第19話 「Summertime Blues」(後編)
さて、初めてビーチバレーを経験した秀虎たちであったが……
結果から云うと、そりゃあもう散々だった。動けない、跳べない、走れない、変形もできない。砂に脚をとられてこける。拾ったボールは必ず後方へそれる。打ったボールは風に流されてもどってくる。一ゲーム終わった時には、脚もあがらないほどにしんどいものだった。勝てたのは、明日夢がいただけだった。
もちろん彼女だって、屋内と同じように動くことはできない。それでも自陣内で上がったボールはすべて正確に敵陣へ返すし、相手方の攻撃の七割がたは明日夢が拾っている。脚場の悪いビーチで跳躍する明日夢の高さは、男以上だ。
秀虎たち三人は、明日夢の手が届かないボールを拾う役にしかたっていないし、そもそもほとんど役にはたっていないどころか、脚を引っぱっている。特に、とりあえず人並程度の運動神経はかろうじて持ちあわせており、大学の体育で一応バレーを選択している秀虎はともかく、貞清と石黒のへっぽこぶりは際だっていた。
それでもおそろしいことに、北森明日夢は勝たせてしまう。とにかく彼らが何とか上にあげたボールを、明日夢が、かなり強引に無理やり処理する。
男にもめったにいない百八十二㎝の身長と、あきらかに素人とは違う動きの彼女は、群をぬいて目立っていた。同じコートの中で、北森明日夢の形をした黒豹だけが五割増の速度で動いているように見えるほどだった。
「ナイス北森!」「先輩、すごいです!」
一回戦を勝利した北森を、不参加の織田と藤江が能天気にでむかえる。その後ろから、砂と汗にまみれた秀虎たち三人が、上陸作戦に失敗した敗走兵のように疲れきってつづく。
こんな大会だから、参加チームもそれほど多くはない。二十組ほどだ。まずは三組ずつに分かれての総当たりで、それぞれのパートの上位一チームが準決勝、決勝を争う。
四回程度勝てば優勝、つまり三万円分の商品券、それはすなわち肉の入ったバーベキューと冷えたビールを意味する。ただし敗けたらコンビニ弁当である。
秀虎だってコンビニ弁当ぐらい食べるし、普段は文句は云わないが、海に泊まった夜にさすがにそれはあんまりだ。大体、合宿前に食事の準備は考えなくてもよいと織田が云った時点で、おかしいと思うべきだった。こんな博奕みたいなことを考えていたとは……などと、今さらながらの愚痴を心の中でこぼす。
地元の商工会が主催のローカルな大会であるので、もちろんたいしたチームはエントリーしていない。せいぜい県内の高校生や大学生が、おもしろ半分にエントリーしているのが関の山で、ほとんどが地元の青年団や商工会のおっちゃんたちで結成されたようなビーチバレー初心者ばかりだったみたいだ。それでも明日夢が眼をつけた二チームは、どうやら経験者だ。
まず格好から気合の入り方が違う。男は秀虎たちが適当に来ている、襟口のでろんとのびたTシャツとは違い、背中から肩、胸の筋肉がこれみよがしに誇示されるタンクトップ。女はなんか、プロっぽいロゴの入ったぴったりしたレギンス。それどころか、ひとりはへそ下のかなりきわどいビキニ(なぜあんなに短くても大丈夫なんだ……と明日夢が呆然とつぶやいたのを、秀虎は聞きのがさなかった)だ。全員がサングラスをはめ、コート外ではおそろいのパーカーできめていて、とにかく全体的にうまそうな玄人っぽそうな運動神経よさそうな雰囲気をまとっている。
彼らのゲームを見た明日夢が、いまいましそうに舌打ちした。
「強い?」
ささやいた秀虎に、これも小声で答える。
「経験者だと思う。ちっくしょう……こんなしょぼい大会、出てくんなって。こっちは肉がかかってんだぞ!」
それでも組み合わせにめぐまれ、両チームは準決勝でぶつかってくれる。明日夢は、ひっひっひ壮絶につぶしあえ――と、マンガだったら、あきらかに敵キャラ仕様の非常に悪そうな笑みをうかべた。体育会系、意外に腹黒いのである。
「真剣だなおい」
「当然!」明日夢は不敵に笑う。「やる以上は勝~つ。そして肉も手に入れ~る。いい? こっちのパートはたいしたことなさそうだからって、絶対敗けられないからね。失敗したら折檻だから。とにかくボールを下に落さないこと。とりあえず上に上げる、つーか絶対に落すな! あとはあたしが決める!」
「あ、やっぱ、そーゆー性格なのね……」
ここにくるまではボールにさわったことすらなかったこんな即席のチームだったが、なんとか予選を通過し、準決勝も突破した。もちろん楽勝ではなかった。薄氷をわたるどころか、ほとんど踏み割る勢いを利用して強引に駆けぬけたような、ぎりぎりのぎりぎりの、そのまたぎりぎりだった。
当然、他の者の三倍ぐらいは働いていた明日夢の疲労は大きい。身体中、滝のような汗だ。コートから出た明日夢に、藤江が二リットル入りのスポーツ飲料のペットボトルを渡すと、一気に半分も飲みほした。
「先輩、頭下げて~」
藤江に云われて前傾した明日夢に、別のペットボトルの水を頭からだばだばとかける。犬のように頭をふると、無数のしぶきがきらきらとまばゆく散った。汗と水とで、肌が褐色に輝いている。こうして観察すると、筋肉のつきかたが秀虎たちとはまるで違うことが一目瞭然だ。当然スペックも異なるはずだ。
「しかしお前ら三人は、もうちょっと何とかならんのか?」
へばってタープの影に座りこんだ秀虎たちに、織田がうちわを使いつつ呆れたように云う。
「無茶云わんでくださいよ……」貞清がげんなりと反論する。「オレたちは完全インドア派なんですから。高校卒業以来、運動はしていないんですよ」
「……まぁ仕方ないか……とにかくあとは決勝だけだからな」
「だめです、織田さん」石黒が手を振りつつ「もう無理ですって。交代頼んます」
「そんな弱気でどうする。合宿の成果をみせてみろ」
「どこが合宿だっての……」
秀虎がぼそりとつぶやくと、織田はじろりとにらんだ。
コートの中では、決勝へすすむ最後のワクをめぐる試合がすすんでいる。両チームとも経験ありらしく、レベルは高い。一進一退だった。
明日夢はその試合はこびから眼を離さない。秀虎がいっしょに見ていると、明日夢と遜色のない身体能力と技能の選手もいるようだ。さらに他の者も、秀虎たちなどとはレベルが違う。
(だめだこりゃ……)
秀虎は落胆した。いくら明日夢が敵の選手にひけをとらないと云っても、素人眼にもチームとしての差は歴然だ。万が一にも勝ち目はなさそうだ。唯一のぞみをかけるとしたら、この試合で勝った方が疲労困憊してくれることぐらいだが、決勝戦との間には三位決定戦がはさまるからその間に回復するだろう。
「無理だろ……」後ろで貞清がつぶやいた。「どっちが勝ち残ったって、こりゃ勝てないって……」
「勝算はありますよ先輩。はたで見てたら強いように感じますけど、脚場が悪いから経験とか技術はあまり関係ないです」
「いや、あると思うけど……」
「じゃオレら、もっとだめじゃないか」
「大丈夫、弱気にならないで。とにかく必死で拾いまくってください。あたしがんばりますから」
モチベーションが下がる一方の先輩たちを、必死でフォローする明日夢。さすがに秀虎もあわれに思った。
「いや、ちょっとあれは無理だろ……」
いいだしっぺの織田が手を振ると、明日夢が不機嫌そうに答えた。
「勝つつもりもないのに、出場するなんて云わないでください! そんなことで勝負強さが養われると思ってんですか、何のための合宿ですか!」
「……合宿?」
後ろで藤江が呆然とつぶやいていた。
「いいですか、一人一殺の心構えですよ!」
物騒なことを明日夢が云ったとき、歓声があがった。決着がついたようだ。
よっしゃと立ちあがった明日夢の手が、腰を押さえていたのに、秀虎は気がついた。何気ないしぐさだったが、軽く眉をひそめていた。
「北森……」
秀虎がささやくと、ちらりと振りかえった。織田たちから離れているのを確認すると
「お前、腰、大丈夫なのか?」
「う~ん……完全じゃないけど、まぁ大丈夫だとは思うけど……」
明日夢は、ばつの悪そうな表情をうかべた。例の明日夢の腰痛騒動から、二ヶ月とたっていない。まだちょっと痛いと云っていた。
自分もやってみてわかったが、とんでもなく激しい運動だ。はたして弱った明日夢の腰が、我慢してくれるかどうか?
「あと一試合、いけるか?」
「ま~かせなさ~いって」
訊ねた秀虎に、タオルで首筋をぬぐいながら、明日夢は強がって親指を立てる。
鮮やかなボールが飛んでくる。色分けされた球面が不規則に回転するので、どうやらレシーブしにくいんだろうなぁ……と思ってたら、案の定変な方向に飛んでいく。貞清がイナバウアーみたいな恰好でかろうじて上にあげる。
ふらふらとネット際に飛んだボールを、腰の位置が秀虎の顔の高さぐらいにまで跳躍した明日夢が打つ。レシーブ。上がる。ネット際の低く鋭いトス。ネットに近い明日夢を意識してか、ボールが乱れる。どたばたと再び球をあげる秀虎たち。
まっさらな空にあがる鮮やかなボールの真円に、太陽のまばゆさが重なる。まるでボールそのものが発熱しているような熱。白砂が輝く。
不格好なゲームは、ほぼ相手チームのリードですすむ。しかし驚くべきことに、経験のありそうな相手に対して、素人以下の三名を擁する明日夢の勝負強さは、容易には引き離されない。
終盤近くになっても緊迫はつづく。
相手チームのサーブミス。大きく息をついた秀虎は、隣の明日夢の苦しそうな表情に気がついた。多分無意識だろうと思うが、両手を腰にあてている。肩が大きく上下している。今まで以上の汗だった。
(腰――?)
秀虎は躊躇した。トイレに行くために、立つことすらできなかった彼女のことが憶いだされた。あれから二ヶ月ほどしかたっていない。明日夢の話では、彼女の腰は完治するようなものではなく、騙し騙しつきあっていくようなものらしい。そもそも、負担の大きい運動は禁じられている。無理をしたら悪化してしまうのでは?
(……どうする?)
これ以上、明日夢を出場させるのは、無理な気がする。しかし代わりの選手は……?
迷っているうちに石黒がサーブをした。へろへろと飛んできた球をレシーブする相手チーム。完全に意識の外で、ぼうっと突っ立っていたままだった。
「秀虎君!」
明日夢が叫んだ。とっさにあげた顔めがけて、ものすごい勢いで何かが飛んでくる。しまったと思う間もない。視界のはしっこに、手をのばす明日夢が見えた。
手を出すこともできず、反射的によけようとしていた。その右脚に、するどい痛みがはしった。バランスがくずれ、しりもちをつく。お尻の下に熱い砂の感触。
秀虎の顔面を直撃しそこなったボールは、あさっての方向へ飛んでいき、勢いよくアウト。
「ナイス、秀虎君!」
叫ぶ明日夢だったが、秀虎は脚の裏を押さえたまま、立ちあがれなかった。審判がゲームを中断させた。おそるおそる広げた秀虎の手のひらが、真っ赤だった。
「秀虎君!」あわてて明日夢が駈けよる。「何これ!」
「あ、これ……」
駈けよった線審のひとりが砂の中から、将棋の駒くらいの大きさのガラスの破片を拾いあげた。
「どういうこと! ビーチバレーやるってのに、コートの中にガラスなんかまざってるって、ありえないでしょ!」
「すみません、コート中はよく砂をふるって、こんな物まざってるわけないはずですが……」
どなられた線審は、貧乏くじをひかされたかっこうになって、しどろもどろに弁明する。
「はずがないって、そんなの言い訳じゃない」明日夢が爆発した。「脚の裏だったからよかったけど、別の場所だったら秀虎君、もっとひどいことになってたわよ!」
「ケガされた方は、とりあえずこちらへ――」
実行委員会のテントから、何人もの役員らしきおっさんたちがやってきた。テントには救護所が設けられている。秀虎は貞清たちに肩を貸してもらい、片足とびでテントの下へ入っていった。
「大丈夫、秀虎君?」
親指の付け根あたりを消毒される秀虎を覗きこみながら、明日夢が訊ねる。玉のような汗をかいた顔が青い。
「……試合はちょっと無理だと思う」
「……そうじゃなくって、バカ……脚、脚だって!」
「あぁ……まぁそうだな……痛いけど大丈夫」
「痛いけど大丈夫って、何よそれ、マヌケ!」
不機嫌な表情で明日夢はぼそりと云った。
「あの、すみません……もし出場できないのなら、控えの選手はいらっしゃいますか? あの………もしいなかったら、棄権ってことになりますが……」
明日夢の剣幕に、おそるおそるといった感じで、実行委員が訊ねる。
「……今、そんなこと云う?」
明日夢がにらみつけると、居心地悪そうに眼をそらした。でもここまでやっといて、決勝が不戦勝だったら、いくらなんでも盛り上がりに欠けるのだろう。
「やめろ北森――」秀虎が顔をしかめつつ云う。「大丈夫、控えの選手ならいますよ。交代します」
織田の背後で、貞清と石黒が声にならない歓声をあげて、はればれとこぶしをつきあげる。
「さ、がんばってくださいね」
貞清が織田の肩をぽんとたたく。
「……オレ?」
呆然とする織田。読み違ってコウ立てしそこなったヘボ棋士のように、間のぬけた表情だった。
「もちろん」笑いをこらえつつ、石黒が云う。「優勝まであと少し。織田さんだって、肉なしのバーベキューなんて喰べたくないでしょう?」
「わっかりましたか、みなさん! いえ特にあなた、織田さん!」人差し指を元会長につきつけながら明日夢。「秀虎君がいたからこそ、なんとかかろうじて、綱渡りで試合になってたんですよ!」
どこまでぎりぎりだったんだ。
「その証拠に、秀虎君がいなくなったら、一点もとれなかったじゃないですか、秀虎君がケガしてなかったら、優勝してたかもしれないんですよ!」
結局、秀虎がぬけたあとの穴はうまらず、明日夢たちはこっぴどく敗けた。途中から交代した織田は、みごとなまでに脚をひっぱってくれ、相手チームを優勝へみちびく原動力となった。そして明日夢は、飢えた雌虎のように憤慨していた。
「いや、それはないだろ、オレらもうへろへろだったし……」
「根性なし」げんなりと答えた貞清に、侮蔑をあたえて、手にした缶ビールをくいっとかたむける。「いいですか! 織田さん、今度のことであなたがどれだけ役に立たないかわかりましたか! 猛省をうながします、猛省を!」
テントの前で肉を焼きながら、まだ陽のあるうちにもかかわらず、彼らはずいぶんの量のビールを消費していた。
「あ~もう勘弁してくんないかねぇ……いいじゃないか、治療費はもらったんだから」
「それ、オレのです」
ぼそりと秀虎。謝罪と治療費として、優勝賞金と同額の三万円をもらった。もらったけれど、脚には包帯で、結局海に入ることもできなかった。包帯の間に砂が入ってかゆいし、やはり割りにあわない。
「い~え、容赦しません。どうせアタシと秀虎君をからかうつもりだったんでしょ、みんな知ってて、アタシたちだけ教えてなかったんだから!」
「北森、こうして無事にバーベキューができてるんだから、もうそんな目くじらたてなくても……」
「最初っから肉は買ってたんですよね、織田さん」
「はははは……」
「……ってことは、別に出場しなくてもよかったんですよね、藤江?」
「えっと…どうなのかにゃあ、あはははは」
「藤江、ちょっと体育館の裏までこい」
「アタシは無実です。全部先輩たちの陰謀です、よろこんで証言台に立ちます」
「うわっこいつ、マッハで裏切りよった!」
あれだけおどしておきながら、織田たちはバーべキューのしたくはちゃんとしていた。つまり明日夢と秀虎はからかわれたのだ。全員がグルだったのだ。
そのことを聞いた明日夢の怒りはおさまらない。怒りにまかせ、呑みかつ喰べ、そして吠えて糾弾しつづける。
かたむきつつある夕陽が、夏の宵へと意匠を変えつつある。彼らはもう何ものっていないバーベキューセットのまわりに思い思いに座っていた。酔いが公平に彼らにおとずれていて、海のかなたが急に遠ざかるような感覚があった。遠ざかりつつあるその距離をはかるように、不意に石黒が訊ねた。
「そういや織田さん……本当にプロになるつもりなんですか?」
「ん? あぁ……なる」
意外にアルコールに弱い織田は、酔いのまわりはじめた口調で答えた。しかしその表情は落ち着いていて、何の力みも感じられなかった。
「織田さん、前から一度訊きたかったんですけど……なんでプロにならずに、大学来たんですか? 結構いけてたらしいじゃないですか?」
「親父との約束でな」
織田がぽつりと云った。ちびりとビール缶に口をつける。
「プロを目指すのはかまわんが、大学まではきっちり行く、それが条件だった」
織田の実家が地元では結構でかい建設会社をやっていることは、以前に耳にしていた。彼は総領息子だ。十代のころ、プロをめざしていた織田と親との間に、衝突があったことは聞いている。
「……はあ、それ条件厳しすぎませんか?」
現在プロ棋士になるには、原則二十三歳までという年齢制限がある。この時期をのがすと、後はアマチュアとしてプロにおとらない成績をのこして、特別枠で編入するほかに手段はない。年間数人しかプロになれない、九分九厘の者が行く手をはばまれるけわしい道だ。織田はこれまでプロ試験にものぞんで、かなりのところまでいっていたらしいし、全国の学生選手権でも優秀な成績をのこしているが、同じ野望をもっているライバルも少なくはない。年齢からいえば、ほぼ最後のチャンスだろう。
「プロへの道は厳しい。プロ間違いなしって云われてたやつが、結局狭き門にはばまれて去っていくことだって珍しくない。十代のすべて碁に費やしてしまって、挫折してしまっても、碁しか知らないやつは世間では生きていけない。だからそれなりの学業をおさめろって、それだけは譲れんって云われてな。保険みたいなもんか。ま、勉強会へ参加するための費用なんかは出してもらっているから、文句は云えんわな」
そう云うと、織田は晴れ晴れと笑った。薄紫色の幕がかかったようだった空が、今はもうフェードアウトしつつある。
「来月……からでしたよね、外来の予選」藤江が唇をかみつつ、小さく訊ねた。「よかったんですか、こんなことして」
「ばか騒ぎも、これでおしまいだ」
「あきらめてないんですか」
「あぁ、なるって云ったろ? なりたいんじゃない、なるんだ俺は」
「うお、かっちぇええこと云ってますよ、織田さん」
「おお、今のうちにサイン書いてやるぞ。タイトルとったら、気安く近よれなくなるからな」
そう云って、にいっと笑った織田の表情は、これまでにはなかった成熟した大人の気配があった。笑う目元は、もう秀虎の視線とは位相が異なっていた。秀虎はそれを、さびしくもあり、うらやましくもある感覚でとらえた。織田の夏は、もう自分たちとは分かたれていたのだ。
自分にもいつかおとずれる夏のおわりだと、秀虎は感じていた。
(了)
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