き崩れるるり子を泣き止ませなければならないと考えていた。

「そう…子供ね。そのことね……知ってるわ、とっくに」

 るり子が泣きじゃくりながら顔を上げた。


 私は何度か息を吸っては吐いて呼吸を整える。

「さあ、泣いてないで顔を洗って仕事に戻りなさい。あなたの涙でお母様のドレスを汚さないでね。もう行きなさい」

 るり子は袖で涙を拭い、立ち上がると深々と頭を下げて出て行った。

 私は全身の力が抜けたように脱力してそのままベッドに倒れ込んだ。

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