松平さんの過去
五年四組の教室は、しんと静まり返っていた。そりゃそうだよね、放課後だから。でもそんな教室に一人、佇んでいる人がいたの。
「……松平」
桐谷くんが声をかける。松平さんは曇った目で彼を見返す。桐谷くんの後ろから教室へと入ったわたしは見た。彼女にはりついてる、真っ黒な、ふわふわの物体。きっとあれが、『キモチのわたあめ』だ。
「でかっ」
「びっくりな大きさですわ」
悟くんと黒松さんが思わず声を上げるような大きさだった。松平さんが持っていたわたあめは、彼女の身長の半分くらいあった。
「それだけ、今の彼女の気持ちは揺れているってことだよね」
わたしは、呟くように言った。
「暴走したわたあめは、そう簡単にはとられないんだよ」
悟くんが嫌そうな顔をする。
「普通のわたあめは、すぐ持ち主から離れるけど、あれはそうはいかない。しっかりと持ち主に貼りついてる。はがすためには……」
「「はがすためには?」」
わたしと黒松さんの声が重なる。
「はがすためには、相手の心を迷わせる必要がある」
「それじゃ、わたくしたち、足手まといになりません?」
黒松さんが言う。桐谷くんは、悟くんを見た。
「なんだよ」
「オレが、あいつの心を迷わせる。だから、危なくなったときは、魔法で助けてほしい」
「悟さんは、今日はあと一回しか魔法が使えませんわ。もう二回使ってしまっていますの」
ということは、悟くんは魔法を使うのに上限回数があるんだね。そして桐谷くんは、わたあめがないと魔法が使えない。
「ですから、わたくしたちのわたあめを、差し上げますわ」
「え!? ぼくたちのわたあめを!?」
悟くんが嫌がるのも聞かず、黒松さんは桐谷くんに、わたあめ三個をわたす。
「昨日集めたわたあめですわ」
「助かる」
桐谷くんは、そっとわたあめを受け取る。その様子を悟くんがうらめしそうに見る。
「あー、そんなにわたしたら……」
「競争はまた今度やり直せばよいでしょう! 今は目の前のあなたの失敗を何とかする方が大事ですわ!」
「はい……」
悟くん、しぶしぶ了承。桐谷くんはわたしに向けて言った。
「オレが話しかけて、わたあめを回収する。わたあめを回収したら、オレがシャボン玉にするまで、なんとか言葉をつないでくれないか」
「分かった。任せて」
本当はちょっと怖いけど。そんなことを言ってる場合じゃない。ここで松平さんを止めないと、まったく無関係の人がけがをするかもしれない。それだけは、絶対にさけないと。
わたしが頷いたのを確認して、桐谷くんは松平さんの方へ向けて、歩き出した。
「松平、さっきは悪かった」
「桐谷くん。やっぱりあなたの方から私に告白したんだよね」
「あー、それは違う」
桐谷くん、即否定。そのとたん、黒いわたあめから手がにゅっと飛び出した。そしてそれが桐谷くんに襲い掛かろうとする。そのとたん、桐谷くんがわたあめを使って魔法を発動! すると切れたわたあめが、こっちに飛んできた! ひええええぇ!
わたしたちがよけると、黒いわたあめは、黒に近い青色になった。わたしはそっとその破片を拾い上げた。
「でも、なんでオレのことを好きになってくれたのかは、分かった」
桐谷くんが松平さんの方へ歩き始める。
「じゃあ、なんでか言ってよ」
「給食の鮭を、譲ってあげたから」
「違うっ」
松平さんからまた黒い手が伸びる。はい、魔法発動二回目。残りのわたあめは四個。そして、桐谷くんはショックを受けた顔をしている。
「え……、それじゃない? じゃあ、教科書見せてあげたから?」
「違うよっ」
また、黒い手が伸びる。魔法発動三回目。残りのわたあめは三個。わたしは、飛び散ったわたあめの部分を回収していく。
「えっと……、じゃあやっぱり、給食の何かを分けてあげたから?」
「だから違うって!」
魔法発動四回目。さすがに、心配になってきた。その時、わたしは回収していたわたあめに小さく映像が映っていることに気づいた。目の高さに持ち上げて、映像を見る。そこには、教室で二人っきりになっている松平さんと桐谷くんの姿が浮かび上がっている。
それを見て、わたしは桐谷くんに声をかけた。
「四年生の途中から、松平さんがきれいになった覚えはない!?」
「あ!」
桐谷くん、何か思い出したみたい。
「放課後、ファッション雑誌を見てた松平に、その服、似合いそうだなって言ったかもしれない。ウララもこういうの着ればいいのにって思いながら言った記憶が」
「それだよ! どうしてすぐに思い出してくれないのっ!」
「ごめん」
桐谷くんが謝らなきゃいけない理由はよく分からないけど。とにかく、松平さんが桐谷くんのことを好きになった理由は分かった。
「あれから一生懸命努力して! 色んなファッション雑誌を見て研究して! きれいになったのに! 全然桐谷くん、気づいてくれないんだもんっ」
「それは……ごめん」
誰かの何気ない一言が、別の誰かの人生を変えることもある。いい意味でも、悪い意味でも。松平さんにとっては、きれいになるための、きっと人生をよくするためのきっかけになる言葉だったんだ。
その時、松平さんにひっついていた黒いわたあめが、ぼろっとはがれかける。桐谷くんは一気に距離をつめると、松平さんから、黒いわたあめをひっぺがした。そしてそのまま、わたあめを悟くんに投げる。
「ぎゃああっ」
悟くんは情けない声を出して、魔法でわたあめを燃やしてしまう。すると、中から青いわたあめが姿を現した。
桐谷くんがシャボン玉を作り出すまで、わたしがこの場をつながなきゃ。わたしはさっき、わたあめの断片から見た景色で、思ったことを話し始めた。
「松平さんは元々、そんなにオシャレが好きではなかったんじゃないの」
「うん、そう。ただ、お母さんがオシャレになりなさいって、ファッション雑誌を買って来たの」
「ファッション雑誌を読んで勉強したら、お母さんがほめてくれるんじゃないかって思ったんだね」
「そう。それで学校で読んでたら……」
「桐谷くんに声をかけられた」
松平さんは頷く。
「そりゃ、かっこいい男の子にその服、似合いそうって言われたらかわいくなりたいって思うよね」
「うん」
「かわいくなったらきっと、また向こうから声をかけてくれるって思うよね」
「うん」
「それは、同じオシャレ女子として分かりますわっ」
突然、黒松さんが話に割って入ってくる。彼女は、そっと後ろを指さした。桐谷くんがシャボン玉の準備をしている。
わたしは黒松さんに後を任せて、桐谷くんの近くに走り寄った。彼はそれを確認してシャボン玉を空へ放つ。飛び上がったシャボン玉を、二人で見る。
そこに映っているのは、鏡の前に立っている松平さん。テーブルの上には、『今日も帰りが遅くなります』というメモ。
『このブランドものの服だったら、桐谷くんも気づいてくれるかなぁ。うふふ、楽しみ!』
そう、半ば自分に言い聞かせている松平さん。そこでシャボン玉が割れる。
『せっかくかわいい服を着て行っても、本当に見てほしい人には見てもらえない、桐谷くんにも、お母さんにも……』
わたしはそれを聞いて、物語を思いつく。ランドセルから、赤い本を取り出す。桐谷くんは空色の本。
『昔むかし、あるところにそれはそれは、きれいなお姫さまがいました……』
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