第18話 「Summertime Blues」(前編)
ラジオのパーソナリティが、今夏もっとも暑い日だと興奮ぎみだった。なぜ彼がそれほどに得意げなのかはわからないが、なるほど、その云い分ももっともだ。まるで圧力をもって秀虎たちにのしかかってくるような太陽の熱は、他の追随をゆるさない絶対王者の貫録すらただよう。
秀虎たち囲碁同好会の六人は、陽炎がたちのぼるその熱気の中にいた。前会長の織田の前にほかの五人が横一列にならぶ形だ。彼ら自身の影が、真下に濃い。
「さて諸君――」織田がおごそかに口を開く。「ただ今より夏合宿を開始する」
「おっす!」
「おおっ!」
「……はい」
「は~い」
「……」
ひとりだけ無言だ。
「なんだ北森、テンション低いな」
織田はめざとい。
「織田さん、あたし意味わかんないんすけど……」
「うむ、絶好の合宿日和だ。諸君、緊張感をもって研鑽にはげむように」
「だから、海で何をどうはげめって云うんですか」
「夏は海だろうがっ!」
「ここまで来て、いまさら何云ってんだ」
「これだからオナゴは……」
「明日夢先輩、今夜バーベキューです」
明日夢に次々と反論の声があがる。
「やかましいっー!」明日夢がキレた。「一週間前にいきなり合宿するって云うから、無理やりやりくりして来てみれば、囲碁同好会が、なんで海で合宿すんだぁっ!
ありえんだろぉ!」
明日夢の言葉に波の音がかぶる。ぷるぷると怒りにふるえる指が差した先で、眼につきささらんばかりのまばゆい白砂とぎらぎらの波が堂々と広がり、すでに多くの鮮やかな水着が彩っている。歓声が聞こえる。
「何の意味があんのか、答えてみろ! あんたら間違ってる、ぜんっぶ間違ってる!」
「いや……そんなこと云われたってなぁ……」現会長の貞清と副会長の石黒が、困ったように顔を見合わせる。「ウチの合宿は、毎年海って決まっているし……」
「じゃ、何で碁石も碁盤も持ってきてないんですか?」
「夏合宿はほら、イメトレ中心だから」
「何を寝ぼけたことを……」歯ぎしりをする明日夢。「そんな不真面目なこと、あたしは許しません!」
「……とか云いながら明日夢先輩、ちゃんと水着着てるじゃないですか?」
ただひとりの一回生藤江が冷静につっこむ。中学生じみた容貌とはそぐわない、オレンジのドット花柄のビキニにキャロットで完全武装で、なかなかのオンナっぷりである。
「だ、だって持参って云ってたから……」
口ごもる明日夢。持ってこいって云われたら、着るのかよ……小さくつっこんだ秀虎に、凶悪な視線を向ける。
そういう彼女は、でっかいペリカンがプリントされた赤いTシャツ風のタンキニに、ベルトがセットになったハイウエストのショートジーンズをあわせている。言動不一致を追及されても、文句は云えない。
「熊谷、北森の教育係はお前だ」織田が冷たく云う。「ちゃんと合宿の意義を教えておけ」
「ちょ、ちょ、ちょっ……」
「さて、話をもどすが、合宿の日程だ」秀虎を無視してつづける織田。「夕方六時からテント前でバーベキューをするので、全員で手伝うように。酒は抜かりなく冷やしておくことを忘れるな。ここ重要な、試験に出ます。そんでもって明日は午前七時起床。朝食後、各自で練習。午後に撤収の予定だ」
「……織田さん、今日の予定がぬけてますけど?」
秀虎が手をあげる、織田はもったいぶってうなずく。
「例年だと、各自で自由に練習の予定だが……」
「何の練習だよ……」
「黙れ北森。今年は少々趣向を変えている。十時からビーチバレー大会が始まるので、我が同好会はこれに参加する」
ペットボトルのお茶に口をつけていた秀虎が、盛大に吹きだした。
「ちょっと待った! ビーチバレー大会って、何ですかそれ!」
「地元の商店街が、地域振興のために今年から始めたらしい」
「いや貞清さん、そういうことじゃなくって……聞いてないですって、そんな話!」
「心配するな、エントリーはしている。ぬかりはない」
大きくうなずく現会長の貞清。
「いや、オレら合宿に……」
「いいじゃん別に、遊びにきてんだから」
「あっさり遊びってみとめやがった……」
「別にお前には期待していない、今回わが同好会には切り札がある」
「はい……?」
一同の視線が、織田から明日夢にぐるりと移った。明日夢は自分を指さした。
「……はい?」
織田がうなずく。
「……あたし、出ませんよぉ」明日夢はそっぽを向いて、べぇっと舌を出す。「のんびり泳いで、ビール呑んで、さざえの壺焼きと焼きそばと海鮮丼とかき氷食べて、夜はバーベキューするんです」
「……だから合宿……」
「あたし、遊ぶんです」小さくつっこんだ秀虎に胸をはって堂々と宣言した。「遊びの中で自分をみがきます。具体的にはオンナをみがきます」
「優勝しなければバーベキューもできない、酒もない」
織田がぽつりと云った。
「……はい?」
「優勝は三万円分の商品券だそうだ。バーベキューの食材と酒は、その中から出る予定だった」織田は哀しげに首をふる。「そうか残念だ、せっかくの海なのに夜はわびしくコンビニ弁当か……なんてこった……」
貞清と石黒は天を仰ぐ。
藤江が手を口元にあてて、悲壮な表情をうかべた。
「……あたし、我慢します。先輩に責任なんてないんです、責めることなんてできません」
何と云うあざとさ。やはり女は怖い。
「……二万・一万で手をうちましょう」
明日夢は、引き金を絞る直前のスナイパーのような硬質の表情で云った。
「バーベキューが二」
「アタシが二です」
「野菜だけになるな。お前、キャベツとピーマンとカボチャだけのバーベキューがいいか?」
「……半々。それでダメなら出場しません。あたしはあてつけで、自腹きってそこの居酒屋で豪遊します」
「……いいだろう」悠々と織田。「あとは熊谷だ」
「あ、やっぱり? 流れ的に絶対オレに振られるって思ってました」
「いい読みだ、合宿の成果がさっそくでたようだな」石黒がうんうんとうなずく。「優勝できなかったらお前たちだけ酒抜きな」
「それ、ひどいんじゃないですか?」
「当然だろう、出る以上は勝つってのは世界の常識だ」
「どういう理屈ですか、それだと出場チームの数だけ優勝じゃないですか」
「あ、云っとくけど」織田が軽く云う。「男女混合の四人制だからな、この大会。貞清、石黒、お前たちも出るんだぞ」
「……はい?」
ざまみろ。
何も視線をさえぎるものがなく、水平線のはるか先まで見通せるこの場所では、はじめて空と海のとてつもない大きさが実感できる。見事である。
弧状にのびる真っ白の砂浜の一角を区切って、試合がすすんでいる。
脚下の砂はやけどするほどに熱せられているので、大会実行委員会が準備したタープの下で、秀虎たちは観戦していた。なんだかんだ云って、明日夢は試合を真剣に凝視している。
インナーとはルールも微妙に異なる(らしい)し、何より脚下がやわらかい砂だ。確かにゲームの様子を見ていると、床のしっかりした屋内とは違って、誰もがどたどたと無様にボールを打ちあっている。
あれだったら自分の方がうまいなぁ、などと秀虎は能天気に考える。
「よっしゃ、大体わかった」
かなりおおざっぱな第一試合が終わったのをきっかけに、う~んと背伸びをしつつ、明日夢は云った。日陰だが、海辺の風は熱気をたっぷりだ。肩から首筋に玉のような汗をかいている。
「室内みたいに跳べるようなコンディションじゃないし……う~ん、やっぱり砂浜だとやっかいだなぁ。ボールも多分やわらかいから、スピードは出ないと思う。タッチがむずかしいかな……」
ぶつぶつとつぶやく。
「いやぁ、どう考えたって無理だろう」
タープの外で、同好会でただひとりの喫煙者である貞清が、携帯用灰皿を片手にぼそりとつぶやいた。北森は貞清をじろりとにらむ。
「やれるか北森?」
「織田先輩、この大会、今年が初めてって云ってましたよね?」
「ああ」
「なら知名度はないってことだから、参加チームも少ないし、多分あんまり強いとこも出てないと思う。ふ~ん、いけますよこれ、今回が唯一のチャンスかもしれませんね、つーか、今夜の肉のためにがんばってくださいね、先輩がた!」
「……オレら?」
不安そうな表情で貞清。
「もちろんです。先輩たち以外のどこに不安要因があるって云うんです? 先輩たちのミスで敗けたら、おごりですからね!」
「い、いつの間にそんな話になってるんだ!」
「がんばれお前ら」
「話のでどころは織田さんだろがっ!」
石黒がほえる。
「ちょっと先輩」と秀虎は貞清と石黒の耳元でささやく。「いつまで引退した前会長に仕切らせてるつもりですか? 現役として、締めるとこは締めてくださいよ。とんだとばっちりじゃないですか」
「そう云われてもなぁ……」石黒が渋い顔をする。「オレら織田さんには頭あがらんし……」
「おまけに藤江にも勝てないし……」
同好会の中で織田の強さはけた外れで、貞清と石黒では四石置いても勝負にならない。秀虎と明日夢などは六石置いても相手にもならない。一回生の藤江だけが、二石置いて何とか勝負になるぐらいだ。
序列にすると織田、藤江、貞清と石黒ときて、秀虎と明日夢がドベ争いだ。どれぐらい差があるかと云えば、織田と藤江が東京―博多間とすると、貞清と石黒はシンガポール、秀虎と明日夢にいたっては、地球半周分ぐらい離れている。
織田の引退後、現役最強は藤江である。しかも背後には織田がいる、院政だ。序列ができてしまっている。藤江政権は、着々と固められつつある。ちなみに、その序列をものともしない物理的な武力を持つアンタッチャブルが明日夢であり、藤江は彼女に逆らうことはない。本能であろう。
結果――秀虎が最底辺?
「不安しかないお前らのために、必勝の作戦を考えた」
貞清たちの不平が聞こえているのかいないのかわからないが、織田が自信満々に云ってのける。
「いや、マジで結構です」
もうどうでもいいから、とっとと時間がすぎてくれと思っている秀虎がそっけなく答えた。
「いいか、お前ら……来た球は何が何でも上に上げろ、絶対落とすな。お前らはそれ以外するな、そして北森が打つ!」
「うわぁ……」
後輩三人は頭をかかえた。
「さぁ、燃えてきましたねぇ!」
腰に手をそえて、念入りに脚の柔軟をしつつ闘志に燃えている。発熱するような強烈な気力が、明日夢の中にじわじわと充満していくのが眼に見えるようだった。肉への欲望、おそるべしである。
世の中には勝つことに対して真摯で貪欲な人種がいる。このあたり、明日夢と織田はよく似ているのかもしれない。
(つづく)
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