第24話 「Sister's Noise」
迷ったらしい。
母に書いてもらった地図が、おおざっぱすぎたようだ。
スマホで検索したが、使い方がいまいちわからない。どうしたらいい……と佐保はしばし悩む。
コンビニの前に車が止まっており、そのそばで缶コーヒーを飲んでいる男性がいた。長身のハンサムで、三十歳ぐらいの大人な感じで話しかけやすそうな印象だ。
佐保はさほど迷わなかった。
「……これ、駅の反対側じゃない?」
地図を見たその人は、おかしそうに答えた。どおりで……地図に罪はなかったようだ。
「ここ、わかります?」
「車のナンバー見て」
笑うのをこらえるように云うので見てみたら、他県ナンバーだった。あたぁ……と佐保は顔を真っ赤にしてしまった。
「ごめんなさい、てっきり……」
「相当、方向音痴なんだ」
「……兄が大学の近くのアパートに住んでて、ちょっと用事があって行く予定で……」
「駅を回って、車だと多分五分ぐらいだと思う。時々来るから土地勘はあるよ。乗っていく? ……あ、怪しくみえる?」
「いえ、とんでもない……いいんですか?」
「僕も妹に届け物があって、来たんだけど。あいつまだ帰ってないみたいだから」
* * *
「今来たよ~」
ベージュのコートを羽織って肩をすくめていた佐保が、階段を上がってきたボクをみて、部屋の前で、へらへらと手を振った。
「早くないか?」
肩のあたりで切りそろえた髪は校則に引っかからない程度に明るく、やや釣り目気味の気の強そうな――傍からみたら、ボクと似通った遺伝子を持っているとはちょっと思えない妹は、ふふんと笑った。
「『Selfish』愛が漲りすぎて、もはやフライング気味に到着するしかないあたしなのさ、早く部屋入れて。お兄ちゃん」
彼女が現在はまってるバンドのライブが、ボクの大学がある県であると聞いて、期末試験直前というのに、これは運命だ行かねばならぬ、だから行くからね、泊めてね! と佐保の勢いは留まらなかった。
母親からはため息交じりに、ちゃんと面倒みてねと、なぜか責められるように云われてしまった。なぜだ?
部屋に入り、寒~いと、佐保はこたつにもぐりこむ。満面の笑みだ。
「お母さんから、ちゃんと生活してるか見て来いって云われてるからね~」
「ちゃんとしてるって云っておけ」
ボクは買い物袋を台所に下ろした。
「秀虎く~ん、今日ね……」
その時、玄関のドアが大きく開き明日夢が入ってきた。こたつでぬくぬくしている佐保を見て、ドアを開けたままの格好で硬直する。
「……女の子がいる……かわいい……」笑顔のまま、眼が殺人鬼のような光を、みるみるたたえていく。「……誰?」
「……あ、これ……」
「秀虎君とお付き合いさせてもらってます、佐保って云います。高二で~す」
にこやかに平然と大嘘をつく佐保……おい!
「……じょしこ~せ~だと……」
明日夢の後ろで落雷があったようだ。ドアから殺意のようなものが烈風となって吹き込んできたように感じ、ボクは本能的に後退した。
「……この、浮気者っ!」
明日夢は台所に置いてあったコンパクトチェアを振りあげると、思いっきりボク目がけて投げつけやがった。
怒り狂っていた明日夢に事情を説明するのに三分ほどかかった。ボクの人生で、これほど命の危険を感じた三分はめったにない。ようやく納得したようだ。
「わかった?」
「わかりました、あたしの勘違いでした、申し訳ございませんでした……ちっ」
「今、ちって云ったろ?」
「云ってませ~ん……くそっ」
明日夢は腰に手をやったまま、かなりやさぐれ気味に謝るふりをしていた。謝意は電子顕微鏡で探しても見つかりそうにない。
「秀虎君が部屋にこんなかわいい女子高生連れこむ甲斐性なんてあるわけないってわかってますよ」ものすごい棒読みだ。「はいはい、妹さんね、そんなことだと思いましたよ、そーゆーオチなのはよ~くわかりました、はいはい……本当にやってたらぶっ殺す」
だからお前、今最後に何て云った?
佐保は佐保で、隣で眼を輝かせて状況を楽しんでいる。この野郎。
「今、すごい音しなかった? 大丈夫?」
ドアからいぶかしげに男の人が顔をのぞかせた。
「あ、浩人さん!」
「……兄ちゃん、何でここに!」
佐保と明日夢が同時に叫び、ふたりは、はあぁっと大声をあげて顔を見合わせた。一拍遅れて、その男性も眼を剥く。
「明日夢、お前何でこんなとこに――え?」
ボクだけがこの状況からとりのこされてしまった……
状況説明。
……つまり、ボクの妹の佐保と明日夢のお兄さんの浩人さんは、それぞれこの町にやってきて、道に迷った佐保を浩人さんが送り届けてくれたってこと。
「バスケで云うところのスウィッチてやつ?」
明日夢、よけいややこしい。
「うん、後ろに入れておいた荷物が荷崩れしたみたいだったから、積みなおしてたんだよ」
と――佐保と別れた後、下の道路に停車したまま作業していた浩人さんの耳に、明日夢の暴れる音が届いたらしく、一体何ごとと顔を出したとのことだった。
「妹、送ってくれてありがとうございました」
ボクは米つきバッタのように頭を下げるしかなかった。
「いや、でもまさか明日夢がいるとは驚いたよ」と大笑いする。「ごめん秀虎君、けがなかった? こいつ小さいころから乱暴でさ」
知ってます。額にこぶができてます。
「いや、あたしもびっくりです。浩人さんの妹さんがお兄ちゃんの……お兄ちゃんの……ぶっ」
吹き出す佐保。どういう意味? それにいつこの人を浩人さんと呼ぶほどに、距離詰めてんだよ。
「あたしも驚いた。でも佐保ちゃん、簡単に男の車に乗っちゃだめよ。特にこの人、人畜無害を装おうとして、装いきってないからね」
三人は興奮して話すと、それにしてもすごい偶然だねぇと、大笑いした。
ボクは妙な疎外感を味わった。
「……で秀虎君? 明日夢とはどういった関係で?」
いきなり矛先がこっち向いた。表情、まじめ。浩人さん、ボクらより七、八歳上で、大人の余裕だ。佐保が隣で期待に満ちた眼を輝かせている。
「あ、いや、その……同期で、その同じ同好会で……」
「兄ちゃん、秀虎君はあたしのだーりん」
「兄がいつもお世話になっています。熊谷秀虎の妹の佐保と云います。お姉さんって呼んでいいですか?」
「もちろん!」
やめてくれ、ふたりとも本当にやめてくれ。寿命が縮みそうだ。
「ちょっとちょっと、兄上……」佐保がボクの耳に口を近づけてささやく。「長身美形兄妹じゃないですかぁ!」
興奮のあまり、妙なノリになっている。長身はともかく、美形の妹とやらがどこにいる?
「浩人さん、むちゃくちゃ好み~」
目が劣情に光っている。佐保は浩人さんに向きなおると、この上なく上品な笑顔を見せた。
「今日は本当にありがとうございました。ちゃんとお礼もいたしませんで、失礼しました。もしよろしければ、アドレスと年齢とお仕事、それから差し支えなければ現在お付き合いしている女性の有無だけでも。それから女性の好みと、あ、これぐらいまでならOKだなっていう許容範囲とか――具体的には容姿とか年齢とか……できたら女子高生でも構わないとかおっしゃってくれると、あたし的には大変ありがたいんですが、そういうこと教えてもらえませんか」
「お前はアホか!」
こいつ、成績は学年でトップクラスのくせに、基本アホだ。
「すみません、すみません、妹が失礼しました」
ボクは米つきバッタのように頭を下げる。
「兄ちゃんはお金持ちの女性が好みです」
明日夢、お前、何を云う!佐保の眼が狩人のように光った。
「浩人さん、あたし、明日から株をはじめます!」
隣で明日夢が大爆笑している。ちくしょう。
と、ここまではよか……よくはないが、まぁすんだことだ。よくはないが、とりあえずこっち置いとこう。心が折れそうだ。
さらに問題が発生していた。
「……違う? 違うってどういうこと?」
佐保の顔が引きつっている。
「……会場、ここじゃないよ」
流れで、佐保がライブに行く話になった。でも、佐保が行きたがっているライブ会場、ここにはないよ。
「〇〇ホールって、ここじゃないの?」
チケットに書かれているホール名、こいつが曲者だ。流行りのネーミングライツってやつで、命名権を入札した企業が、所在する市の名じゃなくって県全体のイメージを喚起するちょっとこりすぎの微妙なホール名をつけてしまっている。そのため、何となく県庁所在地にあるホールのように思えてしまうが、実際あるのは県北の市だ。時折間違える人がいるとは聞いている。
「いるとは聞いてる……じゃないっ!」佐保が真っ青になって叫ぶ。「これだからお兄ちゃんは……」
佐保が歯ぎしりする。え、何でボクがそんな風に云われんといかんの? 場所ぐらい、事前に確認しとけ。
「ホールの場所、お兄ちゃんとこに行けば教えてくれると思ってたのに!」
と叫んだあと、表記不能の罵り声をあげた。こいつ、わりと頭がいいくせに、基本的なところのネジが致命的に抜けている。
「とにかく、急いで行かなきゃ!」
頭の中で、おおざっぱにアクセスを勘定する。距離じゃない、交通の便が非常に悪い市で、公共交通機関だと直通の電車がないから、別系統の路線とバスを乗り継がなけりゃいけないはずだ。
「今からだと、ずいぶんかかるぞ」
スマホで検索すると、今からだと、開演時間に間に合わない可能性が高い。
「何でそんなとこにあるんじゃあっ!」膝から崩れ落ちた佐保が、床を叩きながら絶叫する。「今すぐ、今すぐ眼の前に引っ越してこいー!」
「だから事前にちゃんと調べとけって、あれほど……」
「『Selfish』が……『Selfish』が……」
佐保が呆然として、アホな子みたいな表情になっている。
「どうせ帰る方向がいっしょだ、送っていこうか?」
浩人さんがさらっと云ってのける。
「いいんですか」
佐保が嬉しそうに飛び起きる。
「いや、いくら何でも、そこまで甘えるわけには……」
「お兄ちゃんは黙ってて」佐保が冷たくボクの言葉をさえぎる。「女の子、部屋に連れこんでたってお母さんに云いつけるから」
ボクはなけなしの五千円札を明日夢に押しつけた。
浩人さんは、ちょっと車整理してくるからと下に降りた。こっち方面に仕事の用事があったので、そのついでに実家から明日夢へのことづかりものを持ってきたらしい。それを降ろしたら送っていくから、手伝ってくれと云われたので、もちろん引き受けた。車で明日夢のアパートへ行く予定だ。
「頼む。ガソリン代とか、手間とかお礼とかいうことで、お兄さんに渡してくれ」
「兄ちゃん、年下からもらうような性格じゃないって」
「そういうわけにはいかんって。頼む北森、オレからじゃ遠慮してもらわないかもしれないから、何とかお前から……」
「わかった、わかった」お金を受け取りながら、明日夢はおかしそうに笑う。「いや~おもしろい、あの兄ちゃんに女子高生が寄ってくるとは」
「佐保はまだ子どもだって。お兄さんに迷惑かけるわけにはいかん」
ボクはきっととても渋い顔をしていると思う。
「お兄ちゃん、浩人さんが準備できたって」
下から上ってきた佐保が声をかける。
「いいか、泊めてやるからちゃんと帰ってこいよ、途中まで迎えに行ってやるから、必ず連絡するんだぞ、いいか、いいか、いいか」
「わかってるって、心配しないで」
佐保は自信満々で答える。
答えたのに……
「……今、何て云った?」
目まいがしそうだった。佐保のやつ、何云ってる?とっくにライブが終わったはずなのに、なかなか電話がかかってこなくて、やっとかかっていたのは、もう真夜中に近い。
「もう遅いから、浩人さんが泊めてくれるって。お兄ちゃんの家に戻るより、浩人さんの家の方が近いぐらいだからって、ライブ終わるまでわざわざ待っててくれて、送ってくれたの。優しいでしょ」
「ちょっと待て、家って……どこ?」
「浩人さんの家」
アホの妹が堂々と云ってのける。血の気が引いた。
「何ですと~!」
思わず叫んだのはボクではない。ボクのスマホに、聞き耳をたてていた明日夢だった。佐保が遅くなるだろうって、ボクの部屋で待機していた明日夢も呆然としている。
「お前、ふざけんな! 終電間に合うだろうが、ひとりで帰れ!」
「もう着いちゃった、お風呂も入れてもらった。ご飯も食べさせてもらった」
「お前……その、まさか、ひょっとして……本当に、本当に送ってもらっただけだよな?」
「何、変なこと考えてるの? そんなことするわけないじゃん」
すまして答える佐保。
「……家の人、いるのか?」
「うん」
「代われ、すぐ代われ」
すぐそばにいたらしい。明日夢や浩人さんのお母さんらしき人が電話を替わる。
「あ、あの……熊谷と云います、佐保の兄です、あ……い、妹がお邪魔してしまって申し訳ありません……」
もう米つきバッタのように頭を下げるしかない。
「ご丁寧にありがとうございます」
上品でおっとりした声だ。北森のお母さんとは思えない。
「大丈夫ですよ。つい今しがた、お宅のお母さんにお電話してお断りいれてましたから」
「……は、はい?」
ちょっと待て、この状況、誰がどう説明した?
「妹さん、礼儀正しくって、お家でのしつけがよかったのね。それよりうちの長男が無理やり連れてきて、ご迷惑じゃなかったですか」
「あ、いや、迷惑……? だなんて、そんな……あの……」
「明日は責任以ってご自宅まで送らせますから、妹さんのことはご心配なく」
「いや、あの……」
「あ、そうそう、明日夢のこと、くれぐれもよろしくお願いしますね」
それから、何を話して電話を切ったのか記憶にない。
「……何てことしてくれたんだよ、兄ちゃん……」
明日夢が頭を抱える。
ボクも抱える。出会って半日で実家にまで入りこむとは、どういう手練手管だ。わが妹ながら恐ろしい。
次の瞬間、今度は母から猛然と電話がかかってきた。呼び出し音からして、すでに怒気をほとばしらせている。触りたくない、気を失いそうだ。
「秀虎、どういうこと! 北森さんてお宅から、佐保を泊めてるって電話かかってきたわよ!」
「いや、それは……」
ボクはもう引きつった声しか出ない。
「何? 同級生のお兄さんの車に乗せてもらって、家に泊めてもらうって、よそ様に迷惑かけるようなまねさせるんじゃないわよ! あなたが泊めるっていうから許可したのよ、あんたお兄ちゃんなんだから、無責任なことしないでちゃんと佐保の面倒みなさい!」
「……ちょっと待て……」
母よ、それはあまりに理不尽ではないかい?
「あぁ、それより明日にでもお礼に何か送っとかなくちゃ……お酒かビールか、それともこの時期だから苺でもいいかも……先方はフルーツ珍しくもないかなぁ?」
「……知りません」
「あ、それより、あんた! 佐保を送ってくれた人の妹さんって一体誰よ?」
なんか涙、出てきた。
電話の後半、やはりもう何を話したのか記憶にない。
いつの間にか通話は終わっていた。ボクは屍のようになっていた。
明日夢が冷蔵庫からビール持ってきてくれた。
「秀虎君、あたし今初めて君に同情してるよ……」
「うわあぁぁぁ……」
ボクは頭を抱えた。知らん間に、ボクの周りがカオスになっていた。
(了)
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