第21話 「Carnival Days」(first day)

 晩秋――そろそろ秋の空気も、次の季節に移ろうとする気配だ。 

 快晴だった。

 一年のうち、何度もめぐりあえないような快晴。無我夢中でイベント楽しんで、うわぁ今日は最高だ~と思わず空を仰ぐと、その素晴らしさに興奮度が倍増する、きっとそんな日だ。

 小学校の運動会のように、特に号砲などは鳴らなかったが、充分な伝統があるわが大学の催しである。近所の人たちもその機微を充分心得て、開場と同時に学生をはじめとするお客さんが、構内に入ってくる。

 よっしゃ稼ぐぜぇと、気合が高まってくる。これから一年間の同好会の活動の幅を左右する大事な場である。サロンの開場はもう少し後なので、石黒さんと藤江も売店に配置されている。

 充分に熱くなって油をひいた焼き器に、お玉で生地を流し入れる。焼き器はふたつ準備して、それぞれ白と黒を焼く。明日夢が前日にゆでて切っていた、たこと揚げ玉を入れていく。大人味はチーズとキムチだ。生地の外側が、かりっとしてきたら、千枚通しでひっくり返しながら形をまとめる。

 何度も繰り返すと、どんどん手際がよくなっていく。気持ちいい。感動だ。将来、たこ焼き屋でも開こうかなんて思わず考えてしまうほどだ。

 しかし熱い。エプロン越しに焼き器の熱が伝わってくる。腹と太ももが、じりじりとあぶられるようだ。

 とりあえず、明日夢と藤江の三人で焼きあげた。狭いスペースだ。石黒さんは後ろで待機。開場してすぐはまだ誰も買いに来ない。まだ昼にはずいぶん間がある。すぐにたこ焼きを買って食べようなどという客はいないだろう。とりあえず十パックほど焼いて保温機に入れておく。今回リースした機材で、実はこの保温機が一番高いのは驚きだった。 

「北森、お前は売り子だ。外に立ってろ」

 石黒さんが明日夢に指示をする。こいつ、意外に体育会系なところがあるので、ものすごい顔をしていたが、渋々言いなりになる。

「明日夢先輩、格好いい、ひゅ~」

 藤江が口笛を鳴らす。明日夢がじろりとにらむ。

 売店の前で、対戦者求む――といった風情で屹立する明日夢は目立った。

 当然だ。百八十二㎝のけた外れの長身の明日夢が、メイド服を着て衆愚を見下ろすのだ。目立たないわけがない。スカートとニーハイが隠しきれない肉体の弾性、そしてなぜか脚元の編み上げブーツは、もはや拳神か守護神のたたずまいだ。

 学祭に来た連中は明日夢の威容に、近づけないでいる。石黒さん、戦術ミスだよこれ、やっぱり藤江の方がよかったんじゃない?なんて思っていると……

「明日夢君!来たよー!」

「おおっ、これが伝説の明日夢君のメイド姿!」

「かっこいい~」

 久川と柿本と持田がやってきやがった。こいつらは明日夢を怖がっていないどころか、最高のおもちゃぐらいに考えているから、容赦ない。サクラか、お前ら。

 たこ焼き買って、明日夢を引っぱりまわし、スマホを向ける。お前ら、明日夢に抱かれてるような写真撮るのはまだいいけど、くるっと回ってとか、はいそこでジャンプして、とかはやりすぎだろ? ――明日夢、お前も調子にのるな!

 久川らにいじくり回されてるので、見た目ほど恐ろしい生き物ではないと思われはじめたらしい。メイド服をまとった明日夢は、じょじょに注目の的になりつつある。主に婦女子たちが、久川たちのノリにあおられて、きゃあきゃあ吠えながら、スマホで撮りまくりはじめた。中にはたこ焼きを渡してもらって、いっしょに写るやつもいる。撮った映像は、すぐにアップされ、そのアップされた記事を見て、物珍しさにまた人が集まる。お前ら、肖像権って言葉知ってる?

 学祭初日の午前中、すでに明日夢には、花興大のハイタワーメイドの異名がつきつつある。

 明日夢は、意外ににこやかに彼女たちに対応している。幸い、まだ誰も血を流していない。

「できたては三百五十円、作り置きは三百円で~す。こっちも温かいですよ」なんて云いながら、フリップをひらひらさせ、売りさばき方もなかな堂にいっている。大人だ、偉いぞ。でもボクにしか察することができない、こめかみのあたりの、よく漫画で表現される例の血管マークのあれの存在が恐ろしい。

 頼むからそこの兄ちゃん、そんな低い場所から撮らんでくれと思ってたら、向きを変えるふりをした明日夢のさりげないローキックが顔面にさく裂し、ひっくり返った腹を思いきり踏みつけられていた。運営委員がやってきて、事情を訊くためにそのお兄さんをカメラごと連れて行った。その間、明日夢、笑顔を絶やしていない。

 そんなこんなで、明日夢が焼き、売るたこ焼きの売れ行きは悪くない。伝統のプレーンもいいが、明日夢と藤江が考案した大人味も人気だ。

 明日夢は売り子で手一杯だったから、おかげでボクと藤江は、とんでもないハイペースでたこ焼きを焼くはめになった――って、石黒さん、あんたいつの間にいなくなったんじゃっ! 藤江はサロンがあるんで、ごめんなさい~っと両手を合わせながら途中退場していった。

 たこ焼き焼きの自動人形と化したようなボクの耳に、グラウンドの特設ステージから軽音の連中の演奏が届く。ボクは音楽はわからないので何とも云えないが、個人的にはうるさい。うるさいが、この騒々しさはわくわくする。

 学祭の喧噪がびりびりと伝わってくる。未体験のゾーンだ。「秀虎君、追加で六人前~!」とかいう明日夢の声も心地よい。


 昼どきがすぎて、眼が回るような忙しさがようやく去った頃合いだった。

「熊谷、ちょっといいか?」達川が声をかけ、テントの中に入ってきた。「お前たちのところは問題ないな?」

「まだ食中毒は出ていない」

「出したらぶっ殺すからな――それより、まずいことがおきてる」

「何だ?」

 今日の達川は、少々真剣に見える。声をひそめる。

「置き引きが出てるみたいだ。企画展示の会場でバックや財布を盗まれたってのが、すでに三件、被害の報告があがっている」

「何それ?」

 隣から明日夢が訊ねる。

「手元から離したほんのちょっとの隙にやられてる。すでに警察に通報済みだ。学祭だから、私服警官がこっそり着て、今事情を聴取している。運営委員会で大急ぎでチラシを作って配布するけど、お前たちも気をつけろよ」

 それだけ口早に云うと、さっさと立ち去っていった。

 

「こんちは~」

 呑気そうな声がした。見上げるとおっさんふたりが立っている。たこ焼きをひっくり返していたボクの手が止まってしまった。

「あ、エビさんとサバさんだ」明日夢が嬉しそうな声をあげる。「お久しぶりです!」

 コンビニ強盗の際に事件を担当した警察官――刑事? 警察官? 制服は着ていないようだが、ボクには警察の役職などまったくわからん――の蛯名さんと鯖江さんだ。ボクの中では警察への不信、日本の警察これで大丈夫か? と不安をかきたてるその象徴みたいな人たちだ。

「……ども」

 ボクは止まっていた手を、再び動かしはじめた。あの時のことは、いろいろと複雑な気分にさせるので、素直にいらっしゃいませとは云いにくい。

「秀虎君、不愛想よ、接客は笑顔。この人たちのおかげで君、助かったんだよ」

 いや、身の危険はほとんどお前によってだよ。包丁で斬られかけて、階段から突き落とされたんだよ、お前に。 

「今日はどうしてここに?」

 明日夢が訊ねると、蛯名さんはちちちと指を振ってみせた。ノリが不明だ。

「君たちんとこの運営委員会から、通報があったんだよ」

 鯖江さんがあたりに眼を走らせ、顔を近づけ小声で答える。

「置き引きが出たってね、こっそり捜査だよ」

 ……この人たちが来たの?警察のやる気のなさに、めまいがする。

「……で、何なんですか、その格好?」

 おっさんの方の蛯名さんは、黒のジャケットにだぶだぶのパンツ。頭にはニット帽。ハリウッド映画なんかで、トラップ仕掛けたりするやつがかぶってるようなのだ。その場でいきなり、かくかくっとダンス踊りだしてもおかしくない格好だ。

 若い方の鯖江さんは穴だらけのジーンズに、ものすごい下品なスラング英語が書きなぐられたシャツ。首回りも手首も指も腰回りもシルバーがじゃらじゃらだ。

「制服で来るわけにはいかんだろ。私服だよ私服、マジで私服」

 私服すぎるだろ。学生がほとんどの構内で、ふたりの格好はとんでもなく――違和感なかった。

 鯖江さんは流れている音楽に、楽しそうに身体を揺らしている。

「オレ、学生時代、軽音部だったんだよ」

「はぁ……」

「バンド名『Carnival Days』って云ってね、この雰囲気、懐かしいなぁ」

「はぁ……」

 本当に大丈夫か、この人たち。

 

 そんなこんなで、初日が暮れた。

 置き引きの方は、何か進展があったかどうかは不明だ。運営行委員会から注意を喚起するチラシが内密に回ってきたが、達川のやつとはあれから一度も会うことはなかったので、状況はまったくわからない。蛯名さんたちも、どこへ行ったのわからない。仕事してんのかな、あの人たち。

 同好会の売り上げは、すでに去年の二日分に迫る勢いだ。伝説となる日は近い。焼いたのほとんどボクだから、少しは大きな顔ができるぞ。

 午後には、サロンに来た小学生の囲碁や将棋クラブへの差し入れで、顔を出した織田さんのおごりで大量注文があったりした。

 ちなみにクラブの爺さんたちが、去年のリベンジで織田さんに四面差しを挑んだらしいが、返り討ちにあったらしい。この人の最強伝説は、何代先までも語られるだろう。

「まだ終わっちゃいねぇぞ」

「うぃっす」

 鬼神のようにたこ焼きを焼きまくったボクは、異様なテンションになっていたようだ。思わず、変なノリで貞清さんに返事してしまった。

 夜の部がまだある。うちの大学の学祭の伝統――夜警慰問だ。

 閉鎖している学祭の夜であるが、不審者警備のため、代々運動部の組織である武連が警備を受け持っている。

 武道連合会と名乗っているが、空手や合気道などの武術部だけの組織だった時代とは異なり、今は運動部のほとんどが加盟している。実際、今の会長はワンゲル部長だ。

 学生運動華やかなりし時代には、体制側について治安警察みたいな役割を担ったとか、いやまったく逆で講義ボイコットを先導したとか、思想の違いで壮絶な内部抗争があったとか、まことしやかな伝説があるが、今のボクらには真実を知る術はない。

 バンカラというか、田舎くさいというか、泥くさいというか、今どき都会の大学こんなことなんてやってないだろう。

 武連の一、二回生の男子が、学祭前夜から三夜連続で、交替で数十人が正門と裏門など交替で警備する。石垣越えて侵入するやつもいるので、巡回もある。

 売店を出すサークルは、夜警に差し入れて慰問するのが伝統だが、文化部は一日目の夜に顔を出すのが、これも慣習らしい。

 ボクらはディスカウントストアで差し入れのスナック菓子とジュースを大量に購入し、囲碁同好会とマージャン同好会と合同で、差し入れに向かう。囲碁、将棋、マージャンと、かつての大人のたしなみ、勢ぞろいである。ちなみに夜警番にアルコールはご法度だ。

 封鎖されている正門で、武連の一、二回生に差し入れですと声をかけると、ゲートを少し開けてくれる。ボクらが中に入ると「しゃっす!」「ざっす!」と九十度頭を下げ、近所迷惑じゃないかと心配になるぐらいの“あいさつ”だ。

 驚くことに、彼らはみんな今どき、学ラン姿だ。今や高校では学生服は絶滅寸前らしい。それを見越して、ある時期に武連が提供させてストックしたらしい。だから、丈があっていないやつもいる。使うのは武連全体の新歓と送別のコンパ、そして夜警の時だけらしいが。

 頭を下げる彼らの脇を通って、構内をすすむ。ひとりが先導する。確か同じ学部の一個下で、空手部だったと思う。

 自治会室の扉を先導した彼がノックし「空手部、(名前、何とかかんとか)ですっ!」と叫ぶと、屋内から「入れ!」と野太い声が応えた。扉を開けると、額で杭打ちするかのような一礼と同時に「しゃっす!」の後に「(何とかかんとか)お連れしましたっ!」の報告。

 自治会室には学祭運営委員会と武連の幹部が徹夜で詰め、交替で休憩している一、二回生は部屋に敷かれたブルーシートに座っている。昔は立って待機させられていたというから、凄まじいものだ。

 しかし武連の一、二回生は交替できるからまだいい。運営委員会と武連の幹部は、ぶっ通しで本部に詰めるらしく、その間、彼らの主食は、徹夜で仕事する人たちが深夜に摂取するあの類のドリンクらしい。達川、お前本当によくやる気になったね。

 ボクらが入ると、委員、幹部、それに座っていた一、二回生が一斉にざざっと立ち上がって、例の“あいさつ”だ。運営委員会は私服に腕章だが、武連はみんな学ラン。異様な光景だ。

 今年は貞清さんが三同好会を代表して、夜警お疲れ様です、少ないですが皆さんでおめしがりください云々と云って、持ってきた袋を渡す。武連幹部のひとりが身体を九十度折り曲げ、“あいさつ”をしながら受け取り、運営委員長がお礼を述べると、まるでエール交換の雰囲気、そしてまた“あいさつ”の嵐。

 部屋を出る時、達川と眼が合った。一瞬にやりとしたが、表情はすぐに真剣なものに変わった。

 同じ経路で、また“あいさつ”を受けながら、ボクらは構外に出た。別の方角から“あいさつ”が聞こえる。別のサークルが裏門からでもやってきたのだろう。

「すっごいね、今どき、あんなのあるんだ」

 夜警の差し入れ、今年が初めてだった明日夢が、眼を丸くしている。

「学ランですよ学ラン、信じられない、大学であれ、天然記念物!」

 藤江も興奮しつつ答え、将棋同好会の一回生と、うんうんとうなずき合っている。

「時代錯誤みたいだが、実際、窃盗目当てに忍び込んだやつを、捕まえたこともあったらしい」

 マージャン同好会の会長が、後ろを振り返りつつ云う。

「今はあんな感じだが、昔はもっとぴりぴりしてたって聞くぞ」と石黒さんが云う。「夜警の集合時間に寝坊して遅れたやつが“説教”くらったり、居眠りしたやつがいたら、連帯責任で全員朝まで正座ってのもあったらしい」

「武連の連中のやることにはついていけない。身体がもたん」

 将棋同好会の会長も重々しくうなづく。この中で体質が合うのは、明日夢ぐらいなもんだ。気のせいか、眼、輝いていないか? 来年、自分もやるなんて云いださないだろうな?

「帰って、さっさと寝よう、明日もある」

 貞清さんが云う。もう真夜中をすぎている。

「ところで福本、マージャン同好会が高レートの賭場を立てるって本当か?」

「お前そんなデマ、やめろよ。うちは健全だ」

「北森、お前は近づくなよ」

 ボクはアホの明日夢に忠告する。


 あ、そうそう。ちなみに、午後からのサークル対抗クイズ大会は、明日夢のやつ、何と予選を勝ち抜き、決勝まで進んだくせに失格になった。

 しかし「〈法律案の議決〉〈閣総理大臣の指名〉〈条約の承認〉〈予算先議権〉〈最高裁判所長官の指名〉の中から、衆議院の優越でないものはどれか?」や「近年、日本人が発見した百十三番目の元素記号を答えよ」などはまぁわかるが「一分間で『ジョジョの奇妙な冒険』第三部で登場したスタンド名をできるだけ多く書きなさい」なんて問題、本当に教授たちが作ったの?

 明日夢は「次の中から日本三景ではないものを選びなさい……〈天橋立〉〈三保の松原〉〈蟻の門渡り〉……」という百目鬼名誉教授謹製の早押しクイズで「蟻の門渡り!」と大声で答えた次の瞬間、顔を真っ赤にして回答ブースから飛び出し、司会者にハイキックかませて失格となった。

 まぁ明日夢、来年がんばれ。

 

(つづく)

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