6月20日(土曜日)楓坂のお願い
今、俺はファミレスで楓坂と向かい合って座っている。
友人から電話があった結衣花は、もうすぐ戻ってくるだろう。
せっかくの機会だ。
ダメ元で頼んでみるか。
「楓坂、聞いてくれ。今回のプレゼンは普通のものとは意味が違うんだ」
「どう違うの?」
「この前、一緒にいた女子社員がいただろ」
「ええ、かわいかったわね。私好みよ」
「それは何よりだ。音水というんだが、今回のプレゼンの結果次第であいつの評価が決まる」
楓坂は表情を崩さず、冷たく答える。
「たったそれだけ? 心に響かないわね」
「もし失敗したら、ずっと雑務を押し付けられて退職に追い込まれる。だが成功すれば彼女に自分の仕事をするチャンスが与えられる。わかってくれないか」
退職に追い込まれるという言葉が効いたのか、さっきまで目を合わせようとしなかった楓坂が俺の顔を見た。
「なら話は簡単ね。あなたが結衣花さんに関わらないなら、プレゼンの邪魔はしないであげる。どうかしら?」
それは、結衣花と音水を天秤にかける質問だった。
本来なら迷わず音水のために行動するべきなのだろう。
しかし、自分の中にそれではダメだという考えが鮮明に浮かび上がっていた。
黙った俺を見て、楓坂は冷たい眼差しを向ける。
「どうしてそこまで結衣花さんから離れることを拒むの。下心はないんでしょ?」
「……理由はない。だが、人との縁をこんな形で切りたくはないんだ」
「思考に論理性がないわね。ひねくれている人間の特長かしら」
……そう。なぜ楓坂の要求を断るのか。
俺はその答えに辿り着いていない。
だが出会って間もないが、俺は結衣花に何かを感じている。
俺は……結衣花のことをどう思っているんだろうか……。
「そうだわ!」
急に楓坂は両手を合わせて満面の笑みを浮かべた。
こいつの笑顔って、嫌な予感しかしない。
「なんだ?」
「いい事を思いつきました! 聞きたい? 聞きたいでしょ!」
「聞きたくない」
「それじゃあ、発表します」
「聞きたくないんだが?」
くるくると左の人差し指をまわし、そして唇の前で止めた。
「笹宮さんが私を口説き落とせばいいんじゃないかしら」
「……は?」
時間が止まったかと錯覚した。
それほど楓坂のいったセリフは唐突だったのだ。
「何言ってんだ、楓坂。頭、大丈夫か?」
「美人ってよく言われますけど?」
「頭の中を心配してるんだ。どうしてお前を口説かんといかん。意味不明だろ」
しかし、楓坂は止まらない。
「笹宮さんが恋人なら、私は大切な人のためにプレゼンを成功させてあげたいって思うでしょ。まさに愛の力。すてき」
「口説き落とすって……あのなぁ……。そんなこと、プレゼンを通すより難しいだろ」
反論する俺に、楓坂は腹黒さを内包した女神スマイルをしてみせる。
「あら、そんなことないわ。私のタイプの男性って、なんでも言いなりになってくれる人なの。たくさんわがままを聞いてくれたら好きになっちゃうかも」
どうにも真意が見えてこない。
なにか頼み事でもあるのだろうか。
もし楓坂の力になることでプレゼンの邪魔をしないというのであれば、それはそれで解決の糸口が見えてくる。
少し、話を聞いてみるか。
「……ちなみにどんな事を要求するつもりだ」
「そうねぇ。手始めに全裸でブリッジしながら夜の国道を全力疾走して、通り過ぎる自動車にキモく笑いかけることかしら」
こいつ、やっぱりアホだろ。
「やるか」
「笹宮さん、ゴー!」
「やらねえからな」
それ以前にそんな芸当を誰ができるんだ。
もう人間じゃねえだろ。
あぁ! くそ! わずかでもまともな頼み事があるのではと考えた俺が間違っていた。
いや……知っていただろ。
わずかな希望に手を伸ばそうとした俺がバカだったのだ。
現実に理想は存在しないと、大人はなぜ忘れるのだろうか。
椅子に深く腰を掛けて背もたれに体重を預ける。
精神的な疲れのせいか、妙に肩がだるい。
俺の疲れ果てた様子をみて、楓坂はくすりと笑う。
妖艶に唇を緩める美女はまさに悪女というにふさわしい雰囲気を醸し出していた。
とことん俺を困らせるのが好きらしい。
性格さえまともなら紛れもない美人なのに、もったいない。
と、ここで結衣花が帰ってきた。
「おまたせ。……あれ、なにかあった?」
「少し話をしていただけだ」
「あ。お兄さん、楓坂さんが女子大生だからって口説いちゃダメだよ」
「いや、それは絶対にない」
こいつを口説くってことは、全裸でブリッジしながら夜の国道を全力疾走するってことだからな。死んでもやらん。
「どうかなぁ。お兄さん、美人に弱そうだし。暴走していきなり壁ドンとかしそう」
「……されたことならあるんだが」
■――あとがき――■
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
次回、結衣花と朝の散歩でハプニング!?
よろしくお願いします。(*’▽’*)
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