書店員見習い一日目
魔法の本と魔法のペン
女の子の名前は、川井さおりちゃん。小学校三年生だった。
「あのねあのね、さおり、今日初めてこのお店を見つけたの」
いっつもこの道を通るんだけどね、と不思議そうな顔をするさおりちゃん。
「ピアノの帰りや、英語の帰り、それから水泳の帰りにも通るんだけど……」
「ちょっと待って。さおりちゃん、習い事、いくつしてるの」
「えっとね……、
「さおりちゃん、そういうときは、
「あ、そっか」
さおりちゃんは、えへへーとてれた顔をする。かわいい。とてもかわいい。今度作る物語、さおりちゃんが主人公の物語を作ろうかな!?
わたしが一人でコーフンしてたら、桐谷くんがさおりちゃんに声をかける。
「六つも習い事してるなんて、すごいね」
桐谷くん。普段からそういう話し方してくれるとうれしいな。特にわたしが。そう心の中でわたしはつい、思ってしまう。
「うん。さおりがね、習いたいって言ったから」
「自分で習いたいって言って習ってるんだ。いろんなことに興味があるんだね」
「そう。いろんなことをやってみたいんだ」
さおりちゃん、すごい。
「ここを見つけられたってことはね、特別なことなんだよ」
「そうなの?」
さおりちゃん、うれしそうな顔をする。
「じゃあきっと今日は、とってもラッキーだったってことだね」
「そういうこと」
さおりちゃんにつられて、桐谷くんも私も笑顔になる。
「きっと今、さおりちゃんには読みたいと思った物語があるんじゃないかな」
桐谷くんは言って、さおりちゃんに向けて首をかしげた。
「さおりちゃんは、どんな物語を読みたいと思ったのかな」
「えっとね、眠り姫のお話」
眠り姫。それを聞いて、さっそく桐谷くんがあの空色の本をとりだした。そして、中身がすけてみえる透明のペンも。
そのペン、最初はインクがないように見えたんだけど。桐谷くんが何か書こうとした瞬間に、空色のインクがペンの中に増えた。
桐谷くんが、そのペンで本に文字を書いていく。その様子に見とれながらも、私はそっと声をかける。
「桐谷くん、それ、わたしの本じゃ……」
「あ、忘れてた」
桐谷くんは思い出したように言うと、おじいちゃんの箱をあさり始めた。それから、またまた分厚い本と今、桐谷くんが持ってるようなペンをとりだす。
「春宮の分はこっち」
あ。なんだ。さっき見せてくれた本は、桐谷くんの分だったんだね。まあ、元々はおじいちゃんの本なんだろうけど。
わたしの本の表紙は、燃えるような赤色。最初のページを開いてみる。きっと白紙だろう。そう思ったんだけど。なぜか、別の本に書いてるはずの桐谷くんの文字が、こっちの本にも映ってる!
そして透明なペンは空っぽ。
「ねぇ桐谷くん。このペン、インクがないよ」
わたしが聞くと、桐谷くんは得意そうな顔をする。
「このペンは、書き手が書きたいと思ったことを読み取って、書いてくれる」
そして、ペンをわたしににぎらせる。わたしがペンをにぎりしめると……何も起こらない。それを見て、桐谷くんは顔をしかめた。
「それはまだ、春宮の書きたい内容がはっきりしてないからだ」
「だってまだ、『眠り姫』っていうキーワードしか聞いてないじゃん」
そう桐谷くんに言い返しながら、わたしは考える。『眠り姫』に似た名前の名作があるけれど、あれのことかな。『眠れる森の美女』や『いばら姫』って呼ばれてる、あれ。世界のあちこちに似たようなお話があるらしいけど。
「さおりちゃんが言ってるのは、有名な『いばら姫』のこと?」
わたしが聞くと、さおりちゃんは首を横に振る。
「違うよ。『眠り姫』は、あたしが考えた名前なの」
「さおりちゃんが考えたもの……」
わたしはそれを聞いて、考えることを一度やめてしまった。そっか、さおりちゃんには物語にしてほしいものがはっきり見えてるんだ。あとは、いかにうまくその形を聞き出すかということ、それが問題なんだね。
「その『眠り姫』って、どんな人なの」
桐谷くんが尋ねると、さおりちゃんはうれしそうに話しだす。
「えっとね、『眠り姫』はすぐに眠たくなっちゃうお姫さまなんだよ」
そうか。『いばら姫』は呪いで糸車の針に指をさして眠りについた。でも、さおりちゃんの考えている『眠り姫』はそうじゃない。長い眠りについてるんじゃなくて、昼寝みたいな短い眠りを繰り返してるんだ。
そう思いついた瞬間、わたしの手の中がずんと重たくなった。てのひらをひらいてみると、さっきまで透明だったペンが赤色になっている。中には、ピンクと赤の間くらいの色の液がたっぷり。
さっそく、開いた本のページにペンを持った手を置いてみる。すると、するすると文字が勝手にページに吸い込まれていく。気が付いたら、さっき頭の中で考えたことがページにしっかり書き込まれていた。
すっごい、自分で文章にしなくても頭の中で考えたことが言葉になってる!
その様子を見て、桐谷くんが声をかけてくる。
「どうやら、文字は書けたみたいだな」
「うん、うまく書けた。これ、すごいねっ!」
私が感動していると、桐谷くんは言った。
「あとは物語を書けるようになるまで情報を集めるだけだな」
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