第7話

それからは就業時刻まで無心で仕事に打ち込んだ。

周りからは鬼気迫るようだ、何があった、と茶化されたが、何も、と無表情で返していた。

今日は定時退社をするんだ、いや、部長に話があるのだ。

この際はっきりしたいことがある。

土日の間に考えていたのだが、部長はあの時ホテルで鉢合わせた時に「間違えてない」と言った。俺が来るのが分かってたみたいに。

なんで俺がマッチングアプリを使ってるのを知ってたんだ…考えすぎかとは思ったが…今日の部長の様子をみて好奇心しか湧かなかった。


「よし、終わった…」

就業時刻ギリギリに仕事を無事終えた俺は、いつものごとくノー残業をするスーパー上司に向かってズンズンと向かっていった。

周りのデスクの同僚が、鬼退治でもいく顔つきだぞ、と囃し立てるが知ったこっちゃない。

こちとら昼からずっとムラムラしてんだよ!


「部長、」

「…どうした、朝比奈…」

声をかけられ、少し驚いたように目を瞠った部長だったが、すぐにいつもの無表情に戻った。

「部長がよろしければ、夕食をご一緒できれば、と思いまして」

「俺と…?本気か?」

「はい」


ざわざわと同僚たちが驚きの声を上げる。今日の朝比奈はやっぱおかしいぞ!と…失礼な。

まあ驚くのも無理はない。あの鬼部長は飲み会の席を酷く嫌っている。なぜかは分からないが。歓送迎会でもずっと端の席で烏龍茶を飲みつつ飯を食べてるイメージだ。

俺だってサシで飯とか考えたこともなかった。


「いいだろう、来い」

「…はいっ!」


少し俺をみて、了承してくれたことで俺は舞い上がる気持ちだった。よかった…ってなにホッとしてるんだ。




部長に連れられてやってきたのはこじんまりした居酒屋だった。大衆居酒屋、というべきだろうか。店内はサラリーマンやOLなどでごった返しており、月曜だというのに賑やかだった。

端の2名席に案内され、スーツの上着を脱いでリラックスする。

部長って着痩せするよな…とぼんやりと思い首を振る。いかんいかん何を考えてるんだ俺は!すぐ思考がトリップしてしまう。


「とりあえず生で、部長はどうします?」

「俺は烏龍茶で」

「あれ、部長って飲めないんでしたっけ」

「ああ、下戸なんだ。営業の上原にお前は飲むとひどいからやめろって言われてるんだ、あいつうるさくてな」

「へ〜…そうなんですねー…」

そうか、飲まないではなく飲めないのか。鬱陶しそうに、でもどこか信頼しているかのように上原、と話す部長をみて、少しの苛立ちを覚える。上原って確か営業の上原部長だよな?

清水部長並みのイケメンで、かつ仕事も完璧。他部署でも有名人だ。ふーん、あの人と仲いいんだ…へぇ、とどろりとした感情が胸を覆う。


「で、今日はいきなりどうしたんだ。まさか前のことで俺を脅しにきたのか」

「え?!いや、なんでですか!そんなわけないでしょ」

「そうか、…」

急にその話題を振られて動揺したが、そんなあからさまにホッとしたような顔をしないでほしい。今すぐキスしたくな………、って、は?俺は今何を考えた。


「生とウーロン!お待たせしました〜!」

お通しです〜!と居酒屋のバイトの兄ちゃんが声をかけてくれたところで引き戻された。

お互いに乾杯をしてグイッとビールを煽った。飲まないとやってられん。


「脅すなんて、ありえません。俺が部長にひどいことしたんで。俺、これでも反省してますから」

「ふっ、律儀だなお前は。脅すような奴じゃないのは分かってるから、さっきのは冗談だ」

笑いながらつまみの枝豆を食べる部長の笑顔に俺は釘付けになった。

「お前、なんでマッチングアプリがバレたんだって顔してるだろ」

「え…あ、ハイ」

「休憩時間にスマホ、デスクに置きっぱなしだっただろう。たまたま通知メールがきてるのを見てな。すまない、悪気はなかったんだ」

「うわ…………そうだった、んですね…」


最悪だ。通知メールつったら相手のメッセージも一部出るんじゃなかったか?次から気をつけよ…

「え?でもそれでなんで分かったんですか?まさか部長も前からやってた、とか?」

「そうだ。後腐れない男を探していてな」

「な…っ」


この間から思ってたけど、部長はかなりあけすけにものを言う。変なところでは照れるのにこういうことを言うのはどストレートだから戸惑ってしまう。


「お前なら口は堅そうだし、それで思い切ってメッセージを送ったというわけだ」

「へ…ええええ?!な、なんですかそれ」

「俺としては役得だった」

「え?役得?どういうことですか」

「分からなくていい。さあ、好きなのを頼め」


いろいろとついていけなかったが、部長が少しいつもより楽しそうで、俺も嬉しくなった。



「あれ、雅己ちゃん?!どーしたの居酒屋とかめっちゃ珍しくない??」

「うわ、上原」

「え」


低くて心地よい、声だけでイケメンとわかる人物がそこに登場したのだった。

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