第20話 「Carnival Days」(the day before)

「上野樹里主演で大ヒットした、クラシック音楽をテーマにしたドラマのタイトルは――」

「えっと、のだめ、のだめ……カンタ、カンタ……『のだめカンタレッラ』!」

 自信満々で明日夢が叫ぶ。それ、ボルジア家が使ってた毒薬。

「誰を毒殺するつもりだ!」

 ボクは空のペットボトルで、明日夢の頭を思いきりぶん殴る。

「痛~い!」明日夢が頭を押さえて文句を云う。「ぽんぽん叩かないでよ!」

「お前、本当にバカだな」

 達川が呆れている。その後ろでは久川たちがビール片手に、大爆笑している。

「明日夢君、そんなことじゃ優勝は無理だよ~」

「達川君、君、運営委員でしょう?」にやにやと持田。「問題、こっそり教えてやればいいのに」

「あ、それ無理」達川が手を振る。「クイズの問題は自治会の金庫に保管されて、直前まで誰も見ることできないんだ」

「じゃ、作ったやつに聞けばいいんじゃ?」

「問題作るのは教授たちで、全員封印して渡されるんだ」

 ……あれ作るの教授たち?

「だからこうして特訓するしかない。俺がわざわざ過去問をまとめてきてやったんだ、もっと感謝しろ」

 厳かに達川は云う。

 こいつは今年の学祭運営委員のひとりだ。成績がよく、見栄えがよく、人当たりがよさそうな達川は、学内でもなかなかの顔らしい。ボクに云わせりゃ、本性を上手に隠してるだけなんだがねぇ……

 学祭の企画でサークル対抗のクイズ大会がある。ガキかよって思うのだけど、賞金が大きく、人気の企画だ。

 明日夢はうちのサークルの代表として出場する予定だ。でもって、こうして特訓中なわけなのだが、外野がうるさすぎる。久川たちは完全に楽しんでやがる。 

「じゃあ次――」

「よっしゃ来い!」

 気合が入りまくっている。片手は見えないボタンを押す姿勢だ。こいつ、金がかかると結構眼の色変わるな。

「歴史問題です」

「おっしゃっー!」

「藤原一族は藤原氏、足利家は足利氏、平家は平氏――では中田家は?」

「中田氏! ――って! 死にさらせっー!」

 霹靂の鋭さで達川の顔面にハイキックがさく裂し、達川は部屋の隅まで吹っ飛ばされる。

 久川たちは腹を抱えて大笑いしている。

「明日夢君が中田氏、中田氏って……も、もうだめ……」

「バカだ、バカすぎる……」

「……苦しい、死ぬ、助けて、酸欠で死にそう」

「くくくく……」

 顔を真っ赤にして仁王立ちの明日夢のこぶしが、怒りでぷるぷると震え、ゆらぁっと踏み出した。怒気が、部屋をみしみときしませるようだった。

「……とどめ」

「……やめろ、やつはこれ以上戦えない」

 立場上、一応止めるボク。でもまぁいいかって気もする。

「……下ネタ……大学の教授がこんな問題作るわけないでしょうが……」聞く者の頭蓋骨に穿孔が施されそうな明日夢の言葉だった。「あたしをからかおうとして、うその問題出したでしょ……バカにしやがって、バカにしやがって、ぶわっかにしやがってぇぇぇ……!」

「……待て、これは三年前の学祭で本当に出された問題だ」

 いつの間にか、盛大に鼻血を流しながら達川が立ち上がっていた。眼鏡も割れていない。こいつ不死身か?

「こんな問題考えたの、どこのバカ教授よ!」

「百目鬼名誉教授」

「ぶっ!」

 一同吹き出した。かつて文科省の教育再生有識者会議(とかいうやつ)のメンバーだったこともある、うちの大学の看板教授じゃないか。どーゆーノリだ、うちの大学。

「じゃ、次の問題……」

「はぁ……」

 つづけるの?さすがの明日夢も毒気を抜かれている。

「エベレスト初登頂に成功したヒラリー卿が、頂上への最後のアタックに利用した岩の裂け目を何と云いますか?」

 ……そんなのわかるか!

「チムニー」

 平然と答える明日夢。

「……せ、正解で~す」

 毒気をぬかれた達川が、呆然と明日夢の正答をみとめた。

 お前の頭の中、どうなってんだよ。


「何ですか、これ」

 同好会唯一の一回生、藤江がかわいらしく首をかしげる。会長の貞清さんはしてやったりと答える。

「わが同好会、伝統のタコ焼きだ」

 容器の中には、たこ焼きが六個。半分は普通の、もう半分は黒っぽいの、市松状に並んでいる。

「何で黒いんですか?」

「竹炭を混ぜてるんだよ」横から石黒さんが答える。「白と黒、囲碁同好会らしいだろ?商品名は「黒白(こくびゃく)」」

 出典は池波正太郎の『剣客商売』番外編『黒白』である。

「竹炭って食べられるんですか?」

「健康食品なんかでもあるぐらいだから」

「まぁ、これぐらいインパクトないと売れないからなぁ」

「本当、碁石っぽいですねぇ。でもこの並び、好きじゃないなぁ、こんなノゾキ、愚形ですよ」

「そこ?」

 引退した織田なき今、同好会最強は藤江である。通常の人間と違って、ものすごく短絡的に思考と彼女が愛好している知的ゲームはリンクする。時々、彼女のこういったノリにはついていけない。そういえば、織田さんもそうだったなぁ。

「まぁ、学祭はうちが活動費を稼げる最高の機会だ。この囲碁同好会特製たこ焼き「黒白」で勝負をかける」

 どこのサークルも同好会も活動費の捻出のため、眼の色を変える。群雄割拠である。

 サークルの屋台は、甘いものや軽いものが主流だ。去年、台湾風のふわふわかき氷やらを出した連中もいたが、素人が簡単にできるものではない。ご愛敬といったところだろう。流行りものに飛びつくのもいいが、そういうのはたいてい残念な味に終わり、次の年には誰に記憶していない。大体、年中腹をすかしている学生が、綿菓子やポップコーンやかき氷やらで満足するか?

 それにくらべて、たこ焼きや焼きそばといった腹にたまる炭水化物系の屋台は、失敗が少なく安定の味だ。それにしょせん、全部ソースの味だしと、ボクはこっそり思っている。

 うちの同好会はもう何代にわたってたこ焼き一本にしぼってきた。信頼の味だし、仁義をきらずに他とかぶるメニューで参戦するのはマナー違反なので、先行者の強みがある。たこ焼きは作るのにはちょっとこつがいるが、材料は安いから、コストパフォーマンスがいい。調理器具をリースして、専門店で容器を大量に購入しても実入りは悪くない。

 ただのたこ焼きではインパクトは弱い。そこで数代前から生地に竹炭を練りこみ、黒と白の碁石っぽいたこ焼きを売り出し、あと二店舗より高い売り上げを出している。偉い先輩がいたもんだ。

 とにかくこの時期、ボクらは閉店セールの店舗のごとく、このたこ焼き売りに執念を燃やす。ちなみに前の年より売り上げを上げるというのが、今の同好会の経営目標である。 

「でも味変したくないですか?」

 藤江が首をかしげる。

「必要ないだろ?」

 多分、深く考える様子もなく石黒さんが答える。

 

 次の日、明日夢と藤江が、保温バッグを抱えて同好会の部室にやってきた。バッグの中からいくつかのパック入りのたこ焼きを出す。

「白い方にはチーズ入れてみました」

「黒石にはキムチです」

 オトコ三人が味見をしてみた。なかなかいける。

「プルーンとは違って大人の味でしょ? たこ焼きにキムチって合うんですけど、色がつくんですよね」

「でも黒石と大丈夫です。大人味で売りませんか? 手間も大してかかりませんよ」

「それから、先輩たち、業務用の冷凍タコを買ってましたけど、生を買って調理すればもっと安上がりですよ」

「タコを調理?できるの?」

「当たり前じゃないですか。調理済みで海泳いでないですよ」さらりと云う明日夢。「大根なんかで叩いて筋を切って、それからお茶か塩でゆでれば丸々一匹分、たこ焼きに入れられますって、簡単ですよ」

 明日夢の意外な女子力の高さに、会長たちはあっけにとられた感じだ。でもタコを大根でぶっ叩いて、大鍋でゆでる光景って、あんまり女子っぽくないような気がする。

「今日はもうひとつ、重要なことを決めておこう」

 貞清さんが話を変える。

「学祭期間中、囲碁同好会は将棋同好会と合同で、普及営発目的で体験サロンをやる。熊谷は知ってるな?」

 去年の今ごろは、北森はまだ入会していなかった。貞清さんたち以外で経験者はボクだけだ。ちなみにサロンの名は「ひろい ふかい」だ。お互い弱小クラブなので、単独でのイベントを維持できないため、もう何年もこのスタイルでやっているそうだ。

 普及啓発といったって、それぞれの同好会が縁のある囲碁や将棋教室の子どもたちにサクラで来てもらって、その日限りのトーナメントなんかやって、ちょっとした景品なんかを出す。ま、日頃世話になっているクラブに、イベントを提供するっていうような意味合いが強いんじゃないかな。

 だけどサロンと売店の運営、両立ってのは、なかなか厳しい。

「サロンの方は、オレと藤江。売店は石黒、熊谷と北森だ。石黒はサロンが忙しくなった場合、状況をみながらそっちに回ってもらう」

 あ、やっぱし……

「それはないんじゃないですか……」

 思わず情けない声が出てしまった。

「あたし、売店ばっかじゃいやです」

 明日夢が堂々と云う。

「お前がいたら、小学生怖がるんだよ」

「何ですって?」

 会長、もっとオブラートに包みましょうよ。

「実際のところ、忙しくなったらふたりで回すのは無理だと思いますよ。トイレにも行けない」

 明日夢がキレるとややこしくなるので、できるだけやんわりとボクが意見する。

「安心しろ、ずっとふたりでやってもらおうとは思っていない。オレは基本、売店に入るから」と石黒さんは云うが、あやしいものだ。「去年もそんなもんだったろう?」

 確かにたこ焼きは、わりかし作り置きができるから、ひたすら焼きつづけなきゃならないってこともないだろう。大体、腹をすかせた大学生が、少しぐらい冷めたたこ焼き喰わせられたぐらいで文句は云わない。しょせん素人が作ったんだよ、

安いんだよ、文句云うなよ。

 でも去年、それをやってのけることができたのは、前会長の織田さんが、いくら小学生相手とはいえ驚異の四石置いての六面指しなんてのをやって、サロンの方の運営をほぼひとりで引き受けていたからだ。

 貞清さんたちはそこまでの実力はない。現在最強の藤江ですら、足下にも及ばない。

「藤江が売り子やった方がいいですよ。かわいいし」

 と明日夢。お前にしては妥当な意見だ。

「それについては腹案がある」と貞清さん。「北森、お前メイドの格好で売り子しろ」

「はぁ?」殺人光線でも出そうな眼で明日夢はにらむ。「冗談じゃないですよ、藤江がやればいいでしょ?」

「そうだけど、藤江は持ってないだろ、衣装。でもお前持ってるだろ?」

「誰がそんなこと――ちょっと秀虎君、逃げないで、話があるの」

 断頭台に押さえつけられた罪人を処刑する首切り役人のような眼光で、部屋から逃げだそうと、そっと椅子から立ち上がったボクの襟首をつかんだ。

「それに藤江にはサイズ合わないだろう?」

 貞清さん、あんた、この状況でまだ云うの?

「うぐぐぐ……」

 明日夢が悔しそうにうめく。たとえ藤江が承諾しても、明日夢のサイズが小柄な彼女に会うわけがない。

「まさか、伏線になっていたの?」

 それ、云わないであげてほしい。多分、そんなこと考えてないと思う、あいつ。

「絶対、いやです!」

「北森、お前みたいな女がメイドの恰好をしているアンバランスさというか、イカレてる感というか、何か間違っている感というか、怖いものみたさというか、とにかく、そういったところがいいんだ、新機軸だ」

「絶対、いやです!」

 貞清さん、あんた説得する気あんのかい?

「ところで熊谷、なぜ逃げようとする?」

「なぜ逃げようとするかは、石黒さんたちがよくご存知だと思いますが」

「熊谷」

「いやです」

「北森担当はお前だ、説得するように」

「ほらきた、逃げようとするのもわかるでしょう?」

「わかるが、わが同好会の命運はお前にかかっている」

「いやです」

「ならお前、男コンにエントリーしておくぞ」

 男コン――つまり男子学生の美しさの競演。ただし女装で。うん、競演じゃなくって狂宴だ。

「それこそ北森が出れば……」

「おもしろい冗談ね、この野郎」

「熊谷、これは先輩命令だ」

 石黒さんがここぞとばかりに先輩面する。だがら逃げようとしたんだよ。

「ほう……」明日夢が不敵に笑う。「このあたしを説得する? メイド服のことをどうして先輩方が知っているのか、そのあたりの事情もふくめて、じっくりとお話する必要がありそうですね」

 助けて……

「ふふ、お手並み拝見といきましょうか?」

  

 ……たらふく呑ませてやることを条件に、明日夢は売り子を諒解した。もちろん、あの格好でだ。打ち上げをそれに充当してもらおう。

 いいよね先輩方、これは必要経費だ!


 十一月のその週末、二日にわたって、ボクの大学の学祭は催される。

 こう書くと、大学生活の一コマが、おだやかに過ぎ去ったかのようだが、実際はそんなもんじゃない、大変だった。本当に大変だった。

 まず機材の手配。代々付き合いのある学生御用達の業者から調理器具を調達し、ガスボンベも借りる。

 食材の購入ももちろんだが、その前に何個売れるかの読み込みが必要だ。去年の実績からそれを割り出し、食材に無駄がないように購入する量を決定する。

 粉や油、キムチやチーズ、ソース、マヨネーズ、それに揚げ玉や削り節などの薬味は置いておいても困らないので、早めに購入するが、主役のたこは直前じゃないとだめだ。市場直送を売りにしている店に眼をつけ、事前に予約をしておく。

 さらに商品を入れるパックやビニール袋、爪楊枝なども、安い専門店で購入した。

 店頭の看板やポップは使いまわしなのでいいが、かなりくたびれているので、来年あたりは修繕しないといけないかなぁと考えるが、今はとりあえず眼をつぶることにする。来年のボクたち、がんばってくれ。ポップだけでは目立たないので、チラシも準備する。

 それ以前に、学祭運営委員に企画案の提出、売り場の抽選もある。今年は主会場となるグラウンドの上段のエリアにあたる。最高の場所だ。ふつふつと売り上げへの執念が高まってくるのを感じた。

 準備は売店だけじゃない。囲碁将棋サロンも企画案を出し、教室の使用許可を得る。長テーブルを配置し、室内を飾りつけて、会場の準備を整える。それにやはりポップやチラシも必要だ。

 そちらが終わったと思ったら、実行委員からテントを借り、周囲のサークル連中合同でいくつも立てる。そして売店の準備。

 あぁ、それからもちろん、合間を見ながらたこ焼きを作る練習もしとかなきゃ。

 やること自分で云ってて、くらくらしてきそうだ。

 準備はボクと明日夢が主体となった。貞清さんたちの次の会長と副会長はボクらだ。流れ的にボクが会長だろう。強い順で藤江でいいじゃんとも思うのだが……学祭の段取りは、ボクらの代が抑えておく必要がある。

 どたばたと、何とかひととおり準備を終え、後は当日を迎えるだけとなった。でも一時は、とても間に合わないんじゃないかって思ったよ。

 前夜祭を終えたら、もう八時をすぎていた。部屋の電気やら屋外灯やらでまだ明々とした構内は、明日にむけた準備をしている連中であふれ、祭り前の異様な昂奮にだった。

「売店準備の人は本日は撤収してくださ~い」

 今時メガホンを持った運営委員が、校内を回りながら声掛けしている。時間はいくらあっても足りないような気がするが、近所迷惑なので、夜間の作業は禁止されている。周囲の連中も、ぶつくさ文句を云いつつ撤収をはじめる。

「よっしゃ、終わり」

 売り場の最後の指差し確認をしていた明日夢が、両手を上げる。

「貞清さんたち、サロンの準備終わったんかな?」

「知らん!」

 いろいろあってぶんむくれている明日夢の応答は冷たい。

「もう帰れよ」

 声をかけてきたのは達川だった。腕には運営委員会の腕章。偉そうに。でもこいつ、今夜から自治会室に徹夜で詰める予定だ。

 たこ焼き買ってくれよ、なんて話をしていると、サロン設営をしていた貞清さんたちが降りてきた。

 みんなでぞろぞろ無駄話をしながら歩きだす。最後尾の明日夢が振りかえる。どうしたと訊ねると、楽しそうに笑った。


(つづく)

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