第22話 「Carnival Days」(last day)
学祭二日目、最終日。今日も昨日に敗けない絶好の日和だ。
昨夜は夜警の差し入れで、寝たのは真夜中すぎだったが、何時間も寝ることはできなかった。最終日の準備があるからだ。
昨日の売り上げが予想以上によかったおかげで、あらかじめ想定していた食材が足りなくなったので、昨日のうちに補充をしておいた。たこは明日夢がゆでたが、早めに行って生地を作っておかなけりゃならない。
生地を混ぜていると、達川がやってきた。眼が充血してしきりにあくびをしている。缶のブラックコーヒーを開ける。
「徹夜?」
明日夢が訊ねると、二日目と答えた。
「それも今日で終わりだ」
「お疲れさん、ところで例の置き引きの件はどうなった?」
「午後も一件あったけど、進展なし。お手上げだ」
「昨日、私服警察と会ったぞ。オレたち知ってる人たちだけど、どうもあてになるかどうかわからん」
「マジかよ、まいるぜ……」達川はもう笑うしかないって感じで答えた。「もうオレ、来年は絶対やらないからな」
余談になるが、結局達川のやつ、来年も再来年も運営委員をやることになり、四回生の時は委員長まで務めることになる。
その日も好調だった。朝からお昼にかけて徐々に注文が増え、焼く端から売れていく。ボクや明日夢はもう考えることもできずに、ひたすら焼き、売り子をした。差し出すパックとお金とが目まぐるしく頭の中で回転し、たとえじゃなくって眼が回りそうだった。そのくせ、一瞬一瞬が鮮明だった。
もうこうなってくると、頭の中のどこかからか変な物質が血液中にどくどくと流れこみ、それが身体の節々で爆発的に燃焼して動している感じだ。
午後になり、大至急たこ焼き十パック持ってこい――と織田さんからの注文がきたので、ボクと明日夢はありったけのたこ焼きを持って、サロンへ向かった。売店には、只今準備中のお札を下げた。
囲碁将棋サロン「ひろい ふかい」では、七、八人の小学生が騒いでいる。おそらくつきそいだろう、何人かの大人もいる。壁には碁と将棋に分かれてトーナメント表が張られている。もう終わったようで、なごやかな雰囲気だ。
ボクらがたこ焼きのパックを見せると、小学生がわっと群がった。中には男よりもでかいメイド姿を物珍しそうに見上げ、あちこち引っぱるやつもいるが、明日夢はかたっぱしからげんこつで黙らせる。
遠慮なくたこ焼きをほおばる子どもたちは騒々しい。人も少なく、おそらくさっきまでは石や駒を打つ音しかしなかっただろう部屋の中が、ほのぼのした喧噪につつまれた。
あぁ、もうそろそろ学祭も終わりだなと思った。このばか騒ぎが終わっていく、ちょっともの寂しい感じと、サロンや売店の撤収の煩雑さにげんなりする感覚が半々だった。
「ちょっと、あんた!」
当然、石黒さんの声がした。全員が一斉に視線を向けた。
今回のサロンのために長テーブルを並べているが、出口近くの一台は荷物置きに使っている。その隣はお茶やインスタントコーヒーを好きに入れられるように、保温の卓上ポットや紙コップが置かれている。
荷物置きのそばに、ひとりの男がいた。ボクらと同じくらい年頃の、背のすらっとした男だ。手にはバッグを持っていた。
「それ、あんたのじゃないだろう?」
石黒さんが険しい顔で詰問する。その場のみんなが顔を見合わせる。
「学祭で置き引きが出てるって、通告が出てるんだ。あんたデイバッグ持ってきたんじゃなかったっけ?」
男が手にしているのは、年輩の人が持つような茶色いセカンドバッグだ。
「あ、それ私の……」
つきそいできていると思われる老人が、声をあげる。
「……何云ってんだよ」
男は別に焦るでもなく、顔をしかめながら云う。手にしたバッグを元にもどす。
「オレは自分のバッグ取りたかったから、どけただけだろうが」
「あんた、もう背負ってるじゃないか」
「だからもどしたんだよ、お前、オレのこと泥棒とでも思ってんの?」
「オレ、見てたんだよ。そのバッグ持って出て行こうとしたろう?」
石黒さん言い張る。興奮で顔が紅潮している。
「そんなことしてない。お前の勘違いだ」
「あんた、この子らの保護者でも何でもないだろ? 何でそんなやつがいるんだよ」
「ちょっと待てよ、学祭だろ。見学に来て悪いのか? それだけで疑われるのか?」
男は冷静に答える。確かにそうだが、関係者でもない人間がこんなところに出入りするとは、当事者であるボクもちょっと考えにくい。しかし、怪しいが絶対ないとも云いきれない。
「熊谷、運営に連絡しろ、警察に来てもらえ」
業を煮やして石黒さんが云う。ボクはスマホを取り出す。
「お前、オレのこと置き引き扱いしてるけど、もし違ってたら、どう責任とるつもりだ? 見学に来たお客に、因縁つけるのか?」
男の口調に粘っこさが混ざった。妙にふてぶてしい態度がにじみ出てきた。
「うるせぇ、お前怪しいんだよ」
「警察? やってみろよ、そのかわり、大学にねじこむぜ。何もしてないのに、おたくの学生から犯罪者扱いされたって」
そう云われると、バッグを持っていこうとしたとの石黒さんの言葉も、もう水掛け論で、証明のしようもない。焦るでもない男の態度に対して、一同にためらうような空気が流れた。
「別にいいんじゃない? この人が置き引きかどうかは警察に任せれば。違ったって、怪しかったから通報するの当たり前のことだから、何も文句云われる筋合いないですよ」
空気を読まない明日夢が、ふてぶてしく云った。とりあえずぶん殴ってから考えるという彼女のやり方は、時々無敵だ。男が眉をひそめた。
石黒さんと貞清さんが顔を見合わせ、さらにどうしようかと後ろの織田さんに視線を向けた瞬間だった。
それまで何の気配も感じさせなかったその男が、碁盤の乗っている長テーブルを、いきなり勢いよくボクらの方へ押しやった。長テーブルと折りたたみ椅子がぶつかってきて、激しい音とともに碁盤や碁石が盛大に飛散する。
男はそばの保温ポットをつかむと、それを小学生目がけて投げつけてきた。子どもに直撃して血しぶきが飛ぶか、中の熱湯で大やけどするか、そんな凄惨な光景が瞬時に浮び――飛来したポットを、一瞬で前に出た明日夢が叩き落とした。
あさっての方角の床に叩きつけられたポットから、熱湯がぶちまけられた。藤江が悲鳴をあげた。
「痛った~」
掌をひらひらさせながら、明日夢が叫ぶ。あの男は室内にはもういない。
「やっぱ、あいつ!」
貞清さんが叫ぶ。飛びだしたボクらの眼に、教室前の立て看板を次々に倒しなが外廊下を逃走する男の姿が映った。看板は固定するように指示されていたが、夜には室内に撤去するから面倒なので誰も守らない。倒すのは簡単だ。室内から怒号が響く。
外廊下の手すりにひっかかって斜めになり、写真部とイラスト同好会と書道部の看板が、追いかけようとするボクらを阻む。
「貞清、運営に連絡しろ!」
織田さんが叫び、石黒さんや将棋同好会の連中が看板をどかし、追いかける。この間だけでも、結構なタイムロスだ。
囲碁と将棋の同好会全員で教室棟を駆け下りる。男は人込みの中を逃げている。追いかけたボクらだったが、ほとんどの連中は二十メートルも走らないうちにリタイヤだ。これだからインドア派は。
すぐ後ろでひいひい云っていた石黒さんが脱落すると、それほど運動神経があるわけじゃないが、走るのは割と苦にならないボクだけになっていた。それでももう息があがり、脚が上がらなくなりはじめている。
人込みの向こうに、運営委員の腕章をつけた達川を見つけた。
「達川、そいつ、置き引き!」
叫ぶと、驚いて達川がこっちを向く。ボクが指さした男をみとめると、男も察したのか方向を変える。置き引きするようなやつ、もっと陰湿で鈍いような印象があったが、そいつは意外に俊敏で達川を簡単にかわして逃走する。
「こちら達川、置き引きらしき男を見つけました。黒のコートにデイバッグ……」 達川が襟のトランシーバーで報告している。
「熊谷、逃がすな!」
「秀虎君、こっち?」
後ろで明日夢の声がした。保温ポットを叩き落し、痛いと大騒ぎしていたこいつ、追いついてきた。
「三号館の方に逃げた」
よくドラマなんかで、泥棒だ、捕まえてくれーなんて場面あるが、走りながらそんなこと叫ぶのは無理だ。息が上がっているし、そんな悠長なことやっていたら逃げられてします。構外に逃げられたら、もう行方なんてわからなくなる。何としても構内で捕まえてしまわないと。
「あの野郎!」明日夢が怒りの声をあげている。「子どもに熱湯ぶっかけようとしやがった、ただじゃおかない!」
ボクは明日夢からちょっと離れて走ることにした。こいつがキレた場合、ろくなことにならないのを経験上知っている。
達川はトランシーバーでこまめに逃走経路を報告している。
それが功を奏したのだろうか。
前方に腕章をつけた委員がふたり、大きく手を広げて立ちふさがっていた。しめたと思ったが、男はひとりに思いきりぶつかると、あっさりと弾き飛ばし、もうひとりの腕をとって振り回し、走り寄った明日夢に向かって突き飛ばした。これだからインドア派は!
明日夢が胸で受け止めたけれど、さすがによろけて、ボクと達川は避けることができずにぶつかり、四人そろって折り重なるように転倒してしまった。
周りの連中が、何事だと眼を丸くしている。
委員にのしかかられて、珍しく明日夢が動けない。ボクは起きあがると、人込みの先に小さくなった男を追う。達川もつづく。
うちの大学は丘陵の斜面にそって開かれている。そのため、設備もエリアごと、斜面に沿って階段状に展開している。
男はボクらのサロンがある教室棟のエリアを走り抜け、ひとつ下の階層への階段を駆け下りている。
決定的に引き離されていないが、追いつくこともできない。達川は見てくれの割に脚が遅い。少しづつ遅れていく。ボクはといえば、バイトに向かう時の自転車が効いているのか、息が苦しいがそれでもまだ脚が動いている。
そのボクとへろへろの達川を、明日夢が一気にぶち抜いていく。丈の短いスカートと胸元のリボンをひるがえして疾走するさまは、ほれぼれとするほどだった。
男が駆け下りた階段を、手すりを軽々と飛び越えて数段飛ばしで舞った。彼女の飛翔は、雄大なドラゴンのようだ。着地と急制動でブーツの下の大地が土煙をあげる。風切り音とブレーキの音さえ聞こえてきそうだった。
「どっち行った」
「こっち!」
明日夢が指さす。ボクも階段を駆け下りる。
「今記念棟の裏手から特設ステージに向かっています。委員の配置はどうなって――?」
達川が喘ぎながらトランシーバーに叫ぶが、顔をしかめる。
「くそっ! 北森、今、男コンやってるから、ステージはすぐには、動けない、それまでに捕まえろ!」
「まかせろっ」
叫ぶと、追跡を再開する。
男はその声に振りかえり、明日夢が肉薄していることに気がつき、驚いていた。スピードを上げて記念棟の裏手へと駆けこむ。
何に使っているのかは知らないが、壁沿いにはいくつものプランターが重ねられている物品棚が何基もあった。男はそれをつかむと、力任せに横倒しにした。隣の建物の壁にひっかかって、物品棚は斜めになって明日夢を阻んだ。ひとつだけではない、のこり全部を倒し、鉄壁のバリケードを築く。
明日夢が怒りの声をあげると、男はバカにするように笑うと、悠々と走り去っていった。いくら明日夢でも、これは乗り越えられない。ボクはとっさに後退して建物を回りこんだ。
男はメイン会場であるグラウンドに向かって小走りだ。さすがに疲れがみえていたのだろう。余裕が失われているようだ。
昨日からバンド演奏やらの会場となっていた特設ステージ上では、男コン――女装した男たちのコンテストの真っ最中だ。
わが大学は男女同権を標榜している。容姿で女性の優劣を決定する、差別的で前時代的なコンテストなどやっていない。かわりに女装した男の美しさを競う。お前ら、男女同権って言葉の使い方、間違っているぞ絶対。
司会をしているイベントサークルの部長の軽薄な声が、スピーカーを通じてびりびり響く。あぁうるせぇ。
男はステージの裏手を抜けようとしているようだ。そこには音響機材を操作している音研の連中がたむろしている。かたわらを抜けても、何があったんだと思うぐらいだろう。
その彼らの前に、三人の男が立ちふさがった。運営委員と、あとふたりはごつい身体を学ランに押しこんでいる。武連だ!
男はその雰囲気に、思わず脚を止めた。振りかえるが、頼りないがボクがいる。おそらく明日夢も後を追っているのだろう。
追いつめたと思ったが、男は往生際が悪かった。何と、脇からステージに駆け上がった。
とっさにボクもそれにつづいて、そのまま硬直してしまった。ステージの上では、ずらりと並んだ女装した男たちと司会。セーラー服にナースに町娘、ウェディングドレス姿もいる。うわっ見たくねぇ。
ステージ下には、女装した彼らを囃したてていた無数の観客たちが見上げていた。みんな、ステージの上に突然現れたボクらに、注目していた。
ボクは顔が真っ赤になるのを感じた。置き引きの男も数舜、呆然としていた。
しかし、すぐに我に返った。意を決したのだろう。きっと観客席に飛び降りようとしたのだろう、ステージ上を駆け抜けてようとした。ボクは反射的に、追いかけてしまった。
その時初めて、自分が何でこいつ追いかけてるんだろうと思いいたった。運営委員に連絡するだけでよかったんじゃないか――? こんなに人目につくようなまねをしてしまって、急に恥ずかしくなった。
でもよく考えたら、こいつ、人込みにまぎれてしまったら簡単に見つけることなんてできない。ボクらが追いかけたから逃がさずにすんでるんじゃ? ――なんてごちゃごちゃ考えているうちに、男に追いついていた。ステージの端で人込みの中に飛び込むのに躊躇していたのだ。
頭が考えるよりも早く、男の腕をつかんでいた。焦る男の顔、その表情が歪む。いきなり殴られた。よろけたが、それでも腕は離さなかった。
その時、ボクの襟の毛が逆立った。背後に何か不吉なものを感じた。
怒りというか攻撃エネルギーというか、頭の真横を、それが具現化したようなものすごい何かがほとばしった。
そしてものすごい衝撃があった。それから後のことは、ボクはよくわからない。
――でも、会場に集まったやつらは見たはずだ。何があったかは、ボクも後で聞いた。というか動画を見せられた。
ステージで飛翔したメイド姿のばかでかい女を。短いスカートがはためき、天高く振り上げられた、とんでもなく長い脚が、雷霆のごとくに男の脳天を打ち抜いたのを。
スマホのシャッター音が、コマ送りのアニメーションのように耳に届いた。
男の肉体はその一撃で意識を刈り取られ、均衡を失い崩れ落ちた。残念なことに崩れ落ちた先には、もうステージはなかった。すなわち男と、からみあっていたボク、そして蹴撃者たる明日夢は三者もつれながら、ステージ下に落下していった。
本当にもう、何が何だかわからない墜落感。ぐるりと世界が転回し、ステージに集まっていた観客の姿が、ありえない角度で視界を横切った。その中に蛯名、鯖江の姿もあった。あ、あんたら何やっとんじゃっと思った瞬間、身体中にものすごい衝撃が走り、ボクの意識は多分、数舜飛んだ。
数舜だったのは、意識を失うことを激痛が許さなかったからだ。後で考えると、ボクはどうやら、ほとんど真っ逆さまにグラウンドに叩きつけられていたに違いない。見てたやつが云うには、あと十cmずれていたら首の骨が折れていたらしい。
そして、動けなかったのは激痛で――と思ったのは少々違っていて、仰向けになったボクの腹の上には、身長百八十二cmの凶悪メイドが馬乗りになっていたのだ。スカートはほとんどめくれ、たくましい太ももがあらわになり、黒いスパッツまで見えている。
両手をついてボクに覆いかぶさった明日夢との顔の距離は、二十cmもなかった。明日夢は興奮のあまり紅潮し、荒い息をついている。むせるような汗のにおい。
男は1メートルほど横で、白目をむいてピクリとも動かない。死んでないだろうな?
「……成敗」
「……お前、どけ」
まるで獲物を狩った、猫科の肉食獣のような満足そうな表情の明日夢に、ボクは万感の怒りをこめて云った。明日夢はにやっと笑った。
明日夢の上から、ボクらをのぞきこむ顔、顔、顔――半分ぐらいはスマホを構えている。
「はいはい、ちょっとごめんね」
人込みをかきわけながら、蛯名、鯖江が近づいてくる。あんたたち、何か仕事したの?
身体中痛い。明日夢、お前がキレるとやっぱりろくなことにならない……気が遠くなる。重たい。とっとと……どけ。
文字通り飛びこみの明日夢に、男コンは特別賞を授与するらしい。うちの大学はじまって以来の快挙だろう。噂では女子を中心に、アングラでファンクラブができたそうだ。
お前、黒歴史にならんようにな。
(了)
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