9月11日(金曜日)ラブいことってなに?


 音水の見合い相手と遭遇した時、恋人役をすることを引き受けた。


 だが俺には演技をする自信がない。

 そこで音水が提案したのは『ラブい練習』だった。


 しかし……、


「待たせたな」

「はい! じゃあ、一緒に帰りましょう」


 最初はどんなことをするのかと不安だったが、フタを開けてみるとたいしたことはない。


 一緒に帰る。……たったそれだけだ。


「なあ、こんなことで本当に恋人同士の演技が上手くなるのか?」

「えーっと……。それはその……、この後というか、タイミングと言うか……」

「んん?」


 はっきりとしない言い方だ。

 まぁ、音水の事だから、なにか考えがあるんだろう。


 しばらく歩くと、音水が住むマンションに到着した。

 徒歩二十分と言ったところか。


 少し大回りになるが近くの駅から帰ることもできるし、俺にとっても負担にはなっていない。


「じゃあな。明日は休みだし、ゆっくり休めよ」


 別れの挨拶をした時、急に音水が呼び止めた。


「笹宮さん! あの……」

「ん?」

「へや……、部屋に……。えっとですね……。つまりは……。そう言うわけで……」

「……?」


 部屋に何かがあるのか?

 ついさっきまで普通に話していたのに、突然たどたどしい口調になってしまった。


 その時だった。


「キャーッ!! ひったくりよ!! 誰か捕まえて!!」


 すぐ近くで悲鳴が聞こえた。

 続けて警官らしき人の声がする。


「コラ待て! 逮捕する!!」

「ぎゃああッ! 離せぇ!!」


 覗いてみると、ひったくり犯を警官が取り押さえている現場だった。

 まさかこんな場面に遭遇するとは……。


 しかし住んでいる近くでひったくりなんて起きたら、音水のような一人暮らしの女性は不安だろう。


 ……と、ここで俺はようやく理解した。


「音水……。もしかしてひったくりが怖かったから、俺と一緒に帰ってくれと言ったのか?」

「え?」


 きょとんとする音水。


「えーっと、……はい」

「じゃあ、ラブい練習というのは?」

「笹宮さんに守ってもらいたい方便? ……だったかなぁ~」


 よそよそしく笑いながら、彼女はそう言った。


 ふっ……。

 俺としたことが、こんなことを見抜けなかったとは情けないぜ。


「なんだ、そういうことかよ……。前にも言っただろ。何かあったら守ってやるって。こういうことは遠慮せずに言え」

「は……ひゃい!」


 さらに音水は言う。


「あの! 笹宮さん! 私の部屋に上がっていきませんか! お……お茶でも飲んでいってください!」

「気持ちは嬉しいが、さすがに俺が入るのはまずいんじゃ……」


 だが、特命係の名刑事のごとき直感が働いた。


 真面目な音水が男をホイホイ部屋に上げるわけがない。

 つまり、これには理由があるのだ。


「そうか。さっきあんな場面を見たから怖いんだな?」

「え?」

「違うのか?」

「いえいえ! まさしくおっしゃる通りです! はい!」

「そうか……。じゃあ、しょうがないな。お茶をご馳走になろう」


 すると音水は握りこぶしを作った。


「ひったくりさん、グッジョブ!」


 なぜここで犯罪者を称賛したんだ?


   ◆


 白で統一された音水の部屋はスッキリしていて、女性らしい品格があった。

 妹の部屋も、このくらいキレイにして欲しいぜ。


「笹宮さん。なにが飲みたいですか?」

「なんでもいいぞ。音水のオススメでいい」


 すると彼女は考えるしぐさをして言う。


「効能だけなら、スッポンドリンクかマムシ酒でしょうか」

「そこまで疲れてないからいいよ」


 さすがの俺も、仕事帰りでスッポンドリンクなんて飲もうとは思わない。

 っていうか店で売ってるものなのか?


 音水はクスクスと笑って、飲み物が入ったグラスを持ってきた。


「さっきのは冗談です。はい、普通の麦茶ですよ」

「ありがとう。ったく、先輩をからかうなよ」

「飲んでくれたらシメシメでしたけどね」

「なにか言ったか?」

「いえ、なにも」


 それから俺達はゆっくりとくつろぎながら雑談をした。


 時間にして十分そこそこだが、こういう時間は心の底からリラックスできる。

 一緒に働く者同士だからこそ共有できる時間だろう。


 ふと見ると、音水が両腕で頬杖をつき、柔らかい表情で俺を見つめていた。


「……なんだよ。飲んでるところをジッと見られたら恥ずかしいだろ」

「んっふふ~っ♪ 私、笹宮さんを見ているだけで幸せ気分に浸れますから」

「お手軽だな」

「プレミアムです」


 普段は女子高生かと思うほどキャピキャピしているのに、突然母性を感じさせる表情をする。


 甘さを帯びた彼女の瞳は、不思議な魅力を持っていた。


「今はリラックスしてください。笹宮さんは頑張ってばかりなんですから」


 正直……、一瞬だけ呼吸を忘れてしまった。


 全てを忘れて、ずっとこのままでいたい。

 そんな感情に支配されそうになる。


「……どうしたんですか? 急に黙ってしまって?」

「いや……、なんでも……ない。じゃあ、そろそろ帰るよ」

「えーっ。ご飯作りますよ?」

「すまんな。また今度たのむ」


 やっべぇ、油断してたぜ。

 もう少し理性が弱かったら、自分を見失うところだった。



■――あとがき――■

いつも読んで頂き、ありがとうございます。

☆評価・♡応援、とても嬉しいです。


次回、帰りが遅い笹宮に楓坂が突然!?


投稿は、朝・夜の7時15分ごろ。

よろしくお願いします。(*’ワ’*)

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