パイク


 オレは殺された――

 殺された――

 殺さ――


 世界に膨満する無念の想い。

 ただし、それはオレの知っている世界ではなく、異なる世界だ。

 オレは水底に沈められた胎児のようになって、呪いを抱え込む。

 早く、早く、息をさせてくれ、へその緒を断ち切って――呼吸を、歌を。


 ――ドンッ、ドンッ、ドンッ。


 騒々しい炸裂音とともにオレは生を受けた。

 ある意味、それは新しい鼓動だった。


 夏至の夜には大砲の音が鳴りやまない。拙くも粗暴なビートが刻まれる――子殺しの響きだ。オレの生まれた部族じゃ三歳になった男児は、ウルムの実の繊維に包まれて砲弾になるのが習わしだった。丘の上にある大昔の砦に向かって、これまた旧時代の戦で使われた砲身から柔らかな命たちがぶっ放される。轟音に驚いてジャングルから夜行性の獣たちが飛び出してくる。


 ジャイヴのガキどもは発射の時か、着弾の時にショック死する。稀に砲口に放り込まれた時には恐ろしさのあまり死んでる場合もあるが、そんな軟弱なガキは砲台の儀式がなくとも早晩くたばっているだろう。


 オレはといえば、着弾の瞬間に死んだ。


 砦と言ってもすでに何万発の砲撃を受けたボロボロの廃墟に過ぎないのだが、飽きもせずにジャイヴの未開人どもはそこに手前のガキを撃ち込みまくっている。


 最高だろ?


 運よく生き残った連中は戦士の資質のありと手厚く育てられる。とはいえ、そもそもが文字すら持たない野蛮な未開の部族だ。前世から持ち越したいささか古いボキャブラリーを使うならスパルタ教育ってやつになる。つまりビシバシやられる。


 森の悪霊ルードと言われる樹上を駆ける猪や、ガ族の残党、それに女の姿をした食人植物なんかとマッチメイクされるなかでサヴァイヴしなきゃいけない。前の世界にあったウィードに味も作用もそっくりなチガヤの花粉を吸ってめくるめく酩酊の中で殺し合いをさせられるのだから、砲撃で生き残った奴らだって成人になる前に大半が死ぬ。


 生き残った少数の男たちはあり余る女たちを侍らせて一夫多妻制の氏族を拵えるのだが、いわゆるハーレムという言葉から連想される甘美さには程遠い。女房たちの果て無きいがみ合いの仲裁、そして無数の子供たち(半数はくたばる)を食わせるための終わることのない苦役が待っている。


 勇猛で聞えたジャイヴ族。といっても狩りと略奪しか能がなく、生きるためには必然的に手前か他所の誰かの血を流すことになる。負けりゃ命取りだし、勝ったとて恨みを買う。とっくに落ち目なのだ。周辺都市には、訓練された傭兵やら野心たっぷりの腕におぼえのある賞金稼やら――それに恐るべき魔術師たちがうようよいる。


 未来もない。割の合わない生き方だ。

「じゃな。さよならだ」

 ってことでオレは集落を出ることにした。


 前世の記憶がオレを急き立てる。この村の野蛮さがオレの孤立を引き立てる。


「追われるよ、パイク」と幼馴染のザラは言った。ジャイヴの戦士たちは逃亡者を許さないと。


「心配ない」


 彼女とオレは刻吟の達人ハズル・カルタだったが、この特技は男のオレには誉にはならない。打楽器のリズムに合わせて、詩を吟じるジャイヴ伝統の競技は、しかし暇に飽かせた女たちのものとされ、狩りと戦に興じる寡黙な男たちからは見向きもされない。男であれば、疾駆スカック陣切りジーニーなどの技術を身に着けるべきなのだ。


「おまえが他言しなきゃ明後日の朝まではバレやしねえ。祖父さんの忌引きが明けた頃にはもう森を出てる」


 家長であり歴戦の勇者であった祖父も心臓の病には勝てなかった。数々の戦功を上げた祖父は年老いても獲物の脂の乗った部位を融通されていたため、前世風に言うならコレステロール過多になり、心臓に強い負荷をかけた。ともかく村中が喪に服しているいまなら時間を稼げるだろう。


「血生臭いジャイヴの男が森の外で生きられると?」


 ザラの顔にはリグラムジットの樹皮のような複雑な紋様がある。同じ刺青はオレの顔にも刻まれており、どこへ行こうがオレたちが野蛮な未開人だってことを証し立ててくれるだろう。


「さあな」オレは噛み煙草の赤い汁をピュッと吐いた。


「なぜ、ジャイヴの者としてありのままに生きられない? 前世の記憶ってののせい? そんなものは幻。人は生まれ変わったりしない。死んだジャイヴは森に還る。その血管はジャングルの木々の根となり、髪は濡れた苔となる」


 そうだ。オレが他のジャイヴの男たちと違うのは、記憶のせいだ。オレには別の世界に生きた記憶がある。十五年前、砲弾に押し込められて煉瓦の胸壁に突っ込んだあの忌まわしい瞬間から長い間息を吹き返さなかったオレは、あちら側の記憶に触れていたのだった。死んだと見なされたオレはパラスの草舟に乗せられて流されそうになったが、静かな水面の上で舟がくるりと右回りに回転した瞬間、か細い息を吹き返し、こちら側へ立ち還ってきたのだった。前の世界の苦い記憶を握りしめて。


 さて、オレがありありと思い出したのは西暦2000年代の日本での人生だった。

 自分で言うのもなんだが、オレは、わりかしイケてるラッパーで、傍目には順風満帆、すでに自主レーベルとメジャーから合わせて4枚のアルバムをリリースしてて、金も女も車もぬかりなく手に入れてて、それでいて慎重かつ狡猾に振舞うことで業界に確固たる地盤を築いてた。セルアウトなんて言わせやしなかった。地元でくすぶってた仲間たちを食わせてたし、アル中だった親父はリノリウム張りの施設に叩き込んでやった。


 ――はじまりはなんだったろう。


 二番目の兄貴に貰ったTOKONA-Xの音源だったかもしれないし、スパイク・リー映画の切れ端だったかもしれない。とにかくオレは数あるあれやこれやからヒップホップを掴み取って、そいつを終生の伴侶に、何度でも舞い戻る子供部屋に、あるいは命取りの凶弾にした。もちろん最後のやつが正解だ。ヒップホップはオレを活かすよりもむしろ殺した。タフなストリートに生まれながらインクの匂いに中毒する文系少年だったこのオレ・ジオメトリック1/4クォーターは、平板な地獄に取り合わず、トリートメントされたファンタジー、あるいは裁断トリミングした心象風景を奏でることで成り上がったのだったが、そんなオレにだって理不尽は降りかかる。文字通り三歳児が砲弾にされる転生後の世界に比べれば、あちらの不条理などたかが知れている。どちらの世界でも人は死ぬときには死ぬ。


 ともかくオレは栄光を手を伸ばし、その山頂標石を掴みかけたあたりで殺された。


 ――誰に? 


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