異世界HIPHOP

十三不塔

プロローグ


 この夜の熱狂はどこまでも駆け上がるのではなく、不思議な水平状態プラトーにとどまった。


 優しい母親の煮込んだシチューの中身のようにフロアは溶けあって混ざり合う。観客たちは誰もが親密な笑みを交わし合い、無言の連帯を届け合う。音と汗とは同じ飛沫、同じ粒子として空気を帯電させる。


 いくつもの幸運が折り重なって許される奇跡の一夜。

 支配者であることを手放してジオメトリック1/4クォーターは渦巻く音と言葉の中心に浮遊した。格別の多幸感が押し寄せる。ライブ中、何度もオレはこう考えた。音楽の恍惚に溶けて消えてしまいたい。今夜は死ぬにはぴったり日だ、と。


 DJ・SWEEDに目配せをする。わかってる。次が最後の曲だ。オレの心を形作った偉大な詩人の作品からタイトルを借りた。渡河Crossing


 “オレの渡った河は夢の水なんかじゃなかったんだ” 


 完璧さは、損なわれる不安を伴うものだが、今夜だけはそうじゃない。これまでのオレは圧倒的な存在感とスキルで観客たちに暗黙の奉仕を強いてきたが、今夜はそうじゃない。ビッグバン以前のハイエナジーの真空がここにある。観客とオレの違いは問題じゃない。


 そうだ、今夜は死ぬにはぴったりの日だ。音楽は鳴りやまないし、パーティーは終わらない。血の滲む努力の果てに、多くを手に入れてきたが、この夜に至る以上の分け前などなかった。


 ――そう、今夜は死ぬにはぴったりの日で、本当にオレが死んだ日だった。

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