6月11日(木曜日)作戦


「おはよ。お兄さん」

「よぉ。結衣花」


 毎朝電車で交わす俺達の挨拶は、すでにいつもの日常となっていた。


 結衣花は片手に持っていたスマホをカバンに入れて、いつものように俺の隣へ移動し、ミディアムショートの髪をさらりと揺らす。

 そして俺の腕に掴まって、二回ムニった。


「後輩さんとは仲直りできたの?」

「まあな。すぐに表現力を改善できないが、少しずつ直していくと言ったら元気を取り戻してくれたよ」

「よかったね」

「ああ」


 以前は音水の行動が理解できず悩んでいた時もあったが、今ではそれほど不安はない。


 俺のコミュ力レベルが上昇しているというのもあるが、これも結衣花のおかげだろう。


 初めて会った時は変な奴だと思ったが、今では頼りになるやつだと考えている。


「そういえば次の土曜日、映画に行くことになった」

「おや、デート?」


 予想通りの反応だ。

 恋愛脳の結衣花ならそう考えると思っていた。

 俺は慌てるまでもなく、当然のように即答する。


「違う」

「違うの?」

「プライベートを使って市場調査をしたいらしい」

「それデートの口実でしょ」


 まあ、女子高生ならそう考えるだろう。

 だが俺は、ちゃんとあいつのことをわかってやれるいい先輩だ。


「で、何を観に行くの?」

「俺が考えた候補は最近話題の『デッド・オブ・ラバーズ』だな」

「それ恋人同士で殺し合うやつ」


 行く予定の映画館をチェックした時に一番おもしろそうだったので選んだのだが、結衣花は速攻で却下した。


 映画レビューを見ると評価は高かったが、やはり数字だけで作品の良し悪しはわからないということか。


 結衣花は呆れた様子で肩をすくめる。


「心配だなぁ」

「ついてくるか?」

「アホなの?」


 いつも通りのフラットなテンションだが、今の言葉にはどこかトゲがあった。

 冗談とかではなく、本気だったのだろう。

 傷つくじゃないか。


 ふぅ……と結衣花はため息をついて、カバンのショルダーベルトを握り直した。

 こっちを見る目に、どこか哀れみが浮かんでいる。


 そんな瞳で見つめないでくれ。

 まるで俺がかわいそうな人みたいになってしまう。


「いちおう聞くけど、初デートで映画は地雷って知ってる?」

「デートじゃないが、いちおう聞こう」


 結衣花は何が何でもデートということにしたいようだった。


 しかし音水との良好な関係を維持するという意味では、知っておいて損はないだろう。


「最初の頃はまだ関係が浅いでしょ」

「俺と音水は、それなりに信頼関係が構築されているぞ」

「黙って聞いて」

「はい」


 時々、妙な迫力があるんだよな。


 俺が大人しくなったことを確認した結衣花は淡々と説明を続けた。


「二人っきりで映画に行くと二時間ずっと近くにいる状態になるでしょ。それが気を使う人にはストレスになるんだよ」

「あー、確かに音水はそういうタイプかもな」

「その時、『この人ちょっと違うなぁ』とか思われたりすると自然消滅に突き進んじゃうから、映画デートは仲良くなってからって先輩が言ってたよ」


 音水はいつもグイグイ迫ってくるが、意外と周りのことも見ている。

 だがそれは気配りをし過ぎてしまうという欠点にも繋がっていた。


 結衣花の言うことが本当なら、油断していると足元をすくわれかねない。


 あごを指で支えながら、俺は結衣花に訊ねた。


「関係が悪化するのは問題だな。どうすればいい?」

「褒めて甘やかせばいいんじゃないかな。それでリラックスできるでしょ」


 彼女の提案に俺は深く納得した。


「なるほど。今の俺にふさわしい対処法だ」

「お兄さんには難易度高めだけどね」


 すると結衣花は急にカバンを開けて、中からポシェットを取り出した。


「だから、はい」


 そういって可愛らしいクリーム色のポシェットを俺に手渡す。

 持ってみたところ随分と軽い。


「なんだこれ」

「私の手作りサンドイッチ」

「これでどうしろと」

「食べて感想を言って」

「褒めろと」

「そそ。後輩さんとうまくいくためのトーク練習になるでしょ」


 今日初めて映画のことを言ったのに、どうして事前にサンドイッチを用意していたのかと言う疑問は浮かんだが、あまり追求しないことにした。


 たぶん音水のことは関係なく、俺のために弁当を用意してくれていたのだろう。

 それは素直に嬉しいことだ。


「あ。もしかしてお兄さん、手作りが苦手な人?」

「いや、むしろ楽しみだ。ありがとう」

「ふふっ。そう言ってくれると作った甲斐があったってもんだね」


 クスッと笑った結衣花は今まで見てきた表情とは違い、俺は心地のいい驚きを感じた。

 もしかするとわかりにくいだけで、本当は表情豊かな子なのかもしれない。


 もっと彼女のいろんな面を見てみたいという気持ちが湧き上がろうとしたが、相手は女子高生だと言い聞かせて本来の自分へ軌道修正する。


「しかし手作り弁当なんて、結衣花にしてはめずらしく女子力が高いじゃないか」


 すると結衣花は得意げに鼻頭を上に向けた。


「お兄さんが私に支配されている感じがいいでしょ」

「手作り弁当で支配とか、俺の人権が低すぎない?」



■――あとがき――■


☆評価・応援、本当にありがとうございます!(*'ワ'*)

たくさんの元気を頂いています。


次回は手作り弁当を見た音水の様子が……!?

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