神本家にて

 その日は珍しく、神本くんが家まで送ると言ってくれた。わたしも断らなかった。二人とも無言のまま。足音だけがやけに大きく響いた。


「……あのさ」


 しばらくして、桐谷くんがしぼりだすような声で、わたしに声をかけた。


「……黙ってて悪かった」

「気にしてないって」

「悪かった」

「だいじょーぶ、ほんとに気にしてないから」

「……本当か」

「うん」


 桐谷くんは、安心したように息づいた。


「理由が、あるんだ」

「わたあめが見えなくなった理由」

「そう」

「その理由、聞いてもいいのかな」


 わたしが聞くと、桐谷くんは黙ってしまう。あ、まだ聞くべきじゃなかったか。そうわたしが思い始めたとき、桐谷くんの声がした。


「……今は、自分の口では言えそうにないんだ」

「そう」

「でも、これだけは言える」


 桐谷くんはわたしをまっすぐ見る。


「神本が作った『キモチのわたあめ』、あれは見えた」

「え!?」


 人のわたあめは見えないのに、私が作ったわたあめは見えたってこと!?


「なんで、わたしのわたあめだけ……」

「多分、オレがお前のことを信頼してるからだとオレは信じてる。だから」


 ここで言葉を切ると、桐谷くんは真剣な顔でわたしに言う。


「だからもう少し待ってほしい。いつかきっと、話すから」

「分かった、待ってる」


 だって話す準備がしたいってだけだもん。それくらい、ちゃんと待つよ。わたしはそう思った。


「わたあめが暴走すると、どうなるの」


 わたしの言葉に、桐谷くんは腕組みをする。


「持ち主によって暴走の仕方や効果は違うけど……、だいたい周りにも被害が及ぶ。持ち主の性格がゆがむからな」

「性格がゆがむ」

「そう。相手の嫌だった部分、その部分がさらに悪化するイメージかな」


 それは、嫌だね。


「それを放っておくと、持ち主の周りに人がいなくなる。誰も一緒にいて気持ちのよくない相手と一緒にはいたがらないから。例外を除いて」

「それじゃ、悟くんたちが集めた五人のうち、様子がおかしくなった人を探すってことだね」

「そういうことだ」


 桐谷くんは頷いた。


「とにかく明日からは、一度わたあめを探すことになる」

「あ、桐谷くん。魔法使うのにわたあめ使わないとだめなんでしょ」

「ああ」

「今日までに集めたわたあめ、持ってきたからさ。これ、使っていいよ」


 わたしはあらかじめ袋に入れておいたわたあめを、桐谷くんにわたす。一つひとつのビンに、わたあめをくれた人の名前のラベルを貼っておいたから、まざることはないと思う。


「……本当に、使っていいのか」


 桐谷くんは、申し訳なさそうな顔をする。


「そうすることで、ほぼ確実に……悟との勝負には勝てなくなるぞ」

「そんなの、またチャレンジしたらいいじゃん。ただの兄弟競走でしょ」


 わたしが言うと、桐谷くんが目を大きく見開いた。


「今回は、それどころじゃないもん。誰かがそのせいで苦しむことになるなら、わたしたちが負ける方が、絶対いいよ」

「……ほんと、お前には敵わないよ」


 桐谷くんは大きく息をはいた。そして、わたしから、わたあめの袋を受け取った。


「分かった。使う時には毎回、お前の許可をもらってからっていう条件付きで、使うようことも考える」

「うん」


 そこまで話し終わった時、わたしの家の前にたどり着いた。


「今日は送ってくれてありがとう、桐谷くん。また明日ね」

「ああ、また」


 こうしてわたしたちは別れた。家に帰ると、夕食がすでに準備されていて、お父さんが座っていた。なんだか、嫌な予感。


 わたしが荷物を置きに部屋へ行こうと思ったら、お父さんが一言。


「座りなさい。食べながら話そう」


 わたしは仕方なく、リビングにランドセルを置き、手を洗ってから食卓についた。お母さんも座る。

 しばらくの間、お父さんは何も言わなかった。だからわたしは、いつお父さんが話し始めるのか内心びくびくしながら、ごはんを食べ続けた。

 十分くらい経って、ようやくお父さんは口を開いた。


「書いてるらしいな」

「何を」

「物語をだ」


 げ、お母さん、お父さんに言っちゃったの!? わたしが黙ってお母さんを見ると、お母さんは身振りでごめんという仕草を見せてきた。


「父さんがなぜ、物語を嫌っているのかは、話したことがあったな」

「おじいちゃんが、書店にこもってずっと、物語を書いていたからだよね」


 私の言葉に、お父さんは頷く。


「そうだ。お母さんはそのせいで、毎日遅くまで働いて帰ってきて、父さんたちのご飯を用意したり、家事をしたりしなくてはいけなかった。お父さんは、それを許せなかった」


「でも、おじいちゃんはすごい仕事をしてたんだよ。一人ひとりの心に寄り添った物語を書いてたんだ」

「だが本来一番大切な家族に寄り添おうとしなかった! 作家として作品で金をとるならまだよかった! でもお金もとらず、ただただあの人は物語書いてただけだ」


 お父さんが声を荒げた。今までのわたしならびくびくするところだけど、今日は違った。はっきり言うべき言葉が浮かんできた。


「おばあちゃんは?」

「え」


 わたしの言葉に、お父さんの顔が一瞬固まる。


「おばあちゃんは、どう思ってたの。おばあちゃんも、おじいちゃんがちゃんと働いてくれたらいいのにって思ってたって言ってたの? わたしはそうは思わない」


 思い出すのは、おじいちゃんとおばあちゃんが仲良くカウンターに並んで座って、おじいちゃんの本を読んでた様子。あの時のおばあちゃんはとてもうれしそうで、楽しそうだった。そんなおばあちゃんが、物語づくりに没頭していたおじいちゃんを嫌っていたとはどうしても思えなかったんだ。


「確かに、物語に集中しすぎて家族のことをあまり振り返らなかったかもしれない。それでお父さんはさびしい思いをしたかもしれない。でも、だからってそのお父さんの気持ちを、わたしに押し付けないでほしい」


 わたしは、感情的にならないようにできるだけ穏やかな言葉でお父さんに告げる。ここで感情的になったら、お父さんと同じになっちゃうから。


「わたしは、物語を書いてるおじいちゃんが好きだった。そしてそのおじいちゃんの背中を見て育って、わたしも物語を書きたいと思った。おじいちゃんが大切にしていたお店を守りたいって思った。そのどこがいけないの」

「……」


 多分、お父さんに口答えをしたのはこれが初めてじゃないかな。それもあって、お父さんは何も言えなくなったんだと思う。


「おばあちゃんは、お店がなくなることを仕方がないことだって言った。でも本心じゃない。本心は、わたしに後を継いでもらいたい、それまではお店を残しておきたいって思ってくれてると思う。お父さんが聞かないのなら、わたしがおばあちゃんに本心を聞いて来たっていい。今のわたしは、おばあちゃんの本心を聞き出せる」


 そう、私には魔法がある。全てじゃなくても物語に載せれば、おばあちゃんの気持ちが少しでも読み取れる。そしてそのおばあちゃんの気持ち、お父さんにも知ってほしい。


「そんなこと、できるわけがないだろう」


 お父さんの言葉に、わたしは首を横に振った。


「できるよ。わたしには、おじいちゃんが持ってた物語を書く力があるから」


 それだけ言うと、わたしはランドセルを持って自分の部屋へと向かった。夕食を残したもんだから、途中でお腹がすいてしまったけど、あのままあの場所でご飯を食べ続けるのは、ちょっと難しそうだったんだよね。

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