6月18日(木曜日)やきもちじゃないから


 翌朝――。

 俺の日常は、やはり先頭車両の一番前から始まる。


 毎日同じ行動をすることで、一定のモチベーションを保つ行為は、一流のスポーツ選手もやっているという。


 だが、今日はいつにも増して気分がいい。

 会社に行くのが楽しみと思えるほどだ。


 昨日、部長のせいで音水は落ち込んでいたが、しばらくすると彼女はいつもの元気を取り戻していた。


 その時に彼女は「いてくれてよかった」と俺に言ったのだが、その一言が嬉しかったのだ。

 これこそ先輩冥利に尽きるというものだろう。


 すると、フラットテンションの女子高生が、もはや予定調和のごとく現れた。


「おはよ。お兄さん」

「よぉ。結衣花」


 俺の隣に立った結衣花は、弾むように壁に背を預ける。


 最近になって気づいたのだが、結衣花は壁にもたれる時、一度だけ体をバウンドさせる。

 まるでここは私の場所だと主張しているようだ。


 そんな子供っぽい部分を見せる結衣花は、さっそく話を振ってきた。


「ねえ。なにか、いいことあったんじゃない?」

「別にいいことというわけじゃないが。まぁ、些細なことはあった」

「ほうほう」


 興味ありますよと言わんばかりに、結衣花は食いついてきた。


 なんだかんだで結衣花との付き合いも長くなるので、こうなるのは予想通りだ。


 だが、結衣花に話すと絶対に恋愛に結び付けようとするだろう。

 そうなると、俺はいつも結衣花のペースに巻き込まれる。


 いつも負けてばかりでは悔しいので、ここは戦術的に話さないことにしよう。


 ふっ、勝ったな。

 すでにお前の行動はお見通しだぜ。


「言っておくが、話さないからな」

「そうなんだ」

「俺はべらべらと喋る男じゃないからな」

「うん、わかってる。それで?」

「本当にたいしたことじゃないんだが」

「話す気になったと」

「……」


 俺は昨日あった出来事を、簡潔に話すことにした。


 結衣花も最初はフラットテンションのまま聞いていたが、部長の嫌がらせの件を聞いた時は、さすがに目を細めていた。


 しかし俺が部長を追い返したことを話すと、「ふぅん」と感心したようにこちらを見る。


「そんなことがあったんだ」

「ああ。これに懲りて、部長の嫌がらせも少しは落ち着くだろう」

「後輩さんは?」

「大丈夫だ。今回のことでちょっと距離が近づいたような気がするぜ」


 少し照れもあって俺は前髪を指先でいじった。

 すると結衣花が淡々とした口調で言う。


「お兄さん、にやけてるよ」

「べ……別に、にやけてはいなかっただろ」

「すごいにやけてた」


 なんだ? 言葉にとげがあるような……。


 すると結衣花は、掴んでいる俺の腕を親指でぐりぐりとし始めた。


 グリグリグリ……。グリグリグリ……。


 むぅ……。

 痛くはないんだが、正体不明のプレッシャーをすっげえ感じる。 


「もしかして怒ってるのか?」

「私が怒る理由ある?」

「たとえば、ヤキモ――」

「は?」


 ヤキモチを焼いているのかと言いかけた瞬間、すばやく結衣花が言葉を遮った。


「なに? 何を言おうとしたの?」


 結衣花さん。目が怖いっす。


「あ、……いえ。なんでも……ありません」

「怒らないから言ってごらん。本当に怒らないから」


 絶対に怒るだろ。

 そういうことをいうやつは、絶対に怒るって世界中の人間が知ってるんだよ。


 あと親指でぐりぐりするの、やめて。


 しかし、ここでヤキモチを焼いたのかと聞くのは危険だ。

 俺の命に関わるだろう。


 ここは、ごまかすのがベストだな。


「話は変わるが……」

「なに勝手に変えようとしているの」

「ダメですか?」

「ダメ」


 退路を塞がれた。


 困って何も言えなくなった俺に、結衣花はクスッと笑う。


「とりあえず、後輩さんとうまくいってよかったね」

「まあな。結衣花のおかげだよ」

「わぉ、素直」

「正直なんだ」

「気持ち悪い」

「照れるなよ」


 とはいえ、こうして音水とうまくやっていけるのは結衣花のおかげなのは間違いないので、感謝をしているのは本音だ。


 たまにエグイ言葉を使うのさえなければ、普通の美少女で通るのに……。残念なやつだ。


 とはいえ、結衣花に話していないこともある。


 昨日の夕方、部長は気になることを言ってきたのだ。

 その内容とは、次のプレゼンで失敗したら、音水は雑用課に飛ばすというもの。


 うちの会社にそんな課は存在しないのだが、リストラ候補の社員に雑用を押し付けて、退職に追い込むという悪しき伝統が残っている。


 俺が入社してから被害に遭った者はいないと聞いているが、あの部長ならやりかねない。


 音水の為にも、次のプレゼンを成功させないとな。


「ねえ。ところで後輩さんは、どうして部長さんに目を付けられてるの?」

「ああ。今年の四月、会社宣伝のためにネットで仕事の様子をライブ配信したことがあったんだ。その時に、ちょっとやらかしてな」

「ちょっとって?」

「転んだ拍子に部長のカツラを取ってしまったんだ」

「PV伸びそう」

「すっげえ伸びた」



■――あとがき――■

いつも読んで頂き、ありがとうございます。


次回、音水が「思い出が欲しい」と言いだす!?

よろしくお願いします。O(*’▽’*)/☆゚‘

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