6月26日(金曜日)音水とお風呂


 時刻は夜の九時前。

 少し遅めの夕食を終えた俺と音水は、ロビーの端で話をしていた。


「あのなぁ。混浴って、家族風呂のことだろ? どうして先輩後輩の俺達が入るんだ?」

「今はそうかもですけど、見てくださいよコレ!」


 音水はホテルのパンフレットの端に記載されている、家族風呂の写真を指さした。


 夜景を楽しめるオシャレな浴槽で、ドリンクのサービスも付いてくるらしい。


 追加料金が必要のようだが、セレブ感をこれでもかと味わえる内容となっている。


「……確かに興味が惹かれる内容だが、家族風呂ってことは裸ってことだぞ。それでいいのか?」

「笹宮さんの裸は見てみたいですけど」


 え、見たいの? 俺の身体を?


 もしかしてバッキバキに割れた腹を期待しているのか。

 くっ! こんなことなら腹筋を一日三十回やっておけばよかった。


 いやいや……論点はそこじゃなくて……。


「えーっとだな……。音水は見られてもいいのかって聞いているんだ」

「んっふふ~。 全然オッケーです。だってこのホテル。水着の貸し出しもしているそうなので」


 やけに積極的だと思ったら、そういうからくりか。


 ……だが、いちおうこれは出張だからな。

 さすがにそこまで気を許すのは良くないだろう。


 それにいくら水着とはいえ、音水と家族風呂に入るというのは恥ずかしい。


 ここはデキる先輩っぽく振る舞って断ろう。


「いいか、音水。楽しむのはいいが、羽目を外し過ぎるのはよくない。なので家族風呂は却下だ」

「もしかして、恥ずかしいんですか。むふっ」


 あ、こいつ!

 にんまりと笑って挑発しやがった!

 おのれぇ~! 


 ……おっと。落ち着け、笹宮和人。

 ここで流されてはダメだ。


 恥ずかしがっていることがバレれば、理想の先輩としてのイメージが崩れる。


「とにかくダメだ」

「んーっ。せっかくこんなホテルに泊まったのに」


 すると音水は何かを思いついたように、ピーンと人差し指を立てた。


「じゃあ。一緒に大浴場まで行って、お風呂あがりは一緒にコーヒー牛乳を飲みましょう」

「なんだそれ?」

「昔のアニメとかでよくある銭湯のシーンです。なんかロマンチックじゃないですか」


 そんなことに興味を持っていたのか。

 かわいい所があるんだな。


「わかった。その程度なら付き合ってやる」

「わぁい。すっごく楽しみ」


 こうして俺達は、最上階に設置された大浴場に向かった。


   ◆


 大浴場から上がった俺は浴衣に着替え、入口で音水を待っていた。


 期待していた通り、大浴場は広くて快適な場所だった。

 サウナもあったので入ってみたかったが、音水を待たせるわけにはいかないので今日は我慢だ。

 明日の楽しみに取っておこう。


「お待たせしました」


 女性の大浴場から浴衣姿の音水が出てきた。


 風呂上りということで、髪は後頭部でお団子にしている。

 普段のキャリアモードとは違い、可愛らしい姿。


 もし彼女が女子高生だと言っても、疑問に思わない男は多いだろう。


「いや。そんなに待ってない」

「んっふふ。こういうのいいですよね。お風呂あがりに待ち合わせって」

「なにが?」

「雰囲気が」

「そうか?」

「すっごくそうですよ」


 とはいいつつ、内心では恋人みたいだと思っている。

 もちろん、そんなことは口が崩壊しても言えるわけがない。


 隣を歩く音水は、軽く化粧をしていた。

 たぶん俺のためにわざわざしてくれたのだろう。

 加えて湯上りに浴衣姿ということもあり、いつもより色気があった。


 ……と、音水が急にこちらを見る。


「なんですか?」

「いや、別に」


 もしかして俺が見ていたことに気づいたのだろうか。

 目が合うとニッコリと笑って見せたので、慌てて俺は前を見る。


「えへへ」


 嬉しそうに音水は近づいて、俺の浴衣の裾をつまんだ。

 彼女の意図が見えないが、案外に気分は悪くない。


 まるで迷子になりたくない女の子が、俺を頼ってくれているようだ。

 一種の優越感とも言えるだろう。


 その後、自動販売機のある休憩室でドリンクを購入し、喉を潤した俺達はそれぞれの部屋に戻った。


   ◆


 自分の部屋に戻った俺は、机に資料を広げた。


「ふぅ。さて、軽く明日の準備を済ませておくか」


 出張中の夜というのは、どうにも集中力が低くなるので、簡単なものだけをするようにしている。


 先輩の紺野さんは酒を飲みながらできると言っていたが、俺にはできない。

 少しでも酒が入ると、完全にグータラモードになってしまうからだ。


 一通りやることを終え、そろそろのんびりしようかと考えた時、ドアをノックする音が聞こえた。


「ん? もしかして、音水か」


 時間は夜の十時すぎ。

 まだ寝るには早い時間だが、なにか用なのだろうか。


 立ち上がった俺はドアを開く。


 するとそこにいたのは浴衣姿の……楓坂だった。

 何かが入ったビニール袋を持っている。


「こんばんは、笹宮さん。ごきげんよう」

「……ドアを閉めていいか」

「それでは、お邪魔しますね」


 俺の言葉を聞かずに、楓坂は堂々と部屋の中に入って行った。


 あぁ……。トラブルの予感しかしねぇ……。



■――あとがき――■

いつも読んで頂き、ありがとうございます。


ラブコメが加速しちゃう!

次回、楓坂が笹宮にあんなことを!?


よろしくお願いします。(*’ワ’*)

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